あかね雲
概要: 音楽室に、凛、とした声が響いた。「嫌です」「……抵抗しないと約束したと思ったが?」「抵抗は、しません。私はこういうだけです」 ひよのは両手を胸の前で組み合わせた。長身の鳴海清隆を見上げる瞳には涙。「―――私は死にたくありません。お願いします、殺さないでください、なんでもしますから、どうかころさないで……」 恥もプライドもかなぐり捨てての、助命嘆願。 はじめて清隆がひるんだのを感じながら、ひよのは言い募...
概要: 最初は、ひよのを殺し歩を絶望に突き落として、スイッチを入れることかと思った。強い負の感情の揺らぎが、スイッチの入るきっかけなのだ。 でも、歩が火澄でないなら、スイッチなど入らない。何故だろう?「私を殺すのは……私が火澄だからですか?」「君は、歩の、最愛の人間だからだよ。私が君を殺せばあの子は私を恨むだろう? そして、私を倒すため、力をつけようとする」「……敵対、させたいんですか? 恨ませて、どうする...
概要: その音楽室には、粘度の高い空気が詰まっていた。 体にからみつき、息苦しくさせる空気。 ひよのはそれを感じているが、表面にはこれっぽっちも出さずに振舞う。相手がそれを感じていないのか、それとも、感じてはいるが彼もまた無視しているかは、わからない。「正直、意外です。火澄さんがくるものと。思ってました」 いつもどおりに振舞うのが難しい相手というのはいるものだ。 ひよのはことばをつむぎながら、鳴海清隆を...
概要: 「歩……あんた一体、これからどうするの?」 これには、迷う理由を感じない歩である。 きっぱりと言った。「ひよのの情報網を再編する」 この返答はよほど意外だったのだろう。まどかはぽかんと口をあけた。「……え?」「情報面でどれほどあいつに頼りきりだったか、ひよのがいなくなって、初めてわかった。あいつの情報なしじゃ、推理しようにも材料がないんだ。行動を起こしたくても、何をすればいいのかわからない。情報を制す...
概要: ひよののファイルは、膨大なデータと、それに基づく推論という二章仕立てで出来ていた。 データの信憑性にもランクがつけられ、「絶対間違いない」データ、「おそらく間違いないだろう」というデータ、「裏をとってないデータ」、「まったく信用のおけないデータ」の四種類に分けられていた。 絶対に間違いのないデータとして、検証されたのが歩とひよののDNA鑑定だ。 DNAによる血縁鑑定というのは、人が思うほど絶対で...
概要: ああ、なんだ、なるほど、そういうことか。 ひよのの遺したデータを見て、歩の冷静な部分は、それだけ思った。 ショックは不思議なほど少なかった。なぜかと考え、ああと頷く。 感じなくなってしまったのだ。 爆発音を聞いた耳に、しばらく小さな音など入らぬように、ひよのを失った衝撃からまだ復調していない心は、波立たない。 結崎ひよのが生き返ってくれるのなら、鳴海歩は何でもするだろうが、一度失われた命に取り返...
概要: ……打つ手なし、か。 しょうがない。火澄は帰宅すると、食卓の椅子に上着を投げ出して、後ろの歩に言った。「しゃあない。俺の知る限りを話たるから、そこ座れ」「……ひよのの行動は知らないんじゃなかったのか?」「すべては知らんが、お前よりかはよっぽど知っとるで? ……というよりお前が知らなさすぎや、歩」 歩はむっとして、こう言い返した。「ひよのが俺に相談ひとつしなかったのが悪い」「お下げさん、お前よりよっっっ...
概要: 「歩。お前にはその義務がある。お前がのほほんとしてる間、おさげさんがどれだけのことを、ただひとりお前のためだけにやっていたか、知る義務があるはずや。ちがうか?」 この台詞でも、まだ腑抜けているようなら、そのときこそ見捨てよう。 そう思った。 もともと、なぜ関わるのか自分でもわからなかったくらいだ。いっそせいせいするというものだ。 そう思っていたのに、歩はベッドに手をついて、起き上がった。「───わか...
概要: 絶望のなかの希望のほんとうの絶望。 鳴海歩は、泣けない人間だった。生理的な涙は出ても、心理的な涙はでない。 その封印がとけたのは、ひよのが死んだと聞いたとき。 そして、今。 清隆は歩の返答を五秒ほど待っていたが、歩が何も答えられないでいると、手を離し踵を返した。 その背に、歩はやっと一つだけ、声をかけることができた。「兄貴。……ひよのを殺したのは、……だれ、なんだ?」「わたしだよ」 凍りついた。 言...
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