さっきの疑問に舞い戻ります。
もし、私が西洋人のコスプレした人を見たら、まかりまちがっても「異世界人」だなんて思いますまい。
染めてるだけ、変な服を着ているだけ、そう思うでしょう。
「こちらの方は、髪を染めたりしないんですか?」
「染める?」
くっと、男性はあんまり良くない感じで唇を歪めました。
う……なんだかびんびんセンサーに来ますね……。
いま、私、馬鹿にされたんじゃないでしょうか。
異文化コミュニケーションの第一歩ですし、温和で笑って誤魔化すのが得意技の日本人ですから流しますけど。
「君たちの文化では髪を染めることは良くあるようだな。それ専用の薬剤まで開発しているようだだが、我々は、髪を染めたりすることは決してしない」
「な……なんででしょう」
「魔力が使えなくなるからだ」
キターっ!
私は内心絶叫しました。
異世界物の定番! 魔法ですか! 魔法ですね!
ああ、考えてみれば、家が湖に浮かんでいるのを見たときから、わかってしかるべきでした。
「じゃあ……皆さん、髪はそのままですか?」
「ああ。毛染め剤など、この星にはない」
「星……ですか」
星。
つまり、この世界は、地球と同じように惑星であり、それを住民も理解しているということです。
「あ……その……戻る道、なんかは、ご存じでは……」
「知っていると思うのか? 異世界人の実在の記録が史上初めてのこの世界で」
「……思いません」
私はがっくりとうなだれました。
そう……ですよね。
歴史上初めて現れた異世界人の戻し方なんて、知っているはずがないですよね……。
……お父さん、お母さん。職場の人たち……。
あんまり戦力になれなかったから仕事で穴があくことはないでしょうが(それも思えば悲しいですが)、それでも私が担当していた部署のお仕事の引き継ぎは大丈夫でしょうか……。
……と、そこではっとしました。
仕事。そう、お仕事。
「す、すみませんっ! 私、五十嵐早苗です。サナエ・イガラシです! 姓がイガラシ、名前がサナエです。あなたのお名前を教えてください!」
男性は何故か数秒私の顔を見て、そしてふっと唇を吊り上げました。……えっと、今度は馬鹿にされたのではないようですが?
「……ルーラン・シミス・ファミエイム。ルーランでいい」
「ル、ルーラン……さん?」
「ルーランでいい。公式の場でもなし、さんづけは気持ち悪い」
言語というのは概念です。何となく伝わりました。
この言語では呼び捨てが普通なのです。日本人では親しくなると呼び捨てにしますが、この世界では呼び捨てがデフォルト。
わざわざ「さん」にあたる敬称をつけるのは、公式の場ぐらいなものみたいです。
そして、親しくなると、愛称で呼ぶ、と。
私はがばっと頭を下げました。
「ルーランっ! 助けていただいた上にご無理言って申し訳ないんですが……お願いします、私に職を斡旋していただけないでしょうかっ!」
私はどうやら、すぐには元の世界に帰れないようです。
そして、生きていくためにはご飯とベッドがいるのです。
それらを保証してくれるものといったら……職、でしょう。
日本でも言うじゃないですか。働かざる者、食うべからず、と。
ルーランさんは、再び笑いました。……今度こそ、間違いないですね。
これは悪意のこもった嘲笑です。
「心配しなくてもいい。お前が生活に困ることはない。サナエ。お前は、史上初めての異世界人だ。お前の短い生涯のあいだ、決して食うに困ることはないだろうさ」
ひ、ひええええええ!
こ、これは、これは、どう考えてもそういうことでしょう!
実験動物、という言葉が脳裏を巡ります。
私の住んでいる地球でも、同じことが起こるかもしれません。架空の世界の産物であった異世界人なんていうものが現れたら、捕獲して調査して研究するのではないでしょうか。
でもっ!
自分がそれになるのなんてまっぴらごめんですっっ!
その時、ちりりん、という音がしました。
風の精が硝子を軽やかに踏んだら、こんな音になるかもしれません。
涼やかな高音でよく通り、それでいて神経に障ることのない美しい音色です。
ルーランがその音に首を向け、そして私に戻しました。
「迎えが来たようだ」
む、迎えですかっ!
行きつく先は研究施設か拷問室か……。
ルーランが出迎えに立ち上がり、部屋には私ひとりが残されました。
チャンスです! 逃亡の最初で唯一のチャンスです!
見渡せばさほど広くない部屋です。六畳一間ぐらいでしょうか。
窓は……ありますが、それに駆けよって私は絶望に包まれました。
……どうして忘れていたのでしょうか。
この家が、湖のど真ん中に建っていたことを。
窓を見ても、そこからの景色は水色です。
泳ぎはできます。飛び下りるべきか――その逡巡の間に、私に与えられた時間は終わってしまいました。
ルーランが戻ってきたのです。
お客人とおぼしい、二人の男性を連れて。
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