しばらくルーランは深々と頭を下げる私をじっと見ていました。
ぽつんと。
「単なる気まぐれだ」
「はい。それでも、私は、あなたに助けてもらいました。誰かに助けてもらったらお礼を言えと……私は、故郷にいる母に、厳しく躾けられました。だから、ここは私があなたにお礼を言う場面で、間違っていません」
彼が嘘をついているという可能性はあります。
でも、たぶん、それはないでしょう。
「嘘をつく」程の価値を、彼は私に認めていないのですから。
私が、実験動物として扱われるところであった、というのは、恐らく本当。
……切り刻まれて子宮を使われるところであったというのも、恐らくは。
彼は黙って私の謝意を受けていましたが、ぽつりと言いました。
「『家族』か……」
私は、きゅっと唇を結びました。……そのことについて、口にできるほど、さすがにそこまで気持ちの整理がついてはいません。だってまだ来て半日なのです。
ですが……認めたくないですが、この世界は歴史上初めて異世界人を受け入れた世界です。……私は、ひょっとして、もう二度と。
ルーランは、幸いにも、その事について何も言わないでくれました。
助かりました。「家族に会いたいのか」なんて当たり前のことを言われたら……恩人である彼に、激発しないでいられた自信が、ありません。情けないですけど。
代わりに、ルーランはこう言いました。
「お前の世界には、精霊がいないのだな」
「え?」
「だから、お前は、息をするように、精霊を無視した」
「ぐ、ぐねぐねさんを無視なんてしてませんよ?」
「姿が見えたからだ。そうでなければ、他の下位精霊のように、お前は精霊を完全に無視しただろう」
「す、すみません……」
「いや。責めているわけではない。我々には、間違ってもできないことだ。憶えておけ。それは長所になりえる」
ルーランたち――めんどくさいからレイオス人とつけちゃいましょう。頭の中だけですし。
彼らには、精霊を無視することができない、と。ああ、ここではそれが常識なんでしょうし、一度知っちゃったら、忘れるのって無理ですもんね。
でも、それが長所になりえるって……なんでデスカ?
「な、なんでそれが長所なんでしょうか?」
「精霊の干渉を跳ねのけられたからだ」
頭にふっと浮かんだのは、どこかで読んだ一節です。
――幽霊を見ることができるっていうのは、幽霊からも認識されるってことだよ。見えるというのは、いいことばかりじゃない。
私は精霊っていうものの実在を信じられない世界から来た。
だから、できることっていうのもあるんですね。
「……あ、あのう……わたし、ひょっとしてそのことでお役に立てます? 何でもお仕事します! 言いつけて下さい!」
「じゃあ、まず、これに着替えろ」
ぽい、と投げられたのは……ゆったりとした長袖の上下。色は生成りで感触は麻っぽいです。それはいいんですが……え?
「い、いまどこからこれを……」
も、持ってませんでしたよね!
今、何も手に持ってなかったですよね!
何にもないところから取り出しましたよね!
ルーランは、顔をしかめました。
「ああ、……めんどくさい奴だな。お前の知識の中には魔法という便利な言葉があるだろう。それで全部納得しろ」
「できませんよーーーーっ!」
全身全霊で絶叫しました。
えー確かに私の知識(フィクションですが)の中に、今の現象の説明をつけられる言葉はありますよ?
アイテムボックスとか異空間収納とかね!
でも、それを目の前に現実でやられて平然としていられますかっ!
ルーランは鬱陶しげに、それでも答えてくれました。
「お前の格好は変だし、それ一着だ。だから、替えがいるだろうと思って用意しておいた。それだけだが?」
「い、いえ、用意しておいてくださったのはいいんです。ありがとうございます。ただ、いま、どうやって取り出したのかが……」
「用意しておいたものを引き寄せただけだ」
「……引き寄せた、というと?」
「私たちは術と呼んでいるが、お前の乏しい理解力に合わせるのなら、魔法でだな」
「……それは何でも引き寄せられるんですか?」
「物の引き寄せができる距離は短いな。私だと、二十歩ほどか。その服はこの家の別室にあったものだから、距離にして十歩ほどしか離れていない」
「ど、泥棒とか……いるんですよね? この世界にも」
「知的生命が発生したら、そこには倫理や犯罪が生まれる。当然のことだ」
「――そう、かもしれません。ええと、この世界では、人の財産を盗む行為はありますか?」
「無論、ある。私たちの間でも、それは犯罪とみなされる」
「で、では……その術は、財産を盗むのに使用されるのでは?」
全員が善人なんて社会があるでしょうか?
便利なものは犯罪にも使用されるということは、地球での歴史が証明しています。
ルーランも当然のように、頷きました。
「無論、そういったことも起こる。ほとんどの家ではそれができないよう、対策をしているが。だが、うっかり対策を忘れたりしている家から盗む泥棒はいる」
「魔法……術が前提の社会では、術による犯罪を前提とした防犯も発達するってことですね……」
それはそうです。
でなきゃ、やってられません。
「あの……この星にはどれぐらい人がいるんですか?」
「星全体で、十億人ほどだな」
「……結構多いですね」
九割が精霊のものなのに、と思いますが……いや、少ないのかな?
地球でだって海に人は住んでいません。
陸地だけです。その陸地の半分が精霊のもの。残りがレイオス人のもの。そして地球の人口が六十億だから……やっぱり多いですね。
かなり文明が進んでいないと、それだけの人口を支えるのは無理です。
地球では六十億いますが、人口爆発のインドとかの密集地も含んでの六十億ですし。
ああ……そういえば星の大きさが違う可能性もありますか。とすると、土地面積比較に意味はありませんね。
「幾つ国があるんですか?」
「常に自分より遥かに強大な外敵がいた我々は、お前の世界のように分裂しているゆとりはない。最も古い歴史書では複数の国があった時代もあるようだが、レイオスでは遥か昔から国はただひとつだけだ」
「……ひとつだけ……それはすごいですね。地球なんて何百もの国があって一度も統一なんて――え?」
間抜けなことに、私はそこでやっと気がついたのです。
そう、ちょっと頭が働けばわかったでしょうに――最初から、ルーランはその前提で話をしていたと。
そう、私が科学技術の原理を知らないとか、いろいろ。
私は思わず椅子から立ち上がって叫びました。
「な、なんで私の世界について知ってるんです?」
ルーランは平然と答えた。
「お前はどうして今我々の言葉を喋っている?」
「……ル、ルーランが……私に魔法をかけてくれたから、ですよね」
「おおむね合っている。その時にお前の頭の中の知識を転写した。
お前に価値がないというのはそのせいでもある」
……あ、ソーデスカー。
ソウデスヨネ、人の頭の中に一つの言語の知識を流しこむ、なんてことができるのなら、逆もできてオカシクナイデスヨネー。
私はエイリアンなのにあんなにあっさりあの人たちが見逃してくれたのも、ルーラン経由で私の持っている知識が譲渡されたからデスヨネー。
私は眩暈がして、ぺたんと椅子に腰を下ろしました。
……頭の中を全部覗かれたってことは、あれですよね。私の初恋とか恥ずかしい記憶とか黒歴史とかも全部…………あああああっ!
駄目です、考えない方がいいです!
相手は幸い異星人! エイリアン! 異世界人!
ノーカウントですノーカウント!
考えちゃ駄目です! あれですあれ! 自分のペットにキスしてもキスカウント加算にならないのと似たような感じで!
別種の生き物なんですからノーカンでいきましょう! それしかありませんっっ!
……それにしても、ちょっと、舐めてました。正直。
ベッドとか、ログハウスとか見て、あと異世界物の小説の影響もあり、中世ヨーロッパ程度の科学力だと思っていたんですが……さすがはエイリアン。
魔法を使ったトータルの文明力って、一部分では地球文明の科学力の比じゃないですね。
地球人は記憶の転写、言語知識の転写なんてできませんよ。
スピードラー○ングが意味なしになる脅威技術!
翻訳コンニ○クも使えるし、相手の知識をそっくりコピー転写もできるから尋問や拷問の意味もなし、と。
ああ、私の価値って、動物実験オンリーかな、それは……。
そういえば、今気が付きましたけど、ルーランが拷問とかに一言も言及しなかったのは意味がないからでしょう。知識まるごとコピーした方がよっぽど手っ取り早いです。嘘つかれる心配もないですし。
……ごめんなさい。異世界物定番みたいに役に立つ知識がなくて。
いえ、私は一般的な日本人だと思いますけどっ。知識チート物みたいに、農業技術や味噌だの醤油だのの作り方を知っている方が珍しいと思いますけどっ。
「そ、その……生殖機能がどうこう、とか言っていたのは……」
「我々の体で、お前たちと比べて劣っているのはそこぐらいだからだ」
「……子ども、できにくいんですか?」
ルーランは頷きました。
「できにくいな。もっとも、困っているわけではないが」
「困っていない?」
私は怪訝に思って問い返しました。
エイリアンでも……それは変ではないでしょうか?
子どもというのは、欠かすべからざる要素です。歴史上、子どもという要素なくして成立した国というのは一つもありません。だって、子どもというのは「人」なんです。国は人がつくるものです。無人の国、なんて、それはもはや国ではありません。亡国です。
「お前の世界で、出生率が低い国はどうしている?」
「……子どもを生みやすい社会の仕組みを作ろうとしています」
あんまり実を結んではいませんが。
作ろうとは、しているのです。
「知的生命体は、困難があるときに黙ってそれを見ているか?」
私はかぶりを振りました。
「……いいえ。考えて、知恵を絞って、乗り越えようとします」
それが、知性というものの本質です。
目の前にある困難を、ただ座して受け入れるのではなく、なんとかしようという発想こそが、知恵です。
天変地異も災害も、人は知恵を絞って軽減しよう、回避しようとしてきました。もちろん、それで回避できなかったことも大被害をこうむったこともありますよ?
でも、人は、「何とかしよう」とはしたのです。
日照りの発生は止められない。だからダムを作ろう。
津波の発生は止められない。だから避難警報を出して早く逃げよう。その場所を作ろう、訓練しよう。
人はそうやってきました。
ここまで言われれば、私にだってわかります。
「ここの人は、子どもが出来ないから、それを何とかしようとしたのですね?」
「そうだ。そして、何とかした。子を作る技術を開発した」
なるほど……だから、子どもができにくくても困ってないのですね。
「でも、じゃあ私はいらないのでは? 何をされるんです?」
「お前の世界で多くの生物に雌雄の別があり精子と卵子があるように、私たちにもある。精と卵を混ぜ合わせ、人工子宮から子は生まれる」
人工子宮……地球ではまだできてないですね。
人工授精は出来ても、子どもは母親の天然の子宮から生まれます。
……レイオスの科学技術はどれぐらいのレベルでしょう? かなり高そうですよ、これは。
思えばこのログハウスはルーランの家……つまり精霊の領域にある世捨て人の家です。地球にも時々いましたね、文明に嫌気がさして自然の中で自給自足で生きる人。
ルーランはそれと同じような立場のはずで……、この家を見てレイオスの科学技術をはかるべきじゃありませんね。
「だが、自然受胎はやはり極度に少ないままだ。我々は、自分の胎内で子を育てられないように進化……退化してしまった。歴史の昔は自然出産が普通であったというのにな。今ではそれは、お伽話に近しいほど過去の話になってしまった。選択肢がないから人工子宮を採用してはいるが、お前の子宮を調べて可能ならレイオスの民に応用したいという者はいるだろう」
「…………」
わ、私って……ひょっとしなくても物凄く危険な立場だったのでは……。
子宮って……子宮、ですよね。で、それを調べたいって……。
他の場所を調べたいっていうのとは訳が違いますよっ!
とんでもなく悪い想像しかできません。
「種の違うお前相手に催す者はいないだろうから、実際に性行為をするのではないだろう。試験管の精子を注がれはするだろうが」
「…………充分、最悪、ですよ……」
ルーランの言葉を信じるなら種が違うから妊娠はしないでしょうが――想像するのも嫌ああああ!
「後は卵子の採取と子宮の観察ぐらいだが――おい?」
「……お願いします。それ以上言わないで下サイ……」
ルーランはにやりとします。
「お前が聞いたから答えてやっただけだが?」
面白がってますね……これは!
でも、それに怒る気力もありません。
それに……前に言ったのと同じ理由で、彼は私に嘘をついているのではないでしょう。
ありのまま、事実を言うだけで私にショックを与えるには充分です。
でも、それをあんな一言で止めることができるっていうのは……。
「ルーランは、偉い人なんですか?」
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