「偉い、か……」
ルーランは、酷く複雑そうな醒めた微笑を浮かべました。
「お前の基準では、偉いうちに入るだろうな。私に命令できる人間は一人しかいないという観点で」
「一人って……それは」
「この星を統べる皇帝だ。レイオスの呼び方では緑の座というな」
――皇帝陛下ですか。
皇帝陛下しかルーランに命令できないって……なんですかそれ!
「私に公的な地位はないが……、そうだな……お前の世界で例えて言えば、個人が原子力発電所を持っているようなものか?」
「……なんですかその例え……」
ていうか、いま、この世界の言葉で言いましたね。
ってことは、発電所と、原子力っていう概念があるってことですよ。その単語があるんですから。
そして原子力があるってことは――核兵器があるかどうかは別ですが、作れる技術力はあるってことでしょう。
ええ、あんな自滅兵器をここの人が作っているかどうかは別として。
「正面から戦えば、勝つことはできる。だが、あまり相手を刺激しすぎて爆発すると、負けたも同然のとんでもない被害がでる。ただし、刺激しない程度に上手く扱えば、かなりの利益が出るもの、ということだ」
なるほど。
原子力発電所というのは、いい例えなのかもしれませんね。
「真正面から対立しない程度に、上手く扱うのが双方にとってもいい……と?」
「そうだ。この星の統治機構は、なかなかに良く出来ている方だといっていいだろう。利権にしがみつく怠惰な政治家ばかりのお前の記憶を読む限りはな。だが、私に強圧的に、何かを強制できるほどではない。私はいざとなったら死ねばいい。そうなった場合、被害はむしろ向こうにある。もちろん、向こうにも譲れぬ一線はある。それを越えた要求を私がしたら、向こうは利と害を計算して、損害を覚悟しても私を排除にかかるはずだ。だが、それを踏み越える気は私にはない。
――そして、お前の身柄は、その一線を越えるものではない、ということだ」
なーんとなく、わかりました。
ルーランが死んだら、困るのはあちらなのです。デメリットは向こうにあります。
ガチンコで戦ったら、たぶんルーランは負けるんでしょう。
でも、ルーランの死は、向こうの大損害でもあります。
……なら、ある程度ちやほやして、ルーランに要求を飲んでもらった方が、お互いにとってメリットのある関係ですよね。
で、ルーランが今回要求した私の身柄というのは、この星の統治者さんたちに、ルーランを失うデメリットと天秤にかけさせるほど重いものではなかった、と。
ルーランと全面的な敵対状態になるより、私の身柄を諦めたほうが、オトクだから引き下がったのですね。
そ、それほどの譲歩をさせる存在って、まさか……。
私は最悪の予想をしつつ、びくびくしながら聞きました。
「あ、あのう……皇帝陛下しかルーランに命令できないっていうことは……ルーランはひょっとして皇族とか、ですか?」
正体は隠遁した皇太子とか、お約束ですが嫌ですよっ。
「いいや。……レイオスでは皇族はそう偉いものではない」
「はい? 皇帝なのに偉くないんですか?」
「皇帝は偉いな。だが、それ以外の皇族はさほど偉くない。もちろん一般人よりは偉いが、私に命令できるほど偉くない」
「ほえ?」
私は首をひねりました。
「レイオス独自の制度、ってことですか?」
「そういうことになるな。たとえば……」
ルーランは、手の中に鈍く光る刃を呼び出すと、止める間もなく自分の腕に突き立てました!
ぎゃ、ぎゃああああ!
「血、血、血……っ!」
ルーランの腕から鮮血がほとばしり――すぐに止まりました。
は、はい?
「……見たか?」
「み、見ました」
こくこく。
私の目はパニくりながらもはっきり見てました。
ルーランの隣に黒い影が現れて、ルーランの腕をさわり、そしてすぐに姿を消したのを。
ルーランはつまらなそうに言います。
「あれはな、私の護衛だ」
「はい……」
「私が傷を負ったり、誰かに危害を加えられたり、呼んだりすると、あれが現れる。皇帝の忠実なしもべだ」
「は、はあ……」
ルーランは、私に腕を見せました。滑らかな、白い肌です。……変な所に目が行っちゃいましたが、男の人なのに腕毛あんまりないですね。女性並みです。
「傷がないだろう?」
「……ありません」
傷が夢でなかったのは、飛び散った赤い鮮血が証明しています。……こっちの人も、血は赤いんですね。エイリアンなのに、錯覚しちゃいそうです。見た目一緒ですし。
「あの護衛が術で治した。私は出来ないが、さほど難しい術でもない。生きてさえいればすぐ治る」
……なーんか、回復魔法とか定番と言えば定番ですが……、実際あると、怖いですね。なんとなく。なんででしょうか。
治るならそっちの方がいいに決まっているのに……。
あんな深い傷がウソみたいに治って、そのあっけなさに怖くなったのでしょうか。
ルーランはまたあの嫌な笑顔を浮かべました。
「だから、お前を生きながらにして解剖してもすぐにも元通りにできるというわけだ」
……こわ! こわあっ!
「だめですそれは! 回復魔法は世の為人の為がお約束ですってば! 決してそんな拷問に使っちゃいけませんて!」
「お前は誤解しているようだが、『癒し』の術が使える人間は決して珍しくないぞ。希少価値はないに等しい」
え……と。それは。つまり。
「身体的に他人を傷つけても、癒しの術をかければ跡形もなく元通りになるわけだ。死ななければな」
私は唖然としました。
「ひょっとして……傷害罪って、ない、とか?」
「あるにはあるが、微罪だな。殺人になると一気に罪が重くなるが、なんせ、癒しの術をかければ元通りになる。本人が使えればよし、使えなければ……せいぜいが術の依頼料ぐらいか? それだって町を普通に歩いている人間ができるわけだから、大した額じゃない」
「じゃあ、ナイフでぷすっと刺しても……」
「申告すれば犯罪だが、示談にするための慰謝料と少額の治療費を払えばおしまいになることが多いな」
「……他人を傷つけても、罪は軽くなっちゃうんですね……。誰でもできる魔法で、跡形もなく元通りになるから」
……誰もが回復魔法を使える社会、って……理想的なようで、実際にあるとそれなりに弊害がありますね。
日本だってかすり傷で「傷害罪!」って言っても大抵は「それぐらいで大げさな……」になります。被害届を出そうとしても、警察官の人に止められちゃいます。だってそれぐらいで、って。
要はそういうことで、どんな重傷でも癒しの術をかければ元通りになるから、罪が軽いってことなんでしょう。その癒しの術だって、そこらを歩いている人ができるっていうんですから。
私はふと、恐ろしい可能性に気づきました。
「……人を傷つけても、すぐ治るんですよね? それって……」
「良く気づいたな」
本気で感心したように、ルーランが頷きました。
「人に身体的傷をつけても、罪を感じない人間は多いな」
「やっぱりですかあっ!」
ルーランが解剖だのなんだのって言ってたのって、脅しでも何でもなくてホントにホントだったんですねっ!?
嘘とは思っていませんでしたけどっ!
でも、本当だったって思い知らされるのとではやっぱり違うっていうか……。
しかし、さすがはエイリアン。地球とは文化が根っからちがいます。
そりゃあ誰もが回復魔法を使えるのならそうなるのが自然かもしれませんが、他人を殴ったり蹴ったり傷つけたりすることにさほど抵抗がない文化って、怖すぎますよっ!
「誤解しているようだが、見知らぬ他人を殴ったりしたらそれは普通に犯罪だし非常識だ。もめ事があれば話しあいで解決が基本で、人に暴力を振るうことは恥ずべき行為とされる」
心底ほっとしました。
「よ、よかった……」
「だが、術をかければ、すぐ治るわけだ。倫理観のない者、親の教育が行き届いていない者は、死ななければ良い、と考える者も多い」
「……か、回復魔法がふつーに誰でも使える世界の弊害……っ!」
私は頭を抱えました。
そりゃあ、魔法が使える世界ですもの、罪を罪と感じるラインや範疇は地球でも文化によって違ってきました。こっちでは余計に違っているんでしょう。
「だから、私たちの社会では、肉体的傷はさほど重視されない。精神的傷が重要視される」
「精神的……傷? 悪口言われて傷ついたとかですか?」
「余程酷い罵詈雑言なら、名誉棄損にもなるが……。そういうものじゃない。私たちは心を使って術を編むが、時としてその術が失敗し、精神に傷を負う場合もある」
「ふむふむ?」
ファンタジーでも定番ですね、魔法。
そして、この星では魔法が失敗するとリバウンドで精神が傷つく場合もある、と。
「そうした精神的な傷を治せる医者というのは、ごく少ない。完全に先天性の能力で、研鑽しても身につくものではない。すべては能力を持って生まれたかどうかで決まる。それを精神治療者(シミナー)という」
……なーんとなく、話の流れが読めてきましたよ。
「需要と供給によって、力の重要性は決まる。この星でも怪我をする人間は多いが、治癒の術はそこらじゅうに使える人間がいるから重要度は低い。だが、シミナーは少ない。需要は多く、供給は少ないがゆえに……」
そこで、ふっと、ルーランの口元に醒めきった微笑が広がりました。いえ、これは……あきらめ?
「大事にされるわけだ。その能力ゆえに。――そして私は、そのシミナーのひとりだ」
予想はしていましたから、驚きませんでした。今初めて聞いた能力なので、有難味も偉さもよくわかりませんし。
「どれくらいいるんです? その、シミナーっていう人は」
「百人ほどだな。この星全体で」
「……十億対百ですか。それは大事にされて当然の比率ですね……」
百人しかいないのです。
護衛がつくのも当然で、また護衛をつけるのも簡単でしょう。
「私はお前の頭にここの言語の知識を転写したが、レイオス人なら誰でもできるわけではない。それができるのはシミナーだけだ」
「どれだけデタラメですかっ! ……あ、いえ、とても感謝してます。ありがとうございます」
「お前の記憶を転写したが、それができるのもシミナーだけだ」
「どんだけチートですかっ!」
う、うわあ……。
十億分の百に初コンタクトで会うって、どれだけ低確率ですか、私。
――あ、いえ。たぶん……運は関係ないですね。
シミナーさんに出会うこと自体は、間違いなく起こっていたでしょう。
だって、歴史上初めての異星人ですよ?
海の中に落ちる、とかで、トリップ直後に死亡というケースは……除いて考えて。
人里離れた森のなかに落ちても、精霊さんに運ばれたんです。
まして、町に落ちたら、すぐに人に発見されますよね。そして、外見的差異からして、隠すのは無理。見た人は百パーセント、私がそうであることに気づきます。
そしてどうなるか? ……言葉も通じない私はまず通報されるでしょうし、そうなればシミナーさんを呼び付けて「記憶転写」までは、どういうルートを辿っても必須イベントで起きてましたね……。
だって、異世界の知識ですよ? シミナーさんがどれほど貴重であっても、呼び付けて知識を転写させるでしょう。
ただ――おっそろしいのが、その後に「人体実験」イベントもまたほぼ確実に起きていただろうってことですが。
……ルーラン! 気まぐれ起こしてくれて助けてくださってありがとうございます!!
「私には幾つもの特権があるが、それと引き換えに、年間既定の人数を必ず治療しなければならないという義務もある。シミナーたち全体が、統治機構とそういう契約を結んでいるというのが近いか」
星全体でたったの百人。
……さっきの例え話が身にしみます。そりゃあ死なれちゃ大損害ですよ。
だから多少のワガママはきく、と。ルーランの機嫌を損ねて、本格的に敵対関係に移行するよりいいから。
敵対したって負けることはないですけど、ルーランに治療してはもらえなくなってしまう。国家的損失です。だって、全病院の百分の一が停止するに等しいんですから。
たった一パーセント、ではありません。国家のGDPが一パーセントも減少したら、と考えたら、その重大性がよくわかります。
国家の一大事なんですね……。
「そんな貴重な能力者なのに……目一杯働かせたりしないんですか?」
「過去にはそれをやろうとした愚か者もいたようだが、どうやって働かせるんだ?」
「――報酬……いえ、えーと、家族を人質にとる、とか?」
「異世界人でも、発想が行きつくところは同じだな」
ルーランは面白がって言いました。……ってことは、やっぱりあったんですね。
「シミナーに敵対した人間の末路は、悲惨だぞ。高位の役人であろうと、我々には関係ない。精神操作されて下僕になって終わりだったそうだ」
「……あはははは……」
敵対したら、殺す気でないと危険な人がここにいます……。
そして、殺しちゃったら大問題。百人しかいない貴重な人材。
ああなるほど……。
だから「多少のワガママは飲もう、その代わりに相手にもちゃんと仕事してもらおう」っていう協定ができたんですね。
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