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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 □

《忍び寄る死の影》





 翌日、リオンは父に呼ばれ詰問された。
 リオンが昨日、王子らしからぬ物を大量に持っていたということを、誰かが注進したらしい。
 右手に盆、左手に盥。右手首に革袋をひっさげていたのでは、無理もない。
 王子が持つにふさわしい品とはとても言えない。
「お前は、昨日、何やら大荷物を持っていたそうだな。どうしたのだ?」
 リオンはちらりと周囲に目をやる。父は国王であり、多くの側仕えの人間が控えていた。
「下がらせてください、父上」
「わかった。皆、下がれ」
 父が手を振って退出させると、リオンは言った。
「あの方が、病気だったのです」
「……なに?」
「今も伏せっていらっしゃいます。今日もこれから、朝食を届けにいくつもりです。あの方は体が不調であるときは、魔法を使えず、食べる物にも事欠かれる生活ですので」
「馬鹿な。あの方が病気などされるはずがないだろう」
 リオンは悲しみに満ちた顔で、父を見上げた。
 ―――やはり、父は、気づいていなかったのだ。
 ジョカは、父が来ぬ日の間に病に倒れ、来ない間に回復したのだろう。
 父は、リオンの表情に動揺した。
「……本当なのか?」
「……はい」
「そうか、それは……仕方があるまいな」
 従者に持たせようにも、ジョカの部屋の場所は王室の機密であるし、第一、ジョカが殺してしまう。
 王かリオンが運ぶしかないが、王が運ぶのは、リオンが運ぶ以上に奇異の目を引く。
「お許しください、父上」
 静かな声で訴えると、父は嘆息した。
「……仕方なかろうな。具合はどうなのだ?」
「薬を飲ませたら熱はだいぶ下がりました。きちんと栄養をとれば、じきに全快するかと思います」
 いかな健康な人間でも、数年に一度ぐらいは熱を出すものだ。
 十二のときにリオンと出会ってから二年、ジョカが病を得た様子はなかった。見た目も言動もすこぶる健康そうだが、時には、病に苦しむこともあるだろう。
「それと……こういうものが欲しいのですが」
 リオンは昨日の晩、さらさらと書きあげた絵を父に見せた。
 用途を説明すると、父も頷いた。
「わかった。それはあった方がよかろうな。すぐに手配しよう。……お前は、あの方に朝食を届けてさしあげに行きなさい」
「はい、父上」

     ◆ ◆ ◆

 こんなに頻繁にジョカのところを訪問するのは、初めてのことだ。
 昨日もあれから夕食を届けにきた。ジョカは置いたらすぐ帰れというのでそのとおりにさせてもらった。
「ジョカ? リオンだ」
 中に入ると、朝も、晩も、ここは変わらず薄暗い。
 当たり前だ。窓がないのだから。
「ああ、王子か。ありがとう」
 出てきたジョカは白いガウンを身にまとい、湿った髪を拭いているところだった。それでも、右に分けられた髪の一房にあの銀の輪がついている。
 全身しっとりと露をふくみ、どうやら湯浴みの直後らしい。
「あ……すまない」
「気にすることはない。俺は気にしない。王子が気にしないのならこちらへ来るといい」
 そう言われ、男同士で気にするのも変だと考えを改めて近づく。
 ジョカは乳白色の肌理細かい肌をしていた。ガウンの合わせ目から、意外と厚みのある胸板が覗いている。黒髪は雫を含み、黒々とつややかだ。いつものカラス服ではなく、白いガウンをまとった彼は別人のように印象がちがう。
 出会いから比べ、リオンもずいぶん背が伸びたが、まだジョカの方が頭半分以上高い。
「具合は良くなったのか?」
「ああ。だいぶ回復して汗でべとついていたから湯を使った。王子も、もう、食事を持ってくる必要はないぞ。今回は助けられた。礼を言う」
 ジョカにまともに礼を言われ、リオンは思わず一歩後ずさった。
「……なんだ、その反応は」
「いや、あまりにも意外だったもので」
 ジョカは口元を歪めて笑った。
「意外というのなら、王子の方だろう。面倒見がいい。窮鳥が懐に入ったら殺せないタイプだな」
「弱った相手をいたぶるほど、品性下劣でないだけだ」
 むっとして言い返すと、ジョカは楽しげに笑う。
「確かになあ。王子は、弱い者いじめをして自分の力を確認しなければいられないほど、力無くも、心を知らぬわけでもないものな」
 さらりと口にして、ジョカはリオンを見た。
「王子。俺は本当に、王子を気に入っている。そうさな、失うのが惜しい、と思うくらいに。その美貌も、気性も、消えてなくなってしまうにはあまりにも惜しい」
 ―――消える?
 リオンは表情を消し、ジョカに対峙した。
 ジョカは、リオンの反応ににやりと笑う。
「俺はいくつもの制約に縛られる。未来を見ることができても、それを口にすることはできないとはかつて言ったな? 俺は傍観者。さまざまな事象を見聞きするが、手だしは許されぬ身だ。俺に口にできるのはこの程度。
 王子が、一週間後も無事に来れるよう、祈っている」
 リオンはじっと、ジョカの黒い瞳を見つめる。
 数秒して、頭を下げた。
「感謝する」

     ◆ ◆ ◆

 期間は一週間。その間に、自分の運命が極まる。命の危険があるから気をつけろ―――。
 ジョカが、制約の網の目をくぐって伝えてくれたのはそういうことだ。
 十分すぎる情報だった。
 ジョカなりに、恩返しのつもりもあるのだろう。薬と食事の対価にしては、ずいぶんと過大だが。
 調べたいことがあり、古書室に出向いたり動いたりしたいところだったが、仕方がないので延期する。古書室の警備は十分ではないし、出歩いたりすれば危険が増す。
 永続的に警戒し続けるのは不可能だが、一週間と区切られれば話は違う。情報の出所を秘密にして、そういう密告があったという話にし、長年身の回りの世話をしてくれている侍従に打ち明けた。
 危惧したよりずっとあっさり密告の件は信じてもらえ、飲むもの食べるもの、身につけるものすべてに吟味の目を光らせてくれるようになった。
 その日は、朝から雨が降っていた。
 雨は昼になっても降りやまず、夜がすぎ、朝になっても雨模様は続いていた。
「……」
 リオンは腕組みをして、自室の窓から外の長雨を眺め、沈思していた。
 思案の時は終わり、リオンは振り返り、侍従を呼ぶ。
「官僚に連絡をとり、この長雨で水が出そうなところはどこか、そしてその場合の対応を検討させてくれ。水利に長けた者に、その場合の費用と資材の試算をさせるよう」
「はい。すぐにやらせます」
 侍従の顔は誇りに輝いていた。
 まだ水がでていない現在、たったの十四歳にすぎない少年が、そこまで頭が回ることは、そうない。優れた主君を得られた喜びだった。
 書類は昼を少し過ぎた頃に届けられた。
 ルイジアナ王国は、二つの大河に挟まれた国。水が氾濫することも少なくなく、この国の兵は堤防の修復などの土木工事には経験値をつみ、官僚も同様で、書類の試算の信用度はかなり高い。
 リオンは十枚ほどの書類に目を通し、内容を頭に収めて、さてこれをどうするかと考える。
 父王にこれを渡して、生意気だと不快に思う可能性は、低くない。リオンは十四歳なのだ。十四の自分の息子に、諫言されて素直に聞ける人間は、どれほどいることか。
 熟考の末、リオンは秘密裏に父の侍従官にこの書類を届けさせることにした。
 父が、河川が氾濫した後の対策を官僚に試算させる際、この書類を渡しておけば、官僚たちも王族の二重命令に振り回され、同じ仕事を二度やらなくともすむ。
 結局河川の氾濫がなく、いらぬ気をまわしたということならそれが一番いいのだ。
 そしてまた、河川の氾濫以外にも、他国は気をもんでいるだろう。
 今は、収穫の直前だ。まだ穂の中で実は育っておらず、このまま長雨が続けば麦穂は腐ってしまう。
(……この国は、誰も、それは心配しておらぬのだろうな)
 ジョカがいて、その恩恵を一身に受けてきたルイジアナ王国では、飢饉も凶作も起こったことがなく、「起こるはずがない」という認識は、すでに鉄の強固さだった。
 たとえば、もしリオンがこの長雨で凶作になった場合の試算をせよと申しつけたら、侍従は何を言っているんだこの王子は、という目で見ることだろう。
 天災がないということは、良いことだ。
 だが、ジョカの恩恵に浴してきたこの国は、他国の「普通」を受け入れることのできない異常な国となってしまっているのだ。
 ―――先日のあの病でジョカが死んだら、この国はその事態に直面するというのに。
 そして、これまでにその危機は恐らく何十回と訪れていたはずなのだ―――滅多にジョカを訪問せず、放置してきた歴代の王は、ジョカも病に倒れることがあるのだということすら、考えたことはなかったろう。
 リオンが、先日まで、考えたことがなかったのと同じように。
 今頃、父は、ジョカを訪れているだろうか?
 この国の実りを保つため、この雨を降りやませてくれと言っているだろうか?
     ◆ ◆ ◆

 リオンの予想は完全に的中し、闇の守護と影でささやかれている人物は、久しぶりにルイジアナ国王に対面していた。
「よう国王様。可愛い王子様と違い、あんたは俺に命令するときしかここへは来ない。また、俺に頼みごとかい?」
 斜に構えた皮肉な態度は、国王が相手でも変わりなく、いや、リオンに対するものより棘は増した。
 ルイジアナ国王は、顔を歪めてその相手を見る。リオンがジョカと名付けたように、彼もまた、王子のころ、名をつけた。
 その頃から、この人物は、全く変わらない。
 彼が少年から大人になり、妻をめとり、子をなし、妻を亡くし、新たな妻との間に子をもうけても、時がとまったように。
 十代後半から二十代前半、少年と青年の端境期の、若々しい姿のままだ。
「クロウ……頼みがある」
 闇の守護は、眉を跳ねあげた。

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Date:2015/10/23
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