キールくんはさっさと帰って行きました。
帰る時に、ひと騒動ありました。……私だけに。
客人を見送るという日本人の習性に基づき、恩人であるキールくんを外まで見送ったところ、事件は起きました。
この家は湖のど真ん中にあります。
キールくんは、その水の上を「歩いて」向こう岸に辿りつくと、姿を消しました。
水の上に浮かんだ、んじゃないです。歩いたんです。
銀髪の美少年が、水の上に足を踏み出すたびに、輪を描いて広がる水紋。
不思議としない水音、足音。
……少年の挙措のすべては静穏のままでした。
ぱちゃりとも音のない世界で、無音のまま輪はできて。
それが一歩二歩と重なり合い、干渉しあい、重なったところに小さな衝突が起きながら紺碧の水面に広がっていく様は、言葉にできないほど美しいものでした。
――幻想的なその風景に見入っていたのもほんの数十秒ほど。
キールくんは岸辺に上がると、ぱっと姿を消しました。
ぱっ、ですよ。
はい、お化けみたいに、ぱっ、ですよ!?
「きゃ、きゃあああああ!」
背後でルーランが顔をしかめます。
「やかましいな……」
「だ、だ、だ、だってだってだって!」
「さっき言っただろう。『転移』しただけのことだ。我々の基本的な移動手段だぞ」
『……魔法が当たり前の世界はこれだから!』
私は日本語で罵倒しましたよ、ええ。
ルーランの顔からして、何を言ったのかはわかったみたいでしたけど。
数々のファンタジー小説でも瞬間移動魔法っていったら使用制限のあるムズかしい魔法っていうのが通例じゃないですかっ。
なんでそれが「人の基本的移動手段」にまで堕ちちゃってるんですかっ。
「誰にでも使えるんですか?」
「子どもでも使える」
「……ああそうか……ルーランがこんな辺鄙なところで暮らせるのは、だからなんですね……」
この辺一帯、道がありません。
森から湖の縁に繋がるような道、車が通れるような道はありません。
人が自然の中に引きこもって暮らすって、意外と大変です。
完全に文明を拒絶するならともかく、そうでないなら、町へ行って、時々は生活必需品(地球ならトイレットペーパーとか塩)を買いに行かないといけません。食料品は言うまでもありません。
日本でも、たまに山籠りする人いますが、完全なる自給自足生活ができる人って少ないんですよね。
だって、すごーく下世話ですけど、トイレットペーパーが当たり前で生きてきた現代人で、あれを使わないトイレに我慢できるかっていうのは……かなり切実な問題です。(私は諦めてます。異世界でトイレットペーパーを望むほど贅沢ではありません)。
何よりお塩の入手って生きていくための最重要課題ですから。
そういうの、護衛の人が調達しているんでしょうけど……それにしたって道がなさすぎだとは思ったんですよ……。
「そういうことだ。個人の家の中に転移するのはマナー違反だし、術の使用不可の場所もあるが、基本的な移動手段は転移だな」
「どれぐらいの距離を飛べるんですか?」
「星の裏側でも飛べる」
「………………」
かるちゃあ、しょっく。
思わず床に手をついた私を見下ろして、ルーランが言いました。
「一々反応が面白いな、お前は」
「……そっちにとっては常識でも、地球人にとっては衝撃なんですよお……」
魔力なしってあれだけ馬鹿にされた理由がなんとなく判ってきました。
地球人の私にとって、魔法があるのが当たり前のここって――ひょっとしなくても人外魔境じゃないですか?
「……でも、ルーランって、すごく親切ですよね」
ルーランが何を言っている、という風に眉を動かしました。
「そっちの人にとって常識のことでも、私が聞いたら丁寧に教えてくれますし……」
そう、実は、気になっていたんです。
もちろん優しくしてくれた方が嬉しいに決まっているんですが――。
「う、うざったい、というか……鬱陶しくないですか?」
異世界人なので、質問責めは中々止められません。
でも……これからずっと二人で暮らすんです。その相手に嫌われたくないっていう気持ちも当然あるんです。
「ふむ……」
と、ルーランは自分でも今気づいたように顎に手を当てて、答えを導きだしました。
「お前が、普通の人間ならそうだろうな。そう思うだろう。だが、お前は異世界人だ。知らなくて当たり前だろう。そして、私は、どうやら人に物を教えるのが嫌いではないらしい」
私はホッとしました。
そういえば、先輩とかに時々いましたっけ。人に解説するのが好きな人。
その気持ちは私もわかります。教えてください、と下から頼まれれば、結構悪い気はしないものです。
ルーランがそういう人であったのは、幸運でした。
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