雨は二日目の昼に降りやみ、空には明るい秋の空が戻った。
連絡の早馬が、王宮の門を叩いたのはそれからまもなくのことだ。
二つの大河の交わるあたり、グローニュ地方にて河川の堤が切れ、氾濫が起こった。
しかし、慣れた住民はすでに避難を完了していて、人的被害はない。
ただ作物への被害は出たので、今年の税の軽減とそのための視察、また、切れた堤防の補修工事のための応援を送ってほしい、とのことだった。
ルイジアナ国王は、その役に、リオンを命じた。
妥当な采配である。
まだ国王は若く、代替わりまでには時間がある。だが、それまでに国王の補佐役として国政を十全に理解できるよう、ならなければならない。
今年から少しずつ、国王は第一王子に簡単な仕事を任せるようになっていた。立太子として擁立したあとは、名実ともに国王の補佐として経験をつむ、その前段階である。
堤防の補修と、税の監査。どれも至急の案件というわけでなく、任せても問題はない。
リオンは恭しくそれを受けた。
脳裏をあの忠告がよぎらないでもなかったが、王命を拒絶などできるわけがない。誰が見ても妥当な命令なら、尚更だ。しかも周囲には多くの臣民がいた。
ただ、親衛隊をつれていけ、というのには異議を唱えた。
親衛隊は、貴族の子弟で構成される軍隊である。土木工事に慣れているはずがない。父王はそう述べるリオンの言を受け入れ、改めて命じた。
リオンが一般兵の部隊を一小隊借り受け、兵糧や資材を用意し、王都を出立したのは、その翌日のことだった。
◆ ◆ ◆
リオンは褐色の名馬にまたがり、肩当て付きのマントをはおり、帯剣し、軽鎧を着込んだ姿で、今回自分の部下となる者たちを睥睨した。
幹部となる士官たちについては昨日のうちに面会を済ませている。
大雨の後の空は澄んだ青空で、光が金の髪にきらめいた。
リオンは自分の容姿を知悉していた。美麗でかつ、凛々しい姿に、部下たちから声にならない呻きに似た吐息が漏れる。
絵から抜け出たような「王子様」の姿に、皆が見とれたのだ。
リオンは凛とした声をあげる。
「皆の者、御苦労! 我らはこれから、グローニュ地方の治水の工事に出発する。通常通りの行軍で、到着は明日の昼を予定する。道中、一兵たりともかけぬよう、各々自分の上下左右にいる者に配慮するように! ―――出発!」
早馬ならば半日もかからない距離であるが、荷駄隊を率いての行軍ではそうスピードは出せない。
速さを要求される場面でもなく、リオンは安全策を選んだ。
今回、リオンは軽とはいえ、鎧を着込んだ。皮製の鎧である。
通常、戦場ではないこうした場面で王族が軽鎧を着込むのは珍しいのだが、例の忠告が心に響いていたのだ。
そして、もうひとつ。
「周囲に、不審な者はおりません」
リオンの馬の右後ろにつき、小声で報告してきた三十がらみの髭の男に、リオンは顔をまっすぐ前に向けたまま、かすかに頷きを返した。
リオンには、父にジョカの忠告を秘密にしておく理由は何もない。
命令を受けた後、リオンは父王をたずね、打ち明けた。父は命令を撤回しようとしたが、リオンはそれを説得した。誰が聞いても妥当で、一度は受けた命令を撤回するとなると、家臣たちの間にいらぬ憶測を招く。
このまま自分は出発するから、その代わり、護衛として父の使う細作の一群を貸してほしいと願ったのだ。
父は快く了承し、サイという名の、細作の一群を率いるいわば士官のような役目をしている人間に引き合わせた。それが、先ほどリオンに話しかけた男である。
彼が率いる他の細作たちには会わないままだが、密かにこの部隊および周辺に忍んで警護してくれているだろう。
予定どおりに行軍は進み、翌日の昼に、拠点とするカペー村に到着した。
◆ ◆ ◆
げに逞しきは商人魂である。
リオンは半ば以上、感心しながら馬上より見回した。
軍隊の一部隊が駐留するということで、到着した時、カペー村にはすでに商人たちの屋台がいくつも並んでいた。
今回の拠点をカペー村とすることを一体どこから聞きこんできたのか、見事な早耳である。
兵糧を持参してきてはいるが、配給の冷たくまずい食事より、温かいできたてのうまい料理が食べたいというのは人情。
こうした場合、商人が兵士相手に商売するのを黙認するのが指揮官の恒例だった。
うまい料理、酒、女。商人は兵士が望むすべてを提供する。ただし、対価と引き替えに。
「明日の朝まで非番とする! 明日は夜明けとともに出立し、作業現場へと向かう! 遅れるな!」
士官の号令とともに解放された兵士が、歓声を上げて村へ繰り出す。
翌朝。まだ暗いうちに上官の怒号で起きた兵士たちが慌てて身支度をし、隊伍を組んで出発するのをリオンは見送った。
この村を拠点とし、堤が切れたところに兵士が赴いて修復作業を行う間、リオンはこの地方の作物の被害状況の視察をするのが仕事だった。
工事の監督は士官たちにまかせ、せいぜい二三回視察するぐらいか。
リオンは親衛隊員ではない一般兵とは馴染みがない。そんな彼が頭ごなしに命令しても、反感を買うだけであり、その旨は出発前の顔合わせの時に士官たちに話し、任せることを伝えてあった。
意外そうな顔を隠そうとして隠せなかった叩き上げの士官たちの表情からして、かつて王族が余計な口を出して要らぬもめ事を起こしたことは、少なくなかったようである。
◆ ◆ ◆
翌日から、リオンは精力的に各地を見回った。
視察をする間、王子の身辺に一人の兵もおかないわけにもいかないので、リオンのまわりには五人ほどの兵士がつき従っている。その一人はサイであり、他の四人もまた、細作であろうことは間違いなかった。
仮の宿として借り受けた村長の家に視察から戻ってきても、地方の有力者の陳情を聞いたり、村人の直訴を聞いたり、仕事は山ほどあった。
リオンは弱音の一つも言わずにそれらを捌いていく。
夜襲があったのは、ジョカから言われた日よりちょうど一週間目のことだった。
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