時期的に同人誌5巻の後あたり。
読んでいなくとも大丈夫です。
自分は、ひょっとしなくても、世界で最強の札を握っている――。
そんなことを思うようになったのは、昨日今日の話ではない。
リオンは手にしていた本を、開いた状態で顔の上にぱさりとかぶせて目を閉じた。
――その一、世界で唯一の魔術師は、リオンを寵愛している。
それは、一日でさめる熱病のようなものではなく確固たるもので、溺愛といっていいレベルである。
――その二。更に、世界唯一の魔術師であるジョカは、「何かのきっかけでリオンへの愛情が冷めても、恩返しもあるからできるかぎり望みを叶えてやろう」と思っている。
これは推測ではなく、口に出して言われた。
もし、仮に、ジョカがリオンに失望して愛情が冷めたとしても、そんなことがあったとしても、長くて百年。リオンの一生が終わるまではちやほやしてやる、それが恩返しだと。
――その三。よって、リオンはこれから一生、魔法を好き放題に使える。
――結論。
あぶない。
あぶなすぎる。
リオンは、本の裏側で顔をしかめた。
魔術師の魔法を一生好き勝手にいくらでも使える、制止するものは己の良心だけという状況は、危険なんてものではない。
人はたやすく堕落するのに、その堕落を手ぐすね引いて待たれているような状況ではないか。
それを思うと、リオンとしては自分の欲望に理性の手綱を五重六重にもかけておきたいところである。
幸いにして――というべきか、リオンは生まれつきちやほやされてきたので、物欲が少ない。
何でも手に入る状況だと、逆に欲しくなくなるものである。もちろん、何でも手に入るからもっともっとと欲望を昂進させる人間もいるが、リオンはそういう人間ではなかった。
――おまけに、ジョカは大嘘つきだし。
リオンは、ジョカの、魔法についての説明を、これっぽっちも信じていなかった。
魔術師は普通の人間と同じように、約束をやぶる。嘘をつく。そして、幾度も数え切れないほど肌を重ねてきた人間の直感および、論理的帰結の導くところによって、ジョカが自分に嘘をついていることを、リオンは察知していた。
――魔法は、できるだけ使わないのが、一番だ。
辿りついた答えに、リオンは一つ頷く。
魔法は、夢のような力だ。
何でもできる力だ。
だからこそ、あぶない。リオンの直感と、頭脳が導き出した答えは、そう告げている。
――そして。更にたちの悪いことに、リオンがそう考えている事を、ジョカは気づいている。
寝物語に聞きだすことが昔から諜報活動で有効とされてきたゆえんは、肌を合わせた人間に、人はどうしようもなく心を緩ませてしまうからだろう。
リオンは寝物語にジョカからたくさんの情報を引き出した。そしてジョカもそれに気づいている。気づいた上で、与えても支障のない情報を与えてくれているのだが……、閨の中の心の緩みか。その言葉の断片から、リオンはあえて彼が排除した情報を感じ取り推測できた。
もっとも、そういうリオンの方だって、寝物語に多くの言葉をジョカと交わしているのは同じなのだ。ジョカの方も、リオンについて様々なことを気づいているに違いないが、残念ながら、人としての容量にこの場合大きな違いがある。
リオンの方は、たかだか十六歳の若造である。ジョカに丸裸にされても問題が無い。元々無数の耳目を持つジョカを相手に、隠し事がない、とはいわないがほとんどない。
だが、ジョカの方はちがう。
三百五十年ほど生きている世界唯一の魔術師は、リオンに山ほど隠し事をしている。それは間違いない。
よって、この場合、リオンの方が有利なのである。だって、探られても痛い腹がないのだから。
「……ジョカの、ぼけ」
「誰がボケだ」
呟くと、声がして、顔の上にかぶせておいた本が除かれた。
ジョカはリオンの顔を見て、微妙な顔になり、本を見やってまた顔をしかめた。
「……インクが顔にうつってる」
「え?」
リオンはその高い鼻梁をこすろうとしたが、その前にジョカの指が優しく肌を撫でた。
「……取れたか?」
「取れた。けどな」
ジョカはリオンが顔にかぶせていた本を示す。
インクが移った、ということは、まあ、そういうことで。
その部分のインクが潰れていた。
ジョカが手をかざし、呪文を唱えると、もぞもぞと紙に書かれた線が動きだし、元通りの位置に戻った。
「……もどった……」
ほっとして、リオンは呟く。
「皮脂汚れもついてた。二度とするなよ」
この本は、世界一の蔵書家といっていいジョカからの借り物である。
「すまない。悪かった。次から気をつける」
リオンが素直に頭を下げると、ジョカは何故か、首を傾げた。
リオンは寝台に座っていたが、その隣に腰を下ろす。そして、尋ねてきた。
「そういや、今まで気にしていなかったが」
「なんだ?」
「何で、お前、世継ぎの王子だったのに素直に謝れるんだ?」
「は?」
「俺が知っている王族っていうのは、こう……大概が『謝れない』連中だったけどな。俺も教えた覚えがない。お前は最初からそうだった。余程周囲の教育がよかったか?」
「そんなの当然の――」
言いかけて、リオンは不意に言葉を切った。
王宮で暮らしていた時代の、さまざまな実例を思い出したのだ。
一つ思い出せば、それらは次々に連鎖反応で蘇っていく。
やがて、リオンは呟いた。
「……私は、幸せな人間だったんだな。今気づいた」
「どういうことだ?」
リオンはジョカに向き直り、肩をすくめた。
「私は、自分が悪い時にだけ、謝ればよかった。そういう幸せな人間だったことに、今気づいた」
「……ああ、なるほどね」
言わんとする事に気づいて、ジョカは頷く。リオンも頷きを返した。
「ああ、そういうことだ。正しいことをしているのに、間違っていないのに、身分差で謝らされる使用人や下級貴族を私は何度も見てきた。その点、私は、私が間違っていたときにだけ謝ればよかったんだ。それは幸せなことだろう」
「いや、だから、どうして謝れるんだ? お前も見てきたような、自分が悪くても相手に謝らせる上級の貴族に、どうしてならなかった?」
「反面教師だ」
リオンはきっぱり言った。
「子どもでも善悪の区別はつく。そういう貴族どもは無様で、醜悪で、不愉快だった。そういうのを見させられていると、自然と、ああはなりたくないと感じたものだ」
誰に言われたわけでもなく、リオンは自然と学んだ。権力によって、善悪を逆さまにしたときの醜さを。
実例には、事欠かない環境であった。
「自分が悪かった時には謝るのは当然だろう。道理の通らない貴族は見ているだけで不愉快でな。視界の範囲からそういう不快なものは排除した」
「……ああ、なるほどね。お前の人気が使用人と下級貴族に絶大だったのそのせいか」
「明らかに貴族が悪い場合は視界から追放したからな。年端の行かない子どもに命じられてハラワタが煮えくりかえっていたようだが、私は第一王子だった」
リオンは王族らしい傲慢さで、ただ単に「自分にとって不快」だったからそれをしたのだが、使用人がそれによって救われたことは間違いない。
リオンはうっすらと酷薄に笑う。
「まあ、逆に、上級貴族には嫌われたが、私は幸いなことに、正嫡の第一王子だったからな。おまけに父王の寵愛もあつかった。そんな私を敵にまわそうとするのは、とんでもない大馬鹿か――あなたぐらいだ」
それは、見るものの背筋が寒くなるような表情なのに、美しかった。
「権力というのは、あればあったで便利だな」
端麗な美貌は、冷酷な表情にこよなく似合い、冴え渡る。ぞっとする戦慄とともに、美しいと思わされるのだ。
ジョカはつくづく思った。
「……おまえ、綺麗だな」
「……は?」
いきなりの言葉に、リオンはあっけにとられる。そういう表情は年相応なのだが。
リオンが具体的にナニをしたのか、ジョカは気にしなかった。リオンは決して聖人ではないので、やったことに想像はつく。
「俺は面食いではないと思っていたんだが、それでもお前を見ると綺麗だと思う。一緒に暮らしていても、時々見惚れることがある。最初は惚れた欲目かとも思ったが、たぶんちがうな」
ジョカは手を伸ばし、顎に手をかけると、唇を重ねた。
あばたもえくぼとはよく言うが、リオンの場合、王族として身についた欠点でしかないはずの傲慢ささえも、魅力となっている。
最初はそれこそ「あばたもえくぼ」かと思ったのだが、どうもこれは違う気がする。
リオンは魅力的だ。他人にとっても。
舌を入れても拒絶されず、むしろ招き入れられる。リオンの舌の熱さを堪能して、ジョカは顔を離した。
たぶんここで最後までいっても、リオンは拒まないだろう。
「――で、誰がぼけだ?」
「もちろんジョカだ」
リオンはきっぱりと断言すると、頬杖をつき、ため息を吐いた。
「……心当たりがない、とは言わせないからな」
――リオンは、本当に、賢い。
ジョカは黙って笑った。それが答えだった。
リオンがジョカを見ているように、ジョカもリオンを見ていた。
リオンに溺れている自覚があるだけに、いいだけ恋愛フィルターがかかっている自信があるが、それでも彼は三百五十年を生きた魔術師である。
リオンの長所も短所も、冷静に把握できた。
人の長所と短所は表裏一体なもので、ついでにいえば立場によっても短所かどうかは違う。
たとえば、王族にとって傲慢さは、別に短所ではないのである。傲慢でない王族は、臣下に舐められるからだ。人はそういう生き物である。
上が舐められては、下が言うことをきかなくなる。そうすればいざというときに支障をきたす。
偉そうに振る舞う、というのは、王族として必須の技術なのだった。
リオンについて、理解を深めるほど確信は深くなる。
幼少時に高い鼻柱を折って叩きのめしたのが悪かったのだろうか。
それとも、折りに触れてジョカがせっせと「自分で考えろ」と教育したのが悪かったのだろうか。
ジョカは、リオンが好きだった。そして同時に、ジョカは、「リオンを好きな自分」も好きだった。
好きなままでいたかった。愛しいままでいたかった。失望したく、なかった。
けれど、魔術師という巨大な力を得た人間は、高い確率で変わる。醜悪な方向へ。
そうならないでいてほしかったから、ジョカは教え諭した。
幼い心は可塑性と成長性に富む。比類ない力を手に入れてしまったまだ十五歳の少年に、視野を狭めて欲しくはなかった。
だから、折りに触れて諭した。
考えろと。色んな立場の人間の心を考えろ、と。
人を惹きつけてやまぬ容姿、明晰な頭脳と判断力、そして統治者としての冷徹な視点を兼ね備えた能力、民を思いやる公正な気質。
――断言しよう。リオンは、ジョカがこれまで会ったなかで最も王に相応しい人間だった。
そんな人間が、魔術師とふたり、世間から身を隠し、ひっそりと暮らしている現状は、ジョカですらちょっとおかしいと思う。
ルイジアナ王国正嫡の第一王子にして、王太子。
望めば、彼はすぐにでも王になれる位置にいる。まして、魔術師の寵愛を受けているのだ。
極端な話、ジョカはルイジアナ国内なら万能に近い。リオンのためなら脅迫、圧力、暗殺、なんでもござれだ。
ジョカは、リオンの黄金に輝く髪をくるくると指に巻く。耳元でささやいた。
「愛しているよ」
リオンは微かに頬を赤くして、頷いた。
「……うん。知ってる」
ジョカは、リオンの望みを拒めない。
リオンがそうしたい、と願うのなら、それを助ける道しか彼にはない。余程ろくでもない望みなら制止するが。
けれど、リオンはそうはしないだろう。
――リオンは、ほんとうに賢い。魔法の危険性を、彼は感じ取っていた。
巨大な力を自由に使えるなどろくでもない事だと。その力を振るうことに、躊躇している。
地上に残る最後の魔法使いはくすりと笑う。
そう、それが正解だった。
狐と狸の化かし合い~。リオンとジョカは甘々ですが、全てを語り合った関係ではありません。腹の探り合いをしている関係です。
リオンは賢いので、魔法について考察しています。そして、使わないに越したことはない、という結論に達しました。
ジョカに願えば何でも叶う。それがどんな麻薬より精神をむしばむことを、リオンは知っているからです。
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