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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 □

《忍び寄る死の影 3》



 虫も眠る夜半、リオンは目をあけた。
 なぜ、目覚めたかは自分でも説明できない。なんとなく、としか言いようがなかった。
 枕元に置いてあった剣を手にすると、音をたてずに寝台から抜け出す。
 耳を澄ませれば、かすかな物音が聞こえた。どうやら誰かが、この館の中を探し回っているようだ。
 リオンはこの館を借りてから毎日、眠りに就く部屋を変えていた。賊は、王子が当然最も豪華な主寝室を使っていると思っていたのだろうが、今日などは使用人部屋である。
 物音からして、相手は複数。
 この館を警護しているはずの細作は、一体何をしているのか。もう、殺されてしまったのだろうか。
 自分なら―――と考える。
 出入り口は真っ先につぶす。逃げられないよう見張り、それから、ゆっくり屋敷の中にいる王子を殺せばいいのだ。
 この使用人部屋は二階に位置し、窓があるが、窓から逃げることは慎むべきだろう。恐らく、窓から出た瞬間に見つかり、仲間を呼ばれて終わりだ。
 賊はいずれこの部屋にも来るだろう。リオンは脈打つ心臓をなだめながら、いかにも寝台に誰かが寝ているように偽装し、扉の陰に隠れ、息を殺してその時を待つ。
 待つ間、無制限に大きくなっていく不安と戦い、冷静になれ、と自分に言い聞かせる。唇を切れるほど噛みしめ、自分を自制するのは、つらく、長い時間だった。
 その時心に浮かんだのは、ジョカのことだ。
 ―――死ねない。
 自分が死んだら、ジョカのもとを訪れる者はいなくなる。病に伏しても誰も気づく者がない生活にまた戻らなければならない。ジョカを助けることが自分にできるかどうかはわからないけれど、できるとしたら自分しかいない。あの、悲しい守護者を、守らなければ―――。
 リオンは、剣を抱きしめてその時を待つ。まだ、人を斬ったことはないが……いざとなれば、人を殺してでも、生きて帰る。
 やがて、静かに扉の取っ手が下がった。
 リオンは体を緊張させる。
 キィ、と。最小限の音とともに扉が開いた。内部をのぞきこんで、誰かが寝ている様子の寝台に気づいたのだろう。滑り込んでくる。
 男は覆面をしているようだ。背後で息を殺している標的に気づかず、寝台に近づく。
 その後頭部に、リオンは思い切り剣を振り下ろした。
 鞘付きの鉄の棒でぶっ叩かれ、賊は昏倒する。
 リオンは急いでその男を窓辺に引きずっていき、覆面を剥いで、月明かりで顔を見た。
 ……予想が当たったことに歯噛みしながら窓をあけ、自分より遥かに重い人体を放り出した。
 バサバサバサッ!
 かなりの音を立てながら、小枝を折る音ともに人体が落下する。やはり外は見張られていて、窓の下に、人が集まる気配がした。
 リオンはその隙に部屋を出る。
 館の内部の賊も、当然この音に気づいた。あちこちで、館の普通の使用人たちも起きだす気配がした。
「おい! なんだ、今の音は!」
「なに、あんたたち……っ」
 打撃音。声は聞こえなくなる。
 賊に気づいた普通の人間たちとの一方的な戦闘があちこちで起こった気配があり、そしてすぐに聞こえなくなった。
 リオンは彼らの無事を祈った。事を荒立てるのを嫌った賊が逃げ出してくれることを期待したのだが、相手はなんとしても今日ここで、リオンを殺したいらしい。
 ―――父上。そんなに、私を殺したいのですか。
 父とは仲が良く、恨まれる覚えはとんとないが、あの賊は、父から借り受けた細作のひとりだった。日中、護衛をしてくれた五人のうち一人だ。
 リオンは廊下の影にひそみ、慎重に進む。
 目指すは主寝室。賊が真っ先に探しただろう場所だった。
 人は一度確かめたところを再度確認することはまずない。
 賊が前の廊下を通り過ぎた頃合いに、物陰から一歩足を踏み出す。どこからか声が上がった。
「お、お前はっ!」
 振り返りもしなかった。
 リオンはがむしゃらに走りだし、最寄りの部屋、主寝室に飛び込む。思った通りこの部屋には誰もいない。窓を開け、外へ飛び出す。
 二階からの着地は膝を柔らかく使い、どこも傷めずできた。
 全速力で走り出す。
 ピイイーッ!
 呼び子の鳴る音に絶望に襲われながらも走り続ける。先ほどの落下地点に人が集まって、その分こちらに来るのに時間がかかるのだけが救い!
 どこへ逃げる?
 村の他の家はまずい! 賊が乗り込み、制圧されたらもろともに殺される。
 駐留部隊? どこまで王命が食い込んでいるのかわからない! もし秘密裏に自分を殺せという命令を受けていれば逃げ込んだところで殺される。
 手加減なしに自分を鍛えてくれた剣術の教師が課した走り込みの鍛錬に心底感謝しながら、リオンは林の中を裏手の山に向けて走った。
 前方横手に刺客が見えて、リオンは抜き放った剣の鞘を投げる。
 相手がかわして姿勢を揺るがしたところを剣先で切り裂いた。
 傷は軽傷、腕に裂傷、でも全力で走るには重い!
 後ろからは次々と追う足音が聞こえてくる。走りながら追いついた二人を斬ったところで、木の根に躓いて頭から転倒した。
 とっさに受け身を取り、一回転したところで、追いついた賊に囲まれた。
 リオンは泥をあちこちにつけ、片手に剣を握った姿で、囲む人間たちを睨みつける。
 肩が上下する。リオンの荒れた息使いが、空気を震わせていた。
 光がさす。
 囲んだ人間たちが、手にしたランプに明かりをつけたのだ。
 人の壁の中から一人が歩み出た。サイである。
「おさすがです、リオン様。まさか、たかだか十四歳の殿下を相手に、私の部下たちがこうまで手こずるとは思っておりませんでした」
「……父上の、ご指示か?」
「ええ。殿下の才幹はあまりにも大きく、陛下はご自分の地位をおびやかされるのではないかと、不安を覚えられたのですよ」
 衝撃が、全身を貫く。
 だがリオンは、表には出さず、最前とおなじ表情で、見据えていた。
 頭は目まぐるしく回っている。
 ……そう。この裏切り者の言葉が真実であるという保証は、どこにもない。
「ご心配なく、殿下。殿下は川を視察した際、誤って足を滑らせて落ちたという風に、王都へは伝えますので。きっと、殿下のことを思っての涙の雨が、殿下を天の国へ導くことでしょう」
「黙れ、下郎!」
 一瞬の、間があった。
 誰も、この状況でリオンがこんな台詞を吐くとは思っていなかったのだ。
 リオンはアイスブルーの瞳に激烈な光を宿して、裏切り者たちを睨み据えていた。
 それは王家の者の誇りと威厳にあふれ、刺客に囲まれた現状でさえ、迎合するような色は皆無。見る者を巨獣の前の子鼠のような心境にさせ、心に怯えを抱いた者も少なくない。
「貴様のけがれた言葉など、聞く気はない!」
 ランプの光に揺らめく金の髪、ところどころ泥に汚れた頬、そして、断罪する青の瞳。
 汚濁とは無縁な清廉な瞳は、清いがゆえに、見るものにある感情を起こさせる。
 サイもその一人だったようだ。
 本心からとわかる感嘆の声音で、言う。
「殿下は、本当にお美しい。その気丈さも、その美も、ここで断ち切るのは惜しい。剣を捨てることです。川に落ちれば遺体などあがらないのが普通。私の寝台に横たわれば、お命は安堵するとお約束しましょう」
「断る!」
 即座に言い放ち、リオンは片手の剣を握りなおした。
 最後には捕まるだろうが、近寄って来た一人二人は道連れにしてみせる。
 サイの口元には、余裕の笑みがあった。
「御再考を、殿下。ここで投降すれば、余計な怪我などしないですみます。けれど、抵抗すればするだけ、あなたが傷つくだけですよ。最後は、結局同じなのですから」
 リオンは鼻でせせら笑う。
「わたしに、貴様などの嬲りものになれと? 大した冗談だ。その後、手抜かりを装って私を逃がす気か?」
 サイの顔が動いた。動揺を隠そうとして隠しきれずに露呈した表情だった。
「ふん、化けの皮が剥がれたな。貴様らの本当の主は隣国の王か。目的は私と父の仲違いか? 父の配下でありながら寝返るとは恥を知れ!」
 進退は極まった、とリオンは覚悟する。
 リオンは輝ける王子とまで言われる人間で、その人望は厚い。
 本来王と王子が対立すれば王が勝つに決まっているが、リオンの場合は、国が割れるほどの支持を集めるだろう。内乱までいく可能性も高い。
 隣国は一銭も使わず、ルイジアナ王国の弱体化を狙える。
 だが、それを見抜き、ぶつけた以上―――、リオンは殺されるだろう。
「いい啖呵だ、王子」
 ここで聞こえるはずもない声に、リオンは思わず振り返った。
 見間違えるはずもない、黒ずくめの服。
 一房だけ長い前髪に銀の輪をつけた青年が、リオンの後ろに立っていた。
 取り囲んでいた賊たちが、ぎょっとして、一歩下がる。
 彼らは見ていたのだ。王子を取り囲んだ輪の中央に、突如として、その人物が現れるところを。
 リオンは信じられない思いで、その人物を見上げた。
 何度も彼を苛立たせたにやにや笑いが、こうまで頼もしく見える日が来るとは。
「不運だなあ、お前ら。同情するぜ」
「こ……っ、殺せ!」
 気づかず配置された弓矢隊。降り注いだ矢にリオンが目を見開き、ジョカの声が重なる。
「闇の十、地の五、結びの十五!」
 矢の驟雨。ジョカとリオンを囲む半透明の膜が矢を浴びて光る。
 後には何も残らなかった。矢羽根の一つさえも。
「な……に」
 周りの刺客全員が青ざめ、後ずさる。
 ジョカはそれはそれは上機嫌の笑顔で言う。
「俺の姿を見ちまった以上、お前らの命運は決した。だから、まあ。俺の八つあたりとうっぷん晴らしの道具になってくれ」
 そこにいるのは、人の形をした人ではないものだった。
 通常ではありえないもの。
 人知を超えたもの。
 人の形の化け物だ。
 常軌を逸したものを見た恐怖に、取り囲んだ面々はわっと悲鳴をあげて逃げ出した。
「ほーら逃げろ!」
 上機嫌でけしかけてから、ジョカは足先で地面を軽く小突く。
「闇の三、火の七、弾ける十!」
 ジョカとリオンの周囲から、炎が津波のように盛り上がった。
 リオンはそれを見ていた。
 紅蓮の炎が波紋のように広がって、瞬く間に逃げる面々に追いつき、人間大の火柱を作り上げる。林の木々にも下生えにも、被害は一切ない。
 短い悲鳴が上がったが、すぐに炎に飲み込まれる。
 それは見惚れるような感覚さえ味わったほどの―――圧倒的な力だった。
 見上げれば、ジョカの顔には、とても満足そうな表情が浮かんでいる。リオンが前方に視線を戻すと、火達磨になった人間が死の舞踏を踊っていた。やがてそれもやむ。
 そして、林に、静寂が戻った。
「―――ジョカ」
「なんだ? 王子」
 言いたいことが多すぎて、心に思いがあふれるほど詰まって、うまく、言葉にならなかった。
 リオンはようやくその中から一つすくいあげて、泣きそうな顔でたずねる。
「どうして、ここに……?」
「お前の親父の命令」
「父の?」
「ああ。お前の命が危険にさらされたら助けてくれ、ってな」
 リオンが自分にできる最大限の手立てをしていたように、父も、愛息子を守るため、最大限の努力を払ったのだ。
「そうか……父の……」
 心の奥にあった小さな疑念が、溶けるように消えていく。
 よかった。父は、父が、差し向けたのでは、なかったのだ。
 リオンは立ち上がる。寝間着に、室内用の靴に、剣というちぐはぐな格好。あちこち泥で汚れ、惨憺たる有様だった。
 ジョカはリオンの顎をつかみ、目を合わせる。リオンは抵抗せずに見返した。
 ジョカの黒い瞳は神秘的で、吸い込まれそうだ。
 ジョカはややあって言う。リオンの運命を見たのだ。
「うん、ま、大丈夫だな。危機は脱したぞ」
「……ありがとう。本当に……礼を言う」
 あのままなら、リオンは殺されていただろう。しかも想像したくない行為の果てに。
 想像すると、嫌悪感に身がよじれる。
 自分が同性からも劣情を抱かれかねない容姿だとは自覚していたが、第一王子に言い寄る男がいるはずもなく、ああも赤裸々に欲望を意思表示されたのは初めてだった。
「王子、どうする?」
「え?」
「俺はそろそろあの部屋に引き戻される。王子も一緒に来るか? それとも残って事後処理するか?」
「一緒に連れて行ってくれ」
 即座に言った。
 ここにいて、ジョカの顔を見た賊は一人残らず死んだが、他の場所には残った賊がいるはずで、リオンと出くわしたらどうなることかわからない。
 ジョカがリオンの腕をつかみ、視界が歪んだ。

 気がつくと、ジョカの部屋の寝台に寝かされていた。目をあけ、起き上がろうとして制止の声がかかる。
「気持ち悪いようならまだ寝ていろ、王子。慣れていない人間に、空間を飛ぶのは負担がある」
 リオンは頭をゆっくり動かし、ジョカが天蓋の紗の向こう、食卓らしきテーブルの前に座っているのを見つける。
 リオンは緩慢に寝台から下り、頭を慎重に地面から垂直の位置に直すと数秒目を閉じ、軽く頭を振った。
 軽い眩暈はするが、許容範囲だ。
 リオンはジョカに近づいた。訪問しなれた部屋だが、この辺りに足を踏み入れたことはなく、相変わらず、辺りは薄暗い。
 ジョカは本を読んでいた。闇の中でも不自由しないというのは本当らしく、この暗がりでもよく本を読んでいる。
「父上には報告は?」
「まだだ。起き上がれるようなら王子の方からしておいてくれ」
「ああ。……助けに来てくれてありがとう」
「気にするな。久しぶりに外に出てうっぷん晴らしも出来たしな」
 十人以上いた刺客を薙ぎ払った、あのジョカの力。
 リオンは視線をそらし、俯いた。それから、大きく息を吸って、顔を上げる。
 大丈夫、気持ちは折れていない。
「それより、事後処理が大変だぞ。人間の炭火焼きがごろごろしているからな、あの場所に」
「わかっている。早急に手を打つ。……一つ確認したい。王命があれば、ジョカはこの部屋の外に出られるのか?」
 かすかに、ジョカが笑った気配がした。
「そうだ」

 部屋の外に出ると、もう夜は白みかかっていた。だいぶ長く、気絶していたらしい。
 リオンは自分の姿を見下ろし、まずは着替えのため、自分の部屋に戻ることにした。

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Date:2015/10/23
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