「あのね、ルーラン。一人になりたくて自棄を起こす気持ちはよーくわかるんだけど」
振り払われ、真後ろに倒れた私を受け止めたのは、ひとりの子どもでした。
「――キール、くん」
なんていう、タイミングでしょうか。ヒーローものの出のようなタイミングです。
腕のことはいいんです。私を振り払った瞬間、ルーランの顔は歪んでいました。『しまった』、そういう顔です。
……それだけで、許せてしまうぐらいには、私は彼に心を預けてしまったようです。
あれは事故ですし、腕もあまり痛くないってことはさほど大きな怪我じゃないってことで……あれ? 見間違いじゃない。ま、曲がってる? なのに痛くない?
「ああサナエさん。痛覚はマヒさせてあるから。治療はちょっとだけ待ってね。俺は、ちょっとこの人に説教しないといけない立場でね」
「わ、私ならいいですから……!」
キールくんは一瞬目を丸くした後に、否定しました。
「ちがうよ。サナエさんのことじゃない」
キールくんは私を横抱きにしたまま、(体が小さいので、足は湖面に引きずって上半身だけ抱えられてる格好です)ルーランに向き直りました。
キールくんの瞳が、ルーランを見上げます。身長差のあるふたりです。斜めの橋がかかりました。
「環境破壊は、厳禁にする。そういったはずだけど?」
「――悪かった」
キールくんは意外そうな顔になりました。
「おや。意外にも素直じゃないか。……じゃあ『次はしない』ね?」
「ああ……しない。約束する」
「わかった。じゃあこの話はここまでにしよう。ルーラン。家の中に飛んで。彼女を治療しないといけないから」
視界が切り替わりました。
ルーランの家です。
も、いい加減慣れました。転移ですね。
そして私とルーランの見つめる前で、キールくんが曲がった私の腕を治してくれました。本当にあっけなく。ちょっと指先で図形を書いただけで、さっと。
「……魔法みたい……」
キールくんは笑います。
「うん、やっぱり異世界からの客人は反応が素直でいいなあ」
この世界の人は、いちいちこれぐらいじゃ驚かないんでしょうね……。
そして、なぜここにキールくんがいるのか。さっきの言葉を考えてみれば答えは歴然です。
「ルーランが……湖を凍らせたから来たんですか?」
キールくんは頷きました。
ルーランを眺めて、文句を言います。
「ここは精霊の土地だよ? 表面だけとはいえ、湖を広範囲で凍らせて、どれだけ水中の微生物が死んだと思ってるんだい、ルーラン。精霊が俺に注進に来て、いつものように、俺が駆り出された、と」
賃貸住宅で、居住者が騒ぎを起こし、保証人が呼び出されたような状況なんでしょうね。ルーランは、キールくんの保証でここに住んでいるんですから。
「疲労解消なら、抱き枕を使って寝ればいいのに」
……知ってますね、これは。
「人にくっついて眠るって、気持ちいいよね。俺もよくやるよ。あったかくて、ほっとする。それで満足していればよかったのに……、――貸しひとつだよ、ルーラン」
「それは……!」
声を上げたのは私です。
ルーランは黙って受け止めていました。
横から口出しした私を、キールくんは面白そうに見ました。
「ここは精霊の土地。精霊の湖で、ルーランは八つ当たりでその生態系をぐっちゃぐちゃにしかけたんだ。理由もなくね。ルーランをここに住まわせた、俺の顔をこれでもかってぐらい潰してくれた。当然だと思うけど?」
「そ、それは……」
同胞だからと住まわせたら、その家を滅茶苦茶にしたわけで……困りました。ルーランが悪いです。庇いたいんですが、私程度の頭では言い訳が思いつきません。
頭を回転させて上手い言い訳をひねり出している間に、キールくんは釘をさしました。
「ああ、ルーラン。――二度目はないよ」
「それは嬉しいな。お前が俺を殺してくれるのか?」
「やだな、俺がルーランを殺すほど、馬鹿に見える? ――サナエさん」
「は、はいっ」
イキナリ名前を呼ばれて声をあげます。
「もし、ルーランが馬鹿な真似をしたら、止めてね。でないと、あなたはちょっと可哀想なことになると思う」
……氷片を、襟首に突っ込まれたような気分になりました。
私はキールくんを正面に見据えて聞きました。
「私……鈍いんです。はっきり言ってくれますか?」
「ルーランの制止役になってくれないと、あなたを人体実験に回すから」
「はっきり言わないでください!」
「どっちなの?」
キールくんはぷっと吹き出しながら言いましたが……、一つ言います。――目が笑ってないですよ。
本気、ですね。たぶん。
ルーランが次に馬鹿な真似をしたら私を実験室行きにする。そうルーランの前で私に言うことで、ルーランに脅しをかけているんです。
キールくんはあどけなく小首を傾げて言います。
「ルーラン、あなたはとても強いけど……俺と戦って勝てるなんてまさか思ってないよね?」
「――それこそ、まさか、だ」
私は、驚きをもってその会話を聞いていました。
……たった、十歳の子どもに、あのルーランが敵わないって認めているんですよ?
それも、キールくんの上から目線の余裕綽々な態度に、ルーランは不服そうですがあっさりと認めているんです。あの傲慢なルーランが。
ごくり、と生唾を呑みます。
え……なに、キールくんて……どれだけ強いんですか?
キールくんは鷹揚に頷きます。
「自分の分を知っている人は、好きだよ。……ふふっ。これ、ルーランの口癖だっけ。言われる側にまわった気分はどう?」
「……中々、腹が立つものだな」
「権力は、振るうのは気持ちがいいけど、振るわれる側となると不愉快極まりないからね。よくわかるよ。俺は、彼らの雑用係だからね。たっぷりそれを味わっている」
――この子は、皇帝陛下よりも偉い。
そう、ルーランより、偉いんです。
ルーランの言葉を無視し、いざとなれば実力行使で私を連行し、死んだ方がましな目にあわせられるでしょう。
夢が蘇り、私は全身を震わせます。
――あんな目に遭うぐらいなら、死んだ方がましです!
体中切り刻まれて観察され、延々と死ねないなんて、狂ってしまいます。
ルーランも、キールくんが本気だっていうことは伝わっているんでしょう。厳しい顔を崩さずに頷きました。
「わかっている……以後、気をつける」
「そうそう、素直がいちばんだよ」
笑って、キールくんは去っていきました。
<サナエの知らないレイオス転移事情>
レイオスでは転移で侵入できないよう、家に結界が張ってあります。結界の強度は術者の技量に比例します。
ルーランの家の中に飛べるのは許可されているルーランと、その結界を張った本人である護衛のみ。ルーランの護衛は超がつく一流なので、その結界を解除するのは相当な手間がかかります。なので、キールは自分では飛ばず、ルーランに転移を依頼したのでした。
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