――どうして、私は、何もできないのでしょう。
誤解しないでほしいのですが、私はルーランに恋心はこれっぽっちも抱いていません。
恋愛感情はまるでないのです。一欠片も。
でも、だからといって、好きじゃないわけないじゃないですか。
私は、彼にとても感謝しています。好きか嫌いかっていわれたら、好きですよ。断言できます。たぶん自分で思っているよりずっと。
でもそれは恋じゃないってだけなんです。親愛の情……強いて言えば友情?
もっと正確に言えば、「家族」に対するもののような好意です。
家族に、恋はしませんし、友情というのもちょっと違いますよね。
でも、好意は確かに持ってますよね。そういう感じです。
ルーランは、私を助けてくれました。
私が不安で怯えているとき、抱き枕になってくれました。彼が私を抱き枕にしたんですが、私にとっても彼は抱き枕だったんです。
異世界に来て、とりあえずの生活の安定を得て、そうなるとよみがえってきた郷愁や心細さに震えていた私にとって、そんな人肌のぬくもりが、どれだけ支えになってくれたことか。
単なる人肌の温かさ……されど、温かさです。
私は、恋じゃないですが、彼が好きです。
だから、苦しむ彼を何とか力づけたい。
恋ではありません。ですが、偽りでも、ありません。
世の中恋愛感情でしか人を助けちゃいけないなんてそんなはずありません。恋じゃないですが、助けたいと思う気持ちは、真実です。
――ですが、ルーランの気持ちもわかります。
何もできないくせに、安っぽい同情は迷惑だ、というのも。
言葉では、駄目なんです。
気持ちだけでも、駄目なんです。
言葉ではなんとでも言える。行動しなくては、駄目なんです。
でも……人前に出ることすら禁じられ、どんな簡単な術すらもできず、一人では出歩くこともできず、レイオス人には簡単にできることを何一つできない無力な私に、いったい何ができるでしょうか?
――というわけで、私は、とある人物を頼ることにしました。
「俺も色々人には言えない経験をしてきたけど、異世界人のお茶会に招かれるっていうのは初めてだよ」
そう言って、私の前で優雅にティーカップを持っている少年(まだ少女でもあるんですが一応便宜的に少年と言っておきます)の名前を、語るまでもないでしょう。
私がこれまでに異世界でまともに言葉を交わした人は、なんとたったの二人しかおりません。
ルーランと、キールくん。
そして、キールくんは、この星の人間の中で、いちばん偉い人でもあります。
三人寄れば文殊の知恵。
他力本願上等。
他人に頼るなんてプライドが許さない?
社会人の新人OLは、そんなプライド持っていないのですよ。失敗を隠して他人を頼らずにいると、どんどん事態が悪化しますからね!
キールくんはテーブルの上のお皿に置いた、私が焼いたクッキーを手にとって、何やらしげしげと見つめています。
「……なにか? あ、それはクッキーといって地球の食べ物なんです。お菓子なんですよ」
「うん……それは知っているんだけど……怪しい物入ってないよね」
「あ、あやしいもの? ああ……幻覚剤とか、睡眠薬とかですか? たいへんですね、そんなのまで心配しないといけないなんて。大丈夫です。入ってません。なんなら私が先に食べますから!」
私はクッキーを一枚、口の中に入れます。
キールくんは、肩をすくめます。
「そういう意味じゃなくてね。小麦粉に水と砂糖と卵を入れて練ったこういう焼き菓子はこっちにもあるんだけど、知り合いに卵の殻ごと入れて粉砕したり、砂糖と塩を間違えたりするのがいるんだよ……」
「……ま、またベタな失敗する人ですねー……」
塩と砂糖? を間違えるってどこの漫画の住民でしょうか。って、この世界の砂糖って赤いんじゃ……ああ白い砂糖もあるんですね、きっと。
やっぱり、レイオスにもいるんですねぇ……料理下手な人。
キールくんは、クッキーを一枚、口に入れました。
「うん美味しい。異世界人で、調理器具も食材も不慣れな中でこれだけ作れるなんて、サナエさん頑張ったね。あの料理下手にも食べさせてやりたい」
キールくんはお茶を口元に運んで、言葉をつづけます。
「まあ、まだ十歳だからしょうがないともいえるけど」
「十歳ですか。それは……しょうがないんじゃないでしょうか」
私が十歳だったころ。うん、お母さんの真似してお料理したくてたまらなかったころですけど、張りきって作ったチョコは犬のウン○でしたね。
「やっぱ世間での感覚はそんなものか。俺や弟は、料理一通りできるんだけどなあ……」
「え? キールくんて、シミナーですよね? お料理するんですか?」
たとえばルーラン。
料理もお掃除も洗濯もしません。護衛の人(いまだに名前知りません)にまかせっきりです。
今はお掃除は私がやっていますが、以前はぜーんぶ、護衛の人がやっていたことは間違いありません。
でも、日本でも総理大臣が掃除洗濯家事をやるなんて聞いたことがないですし、シミナーってそんなもんでしょう、と思っていたんですよね。
「するよ。うちの父の教育方針でね。俺は普通に掃除も洗濯も料理もするし、狩りもするし、叱られもする。弟と分け隔てなく、育てられた」
「弟さん……」
そういえば、弟がいるっていつだか誰かが言っていたような。
「弟さんも、シミナーですか?」
「ううん。弟は普通の子。シミナーには遺伝的要素はないんだ。まあそれでも、俺が成人になって生殖子を提供したら、無数の子どもが作られるのは間違いないと思うけど。その為に雄体になれって言われているくらい」
キールくんは平然とこの世界の常識を語りますが……、こ・わ・い・で・す・よ。
……この世界って、精子と卵子を結合して研究所みたいなところで命が発生するんですよね。
そして、話の内容からすると、キールくんみたいな特殊能力者は生殖子の提供をする、と。遺伝ではないと判っていても、それでも普通の精子より特殊能力者の精子を使って子どもを作ってみたい、その才能を試してみたいんでしょう。
でもって、卵子と精子じゃ圧倒的に精子の方が数が多いので、男性体になってほしいと言われているって……。
子どもって、恋愛と結婚の産物だとごく自然に思っていた私の単純な認識がガラガラと崩れていくのを感じます。
……そうなったらキールくんの知らないところで、キールくんの子どもが無数に生産されるわけですが、たぶん彼は何とも思わないんだろうなあ……。
キールくんがこうも平然と言っているのは、この世界では隠すようなことではなく常識だから、なんでしょうね……。
キールくんは、そこでやっと、クッキーを口の中に入れました。
「うん、なかなか」
「それ、
賄賂です。ちょおおっと、相談にのっていただきたくて」
「……クプトティナ・ディス? なにそれ?」
「え? えーと……何って」
ワイロ。袖の下。下心のある贈り物。
そこまで考えて、はたと気づきました。
キールくんは、十歳なのです。
私が十歳のとき、賄賂、なんて言葉を知ってたでしょうか? いいえ知りませんでした。
私は四苦八苦しながら説明を絞りだします。
「ええと、便宜をはかってもらうために、業者さんなんかが偉い人などに、ですね。贈るものなんですが……」
キールくんが小さな頭を振って、私の言葉を止めます。
「ああ……わかった。賄賂ね。そういや、地球ではいまだに賄賂が撲滅できてないんだっけ。馬鹿だなあ。公的支出の費用対効果が損なわれるっていうのに」
キールくんの呆れたような言葉に私は悟りました。
ここ、レイオスの言葉で「賄賂」はある。でも、死語なのです。
「……あの、つかぬことをお聞きしますが、賄賂ってレイオスにはないんですか?」
「する奴は余程の馬鹿だね。絶対ばれるもの。半年に一回監査があって、不正行為をしたら全部明るみにでて関係者一同芋づるでつかまるよ」
「……それも魔法で、ですか?」
キールくんは私を銀の瞳で見つめました。――口元に微笑をたたえたまま。
「ううん。シミナー相手に嘘は通用しないから」
「……」
「監査にはシミナーが必ず同席する。ま、大した手間じゃないよ。職員を集めて、不正行為をしているか、って聞くのを見てるだけだもの。嘘をついたりして動揺すれば、シミナーに伝わる。必ずばれる。ばれたら、もちろん職は剥奪、牢屋行き。だから、地球と違って不正事件はほとんどないね。むしろ――どうして地球じゃ監査をしないんだろうね? 嘘発見器っていうのが発明されてるのに」
「……犯罪者じゃない相手に使うのがためらわれるのでは?」
「あれえ? 俺の知識じゃ、地球でも賄賂を受け取るのは犯罪だけどな」
「人権とか……いろいろ」
「ちがうなあ。いちばん上が、いちばん腐っているから、そういう腐敗を白日のもとに晒したら自分が困るからでしょ?」
私は――言葉に詰まりました。
「官僚の汚職は統治機能の低下であり、公的支出の費用対効果の低下をもたらす。それを撲滅できないのは、一番上が建前通りにちゃんと権力を持ってないから。だから、下にナメられるんだよ」
知る前なら、一も二もなく頷いていたかもしれません。
血みどろの闘争の果ての玉座だということを知る前なら。
「――血族間の殺し合いを肯定しているくせに」
キールくんは、年相応に子どもっぽく笑いました。
言葉の内容は、凄惨きわまりないですが。
「一代にたったの十五人かそこらの命じゃないか。それっぽっちで四百年の平穏が手に入るのなら、充分過ぎるほどの費用対効果だと思うけど?」
「人の命を……っ!」
「綺麗事を言わない、言わない。俺には通用しないからね。君は、その言葉を心底から言ってるわけじゃない。根っから義憤を感じているわけでもない。君の心の中には、俺の言葉に納得している部分がある。でも納得してしまったら君の中に育ててきた倫理とかそういうものを裏切ってしまうから、だから口先だけで言うんだよ。実に薄っぺらい。実に空虚だね。
――シミナーに通用すると思うな」
幼い子どもの顔から、表情という表情がすべて抜け落ちます。
ぴたりと、ナイフの切っ先を喉元につきつけられた気になりました。
「……っ」
私が息を呑んだ瞬間、キールくんの目が優しくなごみます。
さっきの無表情は嘘かと思うような、人をほっとさせる優しい笑顔。――ああ。今、わかりました。
この子は、間違いなく、この星の中枢にいる人間です。
この子のこれまでの顔は、すべて作り物です。
優しい人好きのする笑顔の奥には、闇が詰まっている。
「俺は、ルーランと違って君に優しくないよ。自分でも信じていない虚ろな正論なんて、言うだけ時間の無駄だからやめようね。で? 俺をわざわざ呼び出したんだから、聞きたいことがあるんだろう? わざわざ、ルーランが仕事でいない間に、ね」
私は、息を吸い込み、そして吐き出しました。
……ここで、傷ついている場合じゃありません。怒っている場合ではもっとありません。
「……シミナーは、仕事をした後でとても疲労すると聞きました」
「そうだよ」
「その……疲労を、軽減する方法はありますか?」
それが、私がキールくんを呼び出した理由でした。
ルーランの立場を考えたら、シミナーをやめるというのは無理でしょう。生来の力みたいですし。
仕事をしない、というのも、これまた無理。
私ができるかもしれないことといったら、それぐらいだったのです。
「シミナーの疲労を軽減する方法、ねえ……」
キールくんは、ピッと一本指を立てました。
「――サナエさん。それは、ストレス発散をどうする、っていうのと、さして変わらないよ。人による。こう言うしかない。人による。シミナーの中には色に走る人間もいるし、無人の荒野を自分の足で駆けまわる人間もいる。この間のルーランみたいに、自然の中に身を置いて一人になる人間もいる」
その返答は、想像していました。だから、私は聞きました。
「キールくんは、どうしているんですか?」
「俺? 俺は見ての通りまだ子どもで、性分化をしていないから、運動して発散するとか、一人になって自然の中に身を置いて発散しているよ。ああ、抱き枕もよくやるなあ」
さあ、これからが本番です。
「――キールくん。私と、言葉遊びをしませんか? あなたは私の頭を覗いたりしないっていう条件で」
「いいよ」
「……」
「いいよ。異世界人とお喋りして言葉遊びをするなんて、人生に滅多にある経験じゃない。面白いから、乗って上げるよ。それに、ルール違反もしないと約束してあげる。サナエさんの頭の中を覗くのなんて簡単だけど、それやっちゃうと楽しみもないからね。さ。――先手をどうぞ?」
サナエがキールに喧嘩を売りました。散々馬鹿にされ見下され、いいようにされてきた彼女の反撃が始まります。
<サナエの知らないレイオス事情(本筋にはほぼ関係なし)>
シミナーが嘘を見抜く条件は「相手がそれを嘘と認識している」こと。
誤りを真実と誤解していたり、あるいは嘘をついている内に自分でも真実と思いこんでしまった人間は「見た」だけではわかりません。
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