手を差しのべられて、私は深呼吸をしました。
……とりあえず、勝負の土俵に乗せることはできたのです。
ルーランもそうでしたけど、シミナーの人っていうのは、気まぐれが一番大きな行動原理っぽいのが、ほんとに、なんていうかまったく……っ。
私は気を落ち着かせて、前提条件の確認から始めました。
「私が、キールくんを初めて見た時……、思いました。とても十歳とは思えないほど落ち着いていて大人びていると。この星の一年は、地球の一年とほぼ同じ。つまり、十歳であることは同じなのに、同じにはとても見えないほど落ち着いていると。
最初は、異世界だからかと思いました。幼いころから働いているから、日本の子どもより大人っぽいのかと。でもルーランもキールくんは特別に大人びていると言いました。異世界だから、という答えはこの時点でありません。……そして確信に至ったのはさっきです」
「へえ?」
初めて、キールくんの瞳に、興味が浮かびました。――釣れた。
「さっき、私は、偶然ですけど、賄賂という言葉を使いました。これは、この星では死語です。キールくんも、最初は判らない様子でした。どんな言語でも同音異義語や、近い音の異義語はあります。ここレイオスの言葉にも、もちろんあります。それを分けるとき、普通人はどうするのか。文章の繋がりです。人は、言葉を文脈でも判断しています。……お菓子と、賄賂。普通は繋がりがありません。唐突に無関係の言葉を出されたら、とっさに判らなくても不思議はありません。それが死語なら尚更です。だから判らなかったのでしょうけど、キールくんはとっさに判らなかっただけで、その言葉自体は知っていました。なぜ? 言葉は、人とのやりとりで憶えていくものです。だから、死語であるこの言葉を十歳であるあなたが普通憶えているのはおかしいです」
「本で読んだ、という可能性は?」
「まず、ありえません。ルーランに聞きました。キールくんは、草の民。自然の中で暮らし、自給自足で暮らす質素な生活だと。シミナーであるキールくんですが、料理や掃除や洗濯も自分でして、弟さんと分け隔てなく、平等に扱われているそうですね。さっき聞きました」
「うんうんそれが?」
「普通なら、自然の中で暮らす草の民で十歳の子どもであるキールくんが、とっくの昔に撲滅されている不正行為……賄賂という死語を知っているはずがないんです。
そして、ルーランは、キールくんは特別に大人びているのに、それを不思議とは思っていないようでした」
「それから?」
「……異常に大人びているキールくん。そして、それを『特別』と認めつつも、不思議とは思っていないルーラン。二つを結び合わせれば、一つの答えが出ます。――シミナーだから、と」
「そう、それは蓋然性のある推理かな。実際そうだしね」
「……それならルーランがキールくんは特別といいつつ、不思議に思っていなかったのも判ります。そして……ルーランは言いました。シミナーは、治療のたびに、澱が溜まる、と。シミナーのキールくんが、大人びているのも、死語を知っていたのも、これなら理由がつきます。
――キールくん。シミナーの人たちというのは……、誰かを治療すると、その誰かの記憶を背負うのではないですか? かつて、ルーランが私の知識をそっくりコピーしたように」
ルーランが、言わなかったこと。
シミナーの治療にかかる負担とは、実際にはいかなるものか。
キールくんの、あまりにも大人びている態度と知識。
――これが、私の導き出した答えでした。
キールくんの、子どもらしいふっくらした唇が、ふわりと笑みのかたちに動きました。
「ルーランは澱と言ったか。嘘ではないし、あなたを心配させたくもなかったんだろうね。――正解だよ」
嘘をついたり、誤魔化したりするようなことでもなかったのでしょう。キールくんは呆気なく認めました。
……ルーランが私に言わなかったのは、キールくんが言った通りの理由でしょう。私を心配させたくなかったから、そういう言葉を使ったんです。
でも――ああ、でも。
以前、ルーランが憔悴していた理由がわかります。治療した相手の記憶を、自分の物にしてしまう。それはとても負担でしょう。負担でないはずがありません。
シミナーの人たち。たったの百人しかいない人たちは、なんて苛酷な運命を背負っているんでしょう。
人を治療するたび、その人の記憶を背負う。記憶は知識と密接に結びついていますから、キールくんが死語を知っていたことも、不思議ではありません。
こんなにも精神年齢が高いことも、不思議ではないでしょう。
さすがに人一人のすべての人生記憶が流れ込むのではないでしょう。記憶の一部でしょう。……ですが……どれぐらいの記憶が流れ込むのか判りませんが、数が数です。
彼は肉体年齢こそ十歳ですが、精神の年齢は……いったい何百歳なのか、見当もつかないのです。
私はきゅっと唇を引き結ぶと、キールくんに尋ねました。
「私は、異世界人です。だからこそ、不思議に思ったことがあります。だからこそ、気づけたことがあります。提案です。
取引……しませんか?」
「おれが? あなたと?」
楽しげに、踊るようにキールくんは尋ねます。
――目の前にいるのは、外見だけ子どもで、中身は数百歳の大人。そして、この星で、一番偉い『人間』です。
しっかりと、キールくんの目を見返して、私は頷きました。
「はい。私はあなたに一つの情報を提供する。そのかわり……どうか、ルーランに対して、あなたが要求した二つの貸しを、なしにしてほしいんです」
「おや? そんなことでいいんだ? 永久に、ルーランをシミナーとしての責務から除外する、なんていう取引条件でもいいんだけど?」
やんわりと、私はかぶりを振ります。
「――それができるほど、あなたが偉いとは思えません」
ぴりっと、空気に刺激が入ったような気が、しました。
キールくんはまるで表情を変えず、つまり面白がっている顔のまま、私を見ています。
「言うなあ。俺は、一応、この星で一番偉い人間なんだけどね?」
「それでも、あなたは一人の人間に過ぎません。ずっと昔から連綿と続いてきた、人間とシミナーとの間の妥協点の取り決めを崩せるほど、偉いとは思えません」
「うん、続けて。説明が聞きたいな」
「シミナーが患者を癒す。その代わり、さまざまな特権を得る。……これは、一見して双方に利益があるように見えますが、シミナーの治療がかくも負担の大きいものであるとわかったら、構図は崩れます。ルーランは、特権を使っているでしょうか? いいえ。彼は、今この瞬間、持っている特権を失っても困らないでしょう。
特権とは言ってもそれは人の世界での特権です。彼はたいへんな財産家であり、人と離れて精霊の領域で暮らしています。なのに、彼が取り決め通り、従順に治療をしているのは何故か――。私は、こう答えを出しました。百対十億。この数の差、です」
「……いいよ。つづけて」
キールくんは、食卓で頬杖をついて、目を閉じて、私の長い説明を聞いていました。口元には笑みが刻まれています。
食卓に頬杖は行儀が悪いですが――そんな場合でもないですし異世界ですからマナー自体が違うんだろうと流すことにして、私は話をつづけました。
「百対十億。これが、シミナーと普通の人間の人数比です。たとえどれほどシミナーが強かろうが、戦いになって、この数の比で、勝ち目などあるでしょうか? この数の比で全面闘争になれば、どれほど強かろうが負けます。一人に千人、万人が攻めれば、勝てるはずもありません」
「そうだね。一万人もいれば、その中には超上級技を使える一流術者が最低十人はいる。それだけの一級品を一度に相手をしたら、まあ……俺でも無理かな。普通のシミナーなら、それこそひとたまりもないね」
その言葉に、束の間、場違いな思考が流れました。
一万分の十……つまり、千分の一ですか。
やっぱり、どこの世界のどんな分野でも、一流と呼ばれる人は希少なんですね。
私は頭を振って雑念を振り切り、話を元に戻しました。
「仮に勝ったとしても、意味がないんです。シミナーが勝利したとき、たった百人では文明が維持できません。彼が着ている服、食べもの、食器、家具……それら人間が人間たりえるゆえんである文明は、失われてしまうでしょう。そして……ルーランはかつて言いました。一度でも前例を認めてしまったら、次々と出てきてしまう、と」
「そう……人はそういうものだよ、サナエさん」
「だから、いくらキールくんであっても、ルーランをシミナーの責務から解放などできません。ルーランが責務を免除されたなら、自分だって、と必ず他のシミナーの人が言いだします。でも……そうやって次々にシミナーたちが人間との協定をやぶったら? 人間は、シミナーの力なくしてはいられないんです。シミナーの力が、必要なんです。人は力ずくであなたたちを従わせようとするでしょう。今の平穏は破れてしまう。破滅へのとば口です。だから、だから……言います。キールくんにはその力はない、と。ちがいますか?」
ぱちぱちぱち。
気の抜けた拍手が響いた。
「そう、このあなたの論理には穴がないな。見直したよサナエさん。その通り。俺はシミナーの責務を免除できないし、俺自身も放棄できない。俺が、人間で一番の権力を握っていても、できないことなんだよ。権力者だからと言って、何でもできるわけじゃない。いやむしろ、できないことだらけだ。その辺のことを誤解している連中も多いけどね……」
「だから、私はルーランの責務を免除して、とは言えません。あなたにもできない、いえ、誰にもできないことですから。でも、あなたとルーランの間にある、個人的な貸借関係をなしにしてほしい、とは言えます。ある情報を対価として」
「うん、なかなかいいね。『絶対にできない』取引条件じゃなく、『俺がその気になれれば履行できる』条件を出してきたか。うん、いい。最初思っていたより、あなたの話はずっと面白いよサナエさん。興味をそそられてきた。今すぐあなたの頭を覗いてみたいぐらいだ。しないけど。楽しみがなくなるからね。あなたの話を聞きたいな。言ってみて」
……ここからが、本当の正念場です。
私は息を吸って、キールくんを見ました。
これまで聞いてきたこと。見てきたこと。考えたこと。小さな小さな物を繋げて、できた推理。
証拠に乏しい、ただの推論。でも、答えを知る人間がここにいるのなら――正否を知るのは、とても簡単です。
ぶつけてみればいい。
聞いてみればいいのです。この推理はあっているか、と。 これ以上はないというほど簡単な、正解と不正解を知る方法。
私は、たずねました。
「異世界人だからこそ、辿りつけた結論かもしれません。
……あなたが、子どもであるにもかかわらず、『調停者』に選ばれた……いえ、言葉は正確にしましょう。押し付けられた理由。それは、あなたが瘴気浄化能力者であるからです。ちがいますか?」
――沈黙が、辺りを満たしました。
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