キールくんは、動揺を見せませんでした。
ただ、疲れたように笑って、理由を求めました。
「どうしてか、聞いてもいいかな?」
「私は異世界人です。ですから、あなたたちとは違う視点で物事を見られます。そして、ルーランが私に言語知識をコピーしてくれたために、私はこうしてここで喋っていられるのですが、言語は文化。『レイオス語』にはあり、『日本語』にはない概念、というものがあります。そして、その逆も。
その一つが、『センソウ』です」
レイオス語で喋っている中に、一単語、日本語を混ぜました。チョコレートを買う、という文章と似たようなものです。
「この世界には、『戦争』という言葉がありません。そういう概念をもった単語が存在せず、翻訳するとしたらせいぜい『大きな争い』という意訳がせいぜい。……この事を知った時、私は驚きました。……とても、とてもです。言葉に言い尽くせないほど……驚きました」
ルーランとの会話でも、精霊との「争い」とは言いましたが、戦争とは一言も言いませんでした。当たり前です。そういう概念も単語もないのですから。
戦争が、ない。地球ではアレほどまでに猛威をふるい、歴史上最大の死者と負傷者を出した、あの最悪の伝染病が、ない。
一瞬、私は瞑目し、すぐに顔を上げました。
「そこには、この星ならではの事情があります。――人を殺せば瘴気がつく、という。そんな法則がある中で、大規模集団で相手を殺す『戦争』をするのは、不可能です。地球と違って。魔力を持たない民……かつて、この星にもいた、私のような魔力のない民はとうの昔に絶滅したそうですね。殺しても、瘴気がつかないせいでしょうか」
「歴史の奥の真実がどうなのか、まではさすがの俺も知らないなあ。まあ、定説の通りに、魔力のない民とある民が戦ったら魔力ある民の方が絶対に強いとは思うけど?」
「そうですね。歴史の奥に埋もれた絶滅の経緯なんて、今更どうでもいいと私も思います。もう、一人も生き残りがいなくなって長い長い時間が流れているんですし。ですが、少しだけ、思いました。 ――本当に、定説通り、魔力のある民がない民を虐殺したのでしょうか?」
「虐殺って言い方悪いな。生存競争、と言ってほしいよ。で?」
「はい。では生存競争と。……私は疑問に思ったのです。どうして、精霊は人間を滅ぼさないのか。九対一の勢力差のまま、そのまま維持しているのか」
「無理に滅ぼす必要がないからじゃないかな?」
「そうかもしれません」
「根絶させようとすると、人間側も死に物狂いで抵抗するからじゃない?」
「そうかもしれません」
「緑の座の力があるからじゃないかな?」
「そうかもしれません」
キールくんの指摘に、私は何一つ否定できる要素がありません。
そしてそれは、そのまま私の推理の穴でもあり……ううっ、穴ぼこだらけですね。
「そうかもしれません、が、私はこう考えました。魔力なき民は、人間にではなく、精霊によって滅ぼされたのではないか――逆に言えば、魔力ある民が生き残って繁栄しているのは、瘴気があるからなのではないか、と」
キールくんは、笑みを深めただけでした。
「ルーランは言いました。人を殺せば瘴気がつく。そこに事情の忖度はなく、一律につく、と。
そこで、ふと思いました。では、精霊が人を殺したら? 精霊にも、瘴気はつくのでしょうか? 教えてくれますか? キールくん」
それが、私が抱いた疑問。
この世界の住民ではない私だからこそ、抱けた疑問です。
自然物である精霊にも、瘴気はつくんだろうか、と。
――人を殺せば瘴気がつく世界。
だからここでは殺人が少ない。少ないからこそ、心理的忌避感がある。……ルーランが言っていました。瘴気のつかない異世界人である私ですら、殺すことを躊躇ってしまうと。
精霊と人間が対立していると言いつつも、実際は九対一の勢力差で、平穏を貪っていた世界です。
自然を守り、その恵みを守り、平和と平穏の象徴である精霊。
一方、殺人の証拠であり、嫌悪と唾棄の対象である忌わしい瘴気。
精霊と瘴気という二つのものは、この世界の人にとって、相容れず、同列に並べがたいものでしょう。
キールくんの答えは、答えたも同然のものでした。
「それは、俺の口からは言えないな」
「……ありがとうございます。ルーランは、言っていました。普通は子どもは重責につかないと。その辺は、日本と同じでしょう。ですが、精霊は、子どものあなたを無理矢理に調停者にした。ルーランは数年前にここに移住したと言っていましたから、今よりも若く……ほんとうに、幼い子どもだったあなたを」
「うんうん、それで?」
「……精霊は、幼い子どもであったあなたを、人間側から精霊側へと引き抜いた。それは、あなたが見過ごせないほど大きな力を持っていたからでは? 類を見ないほど特殊な……、市井に出ることなどありえないような、力を」
ルーランは言いました。
瘴気浄化能力以外で、瘴気を浄化するすべはない、と。
他に同類項の力がなく、同じ力の持ち主は、全員が皇宮に生涯幽閉。
私は、一瞬目を閉じ、あまりにも稀有な力を持ってしまったがゆえに人生をこれ以上ないほど狂わされてしまった少年の人生を想起してから、テーブルの向かいに座る稚(いとけな)い少年を見つめました。
「――キールくん。あなたは、史上初めて幽閉の運命を免れた瘴気浄化能力者だそうですね。幼い子どもをさらうほど、それほど精霊は、その力がどうしても欲しかったのだというのは……私の、邪推でしょうか」
しばらくの間。
キールくんは思案するように宙を眺めていましたが、やがて採点するように口を開きました。
「……ま、論理に穴はぼっこぼっこあるけど……それなりの説得力はある、かな。少なくとも、皇族十人に聞かせれば三人ぐらいは試してみてもいいって気になるぐらいは、信憑性がある話だ」
「精霊は、瘴気を恐れる。この情報は、使い様のある情報です。ちがいますか?」
キールくんの笑顔は崩れませんでした。笑って、頷きました。
……瘴気の利用。その意味をきちんと理解しているとは思えないぐらいに。理解していることは、次の言葉でわかりましたけど。
「そうだね、違わないね。皇族の連中ときたら、どいつもこいつも効率主義者で生き残るのに必死だからなあ。誰だって他人の命より自分の命。とことん非人道的な方法で、手っ取り早くその情報を使用するだろうね。――人工授精で大量生産した赤子を精霊の領域に置き捨てるとかさ」
「……っ!」
「血みどろの闘争をしている皇族は、普通のレイオス人とは違って殺人を禁忌とする思考が薄い。その上瘴気浄化能力者を抱えている。瘴気に汚染された土地も、浄化することはたやすい。そして精霊は瘴気を恐れる。なら、精霊の領土で瘴気を使って精霊を退けた後、浄化すればいいだけ。うん。人の心を殺して非情に徹する覚悟さえあれば、スゴク有効だよ」
「――」
キールくんが語る非道な利用方法を……私は内心で歯を食いしばって耐えました。
人を殺せば瘴気がつく。逆に言えば、人を殺さなければ瘴気はつかないんです。なら、その利用にあたっての前提といったら、人を殺すことに他なりません。
「あなたの情報は、確かに価値がある。でも、わかってるのかな? それがもたらすのは、赤ん坊の大量殺人だよ」
大丈夫……大丈夫です。
これは私の交渉のカード。カードでしかありません。実際にはそんなことになりません。
ですが、それをキールくんに見せるわけにはいきません。
苦痛をおして決断するように、私は言いました。
「……私は、ルーランが大事です」
「うん、いいんじゃないかな?」
「恋じゃないですけど、家族として大事に思っています。だから、使える物は何でも使います。元々、使えるものなんてほとんどない立場ですから、贅沢を言ってられません。卑怯と言わば言って下さい。
私は、顔も知らない人たちより、ルーランのほうが大事です」
私ははったりをかけました。
そしてそれは、はったりであることは見え見えだったでしょう。
実際、私は、自分の情報によって赤ん坊が大量に殺されることへの覚悟なんてなかったんですから。
これが、冷徹な本当の交渉なら、そこをつつかれて私は崩れるしかなかったでしょう。
ですが、キールくんは、笑って見逃してくれました。……私の想像通りです。
「……健気だね。うん。まあ、大負けにまけて、この点は合格にしてあげる。でも、『取引』を成立させるには最大の難点があるの、わかってるかな? 俺はいつでもあなたの口を永遠に塞げるってこと。どんなに貴重な情報も、力こそが交渉を成立させる。そうでなければ、もぎとられ、口封じに殺されるだけ。宝の持ち腐れだよ」
――ここが最後の分水嶺。
私は、無理矢理に笑ってみせました。
「あなたに、私は殺せませんよ。――いいえ、言い変えましょう。
あなたは私を殺せますが、ルーランは、絶対に殺せません」
そう、この交渉の最大の難点。それは、私に、力がないこと。
キールくんが言った通り、双方に力があればこそ取引も交渉も成り立ちます。
そうでなければ、一方的に毟り取られるだけで終わります。
「ルーランは、今いないけど? 俺の感知をすり抜けられる技量は、ルーランにはないよ」
私は、こくりと頷きました。
ルーランが仕事で留守。それは、本当のことです。――でも。
「……私は、無力な異世界人です。レイオス人なら誰にでもできる転移一つできない、魔力なしの人間です。ルーランがいなければ、この家から一歩も出られない人間です。――ですが、だからこそ、私がここからいなくなれば、誰かに拉致されたと誰でもわかります」
「うんうん、なかなかいいよ」
「私の推論は、とうにルーランに伝えてあります。そして、同時に、私が殺害されたら、その推論が事実であるという何よりの証拠になります。――キールくん。あなたは、私を殺すことはできても、殺したことを隠蔽することはできません」
私は大見得を切って、キールくんを見据えました。
「そして、あなたは、私を殺せてもルーランは殺せない。そして、私が殺されれば、ルーランは情報を真実と確信して、皇宮に行く手筈です」
それが、私が頭を絞って考えた、この取引の根幹を成立させる方法。
私は力のない、ちっぽけな一人の異世界人に過ぎません。
皇帝陛下よりも偉いキールくんがその気になれば、簡単に永久に口を塞がれてしまう人間です。
――でも、ルーランは違います。
彼は、この星で何より珍重される生きた宝石。シミナーです。
いくらキールくんでも、ルーランを殺すことはできません。
……だから、この言葉遊びは、私の勝ちです!
「私は、この情報を誰にも言いません。だから、キールくん。あなたとルーランの間の貸借を、無しにしてください」
ぱちぱちぱち、と。
間の抜けた拍手が起こりました。
「うん、及第点及第点。面白かったよ、久々に。確かに俺はルーランは殺せない。シミナーだから精神操作もできない。この俺が、どうにも口を塞げない希少な人物だよ。よって、交渉の前提条件はこれで成立する。
交渉の材料と対価も合格。ルーランと俺との間の貸し借りは、個人的なものだから政治とは関係ない。俺の一存で取り消せる。せっかくしばらくルーランに治療を押し付けて楽をできると思ったのに残念だけど、しょせんはそれだけだ。
情報料を欲張らなかったのがよかったね。たかが個人的貸し借りの範疇にとどめたからこそ、俺も譲歩できる。調停者なんて結局のところ精霊の雑用係。大した権限もないからね。
対価の情報である推論には穴がぼっこぼっこあったけど、必要最低限の信憑性があるから、致命の欠点じゃない。聞いた皇族に駄目元で一回とりあえず試してみるか、程度の気にさせるぐらいの信憑性でいいんだから。だって、図星だからね?」
「……じゃあ」
キールくんは、上機嫌ににっこり笑います。
「いいよ。サナエさん。怖かっただろうに、勇気を出して頑張ったね。それに、とても楽しませてもらった。だから、『交渉成立』。
この言葉遊びは、サナエさんの勝ち」
その言葉を聞いた瞬間――。
ほっとして、私の全身から力が抜けました……。
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