キールくんとの交渉を終え、私はどっと冷や汗が吹き出るのを感じました。
こ、こ、こわかったああああ!
ルーランに事前に相談しておいてよかったです。
現代日本のOLには、「殺されそうになったらどう防ぐか?」が大前提の交渉なんて怖すぎです。
ルーランに言われるまで、その可能性がぽこっと頭から抜けてました。でも、私は悪くないですよね!
相手をぶち殺して総取りだ! なんて普通の日本人はそんなことする人の可能性なんて考えませんよ。営業マンの価格交渉だって値引きを依頼する人は多いでしょうが、「相手を殺して商品奪っちゃえ♪」なんて、そんな人への対策なんて、思案の外です。
たぶんレイオスでも、交渉の場面で「相手を殺して総取り」を狙う人は少ないでしょうが……でも、命のやりとりの世界では、それが当たり前なんですね……。
こ、こわあ……っ。
キールくんの生きてる世界、コワっ!
改めて考えると、キールくんの生きてる世界って、一つの世界の中枢部の更に頂点に限りなく近いところなわけで。ルール無用の冷酷無比な修羅の世界なんですよね。
……なんだか、皇族たちともそれなりの面識あるみたいですし。
『あの』血みどろ闘争を現在繰り広げている皇族たちと。
そう思うと、可哀想になりました。
……だって、この子、まだ十歳なんですよ。
日本なら、子どもらしく馬鹿っぽく友達と遊んでキャーキャー言ってる最中ですよね。
なのに、キールくんはたまたまそういう力を持って生まれたからって、権謀術数の冷たい政治の世界にどっぷり浸かってるんです。
「あの、キールくん」
「それ以上は、口にしない方がいいよ」
やんわりと、止められました。
「サナエさんが、今回俺と交渉しようなんて馬鹿な気を起こしたのは、ルーランの為でしょう?」
……馬鹿な気ですか。まあ客観的に見たらそうですけど。
「ん〜、あなたが、ルーランにどういう感情を抱いていて、どういう風に拒絶されたか、大体わかるけどね。ルーランが絶対に認めないことをひとつ、教えてあげる」
「なな、なんですか?」
内緒話をこっそり打ち明けるような、そんな空気につい私も引き込まれます。
キールくんは笑顔で言いました。
「人はね、見返りなく心配してもらえたら、嬉しいんだよ」
「……」
「その人がどんなに無力だって、どんなに役立たずだって、心配してくれたら、それだけで嬉しいんだ。それが嬉しくない人なんて、いない。おれたちシミナーには、嘘は通じない。だからこそ、逆に、本気の気持ちはまっすぐ胸に届くんだ」
そこで、キールくんは少し、影のある笑いを浮かべました。
「――俺たちのところにやってくる人間には、嘘が多いから、ね……」
ルーランのスペックを考えれば、その嘘がどういったものか、想像がつくってものです。
だって、超大金持ちで、特権階級の、美形ですよ? ははははは……。
きっと将来キールくんのところにも来るでしょうねえ……、大金持ちの特権階級の、しかも秘密ですけど調停者ですよ。今はまだ皇家は知らないみたいですけど、皇家が知ったら……それこそそれ専用のプロが来たっておかしくないですよね。ハニートラップはこの世界でも有効っぽいですし。
いえ、シミナーで嘘は通じないから、逆に何も教えないまっさらな子が来るかな? ああこわ。
「ルーランの家族は……サナエさんも想像がついているだろうけど、いろいろ揉めてね。みんな、次代への扉をくぐって飛び立ったんだ」
慣用句的言い回しですが、ルーランのおかげで意味はわかります。亡くなってるんですね。
「サナエさんが今回、命の危険を冒してまでやったことっていうのは、ルーランの負担をちょっとは軽くするけど、逆にいえば、ちょっとだけなんだよ。一年か二年、仕事の量を減らすだけ。危険と報酬が、つりあっていないのにやったのはなんで? 言ってみて」
「……私が……、ルーランの為に何かしたくても、何もできないんだからそんな気持ちには何の価値もない。ルーランがそう言って、私はそれに反論できなかったんです。それに、ルーランの言う事にも一理あります。
ただ単に、同情されたって何にもならない。単なる安っぽい自己満足。――だから、私は、彼の為に自分が何をできるのか、一生懸命考えて、そして、これをやってみようと思いました。
行動で証明すれば、ルーランも少しは私を信じてくれるかなって。命の危険があっても、どうせ彼に助けられた命です。ちょっとでも、成功すれば彼の負担が減るんですから。家族であるルーラン……いえ、ルーランの家族になるために」
キールくんは、微笑みました。彼が私の前で作り笑顔以外の笑顔を見せたのは、それが初めてで……たぶん最後でしょう。
「そういう気持ちが、大事なんだよ。ルーランは『気持ち』なんて、あやふやで何の役にも立たないもの、そう思っているけど、それは間違いだ。実質的利益がなくても、実際に何もできなかったとしても、それでも。
――見返りなしで心配してくれる人がいるだけで、人は救われる」
キールくんの断言は、私の心の中に体の温度が上がるような熱をくれました。
この世界に来てから、自分の無力を痛感することばかりで。私は、誰かに、そう言ってもらいたかったのでしょう。
それがシミナーであり、老練(といっていいでしょう)なキールくんなら、言う事はありません。
「ルーランはその気持ちを知らない。割に合わない事でも、見返りなしでも、『家族』のために、やってあげたいっていう気持ちを。サナエさんが教えてくれると嬉しいな。きっと、今のルーランになら伝わるから。そして、ルーランの精神が安定すれば、俺もうれしい。どうか、彼の家族になってあげて。よろしくね」
「キールくん……あなたは」
キールくんは、頭を振って、遮りました。
「サナエさんにとって、ルーランが大事な家族なように、俺にも家族がいるんだ。父親と弟がね。彼らの為なら何でもできる。どんなことでも苦じゃないさ。――二人が死ぬ事に比べたらね」
「キール、くん」
「ルーランにとって、大事な家族ができたことは、俺にとっても喜ばしいことだよ。たった百人しかいない仲間だからね。だから、サナエさんは、あまりルーランを心配させず、長生きしてね。今回の猪突猛進ぶりを思うと、心臓が痛いよ。ほんとに。俺がもうちょっと短気だったら、殺されてるよ?」
とん。
額を突かれました。
「対価の情報は、確かにもらったから。じゃあ、元気でね」
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