いつの間にか、私はへたり込んでいて。
ルーランに声をかけられるまで、随分と長い間、茫然としていたようでした。
「うう……何時間ぐらい座っていたんでしょう。腰が痛いです……」
ずうっと同じ姿勢で床に座っていた私は、ルーランのおかげで自分を取り戻したあと腰をさすることになりました。
そんな私をじっとルーランは見つめ、ぽつりと言いました。
「キールは、術者としても一級なんだが……」
「はい? キールくんがどうかしたんですか?」
ルーランは小声で呟きます。私に聞こえないように言ってるみたいなんですけど、私、耳がいいんですよ……。
「シミナーとしての能力はあんまり高くないな。『記憶改竄』か。まあ妥当なところだが……」
「はい? キールくんがここに来たんですか?」
記憶にない私を、ルーランはちょっと見て、そしてかぶりを振って言いました。
「今日は助かった」
「はい? 私、何かしましたか?」
「そうだな、向こう二年ぐらいの負担を激減してくれたな」
「え? ええっ? そんなことしたんですか? どうやったんですか、わたしっ!」
そんなことができるのなら、私の存在意義というのも生まれるってものです。
「私、自覚ないうちに何かスゴいことやってたんですか? 何やったんですか、教えてください。一度やったら二年! も効果あるのなら、二年ごとにやりましょう!」
「……やめておけ。一度きりしかできないことだし、それに物凄く危険だぞ。冗談抜きで死にかねん」
「……へ? 何やったんです? それに、どうして私あんなに長時間へたりこんでいたんでしょう……あっ、ルーラン、何か私に術をかけましたねっ、そうですねっ!」
ぴしり、と指差すと。
ルーランはそっぽを向いて顔をしかめました。
「キールのやつ……ほんとに下手くそだな。前後の繋がりを自然な風合いで創作しないと本人が違和感に気づくだろうが」
……なんか、とても怖い言葉を聞いたような気がします。
追及すると非常に恐ろしいことになりそうな予感が極めて大きかったので、私はそれ以上それについて何も言わないことにしました。
……シミナーこわっ! 記憶を好き勝手ねつ造できるって、こわああああっ!
「腹が減っただろう、食事を持って来たぞ」
とルーランが食卓に広げてくれたのは、明らかにこの世界でのケータリング料理です!
「う、うわあっ……!」
この世界に来て初の、プロの料理人さんが作った本格的料理ですよ、料理!
私のなんちゃって創作料理とはレベルも桁も違います。
ちなみに容器は調味料とかが入っていた容器と同じような、風合いや質感が石なのに弾力性のある不思議な素材でした。きっと、この星でのプラスティックに相当するものでしょう。
そして感動することに。
「ああっ、コメ! 米があるんですねっ」
「知らなかったのか?」
「知りませんでした……。ああ、言えば買ってきてくれましたよね……」
ルーランはお金持ちですし、買ってきてくれと言った食材で拒否されたことはありません。ただ単に、私がその存在を知らなかったのです。
……ほら、異世界トリップもので米が出てくる方が珍しいじゃないですか……(言い訳)。
テーブルに並べられたのは何の肉か判りませんがお肉をトマト味に近いソースで煮込み、中には炒ったサクサクの木の実を仕込んだもので、もうその味に大興奮です!
口の中で弾ける肉汁! 木の実の心地良い食感と微かな甘味! トマトの酸味。
そして何と言ってもそれを受け止める米!
「美味しーですー!」
なんだかやたらとお腹が空いていて、がっついてしまいました。
「いただきました!」
食べ終わると、ひょいと抱えられました。……はい?
そして、ルーランはソファに座りました。私を前で抱えたままで。
ルーランは結構背が高いので、後ろから抱きかかえられると腕の中にすっぽり入る感じです。
なでなで。
と頭をなでられます。
……? え、えーと、ほわ―い?
「――ルーランさん」
「なんだ」
「私は何故に抱っこされているのでしょうか」
「触り心地がいいからな」
「何故にあなたは私を撫でるのでしょうか」
「触り心地がいいからな」
……駄目です、会話が成立しません。
ルーランの優しい声が聞こえました。
「私はこれまで、心配してくれるだけでいいとか、その気持ちが嬉しいとか、そういうものを理解できなかったが……、やっとわかった。お前は可愛いな」
「……ぬいぐるみですか、わたし」
「あたたかいから、ぬいぐるみより役に立つな。ほっとする」
――理由がよく飲み込めませんが、ルーランの好感度が何やら急に上がったようです。
女性としては家族でもない異性に後ろから抱っこされて撫で撫でされているという事態にトキメキをおぼえなきゃいけない気もしなくもないのですが、どうしてでしょうかまるでしません。
ただ、それこそ犬を抱っこしているときのような、そんな温かさと安心感があるきりです。
女としてどうなんだろうと思わなくもないですが、抱っこされているのは気持ちがいいので体の力を抜くことにしました。
背後のルーランに、体重を預けます。
「……今日は、助かった」
小さく聞こえた声は……うーん、私、ホントーに何をやったんでしょうね?
記憶をキールくんに改竄された、という言葉からして、キールくんに何かしたんでしょうが――考えてみても、お手上げです。
あんなおっかない上に皇帝陛下以上の権力を持っている子相手に、私が何かできたとは思えないんですけどねえ。
――しかし、記憶の欠落があるのは事実で……シミナーっておっかないです。
ルーランの言う通り、前後を違和感ないよう創作されたら、被害者本人もわかりません。どんな犯罪でも隠蔽し放題です。
まあでも、ルーランの反応からして、悪いことではないみたいですから……気にしないでおきましょう。……うじうじ気にしていたら今度はルーランの手で記憶を改竄されそうな気がしますし。
そう心に納得をつけて、しばらく撫でられていると、ルーランの呟きが聞こえた気がしました。とっても嬉しい呟きが。
「……これが、家族というものか」
◆ ◆ ◆
私は泣いていました。
大人になると、「泣く」というだけの行為が中々難しくなってしまいます。
子どもの頃のように、人前でわんわん泣く、というのはもう出来ません。
なのに、私は泣いていました。
目の前ではお父さんが新聞を広げ、お母さんが料理の支度をしています。
懐かしい……胸が絞られるほどに苦しい光景です。
母が私の視線に振りかえり、声をかけます。
朝ご飯どうする、と。そして私はその声に――。
――お母さん。
――お父さん。
もう、会えない大切な家族。見れない光景。平凡で当たり前と思っていたものは、無くしてから気づく。本当ですね。
――これは夢。わかっています。これは、もう二度と出会えない光景。夢です。
考えるのが怖くて、目をそらしていたこと。
もう帰れないかもしれない。
もう二度と、家族に会えないかもしれない。
考えないように目をそらして前だけを見て。前向きに前向きに。
考えない。戻れないかもしれないなんて考えない。自力ではどうにもならないそんなことを考えても仕方ない。今は今のことをまず考えよう。
前向き? いいえ逃避です。私は必死になって、逃げていました。
……本当は、心の隅で薄々気づいていました。たぶん私はこの星から出られない。もう、元の世界に戻れない。
心配しているだろう家族に、一生二度と会えない。
……会いたい。戻りたい。元の世界に、戻りたい。
お母さん。……戻りたいよ……。
その時です。
夢の中に柔らかい光が差し込んで、心を乱していた悲しみが引いて行きました。
目を開けると、ルーランの銀の目と合いました。
自分が泣いていたことに気づいたのはその時です。目蓋が、涙で接着されて重かったので。
ルーランが眠りながら泣いている私に、何か魔法をかけてくれたのでしょう。
「……ルーラン」
優しい手が、私の頭を撫でます。
「泣くな。……私に、お前を元の世界に帰してやれる力はないが、お前の家族にはなってやれるから」
◆ ◆ ◆
お父さん、お母さん。
現在私は、異世界にいます。
心配掛けてごめんなさい。ホントーにごめんなさい。
無事だと一言伝えたいけど、その方法すらわからないのでお祈りします。どうか、神様がこの言葉を伝えてくれますように。
お父さんお母さん。どうか安心してください。
私は飢えることもなく、痛い思いも苦しい思いもせず、寝るところも着るものにも不自由することなく、幸せに暮らしています。
私は今、私を保護してくれた人と、一緒にいます。
――『家族』になりました。
これにて完結です。
お付き合いいただき、ありがとうございました。
見返すと山ほど未熟なところが目に付く小説ですが、読んでくださってありがとうございます。
異星レイオスの設定が多すぎて、ほぼサナエさんが「異世界ナビゲーター係」の説明役に徹してしまったのが自分でも悔いの残るところです。設定に矛盾が出てしまうため(サナエが街を歩いたら一発で異世界人だとわかって大騒ぎ)、定番の町歩きなどもさせてあげられなかった。ごめんね、サナエさん。
いつか、レイオスの世界で今度こそ彼女を飛びまわらせてあげられる日が来ることを祈りつつ、これにて一旦エンドマークをつけさせていただきます。
お付き合い下さり、ありがとうございました。
<サナエの知らないレイオス事情(本筋にはあんまり関係ないです)>
キールはシミナーの能力的には中の下。並より下です。魔力あるレイオス人相手では記憶改竄は不可能なレベル。
ルーランはシミナーの能力的には上の下。レイオス人相手でも記憶改竄できます。ただし、不自然さが残ります。ルーランがサナエの記憶を改竄した場合、もっとずっと遥かに上手に改竄できます。
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