立太子式も秋に日取りがきまったある日のこと。
リオンは、初代国王について調べていた。
他に人のいない古書室で、リオンはまたも無収穫に終わった本を閉じる。
去年からずっと、初代国王について調べているが、ロクに分かったことがない。
本を当たっているのがまずいのだということは、わかっていた。
一番確実で、一番しっかりした情報源は、黒い扉の中にいる。ジョカは、その初代国王の時代を生きているのだから。
本を調べても、三百年以上前の、ほとんど伝説の人物である。その生い立ちや、人格などはほとんど伝わっていない。
その頃は、ジョカのような力を持つ人間が無数にいた時代だ。正直想像もできないほど、そうした不思議な力について奔放な時代だったに違いない。
その中で、一国を起こした創始者はどのような力でもって、覇を唱えたのか。
その「力」とはジョカのことだという推測に、恐らく大きな間違いはないはずだ。
そうだとしたら、ジョカは建国の大恩人のはずで、そして……。
リオンは考えを振り払うように立ち上がった。
しなやかな体躯が春の光を浴びて浮かび上がる。
リオンは十五歳になっていた。
背はすらりと伸び、同年代の少年に比べても高い方だ。ジョカを見上げても、もう差は頭半分ない所まで縮まった。剣を習っているために体つきもしっかりしていて、肩幅はジョカと同じか広いぐらいだと自負している。
通った鼻梁に切れ長の瞳。怜悧にして華麗な容姿には宮廷内外の婦女子のため息が怒涛のように押し寄せていた。
―――繰り返し、ジョカも父も言った言葉。
十五の立太子式の後に教える、と。
ジョカの正体、ジョカが、どんな人物かを。
……以前は、その日が待ち遠しかった。けれど、うすうす気づいてしまった今は、聞きたくない気持ちの方が、大きいかもしれない。
◆ ◆ ◆
リオンは長いこと迷っていた。
初代国王について調べていたのも、その迷いに答えを出すための、一助になるのではという期待と逃避だ。何もわからなかったが。
屈託を晴らすため、カザと剣を打ちあっても、その時だけは気が晴れるが、またすぐに迷いに取りつかれてしまう。何も、決められない。
―――あと二カ月で、立太子の式なのに。
「なあ、カザ……」
隣にいる友人に、話しかけて、止める。―――何を言おうとしたのか。
王家の機密、秘中の秘だ。誰にも漏らせない。何も、言えない。何も。
呼びかけておいて押し黙ったリオンの顔を、カザは最初怪訝そうに見つめ、それから真顔になった。
真摯な声音で、話しかける。友人への、いたわりと、思いやりが滲んだ声。
「―――あのさ、リオン」
カザも、リオンの身分は知っている。何か悩みがあって、それを言うに言えずにいるのだ、と察したのだろう。
「俺の親父が言ってた。人は、悩んで、どっちにすればいいのか、頭がぺちゃんこになるまで迷って迷って苦しむ時があるって。俺さ、そのとき、今から思えばちっぽけなことなんだけど、悩んでたんだよ。だから、聞いた。どうやって決めればいい、って」
リオンは、カザを凝視している自分に気づいた。
「親父はさ、こう言った。自分のすべてを、棚卸ししろ、って。そして、自分の中で、何が一番譲れないものかを考えろ、って。……親父はさ、ずーっとずーっと前、親友の許嫁を振ったんだよ」
「え? 親友の許嫁を、……ふった?」
状況がよくわからない。
「うん。親友の許嫁だった女性に、結婚式間近のある日、告白されたんだって。あなたが好きで、結婚したい、どうか私をさらってください、って。親父は、その人の事、好きだったからすごーく悩んだって言ってた。―――でもさ、彼女をさらったら、親友とはもう付き合えないだろ?」
「……まあ、普通の神経なら無理だろうな」
「迷って、悩んだけど、好きな女より、親友を選んだ。ま、彼女をさらったら、親兄弟からも絶縁されるしさー、そういうのもろもろ考えて、彼女の事好きって気持ちより、親友を選んで、彼女を振った。……でも、今でも少し考えるんだって。彼女を選んだら、どうなっていただろうって。でも、何かを選ぶって、そういうことじゃないかな。どっちを選んでも、必ず後悔はする。そうしたら、少しでも後悔が少ない方、自分にとって、重い方を、選ぶしかないよな。人はひとつの身体しかないんだから」
リオンは、黙ってそれを聞いていた。
―――どちらを選んでも、必ず後悔をする。
カザの言葉は、すとんとリオンの中に落ちた。
そう。―――リオンは、後悔するだろう。どちらを選んでも、きっと。
考えろ、考えろ、考えろ。
立太子式の期限は、すぐそこに迫っている。
己を総浚えして、選べ。
己にとって、もっとも譲れないものは何だ? 重いものは何だ?
リオンは握りこぶしを強く額に当てた。
「……カザ。私は、とても、意気地なしなんだ……」
「はあ!?」
カザは素っ頓狂な声を上げた。慌てて周囲を見回し、誰もいないか確認する。
「……そこまで驚くほどのことか?」
「おどろくって! おまえ知ってる奴なら誰でも驚くよ!」
リオンは、かぶりを振った。……友人というのは、いいものだ。
王族とは、いつも平気な顔をしているのが仕事だ。王族とは、動じず、迷わず、慌てず、騒がず、恐れず、怯えないもの、なのだ。でも、カザには曝け出すことができる。
「私は、そんな強い人間じゃない。……私は、選びたくないんだ。選択したことの責任を負うのが怖い。どうなるのかこわい。だから、選びたくなくて、何もしない道を選ぼうとしている……情けない人間なんだ」
リオンは、この選択の責任を取りたくない。だから、選びたくなくて、逃げようとしている。
カザはじっとリオンを見ていたが、口を開いた。
「あのさ、俺……上手く、言えないけど。おまえが、選択の責任を取りたくない、っていうのは、よくわかる。変えた方が良いって思う事があっても、何もしないで、そのまんま現状維持するんだよな。―――これまでと同じ、にするぶんには、自分に責任がかからないから」
心の深い場所を抉られて、リオンは、鋭く息を吸った。
「……でも、それは、卑怯者の結論だ。リオンだって、わかっているんだろう?」
リオンは、カザの視線から逃げるように背けて―――頷いた。
「おまえさ、自分のこと、好き?」
リオンは顔を上げる。
「俺は、お前のこと好き。お前の嫌なものでもちゃんと見ようとするところ、毅然としたところ、公平なところ、好き。お前も、自分のそういうところ、好きだろう? 自分を、好きでいつづけたいのなら、逃げるのは駄目だ。……嫌なことから何でも逃げてた奴を俺は知ってる。そいつは、逃げてばかりの自分自身を嫌いになっていた。すごく卑屈な人間になってたよ。……リオン。逃げたら、お前は自分で自分が嫌いになってしまう」
そこで、カザは、ちょっと笑った。
「でも、何だかほっとした。お前って、完璧すぎてできすぎに見えてたから」
リオンは、自分が他人から見てどう見えるのか知っている。健康、頭脳明晰、公正篤実、容姿端麗、武芸にも秀で、完全無欠な世継ぎの君。高く仰ぎ見るに足る、理想的な王位継承者。
「リオンも、逃げたいって思うこと、あるんだな。……何で悩んでいるのかは知らないけどさ、お前がそれだけ悩むんだから、逃げちゃえって正直、言いたいけど、でも、その、あーっ!」
言葉が見つからない様子で、カザは声を上げる。
労わり、気遣い、でもその気持ちをうまく言葉に出来ないもどかしさ。
しかし、何故だろう? 饒舌に気持ちを語られるよりずっと、気持ちが伝わった。
「でも、ごめんな。俺は逆のこと言ってる。逃げるなって。……ごめん」
リオンはかぶりを振る。
「いや、……助かった、と、思う……。すごく、助かった。ありがとう」
カザはほっとしたように、飾りのない笑顔を見せる。
王宮の取り巻きの誰より、リオンはカザが好きだった。それは、彼が駆け引きとは無縁で、リオンを腹蔵なくただの友人として、大切に思ってくれているのが伝わってくるからだ。
……そして、死んでも言う気はないが、もうひとり、黒衣の人物のことも、リオンは友だと思っていた。
リオンは震える拳を握りしめて黙らせる。
カザの言うことは、正しい―――。……きっと、何もしないでいたら、リオンは自分が嫌いになる。そして、リオンはリオンでいられなくなる。
どうしたいかは判っている。リオンの心は、前からずっと、それをしたいと思っていた。
後は、リオンが、その重みに耐えられるか、ということだった。
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