その知らせを受け取ったとき、鳴海まどかは弟の方を見れなかった。
コードレスホンの電話を手に、一回深呼吸。高まった心拍数と動揺を整理しようとあがいて、それから振り返る。
出来上がったばかりの料理を両手に持っていた弟が顔をあげた。
「どうしたねーさん。緊急呼び出しか?」
そういうことが多々あるのが警察官というもので、歩も突然の電話呼び出しには慣れている。
「大丈夫だって、夜食用に詰め直してやるよ。―――……ねえさん?」
鳴海まどかの、冗談を少しもはらまない緊迫しきった真顔に、声が濁る。
平和な家庭に突如として現れた沈黙に、まどかの、息を吐き出す音がやけに響いた。
「……歩。落ち着いて聞いてちょうだい」
「…わかった」
ここのところ血なまぐさい事件にばかり関わっていた少年はただならぬ気配を感じ、居住まいをただして心を落ち着ける。
そして先ほどまで一家団欒の場だった空間に、事務的な硬質の声が響いた。
「……本日午後六時十四分。結崎ひよのさんの遺体が、発見されました」
不協和音。
魚介のリゾットに十種の野菜のサラダ、ジャガイモのニョッキという家庭の食事とは思えない料理は、台無しになった。
§ § §
「鳴海さん鳴海さんなーるーみーさんっ!」
放課後、新聞部の部室でうとうとしていた歩は至近距離からの合唱に目をさました。
「……なんだあんたか」
「はい、わたしです!」
元気いっぱいいつもはつらつとしているひよのとは対照的に、歩はあくびをする。
いつもならこんなところで寝ないのに、さすがに昨日の徹夜がひびいたらしい。実をいうと授業は睡魔との壮絶な闘いだったのだ。
「……眠い。今日は早く帰って寝るか」
かばんを取って立ち上がったところでがしっと腕をつかまれた。
「ちょっちょっちょっと! ちょっと待ってください。あのですね、願い事! やっと決めたんですよ、聞いてください」
カノンヒルベルトのカーニバルでよりによって結崎ひよのに非常にお世話になってしまった歩は「一つ俺にできることなら何でもしてやる」と約束してしまった。
だがいつまでたってもひよのがお願いをいわないので、先日「早く言わないと有効期限ぎれにするぞ」と脅しつけたばかりだった。
ひよのの「おねがい」。
内心とっても怖かったが、歩は聞いた。
「……で、何なんだ?」
えっへんとひよのは胸をはる。
「三つほど選びました。どれか一つ叶えてください。優先順位順に言ってきますから。で、鳴海さんは、二回まで拒否権が与えられます」
「拒否権?」
国連とか安保理でしか聞かない単語だ。
「はい! つまり、鳴海さんは私が順に言ってくお願いのうち、ふたつまでは嫌だって言えるんです」
ひよのはピッと指をたてる。彼女お得意のポーズだ。
「一応鳴海さんにできることは何でもいいって言われてますけど、やっぱりこういうことは、鳴海さんの意志が大事ですからね?」
「俺にできることなら何でも」。まったく物騒な台詞を言ってしまったものだが、言ったのは歩自身なので諦めるしかない。
「……でも、拒絶できるのは二回までなんだろ?」
「大丈夫です! 三番目のお願いは鳴海さんも嫌だとは言いませんよ。―――これから私が卒業するまで、私のお弁当を作ってくださいっていうお願いですから」
それなら今もやっていることなので、歩は頷いた。それが一年にのびても、どうってことはない。
「じゃ、ルールは了解していただけましたね。えーと、それでは」
こほんと咳払いをして、とてててとひよのは椅子に座る歩の正面にまわった。
にっこり微笑み、前かがみになって、座っている歩の瞳を覗き込む。おさげの先端が歩の学生服の表面に触れる。
「鳴海さん。私とお付き合いしてください」
あくまで表情はにこやかに。後ろで組んだ手の肩の線にも力が入っている様子はどこにもない。
緊張した様子も気負った様子も見せないところは、さすが警察権力も指先一本で動かす月臣学園の影の権力者と呼ばれるだけのことはあった。
「いいよ」
「……はい?」
しかしさすがに、あっさりした了承にひよのの笑顔も崩れる。
「わかった、付き合うよ」
「……あ、あの、意味わかってますよね? どこそこに出かけるから一緒についてきてとかいう意味じゃないんですよ?」
「明るい男女交際、だろ?」
「え、あの、拒絶できるんですけど……嫌だったら、その」
「嫌じゃない。だから拒絶もしない。だから付き合う。論理だろ?」
歩が平然としていて、ひよのが慌ててるという状況は珍しい。……正直、楽しい。
歩はにやっと意地悪く笑って、付け足した。
「じゃあ、手始めに今度の日曜、遊園地にいくか?」
§ § §
発見者は、月臣学園の夜の見回りをしている警備員だった。
部活動などで遅くなる場合も、「部活動延長届」という特別な書類を出さない限り、月臣学園は夜の六時で消灯となり、警備員が生徒を追い出しにかかる。例外は図書館と、職員用トイレぐらいである。
死体の発見は午後六時十四分、通報がそれから二分後の十六分。これは電話会社の記録に残ってはっきりしている。
そして午後七時ごろ、夕食の支度を終了した鳴海家家庭に、第一報が入ったのだ。
検視結果から割り出された死亡推定時刻は、午後五時から六時までの一時間。
更に校内いたるところに配置されたビデオカメラから、結崎ひよのは五時三十三分まで生きていたことが確認されている。
よって死亡推定時刻は、五時三十三分から六時までの三十分間にほぼ限定された。
警察内部にも深く食い込んだひよのの人脈。そしてその中にはひよのと鳴海姉弟が浅からぬ関係にあることを知る者もたくさんいた。浅からぬ関係は、殺意の形成になりえる。
いわば敵情視察の呈で、電話はかかってきたのだ。
床に砕け散り飛び散った料理の皿を拾おうと床に手をついた歩はいつもの手際のよさの残滓もなく、手を動かしていた。
片付けのために皿の破片をひろう、それだけの単純作業をこなすにはどうすればいいのかわからなくなって、料理にふれては離し、皿の破片に触れては引っ張りあげることなく別の破片に触れる。
まどかが膝をすっと曲げて歩の隣にしゃがみこんだ。
「歩―――」
「大丈夫だって、俺は―――大丈夫だ。そう、だいじょうぶ……」
無惨に変貌した料理の上で、歩は拳をにぎる。
大丈夫―――そのはずだ。死に掛けたことが今まで何度あった? そのたび手を震えて全身から汗が吹き出して寒気がした、それでも一日もすれば収まっていた。
自分は動揺している、それは認める。でもすぐに大丈夫になるはずだ。ブレードチルドレンに関わる事件で、一体いくつの死を見た? いくつの―――
歩が見てきた死体に、ひよのの能天気な笑顔が重なった。
その途端にぼろっと涙がでた。悲しくなんてないのに、止めようとしても涙は止まらない。両目からこぼれる涙にパニックしたのは歩もだが、まどかもだった。
「私は今から現場の状況を、見にいってくるけど……」
ため息をついて立ち上がった。
「……あんたはとてもじゃないけど無理そうね、あんたはここにいなさい。私はちょっと……学校に行ってくるわ」
被害者の恋人の姉として、そしてまた警察官として、当然の行動だった。
被害者、結崎ひよの。
死亡推定時刻、午後五時から六時十四分。
発見場所、月臣学園新聞部部室
特記すべき事項。
被害者の衣服に重度の乱れあり。
しょっぱなからヒロイン死亡でごめんなさい。
そして、この小説内の大原則。
レイズ、ザオラル、ザオリクありません。
以上を念頭に置いて、お読みくださいませ。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0