歩は思わず手をとめた。
暴走していた体が、冷水をかけられたように一瞬で正気にもどる。
あるべきはずのものが、そこにはない。
肋骨が、ない。
もしひよのがブレードチルドレンだとしたら―――。
推理と論理が、きっかけ一つで組みあがっていく。その壮絶な積み木に歩は眩暈すらおぼえた。
ひよのは、兄が。歩を思い通りに動かすために送り込んだ―――
「鳴海、さん?」
歩の手が止まったのに気づいて、真下のひよのがいぶかしげな声をかける。
その声に、疑念以上のものはない。ただ歩の態度をすこし不思議に思っている、といった気配。
歩は手をのばし、ベットサイドのスイッチをつけた。
「鳴海、さん?」
歩がひよのの上から体をずらすと、ひよのが不思議そうにベッドに手をつく。
適度な距離で、歩はひよのを見つめた。観察している間も、彼女の表情の不審が深まっていく。なぜ途中でやめたのか、いまなんでひよのを見つめているのか、見当もつかない、といった。……これが演技なら大したものだ。
その顔を見ているうちに浮かび上がってきたのは、自分の希望が結晶化したような、予想。
ひよのは自分がブレードチルドレンだなんて、知らなかった。そして理緒たちもひよのがそうだとは知らなかったのだ。仲間であるカノンに殺されかけても仲間だからと殺しをためらった……それほど仲間を大事にする理緒がひよのをあっさり殺そうとしたのだから間違いない。
ひよのは自分の運命なんて、かけらも知らずに育った幸運な一握りなのだ。
そう思う傍らで、歩は気づかずにはいられなかった。
これは、ひどく楽観的で、自分の願望との境目もつかない予想だ。
結崎ひよのがブレードチルドレンか、そうでないか。
清隆の指示で歩についてきたのか、そうでないのか。
(―――ああ、でも、どうでもいいか)
そう思うとすとんと悩みの底がぬけた。
歩は、ひよのがブレードチルドレンでもいいのだ。ブレードチルドレンだから一体なにが変わるというんだろう、ひよのを好きになったのは、普通の人間だからじゃない。ブレードチルドレンだからって、なにも変わらない。
仮に、ひよのがすべてを仕組んだとしても―――
歩は正面からひよのの体を抱きしめた。汗ばんだ肌の匂いと、髪のにおい。
ひよのの髪は、お日様の匂いがした。
「あ、あののっ!?」
「……おれは、あんたを、大切に思うよ」
この世で一番とか最愛とか。そういうご大層な言葉は恥ずかしくて使えないしわからないけど、歩はひよのが大切だと、思う。腕の中の肌の温度、匂い、柔らかさ……すべてが言葉よりダイレクトに心に響いてくる。ひよのが何をたくらんでいても、何を思っていても、結局はそれに戻る。
鳴海歩は、結崎ひよのを失いたくない。
「あ、のっ」
突然の告白にひよのが動揺隠しきれぬようすで何か言おうとしたが、歩が首を伸ばすようにして唇をあわせると言葉もきえる。そして、ひととき忘れていられた衝動もよみがえって……
そうして中断をなかったもののように蓋をして、再開しようとしたのだが。
§ § §
服のうえから、その感触を、確かめる。
カノンのカーニバル以降、歩はそういう品と身近だった。一つ隠しておくのは、難しくなかった。ひよのも麻酔銃を一つ(彼女が最後の最後でカノンを仕留めたあれだ)を持っていたようである。
言葉の暴力、ということばがある。
なら、感情の暴力は、あるだろうか?
―――鳴海さんっ、見てください、一番星ですっ!
ひよのの姿や声はいまもなお記憶というアルバムに焼きついていて、めくるたび感情が沸点を越えてしまう。
なにもかも、押し流される。理屈も論理もどうでもいい場所に行ってしまって、のこるのはただ、凶暴な感情だけになって。そんな自分を自制しようとする手も、激流に押し流されて。
持っているだけで罪な品物にじかに手をふれようとしたとき蘇ったのは、ひよのの顔。
―――鳴海さんは、ひとを殺しちゃいけませんよ。約束です、ぜったいですからね!
「……」
黙って、歩は、息を吐き出す。手を下ろした。
「……兄貴の差し金か?」
「イエスであり、ノーでもあるっちゅうところやな」
「―――火澄。答えてくれ」
どんな反応も見逃すまいと、まっすぐ目を当てて。しかし気負った様子も、血走った様子も見せず穏やかに、歩は聞いた。
「お前がひよのを殺したのか?」
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0