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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 □

《火水の瞳》






 一週間に一度の訪問は、もう完全に日常の一部となり、ジョカとの気の置けないやりとりは楽しみですらあった。
 いつものようにリオンはジョカの部屋を訪問する。
「ジョカ? リオンだ。明かりをつけてくれ」
 そう声をあげると、辺りが明るくなる。
 浮かび上がる豪華な調度は、歴代の王からの謝罪なのだろうか。二十一代にわたる王の。
 心に浮かんだ考えを振り払い、視線を巡らせて部屋の主人の姿を探すと、意外なところにいた。
 入口の扉のすぐ脇の壁にもたれかかって自分を見ていたのだ。
「ジョカ?」
 ジョカは無言でリオンを注視している。口数が少ないとはお世辞にも言えないジョカの態度に困惑しつつも近づく。
 もう、さほど視点に差はない。出会った頃のように一方的に見上げる身長差ではなかった。
 何とはなし、居心地の悪さを感じながら前に立ち、声をかけた。
「ジョカ? 具合でも―――」
 ジョカがクッと笑い―――視界が一回転した。
 立ち位置が逆転し、壁に押し付けられている、ということに気づくのに数秒かかった。
 背後は壁。ジョカの腕に囲われている。
 目を上げるとジョカの黒曜石の瞳が、至近距離から覗き込んでいた。
「美しいな、王子」
 いや、ジョカの瞳の方が……って待て!
 事態を理解できないでいる間に、ジョカの顔が近づき、唇が重なった。
 時が止まった。
 何も考えられない。
 優秀なはずの頭は機能停止して、呆然と口づけを受けていた。
 ジョカの唇が離れてやっと、頭が機能を取り戻す。
 かすれた声で言った。
「な……にを」
「俺は最初から言ったはずだが? 王子が十二だと閨に引き込めなくて残念だ、と。俺は王子をとても気に入っている。王子も十五になったことだし、俺も十分我慢した。もう、いいだろう?」
 にこやかに言う。
 とっさにジョカの体を押しのけて逃げようとして、体が動かないことに気づいた。
「ああ、俺は肉体派ではないからな。王子と取っ組み合いをして、勝つ自信はない。だから、俺の得意分野の方で、対処させてもらった」
 リオンは息を吸い込み、吐き出す。
 事態は、完全に、把握した。
 悲鳴を上げても誰も聞かないだろうし、抵抗もできない。退路は完全に断たれていて、なすすべがなかった。
 見苦しく騒ぎ、醜態を演じるようなことはしない。リオンは心の底の底まで串刺しにするような眼差しでジョカを睨みすえる。
 ジョカの、嘆息が聞こえた。
「火水の瞳だな。水のように冷静に、火のように激しい。冷ややかな表情で怒りに震える王子のその顔が、俺は一番好きだ」
 もう一度、唇が重ねられる。触れるだけの、くちづけ。
 顔を離しても、リオンの瞳は変わりなく、無言で拒絶を示している。
 ジョカはそれに満足そうに笑う。この王子の気高さと誇り高さを、ジョカはいたく気に入っていた。
 そして、それを完膚なきまでにへし折る日を、心待ちにしていたのだ。
 この王子が持てる誇りのすべてを自ら手放すとき、一体どのような顔をするのか、非常に興味をそそられている。
 顔を近付け、囁く。
「王子に、性の快楽を教えてやろう」
 リオンも女を知らないではない。王室の男子の通過儀礼として、幾度か侍女が臥所にその身を横たえたことがある。
 だが、自分は今、辱められようとしている。
 ジョカの手がリオンの喉元のスカーフを外す。広がりながら落ちる白い布。喉元に押しあてられた濡れた感触が肌をなぞって、背筋におののきが走る。
 ―――誇りは、自らの中で譲れないものの思いの強さだ。
 リオンは強く眼をつむった。
 自分は、傷つくのか? ジョカに抱かれて。
 傷つけられるほどの誇りか?
 あの日見下した娼婦は、誇りをもって生きていた。それと同じことが、自分にもできるはずだ。
 心に、譲れない光り輝くものを持てば、誇りは傷つけられない。
 リオンは目を見開き、毅然として言う。
「私の体を、縛る必要はない」
「―――?」
 ジョカが顔をあげてリオンを見る。
 その顔には、少し前までなかった芯のようなものが現れていた。
「こんな力で縛らずとも、私は私の意志で、あなたの寝所に行こう。あなたがそれを望むのならば」
 数秒の間を開け、ジョカは笑い出す。その息すらもかかる距離だ。
 ジョカは天を仰いで笑い、ひとしきり笑うと、リオンに顔を向けた。
「そうだな、人形のような体を抱くより、進んで足を開いてくれる方がやりやすい。しかし困ったな。王子の矜持をへし折り奪い取るのには、ずいぶんと手間がかかりそう―――…」
 ジョカは、不意に言葉を切った。
 脳髄に、何枚もの絵板を挿しこまれるように。
 突然脳裏に、目で見るものとは違う、何枚もの映像が映し出された。
 リオンを抱くジョカ。週に一度の逢瀬。リオンはジョカを拒まず、大人しくその身を横たえ、そして、変わらない。誇りを奪い取るどころか、爪でひっかく程度の傷さえもつけられない。変わらず気高いままの王子に苛立ちをぶつけるジョカ。辟易したのか、リオンは週に一度来なくなる。このまま一生来ないつもりかと、不安にさいなまれながら時を過ごすジョカ。一月後、訪ねてきたリオンをジョカは散々に抱く。気絶したリオンを抱いて、ジョカは泣く。許しを乞う。もう来ないとは言わないでくれと訴える。―――絡め取るつもりが、堕ちる。
 次々に展開していく映像。
 今のは、単なる想像、幻想ではない。
 このままいけば最も高い確率で実現する、未来だ。
 ジョカはリオンを凝視していたが、にやりと笑うと、身を引いた。
「え……?」
 戸惑いを浮かべたのは、リオンだ。
 それも当然だろう。リオンからすれば、ジョカがいきなり言葉を途切れさせたかと思うと動きを止め、数秒して、身を引いたのだから。呪縛もとけている。
 朗らかに、ジョカは言った。
「今、王子を抱いた場合の未来が見えた。俺は王子に堕ちる。堕ちて、泣いてすがって捨てないでくれと訴えるようになる。愉快だろう?」
 リオンは、眉をしかめ、想像力の限界を試されたような顔だった。
「……ジョカがか?」
「そう、この俺が。まあ、それも一興かと思ったが―――面白くないのは、王子の心は王子のもので、俺の手に入るのは身体だけというところだ」
 リオンは複雑な表情でジョカを見る。
 快活な笑顔で、ジョカは告げた。
「あんな未来が見えたということは、王子。俺はあんたに心を奪われる可能性があるということだ。面白いな。実に愉快だ。本気で、王子の身も心もほしくなった」
 リオンは、ジョカの唇と舌が触れた個所に手をあてた。まだ、その感触が残っている。
「抱かないのか?」
「ああ。ま、いずれ王子の方から抱いてくれ、と言ってくれるようになるのを待つとしよう」
 リオンは吐息をついてジョカを見返した。
 ほっとしているのは、否めない。
 リオンは、はだけられた襟元を直しながら尋ねる。
「―――ジョカは男が好きなのか?」
「それは違う。王子の美貌と才知に食指が動いただけだ。王子が王女であればもっといいが、なにぶん、この国は王女に継承権がなく、俺の事を知らせないから、その時は会うこともないか」
 リオンは心底、自分が男でよかったと思った。
 男の自分なら、子をはらむことはなく、割り切れる。だが王女が凌辱されて子どもでも産めば、待っているのは悲惨な白眼視だ。
 ……ジョカの立場では、そんなことを考慮などできないだろうが。
 緊張がはじけ、反動で気がゆるんで、気安い空気が漂う。
 リオンは前々から気になっていたことを聞いた。
「直系なら大丈夫ということだが、どうやって見分ける? 見ればわかるのか?」
「まさか。そんな検知機能あるか。王が代替わりする前に、王子が顔見せにくるのはそのためだ」
「……ああ、なるほど」
 攻撃不可の人間を、そうやって認識するらしい。
「無理強いする気は失せたから、安心するといい」
 ジョカは手を振った。帰っていいぞ、のサインだろう。
 リオンは言いかけ、やめ、俯く。そしてまた顔を上げた。
「ジョカ……。その、私は、あなたを、信頼している。あなたの指導で、助かったことがいくつもある。そして、先日は命を助けてもらった。週に一度、ここへ来るのも、嫌いではない。私の大切な時間だ。だから、その信頼を、どうか壊さないでほしい」
 リオンのその言葉を、ジョカは真面目な顔で聞いていた。
 軽く息を吐いて、頭を下げる。
「……悪かった」

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Date:2015/10/23
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