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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 11


 下腹に手をのばすと、ひよのの体が緊張するのがわかった。上下に折り重なって、衣の一枚もへだてず肌を密着させていると、少しの変化も敏だ。
 歩は横顔にあたる光にしまったなとふと思う。今、自分が浅ましい顔をしていないかどうか、さすがに自信がない。
 それでもいままた中断して明かりを消す気にはなれないでいると、ひよのがキスの合間に声をあげたのだ。
「鳴海、さんっ」
 声はありとあらゆる感情を表現する。そこにあったのは、雄弁な制止の響きだ。
 一度目は無視した。
 二度目も三度目も……名前を呼ばれるだけの引きとめは、ずっと無視できた。
 けれど、そのときは、できなかった。
「鳴海さん、お願いですからやめて」

 ひよのの声にあったのは哀願であり、涙だったからだ。
 顔を腕で囲って、見下ろした顔には光るものがあった
 ―――さすがに萎えた。

「お願いです、やめてください……」
「……ごめん」
 そこまでいわれてなお続けられる性格を鳴海歩はしているかといえば、ノーだ。
 おそらく誰に聞いても全員一致で、否決されるだろう。
 鳴海歩は、女性に無理強いできる性格ではないし、根性もない。
 なにより、涙がショックだった。

 ひよのがタフかという質問には歩は全幅の自信を持って「YES」と答えるし、これまた全会一致で評決が下るだろう。実際命のかかる修羅場にもパニックになったりしなかったし、カノンの話では微笑みすら浮かべて対峙したと聞く。歩がぼろぼろに打ちのめされるところは想像がついても、ひよのが嘘泣き以外で泣くところなんて、想像すらできなかったのに。
 そのひよのが泣いていて。
 泣かしたのは、自分なのだ。

 泣き声はかけらも聞こえてこない。ただ、無言。
 ひよのは歩がどいたあと、腕で目を覆ってじっとしていたが、ゆっくりとした動きでやがてベッドから起き上がった。
 ベッドから足を下ろして、少し離れたところにある制服のところまで歩き、拾い上げる。
 服を身につけ終わるまでの間、ひよのは一言も喋らなかった。

 しかしきゅっと制服のタイを結び終えると、ふんぎるように顔をあげた。
「すみません。鳴海さんが悪いんじゃないんです。ちっとも悪くないんです。私は鳴海さんが好きです。ほんとに好きです。大好きです! ただ、私は―――怖いだけ、で。勇気がないんです、ほんと、それだけで。鳴海さんは少しも悪くないんです!」

 まだ服を着てない歩のむき出しの腕に手をそえて、ひよのは言い募る。
「疑わないでください。私がここにきたのは甘言にそそのかされたんでもなくて、鳴海さんの説明が不十分だったんでもなくて、私自身の意志で、自分で決めて、何もかもわかって自分できたんです。鳴海さんが下手だとか乱暴だったとかそういうのでもなくって……その」
 その一言はひよのにとってよほどの壁だったのだろう。珍しくいい淀み。
 自分に勇気づけるように息を吸い込み一気に言った。
「怖いんです!」

 歩は黙って、目を丸くした。
 ありていといえばありてい、よくあるといえばよくある、平凡といえば平凡だが、たぶん大アレ小アレ全ての女性が感じるもの。
 「初体験」の恐怖なんてものを、かの結崎ひよのがここまで強く持っているとは。

「だ、だから、鳴海さんは悪くなくて、私の覚悟の問題なんです。それに、誤解とかもしないでください。私は、鳴海さんのことほんっとに、好きなんです。嫌いだからやめるんではなくて、好きじゃないからドタキャンするんでも、ないんです……」
「いや、俺が悪いだろ」
 話を聞き終えて、歩は言いきった。

 ひよのは言ううちに、首を垂らしていたが、あまりに力強い断言に顔をあげた。
「え?」
「急ぎすぎた。あんたの気持ちを待てなかった。以上、俺が全部悪い」

 失敗で、失策である。ひよのの勢いと強さに、甘えて目を曇らせていた。
 ひよの自身が良いと言ったんだからいいじゃないか、というのはそれなりに説得力がある。裁判でも通用する言い分だろう。だが、言葉に出ない怯えは、いろんなところで見えていたではないか。汲み取ってやるべきだった。
 そう歩は結論づけたが、それはあくまで歩の意見である。あの状況で止められる男はそうそういないし、それがキズになって残る女の子は多いのだ。

「私服に着替えてくるからちょっと待っててくれ。家まで送るから」
 というのは部屋をでるいいわけ。整理整頓の行き届いたこの家では歩の私服は歩の部屋にある。トイレに入って処理したあとで、家中探してなんとか服を確保し、戻る。
 手持ち無沙汰ふうに部屋で待っていたひよのは心配そうに見上げてきた。
 それを口にだしたのは、外に出てからだ。

 マンションの廊下を歩きながら、聞いてきた。
「……怒ってないんですか?」
「べつに」
 言ったあと、空気に響いた素っ気なさに言葉が足りないと内心自分をしかる。

「ひよの、あのな。ちゃんと、あんたに、言ってなかったけど―――鳴海歩は、結崎ひよのが好きだから」
 ひよのは黙って聞いていた。てっきり何かリアクションがあると思っていた歩は意外に思う。
「……そういえば、あんたの家ってどこだ?」
 帰りはいつも一緒だが、いつも途中で手を振って別れていたのでそういえば知らない。素っ気無い歩は聞こうと思ったことも無かった。

 エレベーターは無人だった。
 それに乗り込んだところで、ひよのは口を開く。
「鳴海さん。―――私、鳴海さんに一つ、大きな隠し事をしているんです」
 そんな告白を恋人にするほうもするほうだが、歩の反応もまともでない。
「え? 一つだけなのか?」
 真顔で聞き返されて、さすがのひよのも言葉に詰まったようだった。

「その……ほんとはもっとあるんですが」
「そんなこと、知ってるよ」
 歩だって、ばかではない。ひよのの情報収集能力の得体の知れなさを知るにつれ、ひよのが裏表のある性格ということは確信となっていた。
 歩の知るひよのは、生活力に溢れた図々しくも憎めない明るい少女だ。だがそんなものは、ひよのの一面にすぎない。
 たとえばひよのは、歩以外の誰かにはまったく別の顔をしているだろう。
 さっきも特大の発見があったばかりだし。―――ひよのがそれを知っていたかどうかは不明だが。
(ああ、そういえば、ピルも持ってなかったっけ……)
 ひよのが監視束縛等、ブレードチルドレンとしてのさまざまなしがらみから自由であることは間違いない。
 そこで、思わず心中呻いた。

 ひよのがブレードチルドレンであることは確定だと思っていたが。
 おかしい。
 なぜ、ひよのがそうであることをウォッチャーのキリエは知らないのだ? 理緒もアイズもだれも彼も知らないのだ? 百歩譲って、ブレードチルドレンはいいとしよう。しかし、監視する相手をしらない監視役などいるはずがない。
 考えられる可能性は、二つ。
 しかしその推測はたいへん不愉快な結論に行き当たりそうだったので、歩は考えるのをやめた。

「でも、そんなのは関係ない。聞かなかったのか? 鳴海歩は結崎ひよのが、好きなんだ。あんたが隠し事してたからってなんだ? 俺はあいつのことなら全て知ってるなんてやつ、一人もいないぞ。誰しも隠し事をしながら生きてるのが普通だろ?」
 肋骨のことを歩がひよのに言わないのも、「隠し事」のなかに入るのだろう、たぶん。
「……私が、なにを隠していても、気にしないっていうんですか?」
「ああ。ぜんぜん気にならない」

 そう答えたときエレベータの扉が開かれる。
 地上の空気がさあっと入ってきた。
 もう、外は夜だ。冬のいま、外気は冷たい。
「それに」
 歩き出しながら、ひよのを振り返った。
「何があっても、あんただけは俺の味方でいてくれるんだろ?」
 ひよのは以前確かにそういう発言をしていた。自分でも憶えているのだろう、あーうーと唸っている。
「だったら何も問題ないじゃないか」

 隠し事をされても、欺かれても、いずれ裏切られても。
 これまで一緒に苦しいときいてくれて、つらいときいつも背を押してくれたという事実は変わらない。その価値が変わるはずがない。
 いまここにある気持ちは、歩にとってとても大事な真実は、ひよのが好きだと言っていた。
 将来のことなんて判らない。気に病んでも、とめどない。
 だったら手元の灯りを大事にしたい。未来が眼前に広がるこの闇の様に見えないなかで、それを照らす唯一の光だと思うから。

 到底口には出せない、くさすぎる台詞が頭にうかんだ。
 騙されていても、裏切られても、それが明らかになっても。
 ―――あんたがいてくれれば、いいよ。

     § § §

 アイズ・ラザフォードの問題提起は深刻だった。
「だれが結崎ひよのの死を、カノンに伝える?」
 うっ……と沈黙したのは、全員。

 カノンは現在隔離状態にある。テレビもなにもない。
 ひよののニュースは見ていないだろう。
 そして……カノンは、結崎ひよのに対してかなり強い好意を抱き―――敬意すら払っていたのだ。

 結崎ひよのは、10やそこらの子供のころならともかく、それ以降はじめて、カノンが負けた相手である。仕留められたのは歩の知略の賜物だが、それとてカノンを足止めしたひよののおかげとも言える。
 口で勝ち、希望を突きつけ、指し示し……一発の麻酔弾で打ち倒した。
 無敵の人間凶器に物心ついてから初めて完敗を味あわせたのは、あどけない顔の、同い年の少女なのだった。

 良くも悪くも、カノンにとってひよのは特別な少女となっていた。

 アイズはカノンに面会したときの感触で、それに気づいていた。が、カノンの性格からして大事にはならないだろうとも踏んだ。ひよのは歩を見ている、ならカノンはそれを黙って受け入れ、自分の感情は胸に秘めるだろう。
 逆にひよのがカノンを受け入れるなら―――まずありえないことだが―――親友の恋が成就するということで、アイズにとって不都合はない。
 カノンは自制心と自律にとんだ人間だから、自分の幸せよりひよのの幸せを思える。だから感情のまま和を乱すことはまずあるまいと思っていたのだが、この場合は、まずい。
 「まずない」のその「まず」になるかもしれない。

 結崎ひよのが誰かとくっついて幸せになることは許せても(カノンの性格からして推奨すらしそうだが)、死んだ殺された、なんてことは、許せる性格をしていないのだ。カノンという人間は。
 なにより、カノンの受ける衝撃を思うと気が重い。

「……カノンの奴がその気になったら、監禁施設を抜け出すことは可能か? リオ」
 リオはふるふると、頭を振る。
「……可能か不可能かっていうなら、不可能。いくらカノンくんでも、手持ちに何にもなく生体情報ロックの鋼鉄の扉はどうにも出来ないもの。でもわたしが手伝えば、……可能だよ」
 爆裂ロリータの異名をとる爆弾娘の言葉は決断を促していた。

 カノンを逃がすか、否か。
 アイズが考えこみ、数秒がすきたとき、香介が切り出した。
「―――なあ。おじょうちゃんが死んだってのは、確かなのか?」
「え、でも」
 テレビでも、ニュースでも、と亮子はいい香介はかぶりをふる。
「俺はマスコミのいい加減さを知ってる、あの嬢ちゃんのことも知ってる。あの嬢ちゃんが、こうもあっさり殺されるなんて考えられないんだ」
「……どんなふてぶてしくて手ごわい敵も、こちらが嘘だろうと叫びたくなるほどあっさり死ぬよ」
 何度もそんな経験にあっている理緒は、悲しげに言った。
 ハンターの一人で、皮肉な笑いが似合った仇敵は、ある日とてもあっけなく馬鹿馬鹿しい理由でしんだ。
 街を歩いているとき、老朽化したビルの壁面が落下し、その下敷きになったのだ。長年死闘を繰り返してきた宿敵のあまりにあっけない死だった。
 喜ぶべきなのに、それを知ったとき理緒は思わず絶句してしまった。

 どんな敵も、人間だ。そして人間は時折、とてもあっけなく死ぬ。容姿にも人格にも能力にも関係のない災いにあって、死ぬ事があるのだ。
 しかし香介はいいつのる。
「あの年頃のあの背格好の人間なんていくらでもいる。顔なんて整形すりゃいい。検死だって清隆の奴はいくらでも手を回してみせるだろ? 大体手を回さなくたって、指紋の照合なんてしやしない。新聞部の部室にあの嬢ちゃんの顔した死体があって、嬢ちゃんが消えていたら、誰でも嬢ちゃんが死んだと思うだろ?」
 それはなかなかの説得力がある意見だった。

 普通なら「そんなことをして誰が得する」で終わりだが、今回そのわけのわからないことをしそうでかつ出来る人間が関係者にいる。
 しかもたちの悪いことに、その人物は凄腕の劇作家で、一見わけのわからない布石ばかりを打つ。しかしそれらはすべて一本筋の通った目的のもとになされていて、それが誰の眼にも判る形になったらもう手遅れなのだ。
 理緒は考え考え、言葉を発する。
「……気になる点はほかにもあるよ。ひよのさんの遺体……ほとんど着衣が剥ぎ取られていたって」
 カノンのカーニバルでもわかるとおり、ウォッチャーは警察にかなりの影響力がある。キリエは生前のひよのとちょっとした関係にあった。そこからもれた事実だ。

「レイプ、か?」
 香介の意見は誰もが真っ先におもうところだったが、理緒はかぶりを振る。
「ちがう。性的暴行のあとはなくて、制服だけが切り裂かれて、奪われていたって」
「……なくなっていたのだろう? なぜ切り裂かれたとわかる?」
「わずかに、繊維が残っていたって。制服の繊維。たぶんひよのさんの制服を犯人は手にいれる理由があったんだと思う。そして、死んだ人間から服を脱がせるのは、かなり困難だから。だから犯人は一番手っ取りばやく、手間のかからない方法として、服を切り、脱がせたんだと思う」
「……たしかに、誰かに見咎められないよう素早くやるにはそれが一番だな。心臓を刺し、服を切り、奪う。パソコンをこわす。手早くやれば五分とかかるまい」
 しかし、何故服を持っていったのか?
 一同の脳裏に、被害者の少女の顔と言動がよみがえり―――
「……結崎ひよの自身が自分の制服に何か仕掛けをしていた」
「犯人がそれを知っていて、持ち去った」
 アイズがいい、理緒がまとめる。
 それが状況から見て、もっともストレートな回答である。
 食わせ者の少女は、それぐらい平気でこなしそうだった。

「そして替え玉か本人か、か。馬鹿馬鹿しいが、あの男ならやりかねない。理緒、検死官に歯型と指紋、DNA鑑定をするよう依頼できるか?」
「……たのんでみる」
 こくりと、理緒はうなずいた。


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Date:2015/11/03
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