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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 13


 耳に快い軽やかな笑い声が、どれほど残酷に響くことのできるものか、初めて知った。


 歩は立ち尽くしていた。
 新聞部の扉から数歩離れ、中からは見えない距離を取った廊下のど真ん中で、くもの巣に絡めとられた蝶のように、指一本たりとも動かせないでいた。
 聞こえてくるのは、ひよのの声。
 一度も聞いたことのない、無邪気なほどに残酷な声。
 歩が一度も聞いたことのない声音。銀の鈴のように軽やかで、ひんやり冷たい金属の感触を思わせる。

 話し合いは決裂したらしい。
 歩に近いほうの扉ではなく反対側の扉から、ひよのの話し相手は飛び出していった。

 その背を見送って数秒。意を決して歩は新聞部に足を踏み入れた。
「あ、歩さん!」
 嬉しそうに振り返った顔は、いつものひよののもので。歩はさっき聞いた問答がまるで異次元の妖精の悪戯のように感じられ、思わず口ごもった。
 その数秒の逡巡で、ひよのは察してしまったらしい。
「あ、歩さん聞いちゃったんですね。困ったなあ……だからこんなところで聞かれちゃこまるお話は止めましょうっていったのに。頭の悪い人には困ったものです」
 今のは現実だったらしい。

「その……今のは」
「鳴海さんなら、もうお分かりでしょう? ひよひよちゃん情報でご協力いただいている方ですよ」
 しらを切るでもなく、とぼけるでもなく、あっさりと認められて、続ける言葉に、迷った。

 脅迫。恐喝。
 自分はその言葉の陰湿さを、まるでわかっていなかったのだと思い知る。
「……あんたの情報で何度となく助かっている俺が言っていいせりふじゃないが……」
「何をしたんだ? ですか?」
「助けて、やらないのか? あんたに情報を横流ししたせいで、危地にたっているんだろう?」
「助けますよ、最終的には。でも、今は駄目です。より多くの恩を売るタイミングってものが、あるんですよ。歩さん?」
 いつもと変わらない微笑で見上げられ、歩は思わず体毛がそそけだつのを感じる。恐怖もあるが、甘美な痺れも含んだ戦慄だった。

 ひよのは硬直している歩を愛しげに眺めると、窓の方へ視線を転じた。
 冬の今、四時ともなると空は赤い。
 ―――あんたに協力したのがバレたんだ! 俺のことを上司にちくるって……それが嫌なら自分から名乗り出ろって言ってる! たのむ、あんたならあいつの弱みを探りだすくらい簡単だろ!? あいつの事も、脅してくれ!
 ―――心得違いをしてもらってはこまりますよ、カキザキさん。それはあなたの問題でしょう? どうして私が手を出さなきゃならないんです?
 ―――お、俺があんなことをしなきゃいけなかったのは……
 ―――あなたと私の取引は、私があなたの弱みを言わないかわりにときどきお手伝いしていただく、ということでしたよね? 取引は正常に、つつがなく続いていますよ。私はあなたの事、誰にも言ってません。今回のことはそれとは無関係、あなたのドジが招いたあなたの失敗を、どうして私が補填しなきゃならないんですか?
「私が怖いですか、鳴海さん。大の大人を脅迫し、あしらう私が」
 歩は黙って、かぶりを振った。
 ひよののことを恐ろしいとは、思わない。最初からそういう娘だとは知っていた。だが、疑問には思った。
「……いや。なあ。どうして、あんたは俺に無償で協力してくれるんだ?」
「見返りを求めた瞬間から、愛は濁ります」
 鐘を打つように明確な返答。
「私に嫌気がさしましたか、鳴海さん? でしたら離れてもいいですよ。これまでの協力の対価なんて、求めませんから」

「あのな、先走るな。ちっとも嫌気なんてささない。さしてない。ただ……ちょっと驚いただけだ」
 歩に向けているのとは根本から違う、ひよのの顔に。
 少し、びっくりしてしまった。それだけ。
 ひよのは逆に目を丸くした。
「私の事、まだ好きでいてくれるんですか?」
「どうしてあんたはそう俺を不実で軽薄な男にしたいんだ……そうころころ心変わりすると思っているのか?」

 ひよのは、いつものひよのの表情で、微笑む。
「ねえ歩さん。私はあなたの一年先輩です」
 鳴海さん、が歩さんに戻ったことにすこしほっとしつつ、返事する。
「それが?」
「つまり、いずれはあなたのいないところにいっちゃうんですよ」
「時間と場所きめて会えばいいだろ?」
「もし会えない状況になったら?」
「……たとえば?」
「もし、私が突然いなくなったら、探してくれますか?」
 さすがにここまでくると歩もいぶかしんだが―――ひよのの真顔に引き込まれて、本気で返した。
「……探してほしいのか?」
「どういう意味です?」
「誘拐でも監禁でも、あんたなら切り抜けるだろ、なのに姿が見えなくなったら、あんたの自由意志での失踪って可能性のほうが高いんじゃないか? 探していいのか?」

 こくり。
「探してほしいです」
「じゃあ、探すよ。俺にはあんたみたいな情報網はないけど、兄貴は持ってた。ウォッチャーも持ってるだろ。兄貴の知り合いに頭をさげて回って、キリエさんに頼んで。ブレードチルドレンの奴らにも土下座でもなんでもして、探してやる。……おいこれは何の尋問だ?」

 ひよのは視線を外す。
「……進路指導があったんですよ」
「月臣大学にそのまま行かないのか?」
「IQテストをうけまして」
「おい、質問に―――」
「アメリカの研究室に来ないかと誘いを受けました」
 月臣学園高等部第二学年。全国一の難関高、偏差値レベルはトップクラスのこの高校の二学年において、その首位をかたくなに守り続けて寄せ付けないのはだれか。
 入学試験より数段難しい編入試験を全問正解でパスした時期はずれの転校生浅月香介でもなく、それぞれの中学で神童といわれて月臣学園に入学した優等生のいずれかでもない。
 結崎ひよの、である。

 もっともその実力を信じている人間は半々といったところか。
 半分は脅迫ゆえの不正なものと思っている。
 歩は……不本意ながらも信じている。現代の勉強は暗記力であり、ひよのの暗記力は全校生徒の暗記にはじまってたびたび知らされてきたからだ。

「……行くのか?」
「はい」
 迷いのない答えに、歩は目を見開いた。
「私は私の道を曲げません。あなたのためでも曲げません。あなたのために日本にのこるというのは心引かれる考えですけど、そうはしません。歩さんに、私の選択の責任をかぶせたくありません。同様に、あなたのためでも自分の道を曲げたくない。だから、行きます」
 聞く人間に清々しい印象をのこす、潔い言葉だった。

 歩は眩しさに目を細めた。
「……遠距離恋愛になるな」
「いいえ。そのときには私を、探してください?」
「おいっ、まさかっ」
「はい。突然何も言わずにいなくなりますから私。私は全力でもって手がかりや痕跡を抹消します」
 ひよのはそこで、ニコ……と、歩の記憶に後々まで尾を引く笑顔をした。
 そして囁く。
「ゲームをしましょう?」
 と。

 姿を消した私をつかまえられたら、あなたの勝ち。
 そうでなければ、私の勝ち。

 なんでそんなことを? と聞けば、
「見返りとしての愛なんて、欲しくないんです」
 亜麻色の髪の少女は答えた。

 尽くしてくれたから、優しくしてくれたからなんていう理由の愛は、要りません。
 だから探してください。本当に私のことを好きでいてくれるのなら。そうでない義務としての愛なら、そこで終わりにしましょう。半端な探し方じゃ見つからないぐらいの隠れ方、しますからそれでわかります。

 そこで区切り、ひよのは歩にむかって苦笑してみせた。
「これもそれも全部、一年後無事に卒業できたら、の話ですけどね。私は、あなた方の騒動から、外れる気はありませんから。無関係といわれようと、すっこんでろといわれようと、ヤケドするといわれようと、ついていきますよ。これが、私が、選んだ道です」


     § § §


 結崎ひよのの死から、24時間が経過した。
 警察はまだ彼女の住所すら突き止められていないという体たらくである。
 保険証の住所も、口座の住所も、学校に通達した住所もすべて同一の、彼女の以前くらしていた引越し前の住所だった。その住民に聞き込みを行ったが、彼女がどこに引越したか、知っている住民はいなかった。

 彼女の学園での知り合い関係についても、同様である。
 残る手段は、駅等での聞き込み、彼女の目撃証言を辿り、現住所を割り出す方法しかなく、このような迂遠な方策しかないことに、捜査員は一様に不審の念を抱いていた。
 引越しをしても、登録した住所を訂正しないでおく。これはよくあることだ。
 知り合いが家を知らないというのも、学園内で敬遠されていた彼女のこと、不自然ではない。
 両親が娘のことで連絡を取ってこないのだって、まだ24時間しか経っていないといえばそこまで、両親が出張にでも出かけていればそこまでなのだが。
 一つ一つはささいなよくある事なのだが、それがこうまで重なると、なにしろ名うての脅迫者として知られた彼女のこと、うそ寒いものを感じずにはいられないのである。

「最後の頼みの綱のあんたも駄目で、ついさっき、警察は聞き込みを始めたわ。でもそれが効果を発揮するまで、もう少しかかりそうよ」
 その日の夕食の席で、鳴海まどかは極秘の捜査情報をぺろっと口にした。
 それが彼女の不利にならないといいけど、などと思いつつ、歩はしっかり耳でその情報を咀嚼した。

 学園に在籍している高校生の住所。
 普通なら聞き込み捜査するまでもないことなので、警察の不平たらたらの腰の重さも判らないでもない。
「それと、正式に検死報告書があがったわ。コピーはまずいから、口頭でいうわね」
 鳴海まどかは記憶力に優れている。
「被害者名、結崎ひよの。性別、女。……ってここらは言うまでもなしってとこね。性的暴行はなし。外傷は心臓真上の長さ2センチ深さ約12センチ、幅1.5ミリのもののみ。傷口からしてナイフね。この創傷が致命傷になっているわ。一撃で心臓を刺されてる。その他外傷はなし、ただ、制服を奪われてる。発見時は、下着だけの状態だった」
「凶器は?」
「残されていなかった。推定刃渡り15から20センチほどのありふれた果物ナイフではないかと見られてるわ。いま傷口から、どのメーカーのものか特定してるところ。制服の繊維も見つかってる。ひよのさんから制服を奪うとき、制服を切って持ち去ったものとみられているわ。犯人の行動としては、こうね。部室に入って、ひよのさんを刺殺。パソコンの筐体を分解して内部を破壊。制服を切り裂いてうばう。メモを持ち去る……」
 歩は聞きとがめて聞き返す。
「筐体を分解?」
「パソコンって、意外と頑丈なのよ。本体は薄くて硬い金属板に守られている。薄くて頑丈な箱の中に、ちんまりとパソコンの頭脳というべきCPUは存在しているの。その筐体ごとパソコンを破壊するのは困難だし、大きな音もするわ。パソコンていうのはほとんど中身は空の、箱だから太鼓と一緒ね。衝撃を響かせ、音を増幅する。しかも頑丈だから、筐体を分解したほうがずっと手っ取りばやい。たとえパソコンを初期化しても中のデータを読み出すことが可能だし」
「……その筐体は、螺子で止まっているのか?」
「それはパソコンにもよるけど、ひよのさんのパソコンは螺子式。三つの螺子を外せば繊細な中身があらわになる。パソコンの箱って、意外と分解しやすいのよ。何かの折に修理しやすいように、すぐ中身が見えるようになってるの。慣れた人なら一分もかからず分解できるわ」

 歩は考え込んだ。
 手際が良すぎる。制服を奪うために切り裂き、パソコンを壊すために分解する。どちらも目的達成のための最短ルートだ。
「……螺子式なら、ドライバーが必要だよな?」
「ええ。犯人がもちこんだ、と見られているわ。現場から発見されていないし、ここまで手際のいい犯人が新聞部の部室でドライバーを探しまわったとは考えにくい。また、その点から冷静かつ緻密な計画的犯行とみられているわ」
「不審な指紋や血痕は?」
「血痕はひよのさんのもの以外はなし。指紋はまだ全部はすんでないけど、パソコンや机まわりからは誰のものも出ていない。血痕については、制服についてそれで持ち去った……という見方をしている人もいるわね」

「ひよのはどんな姿で? 床に寝ていたのか? それとも何かに寄りかかるように?」
「床に寝かされていたわ。新聞部の部室に入って、奥の窓際にパソコンがあるでしょ。その間ね。入り口と、パソコン机の間の空間に綺麗に寝かされていた。制服を脱がす必要から、そういう体勢にさせたんでしょう」
 「ひよの」という呼びかけに眉を寄せながらも答え、ふと、まどかはつけたした。
「ひよのさんの髪は、解かれていたそうよ」
「お下げじゃなく?」
「ええ。あんたが最後に見たときはどうだった?」
「……結われて、いた」
 もし解いていたのなら、印象に残っているはずだ。それがないということは、いつもどおりだったのだろう。

「ひよのが自分でそうしたのか」
「あるいは犯人が、ね。新聞部からメモ以外になくなったものは、不明よ。いろいろ物が多い部室だったから、何かが無くなっていてもわからないの」
 あの部室に何があったのか、正確に知っていた人間はひよの一人だったろう。
 入り浸っていた歩も知らない物が、必要に応じて、にょきにょき生えるきのこのようにひょっこり現れる部室だった。

「姉さん。もう一つ頼みたいことがある。……死んだのは、本当にひよのなのか?」
「ひよのさんよ」
「指紋の照合は、歯形は、DNAは」
 畳み掛けると、まどかはつまった。
「これは、知り合いが一縷の望みにかけて、馬鹿な希望を言っているんじゃないんだ。ひよのは、顔が同じで新聞部にいたからひよのとされたんだろ? 兄貴だったら、それぐらい捏造してみせるだろう?」

「歯型は…わからないかも。歯医者のカルテがいるけど、ひよのさんが歯医者にかかっていなければそこまでだから。でもその他のことはやってみるわ。でも……たぶん何もでないわよ?」
 希望じゃないといいつつも、歩に期待があるのは確実で、残酷とおもいながらも釘をさす。
「判ってる。……ただ、兄貴に関することは何でもかんでも疑ってかからないと」
「清隆さんが、関わっているっていうの?」
「火澄が匂わせた」
 薄刃の剃刀を思わせる断言は、さくりとまどかの胸に突き立った。
「少なくとも、あいつはひよのの死について何か知ってる。間違いない」
 まどかが息を呑んだ瞬間、響いたのは携帯の音。

 歩は鞄からだし、少しだけ意外に思う。その画面に表示されていたのは、アイズだったからだ。
 電話にでた歩はさらに困惑することになった。
「カノンから頼まれた。……訪ねて来て欲しいとのことだ。それも、明日にでも」
「え……ひょっとして用件は」
「ああ。まず間違いなく、結崎ヒヨノのことだろうな」
 鈍感で名高い歩はいぶかしむ。
「なんであいつが?」
 それを、アイズは別の意味にとる。どうやって知ったのかという意味に解釈したのだ。
「なぜかは判らないが、ヒヨノの死がカノンに伝わっている」
「それで、なんであいつが……?」
「……気づいてなかったのか?」
「なにが?」
「……」
 回線の両端で、奇妙な沈黙ができた。

「……カノンも哀れだな。恋敵に、恋敵とも認識されていないとは」
 これは親友ゆえの皮肉である。
 実際の話、歩がカノンの気持ちに気づかないのは無理もない。なんせカーニバル以降、歩がカノンに会ったことは一度きりしかない。それぞれ面会に行った仲間同士のブレードチルドレンとは訳がちがう。
 そして、ここまではっきり言われればいくらなんでも象の痛覚ほども鈍感な歩も気づく。
「あ、え、あいつ、ひよのの、事を……!?」
 からだから、血の気が引いていくのがわかった。すうっと、眩暈がする。
 ひよのを異性として愛していた人間がほかにもいた。しかもあのカノンということは、ハイスクールの同級生の憧れなんてレベルではなく、真摯に想っていたことは間違いない。
「伝言は伝えたが、行くかどうかはおまえに任せる。アユム」
 返事を待たずに切れた電話を、歩は強張った顔で見つめていた。


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Date:2015/11/03
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