fc2ブログ
 

あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 14


 最近ひよのは本気で忙しい。
 歩とおしゃべりするのもうざったいという様子で、正直かなり歩はくさっていた。

 仕事をしているとき、無駄口きけない気持ちはわかる。そのぶんミスもふえるし、ひよののハッキングというのはひとつのミスで取り返しがつかない事態になる種類の仕事だ。
 だが歩とて思春期の高校生である。同じ部屋にいる自分の彼女が自分を無視して熱中している現状を、快く思えるはずがない。いちゃつきたいし、話だってしたいのだ。
 卒業後の「ゲーム」の話も、それっきりになっている。
 ひよのの頑固さは知っているが、出来れば引き止めたい。なんとしても。

 忙しいひよのにも、ぽっかり暇ができるときがある。
 その日新聞部の扉をあけると、窓際の机の前にひよのが座っていた。珍しくパソコンはつけていない。歩がくるのを明らかに待っていた。
 ようやく話ができるかと、歩は話の邪魔をされないよう扉に鍵をかけた。他意はなく。
 しかし、話を切り出そうとした矢先に降ってきたのはこんな言葉だった。

「歩さん、将来何になるか、考えたことありますか?」
「……へ?」
「私はなりたいものがありまして、その最短手段として、アメリカ行きます」
「……何になりたいんだ?」
「偉い人」
「……すまない、意味がわからない」
「情報で人を恐喝して思いどうりにするっていうのも面白かったんですけど、やってみると意外と簡単であきました。次は権力でも握ろうかと。目指すは日本初の女性総理、です。日本人はアメリカにたいして無闇にコンプレックスを持っているので箔付けと、英語の学習ですね」

 歩はひよのが総理大臣になっているところを想像し―――頭痛がした。似合いすぎて嫌だ。
「というわけで、アメリカ行くのは決定事項です。歩さんにナニ言われても無視します。さてほかになにか?」
「……じゃあ俺が留学して一緒にそっちに行ったら?」
「歩さんは、一学年下だってことをお忘れなく。一年経てば私のことなんて忘れてますよ。ああでも、私を見つけられたら、そのときは何でもあなたの思いどうりにしていいですよ」

 歩はじいっとひよのを見つめ―――説得にかかった。
「あんたがアメリカ行かないって言うなら毎日三食作ってやる、デザートつきで」
「うっ……」
 ひよのはひるんだ。
「炊事洗濯も俺がやって、上げ膳据え膳でちやほやしてやる」
「ううっ……」
「だから、行くな」
 ささやいて、首のうしろ、うなじに手を差し込む。

 逃げられないよう頭を固定して、口づけた。日増しに深くなる欲望は、もう、以前のように軽いキスでは満足しない。肉の感触のある、口腔の温度を確認するキスをしたい。
 でもひよのはそういう深いキスが好きではなくて。首を振って逃れようとするのを、首のうしろに回した手で押さえつけて蹂躙する。
(あ、しまった)
 奇妙にのこった理性の一部がそうつぶやいた。
 新聞部の扉に、鍵をかけてしまった。
 唇を離すと、歩はひよのの制服の襟をひろげ、首筋に顔をうずめて、赤い痕をいくつもつけていく。
「な……るみ、さん……?」
「あんたな、もう少し男を警戒しろ。ふたりっきりのときにここまでやって、止められる男がいるか?」
 制服の上着の裾からもぐりこんだ手が補正下着をずらし、ひよのの胸に直にふれた。
 やんわりともんでみて、その感触に本格的にまずいと思った。
 理性の箍が、外れかかっている。自分で自分を止められなくなりそうだった。
 華奢な体を椅子の背に押さえつけ、開いた左手をスカートに……。

 ひよのがスカートをおさえて叫んだ。
「やめてください、歩さん……!」
 止められた。
 その叫びが一分遅かったら、歩は結崎ひよのを抱いていただろう。

 安堵と失望が等分にまじった息を吐いて、歩は結崎ひよのの服のなかから手を引く。
 イスに座っているひよのの目線と一緒になるよう、膝をおり、歩は話しかけた。
「……あんたさ」
「ハイ」
「俺のこと嫌いか?」
「歩さんでなければ最初のキスの時点で叩きのめしてますよ。こう見えても、結構つよいんですからわたし」
「うん、そうだな」
 じゃあなんで拒むんだよ、という言葉が出かかったが、あまりにも男本位の考えだと思って、飲み込んだ。
 ひとつ、息をつく。諦めと、悄然とした受け入れの吐息だった。
「抱いて、それであんたの考えが変わるんなら無理矢理にでも抱くんだがな……」

「私は変えませんよ」
「ああ、俺の知ってるあんたも、そうだ。……追いかけるから」
「えっ」
「英語勉強して留学して、あんたをつかまえるよ。そのかわり、ひとつ約束してくれ。あんたを見つけたその日のうちに、署名に捺印に提出だからな」
「はい?」
「あんたの両親に挨拶して、あんたが挙げたいって言うなら式もやるけど、それは後だ」
「あの、歩さん。それはひょっとして……」
「俗に、結婚って呼ばれてるな」
「……正式には婚姻ですか?」
 ひよのの声は低かったが、それは作られた不機嫌であることが歴然としていた。

 よって歩の返事も笑いをふくんだものになる。
「ああ。ゲームに勝ったら、なんでも言うこと聞くんだろ?」
「そうかんたんには、勝たせてあげませんよ」
 ふたりとも、人の気持ちの移ろいやすさを判ってる。
 だからこれは言葉遊び。双方本気じゃないと、双方わかってる単なるじゃれあい。
 一年後、歩はひよのへの想いを薄らがせているだろう。ひよのも、そうだろう。
 それでももし変わらなかったら―――そのときは嘘が本物になるだろう。
 だから、少しだけ本気の、約束。

「判ってる。……無理強いして、わるかった」
 ひよのの制服の乱れを直して、最後に聞いた。

「一緒にかえれるか?」
 かぶりの否定。
「これから調べ物をしないと……」
「どれくらいかかる?」
「かなり。八時ぐらいまでいくかもしれません。先に帰っていてください」
 今日はスーパーで特売で、さらに姉のまどかが早く帰る予定だった。
 そろそろ帰ってしたくしないと、間に合わない時間だ。

 こんなことは初めてではなく何度もあり、そういった場合の前例全てで何事もなく、歩も、あまたいる一般人と同じように、日常という毒に犯されてしまっていたので。
「うん、わかった。じゃあ明日な」
 そう言って、別れてしまった。

 その何気ないやりとりが運命の分岐点で、どれほどそれを悔やむことになるか、考えもせずに。



     § § §



 カノンは結崎ひよのを愛しており、歩はひよのの側にいたのに、守れなかった。

 罵られるか。暴力沙汰になるか。後者の場合、カノンにかかっては歩など赤子同然である。
 それを覚悟して行った面会で、カノンは歩の手に直接、一枚のCDケースを握らせた。
「確かに。渡したよ」
 歩の手を離した瞬間なぜか全身から急に力を抜いてカノンは言い、歩はきょとんとして、手の中のプラスチックケースを見つめた。

「これは?」
「彼女が、……言っていたものだよ。自分が死んだら、君に渡してくれと」
「中身は……?」
「わからない。ここにパソコンはないし、彼女はパスワードが必要だとも言っていた」
「これを渡すため……だけに呼んだのか?」
「それ以外に、何があると? 君のせいじゃない……。たとえ僕が彼女の側にいても、結果は同じだったろう」
 カノンは踵を返すとテーブルの前まで歩き、そしてその白い表面をそっとなぞった。
「……僕は、彼女が勝てないことを知っていた。それでも、勝てることを、奇跡が起こることを望まずにはいられなかった」
 急に何歳も年をとったような、疲労の見える顔だった。
 しかしそれが彼の魅力を損ねたかというと、そうではない。
 カノンはもともと容姿端麗な人間だったが、そこにやつれから来る凄艶とも言うべき大人の色香を付け加え、思わず歩がひるんだほど、人の心に訴えかける美貌となっていたのだ。

 こんな同性が自分の恋人を愛していたというのは、心穏やかではないが……一瞬の、涙が出るほど平和な空想だった。ひよのはすでに死んでいるのだから。

 一瞬の心のひるみを建て直し、歩は尋ねた。
「おい、何のことだ? 勝つ?」
「なにって……知ってるんだろう?」
「あいつは、何と戦っていたっていうんだ?」
 カノンは納得したように目をふせた。
「……そうか。彼女は、君になにも話していなかったんだな」
「だから、何の話だ?」
 いい加減苛立って叫ぶと、カノンは傲然と頭をあげた。歩と目線を合わせる。瞳の中にあるのは本来そうであるべき感情―――怒りと憎悪だ。
 その眼差しに痛みを感じながらも、歩はそれでいいと思った。
 君のせいじゃないなんて優しい理解はいらない。なじられ、責められるべきなのだ。

「ブレードチルドレンの男は、子供を作る能力がない。……それが僕らに与えられた処置だ。精子は卵子と違い絶対数が多いうえ、増やせるし保存もきく。女の子とは違い、半永久的な避妊処置をしても、先々のリスクは小さい。僕も……納得のうえ、その処置を自ら受けている。だから、何の心配もなかった。歩君こそ僕を憎む権利がある。……そのCDを預かる対価として、僕は彼女をこのテーブルの上で抱いたよ」

 パキンと、視界が砕ける音が、した。






 あゆひよパートが終了しました。
 こんなことが過去にあったんだよなーと知ったいま……また1から読み直してみてください。
 ひよのの死を聞かされたときの歩の反応。その受け止め方は、きっと、最初に読んだときとは別物になっているはずです。各所の歩の反応にも、違った意味で納得がいくでしょう。

→ BACK
→ NEXT


関連記事
スポンサーサイト




*    *    *

Information

Date:2015/11/03
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする