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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 15


 思わず硬直してしまった三秒足らずの時間は、歩の記憶から削ぎ落とされた。
 人と対面している三秒というのは意外と長い。
 まして言われた言葉が言葉で、それについての感想をなにか思ったはずなのだが、あとになり、どれほど思い出そうとしても思い出せないのだ。

 自分がショックを受けて―――まず何を思ったのか。愕然としていたのか。それでも闇雲に否定していたか。
 歩にとって、記憶と認識は常に等価だった。頭のめっぽういい可愛げのない子供は、うまれつきそういう能力をもっていたのだが、それが、どうも最近おかしい。具体的には、結崎ひよのが死んでから。

 歩の記憶と認識が正常に働きはじめたのは三秒後からで、歩はかぶりを振った。
「いや、それ、嘘だろ」
「うん、まあね」
 拍子抜けするほどあっさりと、カノンは認めた。

「……ひよのを守れなかった俺への腹いせか?」
「彼女から一途な思いを寄せられていた君への嫉妬かもしれないよ。……そうして何の疑いもなく即座に否定されると、理由が知りたくなるな。彼女が君を愛していたから、なんて理由かい?」

「いや―――あいつ、奥手だから」
「……はい?」
 耳が拒絶したというふうに。歩が初めて見る崩れた表情で、カノンが聞き返す。
「殺される直前、抱こうとして―――全身で拒絶された。あいつにさわったことのある奴なんていないよ。あんたがさわってたら、もっと別の反応しただろうな。ひよのはえらくそっち方面では潔癖で、穢れのない『女の子』なんだよ」

 カノンは記憶を探る表情になった。
「……人を手玉にとることでは百戦錬磨のてだれという印象しかなかったけど―――そうだな、確かに、そんな部分があったかもしれない。ところで歩君。気づいてないようだけど、彼女を語るとき、過去形になってないよ。彼女が死んだということを、君はほんとに判っているのかな」
「……それについて、聞きたい。まず、ひよのは、自分が殺されるかもしれないことを―――その危険があることを、理解していたんだな?」

「ああ。はっきりと理解していたよ」
「じゃあ……変だ。どうして、あいつは、ひとけの無い教室で、一人きりになって居残りなんてやっていたんだ?」
 危険があると本人が知っていたのなら、殺されるような隙をどうして作る?
 歩からつかず離れず、夜道を歩かず、一人きりにならない。これだけでもするのが普通だろうに。

「さあね。彼女の思考は僕にはわからないよ。清隆に、真っ向から喧嘩を売りつける人間の気持ちなんてね」
 さりげなく、カノンはその一言を歩に投げつけた。
 恐らく、かなりの反応を期待していたのだろうが―――歩は、額に手をあてて、ため息をついただけだった。

「あの、馬鹿……」
 兄の強大さ。結崎ひよのという少女の性格、気質を知る歩の、すべてをこめての、複雑な嘆息だった。
 そして顔をあげ、
「ひよのは―――兄貴に、喧嘩を売っていたんだな?」
「どちらが喧嘩を売ったかは知らないが、彼女の話を信じるのならば、かなり際どいところまで探っていたらしい」
 ひよのは、神様にケンカを売っていた。
 歩はそれを意外とは思わない。彼女は神様だの悪魔だのに踊らされることを、断固として拒絶する人間で、自分以外の何者にも命令を受けることをよしとしないタイプだった。
 全ての人間を操り支配する神様なんてものは、頭っから気に食わないだろう。
 それが危険であることを彼女は知っていただろうし、実際に殺された。なら当然考えられる犯人像は、帰結される。
 しかし、この期に及んで馬鹿だと思うが、歩は兄がひよのを殺したとは考えられないのだ。

 だから目線をしっかりあげ、尋ねた。
「カノンヒルベルト。あんたは、ひよのが鳴海清隆に殺されたと思うか?」
「それが、清隆でなくとも、清隆に命令を出された人間をも含むというならば、イエスだ」
 カノンははっきりと言葉の定義を指定し、明確に答えた。
「あの男は自分の手を汚しはしない。素振りのひとつ、何気ない言葉の一つ一つで人を思うままに動かすんだ。本人はおそらく、清隆に命令されたとはカケラも思わないだろう。すべて混じりけなしの自分の意思で行っていると、思っているはずだ。……僕もそうだった」

 カノンはそこで区切り、かぶりを振った。
「僕は、彼女が殺されたのは、『まつろわぬ者』だったからだと考えている。ブレードチルドレンも、ウォッチャーも、セイバーも、ハンターも……このファンタジーに参加するものは皆、清隆を恐れている」
 まなざしが針の鋭さで歩を貫いた。
「きみも、例外じゃない」
「……っ」
 反論できずに、歩は掌を握り締める。

 射抜いた視線をそのままに、カノンは続けた。
「もちろん火澄もだ。でも彼女は違う。彼女は、「敵」だった。清隆の能力をしってなお、敵対しつづけた。もちろん敵なら他にもいくらでもいた。彼女との違いは、敵でありつづけたか否かだ」
「……」
 清隆をまえに、敵でありつづけるのは至難の業だ。
 清隆の能力を知れば、人は敵にするより味方にした方が得と考える。考えるように清隆は人を指にからめていく。
 神様に敵対するなんてばかのやることだ。
 ひよのは天下一品のおおばかものだった。

「彼女が無能なら放ってもおけただろう。彼女がもうすこし、物分りがよければ清隆は懐柔できたろう。彼女がもうすこし賢ければ、……そう思うけれど、しょうがない。それが僕らが好きになった、結崎ひよのという人間なんだから」
 カノンは歩に、微笑を歩にむけた。
 同じ人間を愛し、そして失った、同志のほほえみを。

 そうだ、ひよのがそんなふうに「賢い」人間なら、あそこまで深入りすることは無かったろうし、あんな、好ましい時間を持つこともなかったろう。
 歩はひよのといるのが好きだった。
 登下校、放課後、休み時間。
 賑やかで騒がしくて、……温かく。楽しかった。
 ―――過去形になってないよ。
 指摘されるまでもない。歩はまだ期待していた。ひよのが生きていることを、自分の前に現れることを、あの時間を取り戻すことを。
 そんなものが、幻想にすぎないことぐらい、知っているのに。

 最後に、カノンはくれぐれもと付け加えた。
「歩君。それは死を覚悟した彼女が君に残したメッセージだ。くれぐれも帰途は気をつけて、力ずくで奪われないよう人の多いところを選んで、まっすぐ家に帰るんだ。いいね?」
 その気迫に気圧されて、歩は大人しく頷いた。

     § § §

 歩はカノンの忠告をうけて、薄手のプラスチックケースを上着の下にたくし込んだ。直に肌に触れさせたのだ。幸い今は冬。中央をチャックで留める厚手のジャンバーを着ているので、服の圧力が適度にかかってずり落ちないし、外からもわからない。もし奪われたらすぐに気づく。
 家への最短ルートをとり、雑踏のなかを足早に歩いていると、ふと他人の体温を感じた。
 雑踏と言っても、体と体が接触しない程度の空間はある。
 思わず体を緊張させると、声がした。
 朗らかで明るい、アルト。
 ……今日見た夢のなかで、鮮血色の悪夢を飾り立てていた声だ。
「お兄さんの手の者が見ています。自然にしててください」

 一瞬の半分の、さらに半分で驚愕を制御できたことに、歩は自分を褒めてやりたい。
 口を開いた。喉元まで「あんた―――」という声が出そうになった。それもなんとかこらえた。
 唇はせいぜい半開きで、素早く閉じた。歩行の速度も落とさずに、足早の状態を維持する。
 目を声の方向にやることもなんとか制御した。
 声と同時に手の中に固い感触―――紙を押し込んで、素早く気配は離れていった。

 その手を目の高さまで挙げることを自分に許せたのは、マンションの、自分の部屋に入ってからだった。
 メモ用紙の書き出しにはこう書かれていた。



 私は生きています。


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Date:2015/11/03
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