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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 17


 死にたくない。
 死ぬのは怖い。
 やりたいこと、未来の夢、いっぱいあって、生に、浅ましいほど執着している。

「なんで逃げへんの?」

 ひよのは振り返る。
 そこにいるのは火澄。
「―――ひとりでふらふらしてると、また人攫いにさらわれちゃいますよ?」
「あれは本気で勘弁やな~。翌日足腰たたんかったで」
「本気で、殺そうかと思いましたけどね」
「俺が歩の敵やから?」
「はい」

 覗きこんできた顔は、わらっていた。あんな目にあって、あんな目にあわせた相手にこんな顔ができるあたり大したものだ、とは思う。
「なあお下げさん。俺にせえへん?」
「嫌です」
 即答すると、火澄は情けない顔をした。
「俺は歩とちがって、お下げさんのこと大事にできるで?」
「そうですね、鈍感でもなくて、意気地なしでもなくて、私を大切にしてくれるんでしょうね。ついでに、私の助命を清隆さんに頷かせてくれますか?」

 返答の、一拍のタイムラグを拾い上げて、ひよのは刃を突き刺す。言葉の棘は、暴力より痛い。
「私の命を助けてもくれないのなら、あなたにそんなこと言う資格は元よりありませんよ」
 感情をこめず、できるだけ冷静に響かせる。そのほうがより、火澄の心を抉るだろうから。
 昔から、どうすれば相手を追い詰められるかはよくわかった。どうすれば好意を得られるか、はぜんぜんわからないのだけれど。

「……お下げさんがそうして嗅ぎまわらないと約束してくれるんなら、助けられるで?」
「それもいいかもしれませんね……」
 ぎょっとした気配を感じ取り、ひよのは笑う。
「でも、駄目です。命はとってもおしいですけど、ほんとにとっても惜しいんですけど、……それをしたら、私が私でなくなってしまいそうだから、嫌なんです」
「で、強がって、平気なフリして、どこまでつづけるん? それで一人のときに死にたくないって泣くんやな」
 見られていたのかと、つい不快な表情になる。

 低い声のささやきが耳に入った。
「……このままでいたら、お下げさん本気で殺されるで?」
 本気だった。彼は脅しでも冗談でもなく本物の気持ちで、本気で懸念して、その言葉をつむいでいた。
 その真剣さに、心が萎縮する。

「……火澄さん。私はですねえ、生きぎたない人間なんです」
「そやな」
「鳴海さんの命と、私の命。どっちかしか選べないって状況になったら、やっぱり迷うでしょう。鳴海さんのことは好きですが、それでも死ぬほど迷うでしょう。どっちを選ぶかは、そのときにならないと判りません。そのぐらい、死にたくないんです」

「……うん。それが当然と思うで?」
「だから警告をうけて、心がぐらぐらしてます。だって私は死にたくないんですから」
「なあお下げさん。死の恐怖に腰がひけるのは、ちっとも悪くないんやで?」
 ぽん。
 答えず、ひよのは、ピアノのキィを叩く。

 ふたりがいるのは、月臣学園第一音楽室である。広めの教室にピアノがあるだけだけの空間は、鍵はなく誰でも自由に使うことのできる。「使用中」の札を出しておけばだれも入らないと思っていたのに、火澄は入ってきた。

「……思うんですけどね、火澄さん。考えたことはありますか? ブレードチルドレンは、ヤイバの子供だから優秀だ、ヤイバの遺伝子を引き継いでるから優秀だ、鳴海歩は鳴海清隆の弟だから優秀だ。……こんな考え方がまかり通っているファンタジーの世界で、どうしてこうは思わないんでしょう? ではミズシロヤイバを作った親はどんな人間だ、鳴海清隆の親はどんな人間だ、と」
「―――お下げさん」
 低い声のたしなめを、無視して言葉をつむぐ。
「ミズシロヤイバさんの両親は残念ながら探し当てたときには亡くなられていました。鳴海さんのご両親は、生きておられました。遺伝子検査の結果は―――もちろんご存知ですよね?」

「ほんま、どういう組織力もってんのか、不思議やなあ」
 火澄は肩をすくめた。
「ヤイバの親さがすんは、むちゃくちゃ大変やで? さらに、遺伝子検査といっても簡単や無い。遺伝子は最高のプライバシーやからな。他人の遺伝子を検査したいなんていうても、まともな施設じゃ門前払いや。どうしたって、それなりの施設と機材を集める手づるが必要になる。おさげさん何モンか、ものごっつう気になるんやけど」

 すくい上げられた三つ編みの束。この少年に触れられるのは、不愉快でしかない。即座にぴしりと手ではらって。
「それより私は、あなたの動向が気になりますけどね。なんで清隆さんのがわにいるんです?」
「それは、俺が危険人物やからやな。で、そんな俺に手綱をつけられるのは、清隆しかおらん―――て」
「私の側につきませんか?」
「……へ? まさかお下げさん」
「あなたが清隆さんのがわにいるメリットが、どこにあります? 私のがわにつきませんか?」
「うわあ、おさげさん、それちょっと無謀やで。ほんまに清隆に喧嘩売る気なん?」
「冗談や酔狂で、私は自分の命を危険にさらしたりしませんよ。……死にたくなければ、首をつっこむなってそれはちょっと違うでしょう。どうしてブレードチルドレンの人たちを救おうとするか、殺されるかなんて二択にならないといけないんです? どうして、そんな脅迫に屈しないといけないんです? 私は断固として死にたくないですが、そもそもそんな二択を迫る側が間違っています。ブレードチルドレンを救って、なおかつ死なない。そんな未来をつかんでみせます」
「……そこまでするんは、歩のためか?」
「当然でしょう。あの人を愛するのが、私の生涯の仕事です」

 火澄は沈黙していた。
 その間、ひよのは頭の中で、彼にかける台詞を100ほど候補を挙げる。
 彼を説得できる材料があるか否か。答えは―――人格分析の材料が足りないから未確定だが、ほぼ無理だ。
 やがて少年は口を開く。
「……ちょい、妬けるな。歩がお下げさんのこと粗末にしとっても、他人といちゃついてても、やっぱりお下げさんは歩をえらぶんな?」
「そう仕組んだのは、清隆さんですよ。文句があるならあの人に言ってください」
「えっ……」
 その声に本気のおどろきを感じ取り、ひよのも驚く。

「ああ、そう、そういうことですか。……鳴海清隆さんて、あなたをぜんぜん大事にしてませんよ。どうしてくっついてるんですか?」
「俺にもわからんなあ。……あんな、お下げさん。清隆と戦って、勝てるん?」
「勝つには、奇跡が一ダースほど、いりますね」
「……低いやん。勝てんやん。それがわかっててどうして逃げへんの? 死にたくない死にたくないって泣くほどこわいんに、何で逃げへんの? ……どうして君は、弱みをそんなしてまで、見せまいと気張る?」
「……っ! やめてください!」
 首元にからめられた腕を反射的に振り払う。

 とっさに突き飛ばして距離をとり、失策に気づいた。
 後ろは壁だ。入り口は火澄の背中。

 とん。
 ひよのは顔の脇につかれた掌を一瞬みて、その持ち主に目線をもどす。
「……なんのマネですか」
「いや、あんた、そんだけ世間ずれしてるのに、反応がうぶでおもしろいなあと」
「……その呼び方、やめてくれません? 鳴海さんじゃあるまいし」
「うん、だからしてる。俺の好みな、いかにも弱々しいて、見るからに私は不幸ですから優しくしてくださいゆうんやないんや。意地っ張りで突っ張って、他人に弱みなんか見せるぐらいなら死んだほうがましだーっていう強がりする女の子が好きなん。お下げさんの筋金入りのやせ我慢に、ちょっと本気になりそう?」
「―――鳥肌で凍死しそうです」
 それはそれは冷ややかな眼差しで、ひよのは正面に立つ火澄を見つめた。女子なら多かれ少なかれ恐れを抱くこの場面で、すこしの恐怖も含まない目線。

 わずかな笑い声は火澄の喉からもれたもの。
 かつての清隆同様、人を引き付ける誘蛾灯めいた魅力は彼にもある。その火澄がまんざら冗談でもなく口説いているのに、こうまでつれなく出来る女子は、結崎ひよのだけだろう。
 火澄は彼女に指一本ふれていない。片腕を彼女の顔の横に突いているだけだ。
 ひよのが動けば、火澄に触れる。けれど、少しも触れてない。そんな距離を保って、覗き込む。
「俺の好み、お下げさんにぴったりやし。歩はあんたがどれほど苦しんでるかも知らんやっちゃ。もう、一人で隠れて泣かんで、誰かにその重い荷を半分背負わせたらどうや? 俺なら喜んで手伝うで?」
 火澄はゆっくり、ひよのに触れる。光に透けると、金色になる髪を撫で下ろし、その手触りを楽しんだところで、お下げの束を一房手に取り、口づけた。
「俺にせえへん?」
 すこしの甘さもなく、睨み付ける目線は、爽快だった。

 ―――電撃。

「勝手に女の子の許可なく触れる人にはこうです!」
 ひよの特製スタンガンを手にひよのはぴしゃりと言った。
「あ、あんなあ! とっさにかわさんかったら、死ぬでほんまにそれ!」
「かわさないでくださいよ。そしたら事故死で片付けてさしあげたのに。ひと気の無い教室で女の子に痴漢しようとした男子生徒が護身用のスタンガンでショック死で、波風立てずにまるーく片付けてあげます」
 おそろしく外聞のわるい死に様に、火澄は内心冷や汗をながす。しかも怖いのは、少女が半分以上本気で言っているということだ。
 火澄の死を伝える新聞記事を前にほくそえむ顔があまりにも簡単に想像できてしまって、つい聞いてしまった。

「おさげさんほんまに俺のこと嫌いやんな?」
「あなたは別に嫌いじゃないですよ」
「じゃあ、触られんのが嫌いなんか?」
 当然でしょう、というふうに頷いて。
「ひよのちゃんは髪の毛ひとすじまで鳴海さんのものなんですから」
「……歩の意見も聞いてみたいな」
「あの人の意見なんて決まってますよ。そんなこと広言するなとか、勝手に決めるなとかそんなところでしょう」

「歩はお下げさんのこと、好みじゃないやんな。……どうして逃げへんの? 泣いとったくせして」
「泣いてませんよ」
「うん。顔はな。音がそういってたで? ―――ピアノ、弾けるんやな」
「鳴海さんが聞いたら、失笑するぐらい下手なものですけどね」
 そういって、また、心が沈んでしまうのを感じる。
 ひよのが何度せがんでも聞かせてくれなかったピアノ。
 今日、歩がそれをいともあっさりクラスメートの頼みに応じて弾くのを見たとき、ひよのは打ちのめされた。

 どれほどつくしても、ひよのには聞かせてはくれないピアノを、歩はあのクラスメートにはかんたんに応じてしまうのだ。
 そのクラスメートの名前ももちろんひよのは知っている。全校生徒の顔と名前を覚えているという噂は嘘でも伊達でもない。
 歩にとって、ひよのは彼より下なのだ。
 ひよのには与えてくれない恩寵を、与えるほど彼と親しいのか。
 それとも彼や他の人々には惜しげもなく与えるものをひよのには拒絶するほどひよのが嫌いなのか。
 どちらを考えても心が弾むということはない。

 見返りを欲しいと思う自分を厭いながらも、落ち込まずにはいられなかった。
「ははー、なるほどなあ。そういえば今日は歩がピアノひいとったな」
 ……勘付かれたか。そう思いながらも、否定の言葉がでないほど、心が疲れていた。確りとした声で、平然としたいらえを返す。けっして、強がりとは思えない口調で。
「いいんですよ。私が鳴海さんを好きなんですから」
 人は、嘘をつく。
 どんな善人も嘘をつかない人間はいない。
 そして大嘘つきの結崎ひよのは自分にすら嘘をつく。

 自分に対してすら嘘をついて、そしてひよのはその嘘を墓場まで持っていこうと思う。嘘を貫きとおして、真実にする。
 愛に見返りはいらない、という嘘を。

 本当は鳴海歩に愛して欲しい、抱きしめて欲しい、優しくしてほしい。胸元につかみかかって、これほど尽くしたんだからと糾弾したい。愛して欲しいと、足元に額ずいて懇願したい。
 でも、しない。
 それが出来るような人間は、もはや、結崎ひよのではないから。
 それが出来ないのが、結崎ひよのだから。


     § § §


 ふと思いついたことがあり、歩は携帯を手にとった。
 先ほどの番号に、こちらからかけなおす。
「姉さん。ひよのが生きてること、しばらく伏せれるか?」
「え? どうして?」
「ひよのは身の危険を感じて姿を隠したんだ。さっき、そう俺に連絡がきた。ここで、生きてることが周知されたら、また危険になる」
「それは……事実を知っているのは検視官の人と私だけだけらできると、思うけど……。でも数日以上はだめよ? 伏せておくには重大な事実すぎるわ。そろそろ彼女が死んで48時間がたつけど、まだひよのさんの実家がわからなくて、本部はいらついてるんだから」
「それでいい、頼む」

 電話を切ってから、少し、舌打ちする。携帯はまずかったかもしれない。盗聴している人間がいればそこでアウトだ。しかし、これは一分一秒を争う。まどかが捜査本部に告げればそこまでだ。自宅の電話は携帯と同様の理由でまずい。外の公衆電話を使う数分で、取り返しのつかない事態になっていたかもしれないのだ。

 今度は理緒にかけた。
「あんた、ひよのに月臣学園に在籍しているブレードチルドレンの名前を教えたことがあるか?」
「え、ええ。ありますけど……」
 あの手紙はひよのが書いたものだという可能性が高まった。
 礼を言って電話を切る。

 歩は腕組みした。
(手を引こうか……?)
 ひよのが生きていたのなら、この事件に首をつっこむ必要はない。
 いや、ぶっちゃけ、つっこみたくないのだ。
 死体の名前はともかく死体が一つあるのは確かなことだ。
 そして論理的にいって、あの死体は結崎ひよの自身が自分の死亡偽装工作のために作成した可能性が一番高くなっている。
(名探偵は、こんなときどうするんだろうな。家族とか、とても大事な恋人とかが犯人だったら……)
 思い返してみたが、そんなシチュエーションに陥っている名探偵を、歩は知らない。
 「親しい」程度の友人とか恋人とかならともかく、「そいつが犯罪をやったと知っていても付き合いを続けるほどかけがえの無い」相手が犯人だったなんて話は。

 そんなとき、名探偵はどうするのだろう? 因果を含めて自首させるのか? それとも胸の中にひめて、無かったことにしてしまうのか?
 正しい道は、このまま自分で捜査して、証拠を見つけて、ひよのを警察に引き渡す事だろう。
(……少なくとも、俺はできないな)
 因果を含めて自首させるなんてこともやっぱり無理だ。

 このまま捜査してひよのに不利な証拠が見つかったら、歩はたぶん隠す。
 ついでにいうと、勇気をもって自分の心を直視すると―――ひよのが人殺しになっていたとしてもだ。そんなことどうでもいいと感じてしまっているくらいには、嬉しいのだ。
(俺は、ひょっとしなくても、あの馬鹿娘に溺れてるのか……?)

 人殺しでも?
 と質問すると、
 そんなことどうでもいい、生きててくれてうれしい。
 と心は答えた。

(……駄目だな。探偵の真似はよそう)
 まどかも頭のいい女性なので、ひよのが生きている=ひよのが犯人である可能性が高いということにはもう気づいているだろう。
 彼女が帰ってきたら、下りることを言おう。きっと、まどかは反対しない。
 正義の名の下に、愛している相手を捕まえられるほど、彼女もまた四角四面ではないからだ。鳴海清隆のため、法にふれても探し続ける彼女は。

(………馬鹿娘。さっさと出て来い)
 鳴海歩はどうやら自分で思っていたよりずっと、結崎ひよののことを好きらしい。






 歩が悩んだようなシチュエーションに陥った名探偵、知ってますか?
 例をあげれば、金田一少年の事件簿のみゆき。
 名探偵コナンの蘭。

 そんな相手が犯人だったら、金田一やコナンは一体どうするんでしょうか?

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Date:2015/11/03
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