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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 18


 火澄がそのピアノを聴く事になったのは、まったくの偶然だった。
 運命とやらがある世界では、この偶然とやらも運命なのかもしれないな、と思ってしまうぐらいには、低い確率で、火澄は結崎ひよののピアノを耳にした。

 月臣学園の広い敷地には音楽室が多数点在している。その中でもっとも最初につくられ、もっとも設備がぼろいのが、第一音楽室である。よって、あまり使用する人はいない。他の音楽室が満室のときに足を運ぶ人間がほとんどだった。
 バスケの試合に歩を誘おうと音楽室に足をはこんだ火澄は使用中の札をみて、歩がいるのかと覗いてみた。

 そこで、少女がピアノを弾いていた。

 扉を少し開け、最初の一音を聞いただけで、歩でないことはすぐ判った。そのまま踵を返してもよかったが、そうしなかったのはこんなピアノを誰が弾いているのか、顔を見てみたいと、いたく興味をそそられたからだ。
 音は雄弁にかたる。
 たとえ、曲が「猫ふんじゃった」でも「さくらさくら」でも「ドラエモンのマーチ」でも、感情は雄弁に伝わってきた。
 絶大な不安と恐怖。揺れまどう心。ギリギリまで削られた神経の上で、それでも前を向くことを選ぶ意志の曲だった。

 足音を忍ばせて近づき、顔を確認して少し驚き、足をとめてしばし聞き入る。
 ピアノに向かっているひよのからは絶対に見えない位置で、鑑賞した。
(歩には絶対弾けんピアノやなあ……)

 なにを彼女が迷っているのか、不安に感じているのか、火澄にはわかる。
 だから、やがて演奏をとめた少女が立ち上がり、暗い顔でいるところで声をかけた。
「なんで逃げへんの?」

 それからちょっかいを少々、殺されかけること、少々。
 たぶん歩はひよのの音を聞いたら数日は悩むだろう。ああ見えて、歩は自分のピアノに自信を持っている。そして、同年代のなかで自分より上手い人間なんていないという自負を持っているはずだ。それは正当な認識だと火澄もおもうが、ひよののピアノにその認識をひっくり返されることだろう。
 技術的には、歩の足元にも及ばない。
 ひよの自身言ったように、失笑してもおかしくないぐらいのレベル差がある。

 それでもだ。歩はひよののピアノに衝撃をうけると確信できるぐらいには、彼女はピアノを自分の声として操っていた。
 ただ鍵盤を押せば出てくる音に、どれほど自分の個性を映し出せるか。
 今聞いた音は、ひよのしか出せない、ひよのの音であり、彼女の絶叫であり悲鳴であり、だれが聞いてもひよのの音と判る。音のなかに命があった。
 清隆にはあり、歩にはなく、ひよのにはあるものだ。

 火澄はひよのが前向きとみえて、火澄からみれば後ろ向きな決意を固めているのをみて、つい言ってしまった。
「俺に言わせてもらえば、歩も悪いけどお下げさんも悪いで?」
「どうしてですか?」
 ムッとしたようすで問い返される。
「だって、お下げさん、歩になーんもいってないやん。告白してないけど恋人として振舞えっていうんは、ちょっと無理ないか? お下げさんの希望の「優しくしてほしい」ってことは、要は恋人として振舞って欲しいってことやろ? 今の歩は、友達としてはかなりの範囲でおさげさんに譲歩してると思うで? 毎日お下げさんの弁当つくって、お下げさんと一緒におべんと食べて。そうやろ?」

「告白しても、無駄ですよきっと。私は鳴海さんいわく『思いっきりタイプじゃない』そうですから」
 火澄は思わず沈黙した。
 この。
 ひよのに対して言ったのなら、火澄は歩を尊敬する。その無謀さと勇気に。
 外側は可愛らしいが、中身はゴジラのひよのにそんなことを言えたなら、まさに勇者と呼ぶにふさわしい。

「……それ、歩がお下げさんに直接いったん?」
 おそるおそる尋ねると、否定が返る。
「いえ、他のひとに言っているのを聞いただけです。私と付き合ったらとすすめられて、鳴海さんの返答は『あれは思いっきり俺のタイプじゃない』でした」

 ……いや。歩よ。
 いくらなんでもそりゃないだろ。

 火澄は思った。火澄ですら思ったほど無惨な回答だった。
 たぶん、火澄はひよのがどれほど歩に尽力しているか知っているから、余計にそう思ってしまうのだろう。死をも覚悟して味方している少女への返答としては、論外を通り越して外道ですらある。

「それに、告白できない理由はもうひとつあります。鳴海さんは私への借りを、借りとしてきちんと認識しているはずです。そんな私が告白したら他の女の子のようには断れない、でしょう?」
「まあ……たぶんな」
「だったら、告白なんてできませんよ」
「でも、このままでいたらお下げさん確実に殺されるで? 迷ってはいるけど、手を引く気はないんやろ?」
「……ええ、たぶん」
「歩に告白したほうがええて。ひょっとしたら、歩の言葉は照れ隠しかもしれんやろ? 受けてくれるかもしれんで? ……近々死ぬかもしれんなら、思い残しはないほうがええ」

「その告白、鳴海さんが受けてくれた場合が深刻ですね」
「なんでや?」
「私が殺される確率が、ますます上がります。……というより、死亡確定」
「今のままでもお下げさんに手を引く気がないならそれはおなじやろ? むしろ逆に、しばらく清隆は待ってくれると思うで?」
「……それ、約束できますか?」
「ええよ。俺の行動も、少しは待ったる」
「それは私への同情ですか?」
 声には笑いがあった。

 火澄も笑う。
「そやな。ここまでやったお下げさんが、少しの報いもないっては、ちょっと可哀相やから。俺のお下げさんへの個人的な同情で、待ったる。二、三ヶ月なら、清隆も嫌とはいわんやろ」
「期限つきの幸せですか。―――いつまで待ってくれます?」
「そのときには、きちんと事前に教えたるよ。あんたの幸せの絶頂をいきなりもぎ取るようなまねはせん。これも約束したる。あんたが覚悟して、落ち着いて死ねるよう、したるから」

 ひよのは天井を振り仰ぐ。その横顔の、頬から喉への少女らしいまろやかな線。
「……鳴海さんと付き合うことで、私は殺されるでしょうね」
「『でも、従容として殺されてはあげません』か?」
 言いそうな台詞をすくいとると、ひよのは頷いて火澄を見た。
「ええ。私は私の生存を希望します。手段を選ばず、生き延びるため、私は全力を尽くします。……そうですね。私は、まだ、人を殺した事がないんですが」
「―――」
 相槌をどう打っていいものか。判らないまま、黙っていた。
「自分を生かすためにする殺人は、正義と思いますか?」
「……さあなあ。わからん」
 火澄は本当に、考えて返答した。生きるためにする殺人は、正義か否か。わからない。
 腹がへって食事ができなくても、誰かを殺して金を奪えばそれは悪だろう。
 でも、極限状態で人のことなど考えていられるものだろうか?
「正直、それだけは経験したくないと思っているんですよ。でも、私は生存欲がとても強いので自分が生きるためになら、案外あっさり殺せてしまえるかもしれません」

     § § §

 帰宅したまどかの顔は明るかった。
「……なにかねーさんいい事あったのか?」
 ひさしぶりに(といっても二日ほどだが)、料理をしながら歩が聞いてしまったくらいの機嫌のよさである。

「何言ってるのよ! あの子が生きてたからに決まってるじゃない」
「……はあ」
「ま、あんまり接点のない子だったけどね。でも、うちの歩が人殺しにならずにすんだ恩人だし、何より死人みたいな目をしたあんたが、今日帰ってきたら生き生きした目になってるんだもの。機嫌がよくなって当然でしょ?」

 そんなまどかを見ていると、歩もうれしい。
 同居してる人間の気持ちというのは、必然的に影響してくるものだ。
 まどかは歩の気持ちに影響されて嬉しくなり、歩もそんなまどかの姿に軽くなる。
 そこで、唐突に歩は気づいた。

 まどかは、もう、遠い人間になっていた。
 あれほど歩を苦しめた想いが無くなっていた。あるのは親しい同居人への、家族としての親愛だけだ。
 あれほど強かったまどかへの想いが過去のものになっているのに気づいて、歩は眉をよせて寂しさに類似した感情にとらわれたが、少しの間だった。
 出来上がった料理を皿にもり、まどかの前に置きながら切り出した。
「ねーさん。俺、この件から降りたいんだけど」
 すんなり頷いてくれる―――と思いきや。

 まどかは難しい顔になった。
「歩。ちょっと聞くけど、あんた新聞部部室に鞄忘れた?」
「……は?」
「殺害現場となった新聞部部室には鞄がひとつあったの。当初結崎ひよののものと思われていたけど、結崎ひよのは机やロッカーをほとんど使わず、毎日全ての教科書とテキストを持参していた。この日もそう。でも、見つかった鞄のなかにはなにもなかった、更に言うなら、その鞄は結崎ひよののものとは考えにくい点が、たくさんあった」

「……具体的には?」
「製造年月日。外見が古びてはいたけど、あんたの持ってるものと同じ年に生産されてるものなのよ。つまり、結崎ひよのが入学時に買ったものではない」
「それだけなら、ごたごたの渦中でなくしたか壊してしまったと考えて不思議じゃないだろ」
「さらに。結崎ひよのが入れていたはずの、ノートや教科書等が、ない。とどめに、指紋が誰のものもない」
 すこし、引っかかった。
 しかしそれが何なのかを考えようとする前に、歩は答えを出してしまった。
「ひよのが自分の鞄を持ち去ったんだろ? なんの不思議があるんだ?」

「……ま、そうだけど。あんたのじゃないのね?」
「ああ。……ひよののことだから、いろいろ手当たり次第に集めたものだとか、万が一のときのための予備だろ? ぜんぜん不思議でもなんでもないじゃないか」
「それにしても……未来の妹ながら、謎の多い子よねー。住所もまだわかっていないのよ」
「おい、ねーさん。誰が未来の妹だよ」
「結崎ひよのさん」
「……」
「あんたがあの子にぞっこんだってことぐらい、ここ数日のあんたの顔見てればわかるわよ。線香の匂いが漂ってこないのが不思議なくらい辛気臭い顔してたのが、あっという間に復活なんだから」

 不本意ながらもかっこつけてここで否定しても、まどかの思い込みを助長するだけとわかるぐらいの頭はある。逆に肯定するようなものだ。
 ……それに、そうかもしれない。
「その……ねーさん。ひよのは……」
 言いかけ、口ごもる。どういえばいいのか、わからなかったので。
 歩はひよのが犯罪者でもとことんまで付き合うが(そうしてしまう自分に気づいてしまったから、まどかの言葉を否定できないのだが)まどかはそんな義理はない。

 身内が罪を犯せば、退職になるのが警察官というものだ。
 しかしまどかはからからと笑って言った。
「あんたの心配してること、わかるわよ。ひよのさんが何をしていても、あんたはそれについていく。犯罪に手を染めることも覚悟の上。でも、私まで巻き添えにしたくないのね?」
「あんな思いするのは、二度とごめんだ」
 珍しい、歩の吐き捨てるような口調にまどかは目を丸くする。

 ひよのが死んだと聞かされてから、まだ二夜がすぎただけだが、どちらも悪夢をみて目が覚めた。
 新聞部で、ひよのが殺される夢。
 ひよのはパソコンに向かっている。そこに侵入者があらわれ、無警戒のひよのの心臓を貫くのだ。ひよのの悲鳴は、夢だというのに生々しく記憶にこびりついている。
 心を抉られるような喪失感に目をさまし―――そして、今の夢が現実にあって、ひよのはもうこの地上のどこにもいないのだと思い出し、絶望する。

 そこからは、身を食むような後悔の連鎖だ。
 もし、の連続。
 あの時ああしていたら、の連続で、不毛だとわかっているのに、やらずにいられない。後悔とは、そういうものだ。

「俺は、ひよのを二度も失いたくない、でもねーさんは……」
「いわなくていいわ。私はね、カノンのカーニバルのときに、警察手帳叩き返してるんだから。いつやめたっていいのよ」
 そう豪快にわらう女性の影はもう歩の心からかき消えていて、代わりにひよのの姿がある。

 会いたかった。



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Date:2015/11/03
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