fc2ブログ
 

あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 20


 聞きたいことはいくつもあり、聞きたくないが聞かなければならないことも、いくつもあった。
 葬儀から帰ったあとも歩の興奮はおさまらず、むしろどんどん水かさを増していって……鳴海歩は高まる期待を前に冷静になろうと、質問を整理した。
 これだけは絶対に聞かなくてはならないことが、二つあった。

 一体何故死亡したことにしたのか。
 あの死体は、一体誰か。

 後者は、聞きたくないが聞かなければならないことだ。
 ひよのも言いたくないだろうし、抵抗するだろうが、なんとか説得して聞き出そう。何があっても、自分は、鳴海歩は味方だからと。最善の善後策を一緒に考えるために事実を知りたいのだと、そう言おう。

 葬儀とともに、ひよのの戸籍も生存の証明もなくなった。
 結崎ひよのの死、は人々の記憶にはっきりと刻み込まれた。もはや、誰もひよのが生きているとは認めまい。彼女は一生銀行に口座一つ作れず、免許も持てず、もちろん結婚も、法の保護を何一つ受けずに死者として生きていくしかない。
 それでも―――生きててくれれば、嬉しいと感じる心がある。
 ひよのが戸籍上死んでも、ひよのの武器が無くなったわけではなく、歩もまた覚悟は出来ている。

 いざとなったらアメリカでもどこでも外国に行けばいい。ひよのの情報は強い武器となるし、歩のピアノも立派な「手に職」のはずだ。あのたくましいひよののこと、どこででも生きていける。そして歩も、とことんそれに付き合うつもりだ。
 洗いざらしのジーンズをはき、二人で見知らぬ異国を闊歩する光景は、不思議と心躍る想像だった。
(問題は、ひよのが死んだふりなんてした理由、だよな……)
 清隆の眼をのがれるためというのが、一番可能性の高いところだが、はっきりとそう聞いたわけではないし―――そもそも、何故兄がひよのをそこまで敵視するのかさっぱりというのが本音である。

(ひよのの被害妄想……でもないか)
 タフで冷静なひよのがこのままでは殺されると確信するには、それなりの理由があるはずだし、手紙にもはっきり警告を受けたとある。
 ひよのは明示されたのだ。このままでいたら殺すと。

 どこをどう転んでも、厄介事の匂いしかしない現況だが、歩の気分は悪くなかった。ひよのが死んだと思っていたあのどん底の気分を思い起こせば、何だってできるというものだ。
(俺はあの娘を、愛してる、のかな……?)
 まだ16歳の少年には、愛という言葉は奇妙に照れくさくて恥ずかしくて、……よくわからない。
 それでも、明日になれば会える。
 もう死んだと思っていた大切な少女に会えるのだ。

 歩は息を吐き出す。
 今夜はどうやら、眠れそうになかった。

     § § §

 結崎ひよのの死は、ブレードチルドレンの面々にも少なからぬ影響を与えた。
 その最たるものが、亮子かもしれない。

 理緒と亮子と香介は、退院後、入院前と同じように三人一緒の家で暮らしている。
 その日は、出席したひよのの葬儀の余韻でどこか気まずい、暗い空気が漂っていた。
 歩とは違い、彼らがひよのの死体と遇ったのは葬儀のときが最初だった。おそらく最後でもあるだろう。
 彼らは棺のなかの少女の死に顔に、やっと、実感が湧いたのだ。
 あの結崎ひよのが死んだのだと。

 同様のことを思っていた人間は多いらしく、ひよのの死に顔の棺の前には、立ち去りがたい様子の人間が数多く見受けられた。

 亮子は無表情で、ひよのの死体と対面していた歩を思い出す。
 ……少なくとも、ひよのは、自分の想いを告げられたのだ。あれほどまでに死に怯えながらも退かずにいたかわりの、なにがしかの報いは受け取れたのだ。
 ひよのは死んだ。そのことで、歩のなかにひよのは永遠にのこるだろう。歩がいずれ誰を愛しても、ひよののことは忘れられまい。
 死は離別であり、刻印だった。

 ……自分は、今死んだら思い残すことなくいられるか?
 人はあっけなく、唐突に死ぬ。それを、自分はよく知っていたはずなのに、どうして忘れてしまっていたのか。

 香介はテレビを見ている。その背に亮子は声をかけた。
「香介、ポテチ食う?」
「ああ」
 香介はぽんと投げられた袋を振り返らずに受け止める。
「海苔巻き食う?」
「ああ」
 ぽん。
「私のこと好きか?」
「ああ。……って!?」
 振り返った香介のタイミングを見計らって、絶妙の間で、亮子は笑顔をむけた。
「好きだぞ、香介」
 笑顔は、あの日のひよのの笑顔をお手本にした。亮子の言葉を失わせたほどの、あの絶妙な笑顔になっているといいのだけれど。

「ななな、何言ってんだよ、いきなり……!」
「結崎ひよのは、鳴海歩に自分の気持ちを告げられたぶん、よかったと思うよ。私はきっと―――明日死んだら、後悔するとおもうな。そりゃもう物凄く後悔する。どうして言っておかなかったんだろうって」
「あ、いや、その、それは俺も同じだけどでもお前は」
「妹だから、とかいったら殴るよ」
 抜群の運動能力をもった亮子に殴られたら、とてもとても痛いので、香介は言わないことにした。
「……何も望んじゃいないよ。『妹』だからさ。でも、ここで言わなかったら、きっといつまでも言えない。そして、言わなかったことを後悔する。そんなの嫌じゃないか」
「……亮子……」
 何か言おうとして、でもことばが出てこない。そんな様子だった。

 亮子はくすりと笑い、
「私たちのこの心もなにもかも、20歳になれば消し去られる。そんなの、死んでしまうのとどう違う? 明日にもハンターに殺されるかもしれないし、生きていても20歳で死ぬ。だったら、言うだけ言っておこうと思って、さ」
 亮子は香介の背中をぽんと叩く。
「じゃあね、『おにいちゃん』」

 血という禁忌に、足を踏み入る度胸は、香介にも自分にもない。
 それでも、消し止められなかった火はくすぶり続けて痛むから。自分の気持ちに踏ん切りをつけるため、亮子はいったのだ。
 香介は大事な自分の兄で、それだけ。その事実がかわることは、永遠にない。






 理緒、香介、亮子が三人で同居してる、というのは公式解説本のなかにある公式設定です。

→ BACK
→ NEXT


関連記事
スポンサーサイト




*    *    *

Information

Date:2015/11/03
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする