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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 24


 ……打つ手なし、か。
 しょうがない。火澄は帰宅すると、食卓の椅子に上着を投げ出して、後ろの歩に言った。
「しゃあない。俺の知る限りを話たるから、そこ座れ」
「……ひよのの行動は知らないんじゃなかったのか?」
「すべては知らんが、お前よりかはよっぽど知っとるで? ……というよりお前が知らなさすぎや、歩」

 歩はむっとして、こう言い返した。
「ひよのが俺に相談ひとつしなかったのが悪い」
「お下げさん、お前よりよっっっぽど男前やったからなあ。お下げさんは守られたいと思う女の子やない。愛せば愛すほど、その相手を守りたいと思う女の子や。―――で、守ってやりたい対象がおまえ」
 わざとにこっと笑って指差すと、歩はむっつり沈黙した。
 否定できないのだろう、そりゃそうだ。

「……でもそれにしたって、相談すべきだろ? なんであいつ、俺に一言もいわなかったんだ? 俺はそんなにあいつの足手まといか?」
 火澄はため息をつきながら振り返った。
「あんな、歩。お下げさんの心境を、どうして俺が知ってるんや? お下げさんに関することは、お下げさんにしかわからん。そして今になっては、もう誰にもわからんもんや。違うか?」
「……言ってることはよくわかる……。でも、兄貴に抵抗するなら、俺は絶好の人材じゃないか? どうしてひよのは一人で事にあたったんだ?」
「俺はぜーんぜん、そうは思わんな。お下げさんもカノンも、こう考えとった。護衛をつけても清隆には無駄。どんな護衛も24時間は続けられず、また何ヶ月も続けられはしない。必ず緩みが出る、清隆はその緩みを正確につくだろう。仮に今は緩みがなくても、一月後、一年後には必ず緩みはできる。人はそういう生き物だ。清隆はそれを、待てばいい……」
「でも!」
「仮に、や。お前が清隆とお下げさんの駆け引きを知ったとする。―――答えてや。お前は、どうするん?」

「それはもちろんひよのの手伝いを……」
 火澄はかぶりを振る。
「お下げさんが望んどったのは、お前に、何一つ変わりない顔で側にいてもらって、かぎりある平穏な毎日を過ごすことだけやったと思うで? お前は兄貴がお下げさんを殺そうとしてると聞いても、普段どおりにできるかもしれん。でも、お前に、落ちていく砂時計の砂を見つめさせる想い、神経が削られていくような想いを、お下げさんはさせたくなかったんや」
「……そんなの、独善だ! 優しさに見せかけた……押し付けだ! 当のひよのはそんな想いをしていたんだろう!」
 さけぶ歩の目は潤んでいた。
 今頃やっと、あの華奢な少女に、自分がどれほど庇われていたか、理解しはじめたのだ、「神様」と呼ばれるこの少年は。
 「悪魔」と呼ばれてきた火澄はその目を見つめて、静かに答えた。
「そうや。わがままや。お下げさんの傲慢や。お前を思いやるふりして、お前からお下げさんを心配する権利を奪った、許しがたい行為やな。天国行ったら、いくらでも文句いいいな。現世では、死人に文句を言うことはできへんで?」

 火澄が食卓のテーブルに腰を下ろすと、少しおいて、歩は粗雑な仕草で椅子をひき、火澄の対面に座った。
「……いつか天国行ったら、ひよのにいやってほど文句を言ってやりたい」
「お下げさん、天国いるかいな?」
「……地獄にいそうだな、確かに」
 小さな笑いとともに、空気が目に見えて軽くなった。
 その笑いがやみ、歩が火澄に目を当てる。

「……話してくれ」
「じゃ、まず―――歩、お前、遺伝子ってものについて、どれだけ知ってる?」
「え……クローンとかのあれ、か? えーと、俺たちの細胞のなかに含まれている核の中にあって、DNAってよばれてて……」
「はい、ハズレ」
 飛び級で入った大学で遺伝子学を学んだ火澄はアウトを宣言した。

「DNAと遺伝子は、同一やない。DNAが、歩お前もみたことあるやろう、あの螺旋構造のすべて。遺伝子ゆうんは、そのなかのごく一部分や。さて歩。生粋の白人と生粋の黒人が結婚する。生まれた子供の肌は何色や?」
「……黒?」
 遺伝の法則は、ほとんど色が濃い方が優性遺伝になる。黒目と青い目は、黒目のほうが優性だ。だから歩はそう答えたのだろうが、遺伝子の世界は嫌になるほど奥が深い。
「はずれ。はいいろ、や」

「え……そんな、絵の具みたいに」
「その絵の具みたい、が実際かなりの部分でまかり通るのが、遺伝や。絵の具の重ね塗りのように、金髪と黒髪では黒髪が勝つ。黒は最強の優性遺伝や。ほぼ全ての色で、黒がもっとも優性に出る。絵の具のようにな。色の濃いほうが、優性。そして肌の色は、灰色になる。では、黒人の肌と白人の肌、優性なのはどっちや?」
「……どっちでもない」
「そのとおり。両方、どちらも打ち消されることなく存在する。肌の色ちゅうんは、メラニン色素の量やからな。両方の遺伝子が働いて、子供の肌は灰色となる。その子供が白人と結婚すれば、もっと薄くなる。肌の色に関わってる遺伝子は二つと仮定して、純粋な白人肌の子供が生まれる確率が3/4、灰色が1/4ってとこやな」
「それがどう関わりあるんだ?」
「お下げさんの立てた仮説はこうや。―――三つの遺伝子が関わる事象があって、優性遺伝子一つでもあれば優性となる事象。それこそがブレードチルドレンの呪いではないか?」

 そちらからくるとは思ってもみなかった歩は目を見開いた。―――が。
「……三つの遺伝子? 優性となる?」
 正直、イミが不明である。
「日本人の悪い癖やなあ。一度こうと思い込むと、応用が効かん。メンデルの法則から抜け出しいな。種子が丸いだ皺よってるだのメンデルの法則は遺伝子一つで現れる事象や。でも、遺伝子三つが絡み合って生まれる事象もある。その遺伝子を、AABBCCとしよか。対立する劣性遺伝子をaabbccとしよう。このうち一つでも、優性遺伝子が入れば優性の形質、一つも入らなければ劣性の形質が出るとしようや。さて、歩。一代目の子孫に劣性遺伝の形質が出る確率はどのくらいや?」
 火澄は席を立つと、メモ帳を手にさらさらと、AABBCC × aabbcc と書いた。
「……0%だ」
「では、子孫の遺伝子はどうなる?」
 AaBbCc、と歩は書いた。

「では、その子孫がaabbccと結婚したときに劣性の形質がでる確率は?」
 AaBbCc × aabbcc
 歩はさほど考えずに、さらさらとその場合の遺伝子をメモ帳に書き込んでいく。
 精子で考えられるのはABC、ABc、Abc、AbC、aBC、aBc、abC、abcの八通り、さらに卵子の遺伝子がabcで固定だから、ひとつでも優性遺伝子が入ってる場合、形質は優性となる。1/8だから、確率は……
「12パーセント……」
「ふむ、低い確率やな。歩、お前は呪いの正体をなんやと考えてた?」
 歩は肩をすくめた。
「自己暗示の類じゃないかと」

「うん、結構いいせんいってる思うで? プラシーボ効果ってあるし、人の心ってもんが、どれだけ影響力あってタチ悪いかは、まあ、死ね死ね言われてきた俺がいちばんよく知ってるし」
「火澄……」
「話を元にもどそか。お下げさんは、この遺伝、一世代目の発現率100%、二世代目で88%のこれが呪いの正体ではないかと考えた。ブレードチルドレンは、二十歳になると、人の心を無くすといわれる。それは、脳内物質の撹乱ではないかってな」
「それは俺も考えたことがあった。でも、人の心がそんな物質で左右されるものか?」
「せやな。歩、俺たちは自分の心は神聖不可侵で、そんな冷たい科学反応でどうにかなるもんじゃないと、そう考えてる。でも、結構なるもんやで? 歩、お前かてあるやろう? 世の中も自分もどうでもいいって気分、どんどん嫌な気分に陥っていくというときが。そんな時、うつ病の薬を飲めば不思議と気分がすっとする。アルコールかてそうや。明るくなれる、いい気分になれるから、人は酒を飲む。嫌なことがあっても、麻薬をやれば幸せな気分になれるから、人は麻薬をやるやろ? 人の心は、人がおもっとる以上に、脳内物質に左右されるんや」
「―――ひよのの立てたその仮説の根拠は?」

「その前に、麻薬はどうして人を幸福感に包むんだとおもう?」
「……それは、そういう薬物だから」
「では、麻薬は一体どこに作用するんや?」
 歩は考え込んだ。
「脳……?」
「そや。大雑把にいうと、脳の中に物質が入るには、二つの関門がある。ひとつは物理的な壁。脳のなかにももちろん血はかよっとるが、血管に入れた物質のうち、脳にまで届く物質はほとんどない。脳関門っていう関があるからや。そして、もう一つが、構造上の関門。歩、麻薬はどうして脳に影響をあたえるんや? むき出しの脳と、麻薬を二つならべたらなにか科学変化が起きるか?」
「……わからない」
「麻薬が脳に影響するのは、脳に、受容体があるからや。正確には脳の細胞膜に受容体がある。それが、麻薬と反応して幻覚などの症状を起こす」
「受容体……?」
「鍵穴みたいなものや。たとえばな、歩、お前は自分の家の鍵をもっとるな?」

「あ、ああもちろん」
「おまえは鍵を持っているのに、俺の家の扉は開かん。なんでやと思う?」
「何でも何も、俺が持ってるのは俺の家の鍵で合うはずがない」
「そや。毎日俺らは体内に何億という種類の物質を取り込んでる。それのなかで、何の影響も与えずに通り過ぎていく物質があれば、薬のように顕著な影響をあたえる物質もある。その差は、その物質に該当する鍵穴を体内に持っているかどうかで決まる。この鍵穴を、受容体という。俺らは麻薬を麻薬というが、多分それはちがうんや。俺らの体にもともとある受容体に反応して幻覚やらそういう症状を起こす物質を、俺らが勝手に麻薬と呼んでるんや」
「わかった。それが……?」
「ここからは俺もよくは知らん。お下げさんの態度からして、ブレードチルドレンの子供の受容体に、何か異常があったんやと思うが……」

「異常って、たとえば?」
「特定の物質の受容体が少ないとか、あるいは逆に多いとか」
「本当になにも、知らないな」
 思わずむっとして睨むと、歩は手を振った。
「違う。そういう意味じゃない。俺は、本当に、ひよのがなにをしていたのか何も知らなかったんだと……、そう思ったんだ」
 そして、なにやら深く息を吐き出した。

 歩は火澄の見る前で、席を立ち、体を返す。
 どちらにいくのかと後を追うと、歩はパソコンルームに入ってCDをいれ、データを読み出し……パスワードを無造作に入れた。
 止めるのも遅く、確定キーが入力される。
「ば……っ! 一度間違えば終わりなんやで!?」
 歩はどこか歯車が取れた平坦な口調で言った。
「ひよののパスワードは、どうせ兄貴に全て回収されてるよ。大事に抱えてるから未練がでる。お前に聞いた情報で、ひよのが関係者の生体データを集めていた理由も推測がついた。大丈夫、後は俺がやる。あんたは充分すぎるほどよくやった。もう、休んでくれ。大丈夫……この苦味を忘れてしまうことなんて、あるはずないから。兄貴に、懐柔なんて絶対されないから。あんたを殺した兄貴に絶対、膝を折ったりしないから」
 途中から、歩の言葉はひよのへのものになっていた。
 歩は歩なりに、ひよのの遺言であるこのディスクに、ひよのの遺志を感じていたのだろう。

 それを聞き、火澄もとめるのをやめた。カノンにわざわざ託されたものだが(火澄は監視カメラの画像から、それを見知っていた)、主な目的、カノンの身柄の保護は果たしたのだ。それに、……実際、パスワードがみつかるあてが、まるで無い。
(まあ、これで歩が打ち込んだ文字があってれば奇跡なんやけど)
 歩が打った文字は、いま、歩の中に飽和状態になっている言葉だろう。
 ―――結崎ひよの。
 いま、パソコンにはパスワードを照合中、の画面が表示されている。
 しかしご丁寧に漢字変換までして入力した文字があっている可能性なんて―――
「うそ、やろおい」

 奇跡は起こった。
 歩の目も見開かれている。
 画面に、データファイルのもくじが表示されていた。

 画面には満面の笑みをたたえたひよのの画像があり、目次を指し示している。
 1 ブレードチルドレンのひみつ
 2 歩さんと私の愛の記録(ハートマークつき)!
 3 有効に使ってください、ひよのちゃんが集めた弱みデータ!
 という項目が並んでいた。

(これは……俺が見ていいものなんか? お下げさん)
 ひよのが立てたこのやくたいもない運命についての推理。
 それは果たして、火澄が清隆から教えられたものと同一か? いやそもそも、清隆が嘘を言っていないなんて保証がどこにある―――?
 見たくない。でも、見たい。

 葛藤する火澄が沈黙している間に、立ち直った歩がもくじの1をクリックしてしまった。
 開かれるウインドウ。表示される膨大な量のデータ。
 ひよのが集めた情報の全てが二人の前に表示され―――
 二人がその全てを理解したとき、空は既に完全に夜のとばりがおちていた。
 長時間パソコンにくらいついていた首が痛い。火澄は歩のほうを、錆びたロボットを思わせる動きで振り返る。
「……お下げさんが、歩に言わんかったはずやな」

 返ってきたのは、沈黙のみ。






 や、やっと出てきた。基礎講座。すみませんすみません、実はもっとはやくに出す予定だったんですけどー、機会をのがしてずるずると……。
 読みにくくてすみません。また杉浦のは即席の、本で読んで身につけた付け焼刃の知識です。一生懸命勉強しましたが……間違っていたらこっそり教えてください。こっそり直します。


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Date:2015/11/04
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