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あかね雲

□ 結崎ひよの殺人事件(スパイラル) □

結崎ひよの殺人事件 29


 最初は、ひよのを殺し歩を絶望に突き落として、スイッチを入れることかと思った。強い負の感情の揺らぎが、スイッチの入るきっかけなのだ。
 でも、歩が火澄でないなら、スイッチなど入らない。何故だろう?
「私を殺すのは……私が火澄だからですか?」
「君は、歩の、最愛の人間だからだよ。私が君を殺せばあの子は私を恨むだろう? そして、私を倒すため、力をつけようとする」
「……敵対、させたいんですか? 恨ませて、どうするんです?」
「そうでもしないことには、あの子は今すぐ力を得ようと邁進したりは、絶対しないだろう? 力を得ようという気になりさえすれば、君はきっと、あの子のためにあらゆる準備をつくしてくれているだろうから、たやすいよ」

 行動を読まれて、ひよのは吐息を吐く。
 確かにひよのは今日のため、自分がいなくなったあとの歩のために、手を尽くしてきた。その情報を使えば、効果的に組織をつくれるだろう。独力より、はるかにたやすく。
「……恨ませて、力を持たせて、どうするんです? 最終目的は?」
「32年前。私の代で、ヤイバ側の造物主が打った手がある。このゲームの目的はヤイバ側が人類の殲滅だ。ただし、地球環境を壊さない形で、という但し書きがつくな。彼らが32年前に、一体どんな手を打ったのか、ようやく調べがついた」

 ひよのは眉間にしわを寄せ、記憶を探る。32年前、何があったか……? また、地球環境を破壊することなく人類を駆逐するには、どうすればいい?
 ひよのははっとした。
「まさか……」
「言ってごらん」
 ひよのはゆっくりと口を動かす。
「細菌……それも抗生物質に耐性を持つ病原菌、ですか? 抗生物質が実用化され、細菌を撃退する夢の薬として、今のように大量に投与されるようになったのが、そのぐらいの時期です」
 こんな少ない情報でそこまで読んだひよのの教養は大したものだった。
 近頃の女子高生で、「耐性菌」の何たるかを知る者などほとんどいないだろうに。
 病原菌は、地球環境に変化をもたらさない。また、種の跳躍……人から動物へ、複数の種族にまたがって伝播することもまずないので、地球上の食物連鎖に異常は起きない。以上のことから、ひよのはそう予測した。

「そう。正確にいうと、もっと早いが。細菌が耐性を持つのは早く、抗生物質はそう簡単には次世代のものが開発されない。32年前、ヤイバ側の造物主たちは、菌が、耐性を得やすくしたんだ。遺伝情報にそういうコードを書き入れたんだよ。32年かけて、そのコードはじわじわ効果を発揮してきた」
「でも、VRSA……最新の耐性菌は」
「そう今は、まださして脅威ではない。しかし、これからが本番になる。火が一気に燃え広がり包み込むように、この病気が世界を飲み込む。病原体は、ついにどんな抗生物質も効かない耐性菌を手に入れた。そして、今年は16年目。ヤイバ側の造物主は、32年かけて育った耐性菌に、高い致死率と伝播力を与えるだろう」

 ―――ひよのは青ざめていた。なまじ鋭利な頭脳をもつだけに、その状況で、どれほどの混乱が起きるのか、理解できてしまったのだ。
「でも、それと歩さんが、どう……」
「16年目の今年。私側の造物主も、手を打つことが許される。ただし、直接的な関与はできないというのがルールだ。将棋でも、相手の打った手を邪魔する手は打てても、相手の打った手を無効にはできないだろう? だから細菌の遺伝子コードの再度の書き換えはできない。世界を、未曾有の混乱が襲うだろう。しかし……私の残り寿命は、少ない。歩もだ」

 そこで、青年は息を吸い込んだ。
「私は、造物主たちに寿命を延ばさせたい。私と歩の寿命を。しかし、私の作り手は難色を示した。世界の混乱を収拾させるための指導者より、病気の特効薬を作らせたほうがいいのではないかという考え。そしてもう一つは、私はともかく歩は単なる一介の高校生でしかないこと。―――以上の二点でだ」

「……一ターンに出来る行動は一つしかない。厳然たるルールですね。あなた方の寿命を延ばすか、病気の特効薬を作るか……ですか」
「そう。彼らを頷かせるために、歩には力を持ってもらわないといけない。なんとか、16年目の今年ギリギリまで待ってもらう約束は取り付けた。12月31日までに、歩がそれなりの組織を作るためには、君の犠牲が必要なんだ。タイムリミット間近でそれでもなお君と歩の蜜月を見逃したのは、純然たる私の好意だよ?」

 青年は思い出したようにふと、笑う。
「そう、それと……君の育ての親を手配したのは、私じゃない。わたしと歩の戸籍や出生届同様、造物主たちが用意したものだ。君のことだ。自分の戸籍謄本ぐらいとっくの昔に調べているんだろう?」
 そのとおりだった。
 ひよのは自分がブレードチルドレンかという疑惑を持った直後に、手に入れている。確かに実子扱いになっていた。
 鳴海歩という人間をつくる、結崎ひよのという人間をつくる、のは、作るだけではない。ただ作って放り出しても日本という社会では生きていけない。その親や戸籍の面倒までみて、一回の行動になるらしい。

「ほかに聞きたいことは?」
「……ブレードチルドレンのスイッチを、誤解させているのは何故ですか?」
「誤解じゃない。脳内の物質が関係しているのは確かなことだが、天啓というのは存在している。脳内物質はその一助にすぎない。無駄な希望に勇躍させるのは、気が進まないから、そう言っているだけだ。君も歩も二十歳になればおのずと経験しただろう。だが―――とても待ってられなかった」
「最後の質問です。―――その造物主さんとやらは、一体何ですか?」
 清隆は、無責任に肩をすくめてみせた。
「さあ? 私も知らない。宇宙人か、滅んだ古代文明の継承者か、未来人か。ただ、彼らが私たちの常識外の知識と技術を持っているということしか、知らないんだ」

 再度おなじ質問。
 他に聞きたいことは?
 ひよのは深呼吸して、体内の動悸をしずめた。予想だにしなかった事情に、動揺をかくせない自分がいる。
 造物主。駒。盤面。ゲ-ム。
 ……歩の、寿命。
 思考がばらばらになっていた。
 落ち着け! とひよのは自分を叱咤する。
 動揺のさなかにあっても外側だけでも平静をとりつくろえるのは、ひよのと歩に共通した特技だった。

 ひよのは顔を上げた。
 ―――それはまるで西洋のビスクドール。
 色白で、亜麻色の髪がふんわりとウェーブをえがきながら垂れ落ちる。
 月臣学園のあの、鮮やかな臙脂の色の制服が色白の肌にこよなく似合った。
 美少女というのは誇張ではない。あのさわがしい口さえなければ、ひよのはその外見だけで人形のように可愛い少女として、名を馳せただろう。
 惜しむらくは外見に反して、中身が人100倍ぐらいしぶとくてたくましくて騒がしいということだが、その中身を愛する者もいるだろう、たとえば鳴海歩とか。
 体の前で下ろした両手を合わせ、たたずむ様子は、端然として精緻な美しさがあった。

「私が、火澄だと知ったのは、どういう理由でですか?」
「月臣学園も、現代日本の学校であることに変わりはなく、年一回の健康診断がある。そしてそのなかには、胸部レントゲン写真撮影も含まれている。ブレードチルドレンでもないのに、肋骨がない君を怪しむのは、それほど変なことかと思うかい?」
 ひよのはゆったりと頷き、こういった。
「私のわがままを聞いてくださって、ありがとうございます。全てに納得がいきました。これで思い残すことなく、死んでいけます」

 清隆も笑みを消し、ひよのに向き直る。
「―――世界のために、なんておためごかしは言わない。歩と私のために、死んでもらえるかな?」



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Date:2015/11/04
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