リオンとジョカは普段、魔術師の隠れ家である断崖絶壁の洞窟に暮らしているが、ときどきは町へも下りる。
その用事がすぐに終わらなかったりすると、宿を取る。
本日の寝場所もそうして取った宿だったが、少々問題があった。
宿の廊下にて。
リオンの目の前を、特大の洗濯籠をもった少女が通り過ぎていった。
籠の大きさは間違いなくリオンがこれまで見た中で一番大きい。大人が一抱えするほどの大きさがある。
そこに洗濯物を山ほど――文字通りこんもりと山のように積み、籠の丈の二倍ほども積んだ結果、白い塔のようになった洗濯物は、明らかにそれを持つ少女の視界を完全に塞いでいた。
どう見ても積みすぎた洗濯物はバランスが悪く、少女が一歩進むごとに右に左に揺れる。
一歩。二歩。三歩。
みぎ。ひだり。みぎ。
よろめきながらも十歩ほど歩いたところで、少女が洗濯籠を下ろし、小休憩をする。
そして、再び洗濯籠を持って歩き始める。
みぎ、ひだり、みぎ。
……あ、くずれた。
「わ、うわ、きゃ、きゃあっ!」
あまりの危なっかしさについリオンは足を止めて眺めてしまっていたが、予想通りの結果に息を吐き出すと近づいて声を掛けた。
「だいじょうぶ?」
今のリオンの姿は、何の変哲もない町人姿だ。目を引かずにいられない美貌は二十代の優しそうな青年のものに変わっている。
言葉遣いもそれに合わせて崩し、リオンは声を掛けた。
「あ……ああっ、ご、ごめんなさいっ!」
リオンは床に散らばった洗濯物を拾うのを手伝い、ずしりと重い洗濯籠を持つ。
少女は終始恐縮していた。
「お、お客様にそんなことさせられませんっ。お構いなく。叱られます……!」
「こういう重いものは男が持つものだ。君が持ったら、また崩れるよ。君が半分。僕が半分持てばいい。だいじょうぶ、黙っててあげるから。さっと運んでしまえば誰にも見つからないよ。……どこまで運べばいいの?」
リオンがさっさと積み過ぎた洗濯物の山のうち、三分の一ほどを彼女に渡し、残りを洗濯籠に入れて持ち上げると、やはり難儀だったのだろう。少女はそれ以上抵抗することなく礼をいった。
「ありがとうございます。う、裏庭の洗い場です」
かぼそい声でそう言う少女は、良く見てみると、少女という年ではなかった。もう十八、九にはなっているだろう。冴えない顔色をしていて、肌艶も悪い。
裏庭までの短い道中、少し話をする。
「手伝ってくれる男手はないの?」
リオンの中の常識では、女性は労わるもので、こういう大荷物を持ち運ぶ力仕事は男の領分なのだが。
「……ちょっと、いま、宿の経営がよくなくて……。以前はいてくれたんですけど、お暇を出されちゃったんです」
重すぎる荷物を持ってよろめきながらでは長い距離も、普通に歩きながらならすぐだ。
宿の裏手に設けられた洗い場まで運ぶと、彼女は何度もリオンに礼を言った。
「本当にありがとうございました。助かりました」
それで終わりだと思ったら、一時間もしないうちにまた会った。
桶に水を汲んでふらふらになりながら歩いていた。
リオンはまたため息をついて、手伝った。
次の時には多すぎる薪の束を持ってふらふらしていた。
また、手伝った。
少し、新鮮だったのは、否定しない。
こういうタイプは王宮にはいなかった。
王宮の使用人というのは下働きをつとめる下女であっても、身元がしっかりしていて、使用人試験にも合格した標準以上の能力を持っている。下女であっても王宮で勤めあげた、と言えば、何よりの「箔」になって、嫁ぎ先に困ることはない。
ドジで要領の悪いタイプというのはいないし、いたとしてもリオン付き(第一王子付き)になることはない。
王宮で下女や下男を見た経験も、実はほとんどない。世継ぎの王子であったリオンの生活圏と、下女や下男の行き来する区画は厳重に区切られているからだ。
そしてもし仮に大荷物を持っていたとしても、手伝いはしなかっただろう。
第一王子が手伝う方が、余程不幸な事態になることは明らかだからだ。よくて厳重な叱責。悪ければ免職+不敬罪で投獄である。
そうやって少しだけ言葉を交わしてみると、彼女は雇われ人ではなく、宿を経営する経営者の身内だった。宿の主人は彼女の兄で、女将は兄嫁。
そして給金いらずで使われているのが、彼女である。経営難で解雇した下男の仕事と、下女の仕事を彼女一人が押し付けられているらしい。
さまざまな仕事を言いつけられ、顔色を見ると食事も足りていないのだろう。一日中ばたばたと働きづめで働いている彼女を見ると哀れで、次に会った時にちょっとした焼き菓子をあげた。
「わあ! ありがとうございます……!」
彼女はぱっと顔を輝かせ、暗く沈んだ顔と笑顔の落差に、リオンまで嬉しくなった。
贈り物を喜ばれて悪い気のする人間はいない。
半端に同情するのはよくないが、リオンはこう自分に言い聞かせた。
――どうせ、今日一日の付き合いなのだから。
◆ ◆ ◆
たとえば、ジョカだって覚悟はしていたのだ。
リオンが誰か女の子を好きになったらとか、他に好きな相手ができたらとか。
普通に考えて、リオンがその気になって女性を口説いたら、かなりの確率でおとせるだろう。
そうなったらジョカは大人しく諦めて、身を引くべきだと思っていたのだ、が――。
「……ジョカ? 熱でもあるのか?」
部屋で考え事をしていると、リオンがいつもと様子の違うジョカに気づいて、額に手を当てた。
「熱は……ないな」
「熱じゃない。落ち込んでるだけだ」
「落ち込んでいる? なぜ?」
「何故だと思う?」
「――ひょっとして、クラウディアのことか?」
ジョカは頷いた。
そして、尋ねる。
「お前は、彼女に好感をもっただろう? 否定はしなくて良いぞ、ただ……ただ、俺がちょっとだけ、苦しいだけなんだ」
リオンは少し考えこみ、そして簡潔に言葉にした。
「――つまり、あなたは私と彼女の間を邪推して嫉妬しているのか?」
明瞭なことばで一刀両断にされて、ジョカは息を吐きだした。
「そういうこと、なんだろうな。たぶん……」
「言っておくが私と彼女は――」
「ああ、言わなくて良い。全部知ってるから」
「……そうだな。あなたと離れているとき、あなたが私に目を張りつけておかないはずがないし、あなたが知らないはずがない」
多くの人間にとってはストレスを感じる状態だろうが、常に身辺に世話をする使用人を数多く置いていたリオンにとっては気にしなければいいだけの話だった。
ジョカは、苦い息を吐く。
「仮定に仮定を重ねる話だけど――、もしも、リオンがどこかで誰か女の子を好きになったとする。そして、本気で好きになったとする。いちばんの障害って、俺だよな……」
リオンが何かを言いかけたのを、ジョカは手を上げて制する。
「俺は、お前が彼女に親切にした事に不満があるんじゃないんだ。お前と彼女がどうこうと思っているわけでもない。何と言うかな……可能性、の話といえばいいのか。――俺は、お前が誰かを好きになったら身を引かなきゃいけないと思っていたんだけど、できないかもしれない」
「いや、そこでできると答えられる方が私は腹が立つんだが」
「お前がさ、他の誰かを好きになったらどうしようって思ったんだ」
リオンは無言で首を傾け、続きを待つ。
「どんなにつらくても、お前がそれを望むのならそうしなきゃって思っていたんだけど――今日怖くなった。俺は、それができないかもしれない」
それを聞いてリオンは天を仰ぎ、ひとりごちた。
「……魔術師っていうのは、こういう考え方をするのか? 例がジョカ一件だけじゃ、断定できないけど……、その可能性は高いな」
ジョカが怪訝そうな顔をすると、リオンは言った。
「前は、あなたが私が他の誰かを好きになったら身を引くと言っていたのが激しく気に食わなかったんだが、ちょっと考えを改めた。考えてみれば、人間と魔術師じゃ勝負にならない。魔術師に追いかけられたら、人間が逃げることはできない。だから、あなたはそう言うんじゃないかと。それは、魔術師たちに共通の考え方なのか?」
ジョカは答えず、別の言い方をした。
「リオン。以前俺が、魔術師は契約者を傷つけることができると話したのを憶えているか?」
「……憶えている」
「魔術師が契約者を追いかけまわして振り向いてもらえないことにかっとして殺そうとしたら、止められる誰かがいると思うか?」
「……いないな。それは」
「仲間の魔術師が知っていれば止めに入るだろうけどな。そういう個人的なことをペラペラ喋ったりは普通しないだろう?」
「自分が人に恋着して迷惑顧みず追いかけまわしています、なんて――、言わないな。確かに」
「お前の言葉、正解。たぶん、そういうことなんだと思う。俺は魔術師として、厳しい教育を受けた。魔術師の力は天災とおなじ。ただ人にとっては逆いようがない暴虐そのものの力だ。だからこそ、その力を振るうときに自重しなければならないと……。そういう教育を受けたから、見苦しく執着してはいけないと思うんだろう。魔術師が力を自儘に振るえば、誰も抵抗できないから。――でも」
「――でも、あなたは、私が誰かを好きになったら、そしてあなたと別れようとしたら、耐えられないかもしれないと思うんだな?」
リオンは極めて上機嫌で、それを言った。
表情は、喜びがこぼれおちそうな満面の笑顔である。
「あ、ああ」
ジョカは頷き、一拍開けて尋ねた。
「嫌じゃないの? おまえ……」
「以前の言い草より百万倍マシだ」
きっぱりとリオンは言う。どうも、相当腹に据えかねていたらしい。
「誰かを好きになったら身を引くだの、誰かと結婚して子どもが欲しくなったら言ってくれだの、よくまあ腹が立つ言葉を善意で並べたててくれたな」
「……ごめん」
「それに比べれば、今回の『私が別の人間に心を移したら束縛するかもしれない』の方が、ずっと、遥かに、マシだ」
「ごめんなさい」
泣く子とリオンには勝てぬ。
ジョカはとにかく謝った。
機嫌が悪いようには見えないのが、せめてもの幸いである。
「なあジョカ。私は、かなり独占欲が強い人間だと思うんだ」
「……あんまり、そうは見えないけどな」
ジョカは肩をすくめる。
リオンは時々自分自身を評してそう言うが、リオンがそれほど独占欲が強いとは思えない。
「それは、あなただからだ。人付き合いがないから、独占欲を発揮する機会がほとんどないじゃないか」
「それは……まあ、そうかも」
ジョカは基本的に人嫌いなので、リオン以外の人間と何らかの関係を作ろうとは思わない。
「で、そういう人間にとって、だ。浮気してもいいよと言われ、束縛されないのは、それはそれで、気に入らないことなんだ。わかるか?」
「わかります」
リオンは極上の笑みで言った。
「だから、私は今嬉しい。じゃんじゃん嫉妬してくれ」
――最愛の恋人から嫉妬を奨励されたジョカは、非常に表情に困ることになった。
やきもちを焼くジョカ、のリクエストでした。
作中の通りの理由で、魔術師はあまり焼き餅を焼けません。ストーカーの魔術師とか怖すぎる……。
これが精一杯なんです。お許しを。
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