リオンは紅茶が好きである。
そして紅茶というのは茶葉の質と同時に、淹れ方も大事だ。
この上手な淹れ方というのが曲者で、王宮の女官たちは全員標準以上に淹れられるが、その中でもやはり優劣があった。
リオンに淹れるのはもちろん彼付きの世話役の中でとびきり紅茶を淹れるのが上手い人間で、名人級である。
ここまでいけば立派な特技であり、その腕前を見込まれてリオンの侍従にスカウトされ、他の部署から紅茶好きな第一王子付きに配属されたほどだ。栄転といっていい。
ちなみにリオン自身はというと、生まれてから一度も紅茶を淹れたことがないのだから腕前の方は語らずともわかるというものだろう。
ジョカは自分で紅茶を淹れていたが、こちらも名人には程遠く、腕前としては素人に毛が生えたようなものであった。
さて、現在リオンは王宮から遠く離れ、魔術師の隠れ家にてジョカと暮らしている。
食事はジョカが王宮から窃盗……もとい借金のカタに取り上げたものだ。おかげでこれまでは毒味のために冷め果てていた料理が、できたてで食べられるようになった。
これまでは遅効性の毒を使われる事も考え、相当な時間がたっても毒味役に異常がないと判断されてから、冷め果てた料理を口に運んでいたのである。
出来立ての温かい料理はこれほど美味なものであったのか、とリオンは感嘆し、衣食住のうち、「食」については格段に王宮にいた頃より向上したのだが……。
ただひとつ、「紅茶」については、別だった。
ジョカが取り立てる食事は、基本的に王宮の大厨房で作られた料理である。そして、紅茶というのは、淹れてすぐに飲まないと味が低下する。大勢の料理人が腕を振るい厨房で食事をつくるのと同じタイミングで、紅茶名人が紅茶を淹れるというのはまずない。
広大な王宮を人間が料理を持って移動し、毒味役が毒味をし、冷め果てた料理をようやく食べようというタイミングで、そういう名人たちは主人の為に紅茶を淹れるのだ。
料理が出来上がったのと同じタイミングで紅茶を淹れるのは、腕前としては普通程度の女官が、たまたまその時喉が渇いて淹れた、という場合なのだった。
リオンは基本的に、食事には文句を言わないで出されたものは食べる。
意外に思うかもしれないが、王族というのは悠然と構えているもので、不満をそうそう公言はしない。次期国王として育てられたリオンの場合は尚更だ。何があっても「焦らず、怯えず、どっしりと玉座に座っていること」が国王の第一の仕事である。
何より、王族が文句を言った場合、まず間違いなく、王宮のどこかで誰かが責任を取らされて何人かが失職し、幾つもの家庭が大黒柱を失って路頭に迷うことになるのだ。それを思えば、料理がまずいと口にすることさえ憚られた。
紅茶を淹れる名人がリオン付きになったことについても、リオンがそれを指示したのではなく、侍従がリオンが紅茶好きであることを察知し、先回りして動いたのである。
だから、リオンは紅茶についても文句ひとつ言わずに飲んでいたのだが――ある時言った。
「茶葉がほしい」と。
言われた側のジョカはきょとんとしたものの、すぐに尋ねた。
「どの種類の茶葉がいい?」
「ニルギリ茶がいい」
ルイジアナ王宮には、もちろん気密性抜群の箱に入った最高級の茶葉がある。それも様々な種類のものが。
そうした茶葉の一つを少々失敬し、これまた拝借した気密性抜群の小箱に入れて、ジョカはリオンに差し出した。
「はい。それをどうするんだ?」
「……ちょっと、淹れてみようかと」
「紅茶を?」
「ああ」
リオンは頷く。
ジョカは疑わしげな眼差しでリオンを見た。
「……おまえが?」
この言葉を翻訳するとこうなる。「生まれてこの方、一度も淹れたことのないお前が?」である。
「美味しい紅茶が飲みたいんだ」
「……いつも俺が出してるの、まずいか?」
「あまり美味しいとはいえないな」
「そういうもんかあ? お茶はお茶だろ?」
ジョカは、女官十人が同じ種類の紅茶を淹れたらどれも同じように感じる舌の持ち主である。
変な淹れ方すればまずくなるということは実体験で知っているが、逆に言えば、余程変な淹れ方さえしなければ、どれも似たり寄ったりの味になると思っている人間だ。
要するに、許容範囲が広く、舌が鈍いのだ。
そしてそれを、リオンは正直に言った。
「あなたは舌が鈍いな」
「……」
むっとはしたが、口には出さない。大人なので。
「うまい紅茶が飲みたいから、自分で練習して淹れようと思うんだが、協力してくれないのか?」
食事に文句を言わないリオンのこの言葉に、ジョカも考える顔になった。
名人の女官に紅茶を淹れてもらうのは、無理だ。それをやってもらうには攫ってくるしかないが、いくらなんでも紅茶のために人一人を攫うのは躊躇われる。
「お前に紅茶を淹れさせるのは、ちょっと……。それぐらいなら俺が淹れる」
「そんなに難しいのか?」
「それ以前の問題として、どうやってお湯を用意するんだ? 俺はお前に火を扱わせる気はないぞ?」
リオンが火を扱うなど、想像だけでぞっとする。
幼児のいたずらを怖がるあまりに、家からありとあらゆる刃物を取り除くような極端すぎる考えだが、ジョカにとっては正義である。
過保護といわばいえ。
過剰防衛ならぬ過保護なことはジョカだって理解しているのだが、リオンがこう見えて物覚えは抜群に良く立ち回りも要領もいいことは理解しているのだが、あとついでに剣術を習っていたので刃物の扱いにもそれなりに慣れていることも理解しているのだが、それでもやっぱり、リオンに火を扱わせる気はなかった。
それでリオンが死ぬ可能性が少しでもあるのなら、ジョカにとってそれが正義なのである。
……これを一言で言うのなら、「盲愛」になるのだが、開き直っているジョカには言うだけ無駄であった。
もし仮にリオンがジョカのこういう考えを聞いたらため息をついて「あなたはまったく……」と呟いた上で、「あなたのいない場所で私が火を扱うことになったらどうする」とか、「今のうちに火の扱いを憶えておいた方がいいと思わないか」とか正論で論破してくれるだろうが、残念なことに、リオンにジョカの心の声は届かなかった。
そのため非常に残念なことに、ジョカは少し眉をひそめ、断言したのである。
「お前の練習のためにお湯を用意したりするぐらいなら、俺が練習する。湯を手にかけたりしそうで怖い」
「それは……ちょっと、申し訳ないんだが」
世界で唯一の魔術師に、お茶汲みを練習させるのは、ちょっとを通り越してとんでもない。
だが、
「それぐらいやってやるよ。……それに、お前の練習のたびにお湯を出すのと、手間はさして変わらん」
というジョカの言葉に、リオンは頷くしかなかった。
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