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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

とある料理人の悲哀


王宮料理人視点の一人称です。
前回ジョカのとばっちりを受けた不幸な方です。



 これは、いったいどういう悪夢だろうか。

「一体どういうことをしでかしたのか、わかっているのか!」
「ももも、申し訳ありませんっ!」
 私は上役に怒鳴られ、必死に頭を下げながら内心は困惑の渦だった。

 さっきまで、何も、おかしなことはなかった。

 東方からの極めて貴重な食材であるカカオ。
 そしてそこから作られるショコラは、独特の風味と味でこの国の上流階級の間に着実にファンを増やしている。
 かくいう私もそのひとりだ。

 カカオの有効な調理方法が見つかってまだ時がたっていないこと。
 そして、東方からの交易隊の持ちこむ物資自体が希少であり、そのなかにカカオが混じっている事がまだまだ少ない事が原因で、知名度こそ低いが、王宮料理人の菓子担当である私から見てもこの菓子には無限の可能性が詰まっていると感じていた。

 苦みばしったその味、その甘露は一度味わえば病みつきになる。
 更に薄衣のように薄く塗ればパリパリとした食感が生まれ、分厚く板に固めればまた別の噛みごたえが生まれる。
 使い様によってじつに様々な表情を見せるのだ。

 味に個性があるので果物と合わせても打ち消されるということがなく、果物とショコラ、それぞれの味が口のなかで広がるため、用途にも夢が広がる。

 しかし最大の問題は流通量だ。
 とにかく、原材料のカカオが東方にしかないので東方からの交易隊が持ってきてくれるのを待つしかないが、東方との交易は莫大な利潤こそ生むものの一往復に数年もかかる。

 そうしてやってくる交易隊の荷は、絶対量が限られている。
 その中にカカオが入っていればいいのだが、入っていないことの方が多い。
 カカオは、今はまだそれほど愛好者が多いとは言えず、高値がつきにくい品だからだ。
 金を出せば買えるという品ではなく、金をいくら出しても、ない時はない食材なのである。

 ショコラが貴重なのは、そのためだ。
 王宮料理人(菓子担当)である私にして、年に数回しか見ないほど貴重な食材なのだ。

 そのカカオが久しぶりに仕入れられ、私は腕を振るってショコラに仕立てた。
 この国で最も高貴な女性である王妃陛下、第二王子殿下、そして国王陛下が召し上がられる菓子として、である。

 カカオは乾燥された豆の状態で、遠路はるばるこのルイジアナへやってくる。
 一年以上にもわたる旅を経てルイジアナに届いたカカオ豆は年季の入ったくすんだ茶色をしていて、こんな東方で生まれた小さな豆たちが私よりずっと長い距離を旅してここへ来たのだなあと思うと何やらしみじみする思いにとらわれるときもある。
 それはさておき、王宮が仕入れたカカオ豆を調理するのは私たち王宮調理人の役目である。

 豆を焼き、皮ごと粉砕し、しかるのちに皮を取り除いて中身をもう一度キメ細かく磨り潰す。こうして出来上がったカカオは脂分がたっぷり含まれているのでペースト状のものになる。このカカオを使い、ショコラを作るのだが――これが難物であり、料理人の腕の見せ所である。

 カカオは脂っぽい。
 豆に油脂の成分が入っているのだ。

 この脂分をそのままに牛乳と混ぜ合わせ、砂糖を加え、カカオの苦みをマイルドにして固めたのが、ショコラである。
 しかし言うのは簡単だが作るのは非常に難しい。

 牛乳は主に水でできている。
 カカオは脂分が多いどろどろしたペーストである。
 混ぜても、そのままでは牛乳の中にカカオのペーストが浮いている、という状態になってしまうのだ。

 かつて、これを混ぜ合わす事に成功した偉大な料理人は、この無理難題をあくなき努力と探究によって成し遂げた。

 具体的に言うと、料理人が三日三晩交代で、つききりで鍋をかき混ぜつづけたところ、その努力についにカカオが根負けしたのか混ざったのである。
 ショコラの誕生であった。

 私ももちろんその先例にならい、王宮料理人のうち見習いを含めた十人を選んで交代制を作り、三日三晩鍋をかき混ぜ続けた。
 この過程に限り、料理の技量は必要ない。
 必要なのは体力だ。

 ぐつぐつと熱された鍋を、受け持ちの時間ずっと全力でかき回し続けるのだ。地味だがきつい作業である。
 屈強な男でも一時間ずっと粘つく鍋を全力でかき回し続けると、終わるころには腕がしびれたようになっている。
 それを、次々に交代しながら三日三晩ずっと続けるのだ。

 まさに、根気と体力の勝負の調理であった。

 三日目、カカオは私たちの努力に根負けしたように混ざり固まった。
 そうして出来上がったショコラはもちろん砂糖を加えて味を調整し、より美味に、より食べやすくしてある。
 それを一口大に切り、表面に黄色い粉を少量振りかける。まるで金粉をまぶしたようになった。
 粉に味はない。見栄えを引き立たせるためのものだ。

 黒地に金はよく映える。
 まさに王族の皆様方が食べるのにふさわしい、菓子の王というべき黒い宝石が出来上がった。

 それを盛りつける菓子皿だって、白磁に華麗にして優美な花が絵付けされた美しい皿である。
 そこに白い敷紙をしき、黒い宝石をのせ、さあ、台車に乗せてメイドに引き渡そうというところでちょっと目を離し――元に戻したときにはショコラは消えていたのである。
 こつぜんと。

 しばし、自分の目を疑った。
 落としたのかと床を探し、そんな私の挙動を見て同僚たちも気づいて探しはじめた。

 そうこうするうちにメイドが遠慮がちにやってきて「茶菓子はまだでしょうか」と催促する。
 国王一家が全員――そう、リオン殿下がいない今は全員だ――つどう茶会に出す菓子である。

 そんじょそこらの茶菓子ではつとまらないと、四日前からつききりで調理していたショコラだったのだ。
 それが紛失。
 何かの間違いかと、すぐに見つかると思っていられたうちはまだよかった。
 探しても探しても見つからず、事態が深刻さを増すにつれ、冗談ではなく血の気が引いた。

 カカオ豆は王宮の食材庫にまだあるが、ショコラは作るのに三日三晩かき混ぜ続けなければならないのである。
 すぐに新しい品を用意できるような品ではない。
 いや、そうでなくてもだ。

 つい今さっきまで私の手元にあったものが、一瞬のうちに消えたのである。私がショコラを調理していたのは厨房にいる誰もが見ている。
 責任問題になるのは、あまりにも明らかだった。

     ◆ ◆ ◆

「はあ? 消えただと? 何を言っているんだね、きみは!」
「も、申し訳ありません! ですが、本当にこれは心当たりがなく……!」
「はん? 何を言いたいんだね?」
「そ、その……これは、あの、『守護神さまへの貢物』ではないかと……」
 恐る恐る言った言葉は、当然のように本気にされなかった。

 陛下の侍従長は鼻を鳴らし、心底馬鹿馬鹿しいと言いたげに言い放ったのである。
「はっ! 何を下らぬ言い訳を……。さしずめ、そういうことにして貴重な食材を懐におさめようというのだろう?」

「い、いいえ! そんなことはけっして!」
 私は冷や汗をだらだら流して平伏した。
 そう、いくら私が『守護神さまへの貢物』だと主張してもだ。
 それを証明する証拠は何一つないのだ。
 むしろ、そう言い募って自らの盗難を糊塗しようとしていると考えた方が、よほど自然だった。

 侍従長は猜疑でいっぱいの眼差しで、這いつくばる私を見下ろした。
「そもそもだ。魔術師ともあろう御方がだ、窃盗などするはずがないだろう。君たちは口裏合わせてそういう架空の現象をあると言いたてて、浮いた金を着服しているのではないのかね?」

 思わず顔を上げてしまった。
「そ、そのようなことは決して……!」

 ルイジアナ王宮の料理人ならば、誰もが『守護神さまへの貢物』を知っている。
 確かに作ったはずの料理が、確かにそこに置いたはずのものが、忽然と消えるのだ。
 あまりにも異常で、そしてあまりにも回数が多い。
 まるでそこに見えない誰かがいるかのように、一日三回食事が消え、そしてしばらくすると空の器が現れる。

 そういう異常な現象なだけに、ずっと昔、見習いとして厨房に入った当初、先輩に教えられた時は私も信じていなかった。……が、やがて嫌でも信じるようになった。
 それほど頻繁に起こる現象だったのである。

 人一人の食事、一日三食にプラスして三時のおやつや飲み物など、人一人が生きていく上で必要とされるだろう分量はそれなりに多い。
 それだけの食事が毎日毎日一日たりとも欠かさずに消えれば、王宮の厨房にいる以上は必ず、自分で体験することになった。

 しかも、リオン殿下が王宮から姿を消してから、消える食事は倍になった。
 リオン殿下の分だろう、と考えるのは当然の帰結で、そして回数が増えたぶん、体験する回数も倍増した。

 誰が何と言おうと、『守護神さまへの貢物』はあるのだ。自分の目で見て確かめたからこそ、それは揺るぎなく言える。

 しかし、自分の目で見て確かめていない侍従長には、厨房の人間たちが口裏合わせている裏金作りの口実としか見えなかったらしい。
「今回、消えたのは陛下にお出しする予定であったお茶菓子であるとか。貴重なカカオ豆を使い、大勢の人手を使ってようやく形になる世にも珍しい菓子……。横領すれば、いい小遣い稼ぎになるであろうな?」

 ねっとりとした眼差しでこちらを見る侍従長の視線に、私は悟った。
 彼は最初から、私を有罪と『決めて』いたのだ。
 私の弁解など、最初から彼の耳に入っていないに違いない。

 『守護神様への貢物』など存在しないと思っている人間にとっては、たしかに部署ぐるみの横領としか思えないだろう。
 実際、そういう名目で盗みをする人間も多いと聞く。

 消えた物品が『守護神様への貢物』なのか、それとも盗人の懐に入ったのかなど、それこそ魔術師に聞かなければわかりようもない。

 侍従長は徹底的に糾弾し、『守護神様への貢物』などインチキであると公表し、そういう名目でしばしば他部署からも計上される経費を削減して不正と窃盗が横行する王宮の清潔さを高める腹積もりなのだ。

「よいか! 魔術師ともあろう御方がこそこそと食事など盗むはずがあるまい! その偉大なるお力があれば食事を作ることなど造作もないのだからな。魔術師どのを盾にしてのそなたらのこれまでの聞き苦しい弁解、さすがに腹に据えかねた! よって」
 よって、の後、侍従長が何を言おうとしたのかは判らない。
 永遠の謎になった。

 なぜなら――、侍従長の目の前に、忽然と、華麗な花柄の絵付けが施された皿が現れたのだ。
 その手の込んだ図案と見事な彩色は、紛れもなく、ショコラごと消えていた菓子皿だった。

「…………」
「…………」

 侍従長の目線が私と合った。
 ……何を言えばいいのか判らなかったので、黙っていた。

「………………」
「………………」

 侍従長は、黙って目の前に浮かぶ皿を手に取った。
 皿の中には一枚のカードが入っていた。
 私も一緒に見たが、そこにはこう書かれていた。

    リオンと一緒に食べた。美味だった。

 そのカードを二人で見ること、数秒。
 やがて、侍従長は絞り出すようにこう言った。
「……持ち場に、戻るように」





 後日の話であるが。
 私の名はこの事件で一気に広まることになった。

 魔術師はこれまで数々の料理を(無断で)かっぱらってきたが、わざわざ直筆のメッセージで「美味かった」と賛辞を伝えたのは私が初めてだったのである。

 また、行方不明の王太子殿下(魔術師がカードに書いた『リオン』とはリオン殿下の事だろう。殿下を呼び捨てにするなど不敬の極みだが、魔術師の従者になったとのことなので、魔術師が呼ぶ分にはアリなのかもしれない)も、私の作ったショコラを召し上がられたとのことで、あのリオン殿下に献上した菓子ということで、ショコラは一気に著名になった。

 それに伴いカカオの価格は暴騰した。
 しかしそれに伴って東方からの交易隊が定期的にカカオを供給してくれるようになったため、一気にショコラはルイジアナに広まりつつある。
 あれを調理できる料理人はまだ少ないため、どろどろの飲み物として、だが。

 一時は馘首(かくしゅ)並びに横領と窃盗の罪で斬首まで覚悟した私も、何とお咎めなしということになった。
 ただの窃盗ならここまで罪は重くないが、なにせ、国王陛下の口に入るものを作っている厨房における犯罪である。その量刑が他の場所での窃盗とはくらべものにならないほど重くなるのは、当たり前のことだ。

 それだけにお咎めなしというのは、私自身意外だった。
 国王一家のお茶会に出す予定の菓子が紛失(盗んだのは魔術師だが)したのだ。
 いかに魔術師の仕業であると証明されたとはいえ、叱責と降格ぐらいは覚悟していたのだが。

 ルイジアナ王宮には古くからの不文律で『守護神様への貢物』は無罪とされる慣習があるので(そうでなければ罰される人数が多すぎて王宮に勤める人間がカラになる)、そのお陰かもしれないが……とにかく助かった。

 思わず魔術師様ありがとうと祈りたくなったほどだ。
 その魔術師がそもそもの元凶の窃盗犯で、しかもあの心優しく美しいリオン殿下を攫っていった大罪人である事を思い出して途中でやめたが。


 いや、それにしてもしかし。

 あの時の侍従長の顔ときたら、何度思い返しても笑える傑作であった。


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Date:2015/11/10
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