近頃、ジョカに言われた一つの言葉を思い出す。
――ただ王になるだけなら、怪我や病気にあいさえしなければいい。
「王になるために必要なものってなんだろう……」
リオンの呟きを聞き咎めて、ジョカが顔を上げた。
「ん? お前は既に持っているだろ?」
「なんだ?」
三百五十年の長きを生きた魔術師は言った。
「力だ」
「……は?」
「王になるのに必要なものは、誰が反対しようとも、ねじ伏せられる力だ。軍事力だな。お前が既に持っているものだ」
ジョカは最強の軍事力である。
「……ええと、そういうのじゃなくて」
「お前は難しく考えすぎだ。どうせ知性とか、公平な采配とか、そういうのを考えているんだろうが、ちがう。それは間違いだ。王になるのに必要なものは、突きつめれば一つしかない。反対者を殺し、己の意見を押し通せる力だ。己の言い分を通し、相手の言い分を粉砕する力だ」
「で、でもそれだけじゃないだろう?」
「いいや。それだけあれば事足りるな」
「でも統治するのには軍事力だけあってもできないじゃないか」
「問題がちがう。『王になるには』軍事力だけ、あればいいんだ。
『より良く統治するには』お前の言う通り軍事力だけあってもできない。だが、『王になるには』力があればいいし、『王でありつづける』にも、力さえあればいい」
物事を単純化しきった言葉だが、リオンは考えこむ顔になった。
「力さえあれば、どんな無茶でも通る。それがこの世の理だ。そう、成人男子を全員無理矢理徴兵することも、税金を倍にすることも、何でもな」
ジョカはそこで、くつくつと笑った。
「反乱を起こそうとしても、ルイジアナで俺の目をかいくぐることなどできない。お前は危険分子が立ち上がったところで即座に刈り取れる。暗殺をたくらまれてもお前に刃を届かせることなど誰もできない。計画の段階ですべては筒抜けだ。かくして、お前は悠々と王でありつづけ、ベッドの上で死ねるだろうよ」
「……」
滅茶苦茶だが……ジョカの言葉は、事実ではあった。
「どれほど反対者がいても、力があればそれを粉砕できる、か」
「己の命がかかっていて、なお反対できる人間はどれほどいる? お前が独裁をやろうとすれば、非常に簡単だろうな」
「――でも、愛されないだろう」
「為政者が愛される必要が、どこにある?」
ジョカが愉しげにいった言葉は、まさに卵を割って立てたに等しい衝撃だった。
リオンは殴られたようにのけぞった。
「だ、だだだ」
リオンらしくもなく、単語になる前の無意味な音声しか口から洩れず、口を閉ざした後は考えこんでしまう。
ジョカは顔を上に上げ、芝居がかった口調で言う。
「法律が何だ! 俺が法律だ!」
「あなたが言うと洒落にならないからやめてくれ」
「と、言えるだけの力がお前にあるんだが?」
「……」
「どんな暴虐もやりたい放題。どんな圧政もし放題。どんな政策を思い付いてもお前に反対できる人間は誰ひとりおらず、お前に不愉快なことを告げる人間は片っ端から処刑できる。そういう力がお前にはある」
リオンはそこでやっと反応をみせた。顔をしかめたのだ。
「――ジョカ……。はっきり言って良いか?」
「どうぞ?」
「悪趣味にも程がある」
「でも、事実だ。お前がそれをやりたいというのなら、明日にでも俺はそれを現実にしてやろう」
白く秀麗な顔がしかめられた。
「……片っ端から反対者の首を斬り、処刑して、恐怖政治をして何になる?」
「でも、一番手っ取り早いな」
「……」
「誰もお前を恐れて立ち向かわない。反対しない。お前の思い描いた通りに国は作られ進められる。官僚の不正だって数件を見せしめにして処刑してしまえば、恐れて手を引くだろう。お前は、お前の改革を実現できる。最高の効率で」
「でも、恨みをかう」
「それが?」
「憎まれる」
「それが?」
「……臣下が面従腹背をする」
「それが? 仕事をしなければ処罰すればいい。仕事をするなら内心はどうであれ使えばいい。巨大な力を見せつければ、反発をかうと同時に、力に従う者も出てくる。それは絶対だ」
ジョカは厳かささえ漂わせ、言いきった。
そして、それは、事実だった。
「従う人間を重用し、従わぬ者は処罰する。それだけのことだ。ちがうか?」
全ての反発を力でもって押さえつけ、やりたいようにやる。
子供向けの戯画に出てくるような滅茶苦茶だが、それを実際に実現できてしまうのだ。
ジョカはとても悪い顔で笑った。
「リオン。ものすごく良い事を教えてやろうか?」
「……なんだ?」
「政治は、結果がすべてだ。恐怖政治だろうが慈愛の政治だろうが、結果が出れば善政、出なければ悪政だ」
「……それは……そうだけど、でも、……」
「もうひとつ。人間、説得して判ってくれる奴ばかりじゃない。そうだろう?」
リオンはもう、何も言えなかった。
「力は万国の共通言語だ。万人を黙らせるだけの力があるのなら、力押しが最も手っ取り早い。リオン。上手くいけばどんな手法をとったとしてもそれは善政と呼ばれ、肯定される。失敗すれば悪政と呼ばれ、否定される。すべては結果で判断される。政治とはそういうものだということぐらい、お前だって知っているだろう?」
リオンはそこでようやく冷静さを取り戻し、ジョカを睨んだ。
「……あなたは、そういう事を言って私に一体何をさせたいんだ? 私をそそのかして恐怖政治をやらせたいのか?」
「とんでもない」
ジョカはにこりと笑う。
「俺は、お前の意志に従うよ。お前の意志だけに。お前がそういうことをやりたいというのならやってやる。でも、わかるな? お前の意志で俺が殺した人間は、お前が、殺したんだ」
「……わかる」
「『王になるためには』力があればいい。『王でありつづける』ためにも、力があればいい。でもお前は、王になりたいのか?」
リオンははっとして息を飲んだ。
「……王になりたいと思ったことは、ない」
「だろうな。お前は、病気や怪我さえしなければ、黙っていても王になれる生まれだ。黙っていても手に入るものをことさら欲しいと思う人間は少ないだろうよ」
「私は、王になりたいんじゃなく、良い政(まつりごと)をしたい」
「じゃ、質問。お前が思う『良い王様』は、何が必要だ?」
リオンは考えた。これまでこれほど必死に頭を使ったことはないというほど、一生懸命考えた。
そして、頭を振って、答えた。
「私なりの言葉で良いのか?」
「ああ」
リオンは王になるために生まれ、育てられてきた。
良い王になるために。
リオンは目を伏せ、そして青い目を上げて、言った。
「――慈悲では国は回らない。勝ち取るのではなくただ与えられる物は、人々の性(しょう)をゆがませる。ジョカ。税金を安くすれば、それで人は喜ぶだろう。だが、それはいいことか?」
「民衆にとっては、いいことだろうな」
「増税は悪いことか?」
「民衆にとっては、悪いことだろうな」
まさに、純真な若人をたぶらかす悪魔の顔で、ジョカは笑って答えた。
「でも、税金が安すぎて何もできなくなったら、それはそれで、民は恨むんだろう?」
「治安維持に公共事業、裁判等の法制度の維持に、軍組織の維持に医療に福祉。なんでもかんでも金がかかるなあ? 税金が安くなれば民衆は喜ぶけど、それらの質が落ちても文句を言うなあ」
「だろうな。なら、私の答えは決まっている。――民に罵られる事を恐れず、嫌われる事を恐れず、それを為さないより為す方が利益が大きいと思った事を決断し実行すること。それが、王の役目だ」
ジョカは少し、口の端を持ちあげた。
「人に嫌われるのを恐れない人間は、少ない。社会的動物である人は本能的に、誰かに嫌われることを恐れるからだ。人に嫌われるのを恐れない決断力があるのなら――最も手っ取り早い方法は、何だと思う?」
「……話は、戻るわけか。そこで」
ジョカは、まさに神話の悪魔そのものの笑顔で言ってのけた。
「そう。俺は可能性を提案してそそのかすだけ。選択はお前の自由。そしてお前の意志。そこで生まれる流血も憎悪も、全てお前の意志が生んだもの。俺は強いない。すべてはお前の意志が決める事」
リオンはじとりとジョカを睨んだ。
「どうしたんだ。今日は、ずいぶんと、意地が悪いな」
「お前が答えのないことで悩んでるから、ちょっとな。いちばん手っ取り早く、いちばん効果的で、いちばん暴力的な方法を示してやれば逆にふんぎりもつくだろ?」
ジョカはふあふ、とあくびをする。
――それでも、リオンが本当にその道を選んだのなら、ジョカはそれに従うのだろう。
以前、ジョカが「見せしめを作るのが一番手っ取り早い」と言い放って村人全員を虐殺しようとしたことを、リオンは忘れていない。
彼は優しい人だ。それを疑ったことはないが、同時に、決して忘れてはならない。
彼がこの国に、幾万、幾億の憎悪を抱いていることを。こころから、憎み抜いている事を。
機会ときっかけさえあれば、いつでもその憎悪は火を吹くだろう。
何の縁もない他人は殺せずとも、憎い相手は殺せる。人はそういう生き物だ。
「暴力が絶対悪というほど、それほどお前は愚かじゃないだろう?」
絶対的な暴力を所持している以上、暴力も、選択肢の一つだ。それも、極めて有効な。
リオンはそれがわかる。
わかってしまうだけに、その選択肢は魅力的にすぎた。
「……魔術師ってやつは……っ」
流血も憎悪も自分ひとりで背負う覚悟があるのなら。
ジョカの示した道も、選択肢のひとつだった。
珍しくタイトル通りにリオンをそそのかすジョカ。この小説のタイトルは『黄金の王子と闇の悪魔』です。
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