「……う……」
小さな声を上げて、リオンは目覚めた。
生成りのシーツがかけられた清潔な寝台に、何一つ身につけるもののない姿で、彼は横たわっていた。
起き上がろうとして走った痛みに、記憶が接続する。
王宮からここへ移動したジョカは、眩暈にうめくリオンを寝台に組み伏せ、体を押し開き、一切の容赦なく、体を重ねたのだ。
―――ここは、どこだろう?
目を見上げると、ごつごつした石の壁が見えた。洞穴に、そのまま家具を置いたような粗野なつくり。
ジョカの私的な隠れ家だろうか? そうだとしたら三百年不在のはずなのに、こうも綺麗なのは、魔法の力か?
動くと拓かれた場所が痛む。
寝台に頬をつけ、浅く息をしていると、目の前にコップが差し出された。中身は、温めた牛乳。ほんの少しだけ、どうやって手に入れたのかと考えたが、いまさら、だった。
ありがたく受け取る。リオンが体を起こすと、ジョカは寝台の縁に腰かけた。その背から、黒翼は消えている。
目を上げればジョカがいて、その前でミルクをすするのは、何とも言えず奇妙な気分だった。
ジョカは表情を消して、壁の方を見ている。
やっと得た自由に、戸惑っているのかもしれない。二十二の時から、三百年以上、囚われていたのだ。そちらの生活に慣れてしまって、自由を思い出すのに時間がかかるとしても、無理はないだろう。
喉を、ゆっくりと温かいミルクが滑り落ちていく。ミルクでよかった。食欲などないから、これぐらいしか口にする元気がない。
リオンが時間をかけて飲み干すと、ジョカがコップを取り上げる。
そして、唇を重ねた。
リオンは抗わず、目を閉じてそれを受け入れる。最初は触れるだけ。一度離れて、深く侵入してきた。
―――ミルクの味が、しているだろうな。
ジョカの頭に手をまわし、そっと撫でながら、そんなことを思う。
滑らかな感触のジョカの唾液は、ひどく甘い。
撫でている黒髪も、さらさらとした感触で、快い。触れてみて、リオンはずっと、この髪を触りたかったのだということに気づいた。
唇が離れる。
肩を押され、寝台に背をつけて、リオンはジョカを見上げる。真っ黒い、夜の闇の色をしたとてもきれいな髪と瞳。一つだけともる、銀の星。
その端正な面には、何の表情も浮かんでいない。憎悪も、罪悪感も、欲望すら。
「……抵抗しないのか」
「抵抗? なぜ?」
リオンにとっては、何もかも、想定の範囲内だ。いや、想像した中で、最良の道をたどっていると言っていい。
寝台に組み敷かれながら、まっすぐに、リオンはジョカを見上げた。
「私は、あなたに償うと言った。あなたが私にそうした関心を抱いている事は知っていたし、こうなるだろうとも思っていた。実際こうなっても、さしたる感興もない。私は、わたし、だ。何一つ失われても、傷つけられてもいない」
手荒い凌辱の直後、こうまで涼やかに宣言できる人間が、どれほどいるだろう。
蒼穹の空を映したアイスブルーの瞳は、ジョカにさえ、美しいと思わせた。
ジョカは、リオンを何の感情も見えない目で見る。それを、リオンは正面から気負いなく受け止めた。
「あなたは、私をどのようにしてもいい。その権利が、あなたにはある」
リオンは目を閉じる。身体から力を抜いて、ジョカの手に委ねた。
ジョカは、リオンを見下ろす。
もう、すっかり見慣れた顔。週に一度、律儀に訪れて、その度に若葉が芽吹く様にも似た、目を見張る成長を見せた少年。
週に一度、三年以上にわたる日々の、一つ一つの思い出が、ジョカの胸を苛んだ。ジョカが、どれほど皮肉と棘をぶつけても、辛抱強く通ってきた聡明な王子―――……。
先ほど、ジョカは、胸に煮え滾る腹立ちを、そのままぶつけた。苦鳴も何も聞かず、ただ体を引き裂いた。愛情の行為などではない。ただの暴力で、復讐を中断させられた腹いせでもあった。
でも、今度は違った。
ジョカが覆いかぶさるようにして、唇が重なる。リオンが戸惑ってしまうほど、それは、優しい口づけだった。
数回唇を合わせ、ほころんだところにするりと舌が入り込む。
奪われるのではなく、与えられる―――初めての感覚だった。縮こまっているリオンの舌を掘り起こし、ジョカは優しく吸う。
「……ん、ん――…」
長い口づけだった。鼻から抜ける息の音が、妙に生々しく耳に響く。
唾液が混ざり合い、口の端から細く筋を描く。
なんでこんな風に触れるのか、判らないままにリオンは精いっぱいそれに応える。
こんな接吻は知らない。舌と舌が絡み合い、知らない感覚を掘り起こしていく。背筋に震えが走り、体の温度が上がる。
やっと唇が離された時には、頭に霞がかかったようになっていた。
ジョカが顔を寄せ、こぼれた透明な筋を舐め取る。
そのまま、喉元に顔を埋めた。
「……あ……」
「王子は、感じやすいな」
低く、笑みを含んだ声でささやかれ、ぞくりとした。
ジョカは喉を吸い、そのまま唇を滑らせて鎖骨を噛み、胸筋の、年の割に発達した筋を指先で撫で、唇で確かめる。
リオンが一つ一つの愛撫に反応し、体をくねらせる様を、ジョカは楽しんでいた。
白い肌が上気し、桜色に染まる。手の中の吸いつくように肌理の細かい肌もいい。何より、快感をこらえるリオンの顔が、一番いい。
身の内に感じる強い衝動に、ジョカはいぶかしむ。
今、ジョカが組み敷いているのは、男だ。愛撫に反応している股間を見るまでもなく、肩も腕も足も、全てが女性とはつくりがちがう。
なのに、これはどうしたことか。この少年を抱きたい。そういう強い衝動がある。
同性愛者ではない自分の体の反応を不思議に思いながらも腹に口づけ、その下を見て、ジョカは躊躇した。今までの愛撫でそこはもう立ち上がっている。力を得た男性器の大きさに、抵抗があった。
ジョカは口に含むのはやめて、手で触れる。直接的な刺激に、リオンは声を上げた。
「あ……ん…っ」
リオンの中に埋めたい―――その欲望がそろそろ切羽詰まって来て、ジョカは先ほど受け入れさせた場所に手を這わす。
その瞬間、びくりとリオンの体が強張った。
状態を確かめて、さもありなんと思う。相当、痛んだはずだ。
「……傷ついてるな」
魔法で傷を癒したあと、指を埋め込もうとするが、入口は固く閉ざされていた。
「力を抜け」
そう声をかけても、中々柔らかくならない。リオン自身力を抜こうとしているのだが、さきほどの経験で、どうしても体に力が入ってしまう様だ。
ジョカはリオンの熱に手を添えた。
男同士だ。どうすれば「いい」かは、心得ている。さんざん高ぶらせていた体は、すこししごくだけで達した。
「あ……ああっ、ジョカ……っ、で、る……っ!」
「出せ」
かぶせる様にした手のひらで受け止める。
虚脱した体の後ろに手を伸ばすと、今度は指が入った。馬の脂(あぶら)を取り寄せてそれを塗ると、リオンは目で問いかけてきた。
「馬の脂だ。怪我に効き、同性同士のまぐわいにも効く」
たっぷりと指に取った脂を塗りこめるように馴らしていく。
「ん……んっ」
上気した顔で唇をかみしめ、指の感触に耐えているリオンの顔に、暴力的なほどそそられた。
すぐにでも襲いかかって犯したい衝動に何とか手綱をつけられたのは、もう傷つけたくないからだ。
指を二本にする。中で指を折り曲げ、開き、充分にほぐしてから三本にする。
その頃にはリオンの息は上がっていて、ジョカ自身、もう、抑えきれなかった。
指を抜き、リオンの腰の裏に枕を指し込む。足を開かせ、あてがった。リオンがぎゅっと目をつぶる。
ツプリと挿入すると、粘膜に感じる熱と締め付けに、我慢し続けてきた糸が切れた。
腰が動く。止まらない。内襞にぬりこめたものが擦れ合って粘性の水音を立てる。それにもあおられた。
欲望に突き動かされるまま突き上げ、ずり上がる肩を寝台に縫い止めて更に奥を抉る。
「あ……! あ、あっ!」
最後の一段を昇りつめ、目の前が白くなった。
内襞に精を吐き出して、ジョカはリオンの中から抜く。
寝台に腕をつき、乱れた息を繰り返している少年を、じっと見る。黄金の髪。アイスブルーの瞳。気品を漂わせる怜悧な美貌には色濃い疲労の影があり、それが一層艶めかしい。初めて会ったときから、ジョカはリオンのその顔が好きだった。
美しく、気高く、誇り高く―――だからこそ汚したくなる。
あの、暗殺者のように。
喘いでいるリオンの眼前に、自分のものを突きつける。
「舐めてくれ」
リオンはジョカを見上げ、こちらの反応をうかがっているその表情に悟る。
―――試している、か。
代償をリオンが支払うといった言葉の覚悟が、どれほどのものか。ジョカは、はかっている。
リオンは頭を振って起き上がり、青臭い匂いを放つ股間に顔を寄せた。
つい先ほどまで自分を犯していた性器に顔を近づけ、唇を開いて先端を口に含む。
ジョカはいささかの驚きをもってそれを見ていた。リオンは、一瞬たりも嫌がるそぶりも、反発する様子も見せなかった。
あの誇り高い王子が、自分の性器を口に含み、奉仕している。
ちろちろと舌が動く稚拙な愛撫だが、そう思うだけで血が温度を上げた。
口中で急速に大きくなっていくものに、リオンは舌を這わせている。
「もういい」
顔を上げさせ、腕を引いて引き倒した。うつ伏せにし、腰を上げさせる。
残滓で、中は充分に濡れている。腰骨をつかみ、あてがい、背後から一気に貫いた。
「ああっ!」
リオンの内部は熱く、からみつく内壁に、理性がとぶ。
欲望のままに攻め立てると、こらえきれないようにリオンが声を上げた。
「あっ、あっあっ!」
シーツを鷲掴みにする、伸ばされた手のかたち。揺すられるたび散る金の髪。出し入れするたびに上がる声が、ジョカの欲望をいや増しに煽る。
手加減など、とてもできなかった。
夢中で腰を送り込み、快楽を追う。内壁は熱くきつく、こするたびに快感が湧きあがる。
ジョカは動きを止め、力を抜いた。
「う……っ!」
放たれた欲望が広がっていく。
リオンの体からも力が抜ける。抜こうとする動きを制止して、背に覆いかぶさるように耳元で言った。
「駄目だ、王子。まだ、俺は満足していない」
リオンの動きが止まった。どこまでも従順に、ジョカに従おうというのだろう。
ただ内部にとどまるだけでもリオンの中は狭く熱い。この上なく心地よく、欲望はたちまち大きくなる。
リオンはうわごとのように彼の名を呼んだ。
「ジョカ、ジョカ、あ……ジョカ……っ!」
ジョカは、リオンを、十二の年から見てきた。まだ小さく、ジョカの胸ほどの身長の時から、彼は世継ぎの王子という自分の立場を理解し、それにふさわしい才幹と矜持をもった紛れもない「王子」だった。
誰よりも気高く、美しい、輝ける王子。
その、凛とした王子が、尻を犯されている。背後からがくがくと揺すられ、限界まで引き伸ばされた尻の穴にジョカの男根を受け入れて、何度も内に体液を出されている。
……そう思うだけで欲望が猛り狂う。
ジョカがリオンを解放したのは、それから二度ほど放った後、リオンがとうに意識を手放した後のことだった。
◆ ◆ ◆
ジョカは、意識を失ったリオンから自身をずるりと引き抜いた。
シーツはあちこち飛び散った精液で強張り、濃厚な性の匂いが漂う。
ジョカはリオンを抱き上げようとして、その重みに断念した。若木のようだが、筋肉質のリオンの体は重く、ジョカは肉体派ではない。
専門分野の方でリオンを運ぶことにして、ジョカは浴室に入った。
この隠れ家は、遥か昔に来たきりだが、魔法のおかげで先日と同じ状態を保っている。浴室には木でできた浴槽があり、個人用だが二人ぐらいなら入れる大きさだ。
配管らしき物の姿はないが、必要ない。魔法が浴槽を水で満たし、呼び出した火が、水を適温の湯に変えた。
リオンを湯につけ、ついでに自分も入る。
リオンは湯をかけられると目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのかわからなかったようだが、全裸で、ジョカと一緒に浴槽に沈んでいると気づくと羞恥に頬を真っ赤にする。
「いまさら何だ? もっと恥ずかしいことを散々しただろうが」
「そ、それは、そうだが……」
そう答え、リオンがはっと喉を押さえる。大体予想がついた。
「声を上げすぎて痛むか?」
一瞬リオンが睨みかけ、すぐに自制したように眼を伏せた。
「顔を上げろ。上向け。天井を見てろ」
あらわになった白い喉元に、触れる。滑らかな肌の感触を楽しんでから、魔法を発動させた。
「……痛みがなくなった。ありがとう」
男のものとも思えない肌の感触に興が乗った。距離を詰めて顔を寄せ、鎖骨に顔を埋めると、動揺している気配が伝わってくる。
リオンは体を固くして、愛撫を受けている。鎖骨の尖りが気に入った。唇で何度も触れ、かるく噛んで、その薄皮一枚下の骨の感触を楽しむ。
肩を掴んでみると、がっしりしていた。鍛えた人間の体だ。
動かないよう肩をおさえたまま、胸の合わせ目の薄い部分を舐め上げると、全身を震わせた。
隠すものもない浴室での欲望の兆しは、少し視線を下にするだけで露呈する。
「そういや、王子は一度しか出してないな。我慢することはない」
指をからめ、少し刺激してやると、快楽と羞恥の入り混じった表情で、呆気なく逐情した。
動揺でこちらを見れないでいるリオンの横顔を見つめる。彼は、美しかった。
あれほどの目にあったのに荒んだ様子はなく、白百合のようだ。
きっと、彼は、傷ついていないだろう。彼は自らを恥じていない。ジョカが強いた行為は、彼のその誇りにいささかの傷もつけていない。きっと、リオンは服を着れば何もなかったように、変わらず気高く。
―――リオンに、罪が、あるとは言えない。
現在の国王には罪がある。れっきとした罪。ジョカの存在を知りつつ、その能力の恩恵をむさぼるだけむさぼって、踏みつけにし続けた罪だ。
その国王を虐げる分には、心に迷いなど生まれない。だが、リオンは違う。
事情を知らず、知った後は罪に加担することを拒絶し、三百二十年ぶりに、ジョカを自由にしてくれた。もう、この闇の中で朽ちるのだと、絶望すら麻痺していた彼に、陽の光を取り戻させてくれたのだ。
ジョカは立ち上がった。リオンの腕をつかみ、彼も立たせる。
その拍子に体の中を伝った感触に、リオンは気づいたようだった。
「中でさんざん出したから、掻き出さないと体に障る。自分でやるか? それとも俺にやってもらうか?」
リオンは赤い顔で答えた。
「じ、自分でできる」
「じゃあ、後始末ができたら来い。俺は先に出る。着替えは用意しておく」
浴室から出て、適当に王子にふさわしい服を見繕い、脱衣所に置いておく。
部屋に戻ると情交の気配がくっきりと残った寝台にうんざりして、シーツの汚れを拭い去る。
縁に腰かけてタオルで頭を拭いていると、憂鬱な気分が広がっていくのを感じた。
償うというから、長年の恨みをそのままぶつけたが―――迷いが、生じてきている。
リオンに罪はあるか? いいや。
そういう理性の囁きが、大きさを増す。
そう、王家の者であっても、その世代でない者に、責任などない。償いをと言ったところで、自分以外の者がしたことへの罪を、どうして償わなくてはならない。まして、リオンはジョカを解放してくれたというのに。
―――だが、なら、この恨みはどこにぶつける?
この憎悪は、どうすればいい?
三百年もの間苦渋をなめさせられた、その責任は、いったい誰が取るというのか。ルイジアナ王家と、その国民にぶつけるしかないではないか。
最長で二十年、ジョカは誰とも話すことがなかった。
孤独は、完全なる強制された孤独は、どんな拷問にもまして人を追い詰める。
語り合う何者もなく、希望もなく、いつ終わるともしれない苦行の中、たった一人でいる生活は、心底ジョカを荒ませた。
病に倒れたことも幾度もある。
ジョカは飢えを知っている。いや、幽閉され、教えられた。それまでは、魔術師である彼は飢えたことなど一度もなかったのだ。
寒さに震え、手を伸ばし救いをもとめても無論のこと誰も応える者はなく、熱と苦しみと飢えに一人耐え続けた。
そのたび、死だけが解放なのではないかと、このままこの闇の中を孤独に、何の希望も救いもなく生き続けるぐらいならばいっそ死にたいと思った。
恥も外聞もなく、誰か助けてくれと何度叫んだだろう。
何度、誰でもいいから俺と話をしてくれと叫んだだろう。
最初の頃は、訪れる王族たちに、這いつくばって懇願した。出してくれと。何でもするからここから出して、と。
だが、どれほど惨めな姿をさらし縋りついて懇願しても、王族たちは、ジョカを幽閉し、利用し続けることを選んだ。
寒さに震え、飢えに苦しみ、孤独に心身を痛めつけられながら、ジョカは誓った。
いつか、もし、この地獄から生きて出られる日が来たら、必ず復讐してやると。
ルイジアナという王国そのものを地図から消滅させ、王家の人間は全員、語り草になるほどの残酷な死にざまを見せてやると。
……その恨みは、まだ心にありありと根付いている。
物音に顔を上げると、リオンが出てきたところだった。裏に起毛がついた、青と白を基調にした上下を着ている。
リオンはジョカを見て少し動きを止めると、近づいてジョカの前に立つ。
「ジョカ。長い間、あなたを苦しみの闇に幽閉したことを、ルイジアナ王家の一員として、心からお詫び申し上げる。―――そういえば、まだ、言っていなかった」
そういえば、ジョカも聞いた覚えはない。謝られたところで許す気にはもちろんなれないが。
しかし、償いの第一歩は謝罪からという姿勢は、ただしい。謝りもしないでこれだけしてるんだからいいだろうと言う阿呆が時々いるが、人を馬鹿にしているとしか思えない。
リオンは物静かな、凛然とした風情で、言葉をつづる。
「ジョカ。私は、あなたの心を受け止める。あなたの憎悪を、恨みを、私で晴らしてくれ。私に対しては、どんなこともしていい。だから、どうか、復讐で血祭りに上げる最初の一人を、私にしてほしい」
宗教画の天使のような容姿をしたこの王子は、ジョカの復讐心を抱きとめ、やわらげようというつもりか。長年の友誼が生んだ幾ばくかの信頼に賭けて、最初の一人に自分を指名することで、ジョカの復讐を思いとどまらせようというのか。
「……わかった」
その覚悟に敬意を表し、ジョカはそう答えた。
ジョカは指を鳴らした。右手の奥には食卓があり、そこに、食事が出現した。
「食欲がなくとも、食べておいた方がいい。明日はまた、同じようにする」
リオンは表情を消し、頷いた。
「わかった」
「―――王子。王子には、罪はない。王子の代わりに王が償いをするというのは、どうだ? それなら王子を今すぐ解放しよう」
リオンはかぶりを振る。
「罪がない、とは思わない」
「なぜだ? 王子にどんな罪がある」
リオンは少し考える間をあけたあと、言う。
「連綿と続くルイジアナ王家の、末端につらなるのが、私だ。ジョカは何度か、そういう生まれだから生きてさえいれば王になれると言った。その通りだ。父が、祖父が、そして系譜をたどれば初代国王が国王になったからこそ、私は王子として生まれ、その恩恵に浴して生きてきた。あなたを幽閉し、あの場所に置いたのはその祖先だ。私は、祖先の恩恵を受け取って来た者として、祖先の罪をあがなわなければならない」
ジョカは、いささか感心するとともに呆れる思いでそれを聞いた。
どこまで、この王子は自分に対して厳しいのか。
ジョカは、リオンの覚悟を試すつもりで言ったのではなかった。本当に、王と王子を入れ替えて王子は解放するつもりで、言ったのだ。もちろん、その場合、王には拷問のフルコースをたっぷりと振る舞って、まともな所など小指一本も残らない、ぐしゃぐしゃのクズ肉の塊のような状態にしてやるつもりだった。当然、最後まで意識と痛覚は残して。
王子も、それを分かっているだろう。となれば、頷けるはずもなかった。王子は父に愛されて育ち、父を愛しているのだから。
「だから、あなたは私に恨みをぶつける正当な理由があり、私には、それを受ける義務がある、と思う」
腹の底にうねる、恨みと迷いをリオンは見抜いている様子だった。
そして、それを、自分にぶつけていいのだと、迷いなど感じなくてもいいのだと、そう言っていた。
◆ ◆ ◆
食事を取ると、さすがに眠気を感じた。寝台は一つきりで、当然、二人で使うことになる。
「寝るぞ。一つしかないから、来い」
手招きすると、リオンは抵抗せず素直に滑り込んできた。
運動して、疲れ切っていたのだろう、まもなく寝息をたてはじめる。
ジョカはそんなリオンを頬杖をついて見下ろして、やはり、実によく出来た顔立ちだと思う。
十二の時に出会った。その美と矜持に心惹かれ、より誇り高く育て、いつかその誇りを完膚なきまでに打ち砕いてその顔を見ようと、考えていた。
だが、どうあっても、最初に思い描いた通りのことには、なりそうにない。
リオンは死を迎えるその瞬間まで、誰よりも気高いままだろう。その矜持を傷つけるのは神でも無理だ。
あの予知は―――たぶん、正しい。
最初に殺してくれと言われて、できなかった。
自分を呪ったルイジアナ王家の直系で、ほんのひと振りするだけで血の詰まった革袋となり果てるというのに、どうしても。
リオンをジョカは殺せない。
―――だが。
―――だが!
心の奥底が哭くのだ。三百年もの間、積もり積もった憎悪が、助けを求め無視され続けた記憶が、許すなと言うのだ。
ジョカは考えるのに疲れて目を閉じる。眠りに引きずりこまれたのは、すぐだった。
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