・これはパラレルです。本編には関係のないIF世界です。
リオンがもし、記憶を無くしたら……? というアナザーストーリーです。
リオンが目を覚ましたとき、視界に入ったのは見慣れた黒髪の青年だった。
「あ、おはよう」
固まってしまったリオンとは対照的に、ジョカは微笑むと自然な様子でリオンのおとがいに手をかけ、顔を持ちあげて唇を軽く啄ばむ。
――は?
ますます凝固が進んだリオンとは違い、ジョカはすぐ唇を離すと寝台から立ち上がり、優しい――これまで聞いたことのない程に優しい声音で言った。
「風呂に入った方がいいと思うんだが……、立てるか?」
声音も表情も、とろけんばかりである。
リオンは全身に鳥肌をたてて思わず後退した。
狭い寝台の上なので、すぐに背中に壁の固い感触を感じる羽目になったが。
「? リオン?」
その反応に、ジョカはいぶかしんだ様子だったがそれどころではない。
リオンが嫌な予感がして自分の体を見てみれば……素肌である。
毛布の感触などでそうだろうと思ったが、素っ裸である。
それはジョカも同じだ。
そして、裸の男二人が一つ寝台の上でする事と言ったら……。
「――ジョ、ジョカ。なんでここにいる?」
「はあ?」
ジョカは思いきり顔をしかめ、いぶかしげに問う。
「お前、何言って……。さっきから変だぞ? 熱でもあるのか?」
「なんであなたが私のベッドに寝てるんだ、裸で!」
悲鳴に等しい絶叫だった。
ジョカがこれまであった余裕を表情から消し、真顔になった。
「えーと、リオン。もう一度だけ、聞く。『何を言っているんだ』?」
「それは私が聞きたい! 何であなたがここにいる? 私に何をした!?」
ジョカは顎に手を当て、首を傾げた。
「……ちょっと待て。肝心要のところで、錯誤がある気がする。リオン。お前の名前は?」
『リオン』。
彼が、妙に舌に慣れた様子で、自分の名前を呼ぶことに気がつく。
ジョカは、これまで、リオンのことを『王子』とばかり呼んでいたものだが。
「リ、リオン。リオン・ラ・ファン・ルイジアナ……」
「ああ、おかしいわ。すげーおかしい。で、リオン。俺の名前は?」
おかしいところなどない筈なのに、ジョカはそう言って大きく頷く。
「ジョカ、だろう……?」
「ああ、そうだ。で、俺の真名は?」
「知らない……」
ジョカは大きくため息をついた。
「お前、今いくつ?」
「十五」
「王太子の立子式は何か月後だ?」
「三か月後」
問われるままに、リオンは素直に答えていく。
その答えに、ジョカは髪をかき混ぜた。
「……あ~っ。なるほどね」
「何かおかしいことでも、あるのか?」
「物凄く、色々と、おかしい。まず、記憶喪失……って単語はまだないな。おまえは今十六歳で、九か月ぶんほどの記憶がない。周囲見てみ?」
リオンは言われるままに目を巡らせる。
最初に驚いたのは、ここが思っていたような自室ではないことだ。
ジョカが不埒な欲を抱いてリオンの寝台に入ってきたのかと思いきや、違う。
見た事もない粗末な部屋だった。
目をやればすぐに食卓らしきテーブルがある。その距離の近さに驚くと同時に呆れる。リオンにとって、寝室と食卓は相容れないものだ。
部屋の内部はとても狭く、そして部屋の形状は細長い長方形で、一方の端からは外が見えて、それにも驚いた。
壁は岩盤を掘ったそのままのようで、平たく削ることすらしていないらしい。表面がごつごつととがって無数の凹凸があり、触れることすらはばかられる。
外への出入り口には扉もなく、ただ掘ったそのままらしい穴だ。
室内も狭く、目につくところにある家具と言ったら寝台と食卓だけ。
さっきのジョカの言葉から、奥には浴室があるらしいが、途中で折れていて見えない。
なんて粗末な部屋だ――というのが、リオンの率直な感想だった。
「ここは……どこなんだ?」
「俺の持っている隠れ家」
リオンは沈黙し、今までの情報と、持っていた知識との整合を始める。
そして、慎重に口を開いた。
ここには光がある。あの王宮の牢獄ではない。と、いうことは……。
「……あなたは、解放されたのか?」
ジョカは微笑む。
その微笑みの柔らかさに、リオンは胸を突かれた。
あの闇に閉ざされた部屋の主は、こんな風に笑ったことはなかった。これまで、そんな顔を一度たりとも見た事がない。
「そうだよ。お前が解放してくれたんだ」
リオンは俯き、万感の思いでもって、その言葉を噛みしめた。
「……そうか。わたしが……。九か月もの間の記憶がない、というのは……確かなのか?」
「確かだよ。証拠は……そうだな、これなら納得するか?」
と、差し出されたのは鏡だった。
リオンはその鏡に自分の姿を写してみて、考え込んだ。
――大人の一年と、成長期の一年はちがう。
大人なら一年前の容姿とはさほどの差はないが、成長期ではぐんぐん背も伸びるし、日々顔つきも変わる。もちろんその差は少しだが、一年も積み重なればかなりの差異になる。
日常のなかに埋没することのない一年前の記憶をありありと持っているリオンからすれば、鏡の中の自分との差は明らかだった。
鏡から目を外し、リオンは顔を上げる。
「わかった、私が一年間の記憶を無くしているというのは、了解した。が――。その、あなたと、私は、その……」
目覚めてからのジョカの親切な態度と表情が全てを物語っているが、あえてそこから目をそらしたい。しかしきっぱりと聞くこともできず、語尾は不明瞭に消えてしまう。
ジョカの親切!
うへあ、という感じである。
どこの他人がリオンに親切にしてくれても、ジョカだけはあるまいと思っていた。してることがしてることなので当たり前だが。
ジョカがリオンを深く憎んでいることにリオンは気がついていて、その理由についても推理していたが、父を問い詰めてもジョカを問い詰めても答えを吐かない。(経験済)。
真実は、立太子の式の日に父が明かしてくれるのを待とうと思っていたのだ。
それなのに、目覚めてから今までのジョカの態度ときたら、誰がどう見ても――、溺愛中の恋人へのものだ。
そういう関係、だったのだろうか? かつての自分は何を考えていたのか。いや何を考えていたのかはわからないでもないが、女性ならともかく相手は男だ。
混乱しながらもリオンは素肌に毛布を巻きつけている状態をまず何とかしようとした。
「服はないか?」
「あるけど……、まず風呂に入った方がいいと思うぞ」
言葉の意味は、寝台から降りて立ち上がった瞬間に判った。
内股を伝い落ちる液体に、リオンは血の気が引いた。
掌で拭ってみれば、それは男なら誰もが知っているもので……、青ざめて手を見ているリオンの腕に、ジョカは手をかけた。
「今はショックが大きいだろう。まずは風呂入れ。な?」
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