ジョカはすんなりと教えてくれた。
魂に刻まれたまことの名。普通のただ人には意味のないものだが、魔術師にとってはとても重大な名。それが真名だと。
「絶対に誰にも教えちゃいけない」
と、ジョカはリオンに念を押した。
「もちろん、他の人間がいるところで名前を呼ぶのもだめ。でも、二人きりの時はなるべく呼んで欲しい」
「わかった」
頷いたが――ジョカの自分への態度がありえないほど当たりが柔らかくて、気持ちが悪い。嫌味か皮肉かを入れなければ会話が成り立たなかったのが嘘のようだ。
だんだんとジョカの態度がほぐれていく過程は、今のリオンの記憶にはない。
皮肉と嫌味のフルコースだった頃しか、リオンは知らないのだ。
それがいきなり「コレ」で……、事情を知っても、やっぱり気持ちが悪い。
今では、ジョカの言葉をリオンは疑っていない。
真実は心に響く。
さっきの言葉と表情を見て、心中の疑念は払拭されたと言って良い。
もう、ジョカが自分を騙していると言う可能性は、除いていいだろう。でも。
「……なんで、私は、記憶を失ったんだ?」
「うん。たぶん超次元的第三者の介入があったんじゃないかと……」
「――何を言っているのか最初から最後まで意味不明なんだが」
「俺は結構新鮮で楽しい」
「私はまるで楽しくないっ!」
「あ、お前、俺が無理矢理お前を手篭めにするとか思ってないか?」
「……しないのか?」
実は一番警戒していたのはそれだった。
「しない。お前が嫌がることは、髪一筋だってしない」
そこでジョカは茶化した表情を一変させ真顔になった。
「俺がどれほどお前に感謝し、お前を愛しているのか、記憶のないお前は知らないだろうけど。お前が俺の為にしてくれたことすべて、俺は憶えている。俺は決してお前を傷つけない」
複雑な表情でリオンはジョカを見つめ、確認した。
「……私は、あなたが好きだったのか?」
矛盾しているようだが、「身売り」ならばわかるのだ。
リオンの体一つで滅亡が避けられるのなら、破格の安さだ。だが、その範囲を越えて、自分は彼を恋うるようになったのだろうか?
「好いてくれてたと思うよ」
「そうか……」
リオンはため息をついて、そして現状をたずねた。
リオンがジョカを解放したということ。そして、ジョカが予想通りの行動をとったということは。
「――私は、国賊として追われているのか?」
「お前がやったことは知られていないから、大丈夫だ。ただ、お前が王宮を出奔したのは立太子式の直後なんだが、その後一旦戻って、俺に仕えるからもう二度と戻る気がないって王宮の面々の前で宣言してな」
その意味を、リオンはすぐに察した。
「……王宮の、勢力図が激変するな」
「そういうことです。ぶっちゃけ、王妃の第二王子の勢力が急伸してるから、お前が王宮に戻るのはちょっと非推奨というか」
「それと、あなたの存在を、民は知っているのか?」
「俺が解放直後にちょっと派手にやらかして」
「……ああ、うん、わかった」
「だから魔術師が実在していたこと、それをルイジアナが幽閉していたこと、解放されて復讐に猛る魔術師をリオンが止めて、引き換えにリオンが俺に仕えることになったことは、この国だけでなく近隣諸国すべてに伝わってるな」
「……登場人物は王子と魔術師。派手派手しくまるでお伽話のような話だからな……」
急速に広まったのも無理はない。まるでお伽話だ。
リオンはそこで、改めて確認することにした。いくら確認しても、しきれない。それほど大事なことだ。
「私は、あなたを恋愛対象としては見れない。これはあなたに罪咎があるのではなく、私が男であなたも男だからだ。それだけで、私はあなたを恋愛対象者として見れないんだ。だが、私とあなたは恋人だったんだろう? あなたは私に無理強いすることはないと言ったが……あなたはそれで我慢できるのか? 昨日までは恋人同士であった相手と何もせずただ一緒にいる事が苦痛でないのか?」
ジョカは声のトーンを落とした。
「リオン、俺はな」
「なんだ?」
「お前に恋をして強引に体を結びお前との関係を『恋愛』にしたことに、後悔していないといったら、嘘になるんだ」
ということは、やはり関係の最初はジョカからの無理強いだったのだろう。
「だから、今回のことは神様が関係をやり直しするチャンスをくれたのかなと、思わないでもない」
「……あなたが、我慢できないと言うのなら、夜の生活に付き合うのもやぶさかじゃないんだが……」
嫌は嫌だが、我慢できないほどのことではない。なんせ天秤の向こうにあるのはルイジアナの滅亡だ。
ジョカの「お相手」をしなければ国が滅びると思えば、大概の事は我慢できた。
ジョカは生温い眼差しをリオンに向けた。
「うん、お前はそういう奴だよ。嫌でも『自分がしなければならない事』と思えばどこまでも歯を食いしばって我慢して表情は平静に保ってるものな。男に体を投げ出すことだってできるだろうよ。でも、生憎と、俺はお前を愛しているから、お前に嫌々差し出されても嬉しくない。そもそも最初は友人だったんだから、友人でもいいじゃないか」
「……あなたがそう言うのなら」
リオンにとっては得ばかりの申し出だ。リオンは呑んだ。
しかし、ジョカの心情を思えば、一刻も早く記憶を取り戻すべきだろう。
「どうすれば、記憶が戻るんだろう……ジョカ、良い方法を知っているか?」
「べつに戻らなくても構わないが?」
さすがに、リオンはぎょっとしてジョカを振り返った。
「――何故? 恋人に忘れ去られたんだぞ。付き合っていた間の記憶を全て。元に戻ってほしいと思うのが普通だろう?」
ジョカは肩をすくめる。
「俺がする事は何も変わらないし。お前がどう変わろうが、お前を愛している。それだけだ」
「……」
リオンは絶句した。
膨大な質量の愛情を自分に、自分一人に注がれていることに、恐怖すら感じた。
そういえば、リオンの記憶がなくなっていることに気づいてから今まで、ジョカは驚きはしたが、一度も失望や悲しみなどの負の感情を見せなかった。
そのことに、リオンは今更ながらに気づいた。
「俺は、お前がお前であれば、それでいい」
頭がグラグラと揺れて、眩暈がした。
ジョカはにこりと微笑む。
「俺に悪いとか、申し訳ないとか、だから思わないでいい。俺は、お前が生きててくれるだけでいいんだ」
「あなたは……あなたは、どうして」
そこまで、と言おうとした言葉を察して、ジョカは封じた。
苦笑して言う。
「お前は、もう忘れてしまった記憶だけど。それだけの愛情を捧げるに足りるものを、俺はお前からもらったんだ。お前が友人でいたいのなら友人で良い。負い目を持たせたくない。お前に何一つ、背負わせたくない。なにも、奪いたくないんだ。すでに多くのものを、俺はお前から奪ってしまったから」
◆ ◆ ◆
そうして「友人」のジョカから空白時間における自分の行動などを教えてもらったのだが――、頭が、比喩でなく、痛くなった。
「激動にも程があるだろう……」
「ああ、うん、それは同感。ハタから見ていて、危なっかしいったらなかった」
口ではそういうジョカだが、口元に浮かぶ微笑みがそれを裏切る。
優しげな、何をしていても愛しくてたまらない者を見る笑み。
「――そういう顔も、できたんだな。あなたは」
目覚めてから、ジョカの態度の変化には驚かされっぱなしだが改めてそう思う。
幽閉中、一回でも彼がこんな風に笑うのを見た事があっただろうか? いやない。一度も、ない。
三年かけて一度もなかったのに、目覚めてからの数時間で、片手できかないほど見ている。
しかしジョカの意見は違った。
「俺のこういう顔を引きだしたのはお前。よってお前の功績」
「……。あなたは、本当に私の事が好きなんだな」
「そうだよ」
躊躇のない断言だった。
照れるか否定するかの反応を予測していたので、リオンは応じる表情に困った。
ジョカはリオンをただ愛しています。でも「見返りを求めない愛」というと、ちょっと違います。
有り余るほどの見返りを、すでにジョカはリオンから貰っているからです。何があっても愛は揺らがない。そう言い切れるだけのことをしてもらったからこそ。
だからジョカはリオンが記憶を無くしても、「ただ愛する」ことができます。
「何が起ころうと、ひたすら愛しぬく」キャラとしてジョカを作りましたが、ジョカがそこまでリオンを愛せるのは、リオン側からの働きかけが大きいです。
片方にだけ、一方的に愛情を請求するような関係は、不健全で長続きしないと思うのです。
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