魔術師である彼は、利害で誰かを選ぶ必要などない。
好いた演技も、恋したふりも、両方必要ない。心のままにふるまう事が許される。
だから。
――彼は、本当に前の自分が好きだったのだ。
そう思った時、リオンの胸に湧き上がってきたのは、名称がついていない感情だった。
強いて言えば、憧憬に近い。
「……あなたは、魔術師で、何でもできる。比べて私は地位と身分を除けば手に何も持たない若輩者だ。どうして私なんかを選んだんだ」
「恋をする人間に、恋をした理由を聞くほど野暮で無粋なものはないな。……ああそうか、そういえばお前は言っていたものな。俺が初恋だと。つまり、今のお前は誰にも恋をしたことがないわけか」
「恋なんて……」
リオンはそこで口籠る。
さすがに、自分に恋をしていると言い放つ魔術師に言うのは躊躇われる言葉だった。
ジョカはくつくつと笑う。
「前のお前はこう言ってたぞ。恋愛なんてものは、お手軽で安上がりな幻想だと思っていたと。ということは、今のお前はそう思っているんだろう?」
「……いかにも私が言いそうな言葉だな」
まるで別人としか思えない「ジョカの恋人」が、自分であることを実感するのはこんなときだ。
「お前だからな。九か月の間の記憶がないだけで、お前はお前だ。土台はおなじ。人は経験によって成長し、変化する。その経験を得る前まで戻ってしまったからズレが生じているだけで、根っこは同じだ」
「……。恋なんて、打算の産物だろう」
リオンの脳裏によみがえる。
――お慕いしております、リオン殿下。
どれほど多くの貴婦人たちがリオンに囁いたことか。
彼女たちは、リオンを見て言い寄ったのではない。リオンの顔面と身分と地位を見ていたのだ。
ジョカは微笑む。子どもの無知を微笑ましく上から見る眼差しだった。
「恋の恋たる愚かさも力も知らない人間の、幼い言葉だな」
リオンは誰かに恋い焦がれたことがない。今の彼は。
だからジョカの言葉を否定する根拠を持てない。
「……恋とはそんなにいいものか?」
「少なくとも、幸せにはなれる。お前が側にいてくれるだけで、お前の青い瞳のなかに俺が入っていると思うだけで、こんなに簡単に幸福を感じられる。お前より遥かに力のある俺が、お前に進んで跪くのはなんでかな? お前の望みなら何でも叶えてやりたいと思うのはなんでかな?」
「……、それは」
口籠った一秒足らずの時間で、ジョカは言う。
「俺の命よりお前の方が、ずっと大事。そう思えるものが愛だ」
リオンはてらいもなく言われた愛の言葉に呻いた。
「……そういうことを言わないでくれ……」
ちょっと顔が赤くなってきたのが自分でも判る。
――恥ずかしいんである。
「あー……お前が嫌ならやめるけど」
「是非、そうしてほしい」
同性の友人に愛の言葉を捧げられた時の居心地の悪さは相当なものである。
この居心地の悪さは、以前の自分にはなかったものだろう。
普通に相愛の恋人がいて、こうまで熱心に愛情を捧げられれば、湧きあがるのはこんな後ろめたさなどではなく幸福感だったにちがいない。
「以前の私は、幸せだったんだな」
首肯するかとおもいきや、ジョカは首を傾げて苦笑した。
「それは、俺が聞きたいことだった。俺は幸せだったけど、リオンは幸せだったかな? わからない。わからないんだ」
「――私は、あなたが好きだったんだろう?」
驚いて聞き返すと、ジョカはあいまいな表情になった。
「どれほど優秀な魔術師も、人の心を読むことはできない。人の心を操る魔法も存在しない。人の心は、魔法の通じない絶対の聖域だ。俺はお前が好きだよ。誰よりも何よりも好きだよ。でも、お前が幸福であったかどうかは、わからない。人は、愛だけでは生きていけない。俺を助けたことでお前の心にのしかかる出来事は、どれも重すぎた」
食事が終わり、現状把握も終わって、リオンはしばらく考え込んだ。
全力で頭を回転させ、現状を確認し、かつての自分が辿った道のりを思い浮かべ、検討し、そして答えを出した。
青い目でジョカを見つめ、問いかける。
「私が友人でも、変わらぬ協力を期待してもいいのか?」
「いいよ」
「私があなたを殺すかもしれなくても?」
「いいよ」
「私が、あなたに上げられる見返りが何もなくても?」
「いいよ。先払いで、もう十分貰っているから」
リオンは頷くと、ジョカにこれからの行動計画を説明した。
それはこれまでのリオンとは違って即効性に優れた計画だった。
要は魔法を効果的に使うものだ。
それを聞き、ジョカは微笑んだ。
「いいよ。俺の力を、存分に使うといい」
かつてのリオンは、魔法を慎重に取り扱っていた。
自分で出来ることは自分で、を貫いていた。……リオンにそれを貫かせていたのは、結局のところ私情であったのだろう。
ジョカを「魔法を使う道具」にしたくないという私情が、彼にその道を選ばせたのだ。
そして、今の彼にはその手の私情はない。
時間対効果を追求したときの最善策は、誰が考えるまでもなくジョカに頼り魔法に頼ることだ。
ジョカが好きで、ジョカの魔法を恐れていたあの少年は、もう、いない。
そう、かつてのリオンはジョカの魔法に魅了されつつも恐れていた。恐怖していたといっていい。
子どもの頃読んだお伽話。
世界の理を越える不思議な力。
それは、人を魅了する力に溢れている。リオンは魅了されていたからこそ、距離を取っていた。
今のリオンは、ジョカがどれほどの事をできるのか、知らない。
魔法について、何ができて何ができないのか、ほとんど知らない。
だからこう考えている――「手持ちの最強のカードである魔法を最大効率で活用しよう」。
その方針は、ある物は有効に使うべきだという実利主義のリオンには、「らしい」方針だ。
それは悪い事ではないし、ジョカとしても止めるつもりはない。
リオンの存在とジョカの魔法が揃えば、ルイジアナの混乱はたやすく治められるだろうからだ。
何事かを為すとき、時間という概念は極めて重大だ。十年後に一粒の真珠を手に入れるより、今一枚の銅貨を手に入った方がずっと役に立つ。十年経つ前に死んでしまう可能性が高い状態では。
魔法を使わないというのはそういうことだ。迂遠で、遅々として、迅速が求められる場面には適さない。そして、現状はまさにそういう場面だった。
以前のリオンも、それが判らなかった訳ではない。十年後を見据えるということは、その間に死んでいく多くの民を見殺しにするという事だ。
魔法に対する未知の危険とジョカへの情。それが以前のリオンにその道を選ばせた。
為政者としての差し引き算の考えもあっただろうが。
いつかジョカがこの地を去るのはもう確定している。いずれ必ず、魔法はこの地から消えるのだ。
魔法を頼れば、それだけ去った時の混乱は大きい。今頼って、数十年後に万人死ぬか、今頼らずに長期にわたって犠牲を出し続けながら再建するかという違いだ。
どちらが正しいという問題ではなく、このリオンは「今」を選んだ。
そして、ジョカはその選択を支え続けるつもりだった。
リオンは王宮に戻り、王冠を戴いた。
魔術師と親交を結んだ王子が戻ったことで、ルイジアナ王国は繁栄を誇ったという――。
ちょっと唐突ですが、IF話はこれにておしまいです。
ジョカの魔法を使っての無双状態やりたい放題って、書いても面白くないのです。
前のリオンとこのIF世界のリオンの差異の原因は、「魔法を恐れているか否か」。
リオンは魔法の危険性に気づき、その誘惑にとらわれることを非常に恐れていました。
そこが、同一人物でありながら選択が異なった原因です。
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