カザ視点です。
待ちに待った式典が行われた、その次の日の朝のことだった。
リオンが消えたのは。
そしてあの忌まわしい魔術師の宣言が響いたのも。
リオン・ラ・ファン・ルイジアナ――ルイジアナ国民なら誰でもそらで言える名前だ。
ルイジアナではどんな農民の子どもでも、自国の国王とその世継ぎの王子の名前ぐらいはそらんじられる。
ルイジアナでは周辺諸国を見ても随一の教育制度がある。十二歳まで入る幼年学校がそれだ。おかげで識字率は八割以上で、これは周辺諸国の中で飛び抜けて高い。
幼年学校の教室の壁には王家の一家揃った絵姿が掲げられていて、繰り返し繰り返し、今の国王、王妃、世継ぎの王子、その次の王子の名を唱えさせられるのだ。
ルイジアナでは王冠を頂く国王一家の顔と名前は、知っていて当たり前の常識だった。
ルイジアナでは、王子は十五に立太子される。
幼年者の死亡率が高い時代だ、近隣国を見てもある程度育ってから立太子されるのが普通で、リオンは多少の病はあれど健康に成長して順当に立太子された。
この宮廷儀礼を、カザは見る事が出来なかった。
カザは何の位階もない平凡な庶民の子どもであったので、王宮内で行われた式典に参加する事が叶わなかったのだ。
それでも、嬉しかった。
ルイジアナ王家の至宝。聡明で英邁で公平なリオンが、次の王になる事が確定したのだから。
もちろん、彼は正嫡の第一王子だ。普通で言えば王太子になることは決まっている。それでも有力な隣国の血を引く第二王子の存在は喉に小骨のように引っかかっていて、心のどこかで心配だった。
だからこそ、嬉しかった。
……なのに。
その日響きわたった魔術師の宣言は、そのすべてをひっくり返した。
『復讐の時、きたれり!』
ルイジアナ全土に響き渡ったその声は、この国の滅亡の予言だった。
いや違う、予言じゃない。
宣告だ。
お前たちをこれから殺しつくし滅ぼしつくしこの国を灰燼に帰してやるという、宣言だ。
時刻は、朝の時間だった。
カザは急いで家を飛びだし道場にいる父の元へ駆け込んだ。
父は、手早く具足を身につけているところだった。
そして、カザを振り返らず言った。
「金庫から金を持ってこい。すべてだ」
――逆らい難い何かを含んだ声だった。
「う、うん」
言われるがまま走り、家の隠し金庫から全て取り出して戻ると、父はそれをそのままカザに渡した。
「お前は逃げろ。いいか、これが路銀だ。とにかく急げ。この国から出ることをまず考えろ」
「父さんは?」
「――私は、王宮へ行く。噂話がほんとうなら、あれは王宮からの声のはずだ」
「王宮の? うわさ?」
カザは知らなかった。
えてして、こういう噂は本人ほど知らないものだ。
ルイジアナの不自然なまでの豊かさは幽閉された魔術師の力によるものではないかという噂は、その当のルイジアナ国民たちの間では広まっていなかったのだ。
ルイジアナは豊かで、それが「当然」だったのだから。
それがおかしい、という発想がなかったのだから。
しかし、王宮勤めをしていた父親はそれを知っていた。
そして、今の宣言を繋げば、答えはあまりにも明瞭だった。
身支度を終えた父は、カザの肩を掴んで目を合わせた。
まだ、父の方が頭半分以上高い。視線は斜めの橋を作った。
「いいか、カザ。母さんを頼むぞ。お前が守るんだ。いいな?」
カザは不意に気がついた。
それは、今生の別れに息子に託す言葉だった。
父の子は、カザひとりだけ。幸いカザが健康に育ったからいいものの、幼少時の死亡率が高く、それ故に子を多く産むこの時代としては珍しい、子の少ない家庭だった。
「――とうさん!」
「恐らく、王宮は戦場になっているだろう……。お前たちは、全力で逃げるんだ。お前も聞いただろう? あの声の持ち主は、私たちを一人残らず誅殺(ちゅうさつ)しようとしている」
カザは、ごくりと唾を飲み込んだ。そして勇気を振り絞って、言う。
「な、なら俺も……!」
「駄目だ。母さんはどうする? 私が死んだあと、お前も死んだら誰が母さんを守る? 母さんを連れて、お前は逃げるんだ」
「な、なら父さんも!」
「――カザ。いいか。お前たちが逃げてくれるからこそ、私は行けるんだ。私はリオン殿下に剣を捧げた身。そして、殿下は王家の御方だ。今、御身は非常に危ういことになっておられるだろう。剣を捧げた主を裏切るような恥知らずな真似を、お前は私にしろというのか?」
「……とうさん」
涙が浮かんだが、こらえた。
父は、別れの時に後を託す息子が泣きじゃくっているような無様を、望まないだろう。
「わかった。――ご武運を!」
歯を食いしばって涙をこらえ、ことほぐ。
いっぱしの男の顔になった息子を、父は黙って強く一度、抱いた。
「大きくなったな、カザ。――いいか、お前は生き残れ。お前たちを生かすためと思えばこそ、私は戦える。死に物狂いで逃げろ。いいな?」
そう言い置いて父はすぐに体を離すと、傍らに置いてあった剣を腰に差し、軽快な足取りで走っていった。
カザはほんの一瞬、その姿を見送ったが、すぐに頭を振ると、母のいる部屋へと走った。
今は、時間が何より大事だった。
◆ ◆ ◆
ルイジアナは大河に挟まれた王国。
その大河は大軍をもって攻めてくる人間をはばむ障壁であり、同時に、逃げようとするルイジアナの民を阻む壁でもあった。
船着き場までの乗合馬車はもう既にすべて埋まっていて、カザと母が徒歩で最寄りの船渡し場に着いたときにはすでに陽は沈みつつあった。
レコン河は、向こう岸までが人の背丈の百倍以上ある大河である。
流れはゆるやかで渡河の苦労は少ないが、ないわけではない。
特に、人が殺到している時などは。
「どいて! おねがい! 私お腹に子どもがいるの……!」
「うちだってチビどもがいるんだよ! 皆おんなじだ!」
「私だってそうだよ! 大人しく順番待ちな!」
「待っていたっていつになっても来ないじゃない!」
渡し船はひっきりなしに行き来しているが、それでも殺到する人間をさばききれないでいる。
頑健な大人の男や身軽で泳ぎ上手な子どもは、もう渡し船を見切って抜き手も鮮やかに河を泳いでいる。
レコン河は、幅は広いが流れは緩やかなので、多少流されはするものの、無事に対岸についているようだ。
それを見てカザは話しかけた。
「……母さん、泳げる?」
母は真っ青な顔でかぶりを振った。
「む、無理よ……」
「そうだよね……」
カザも、さすがに母一人を抱えて泳げる自信はないし、こんな長い距離を泳いだ事もない。
足をつってお陀仏になる危険は非常に高いと言えた。
「……順番、待とうか」
「うん……そうだね」
列を外れると横入りされてしまうため、二人はひたすら列に並んだまま順番を待つ。
むっとするほどの人いきれ。人ごみ特有の、無数の音が混じり合い単独の音声としては聞き取れなくなったざわめき。
陽はゆっくりと沈んでいき、夜になった。
全財産の入った荷物を体の前でしっかりと抱え込み、カザと母は寄り添いあって眠る。
……平穏だった。なにもかもが。
周囲はざわついてはいるが、恐慌というほどのものではない。囁き声での会話ぐらいだろう。
意外だった。
あの声の調子からして、今すぐに、声の人物は行動に取りかかるだろうと思っていたのだ。
なのに、何もない。
何も、起こらない。
……父は、無事だろうか?
否が応にも、噂が耳に入る。
すでにカザはあの声が魔術師のものではないか、ということを知っていた。
魔術師。童話やお伽話の中に出てくる空想の人物……と思っていたら、本当にいたなんて。
どうしても、父の事を思い出してしまう。
今頃、王宮内で戦ってでもいるのだろうか?
少し考え、カザは否定する。
剣の戦いはそう長時間続くものではない。
戦いになったとしても、とうの昔に終わっているだろう。
「何もない」ことに緊張の糸が緩みかけているのを自覚して、カザは自分に気合を入れた。
このまま何も起こらないでいるのなら、もちろんそれが一番いい。
でも、そんなことがあるはずがないのだ。
その時のために、緊張の糸は切らすべきでなかった。
◆ ◆ ◆
結局、カザと母がレコン河を渡れたのは、それから二日後のことだった。
そして、その二日の間も何事もなく、長蛇の列だった順番待ちはぽつぽつと家に引き返す人間が出るようになっていた。
しかしもちろんカザと母はそのままレコン河を渡った。
渡った先は、大勢の難民がひしめいていた。
彼らによって宿は一杯で、困った末にカザは父の知人だという人を頼り、宿賃を払ってその家に居候することになった。
資金については父が家の全財産を渡してくれたので何とかなるが、聞こえてくるルイジアナの情勢は、驚いた事に何事も異変がない。
――早とちり、だったのだろうか。
勇み足すぎたのだろうか?
ひと月もするとそう思えてきて、家に戻るのもアリかと検討していたところに、父が訪ねてきた。
「父さん……!」
もう二度と会うこともないかもしれない。
そう覚悟した肉親だった。
しかし喜びを顔に出したカザとは対照的に、父の表情は重苦しいものだった。
「……父さん?」
いぶかしく問い返したカザに、父は、リオンと魔術師の契約を告げた。
謁見の間で、魔術師が暴露した契約。
ルイジアナを滅ぼすことをやめるかわりに、リオンの身柄をもらいうける――。
目の前が真っ暗になった。
自分の預かり知らぬところで事態が動き、決していたことを悟る。
あの日。
「何事もない」のと引き換えに、リオンは、己を犠牲にしていたのだ。
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