愛しさを感じる瞬間というのは、日常の、本当にささやかな時間の中にある。
それは例えば、隣に座られてその体温を感じる時だとか、ふとした時の無防備な表情であったりする。
ジョカが本を読んでいる時。リオンがやってきて隣に座り、同じく本を読み始めた。それだけで、何の会話もない。肩と肩が触れ合って体温を感じるだけで。
何の理由もない時にリオンに日常の延長で側に寄られ、ぬくもりを感じると、存在を許されているという気がして、嬉しくなった。
幸福を感じるときというのは、そんな何気ない、言葉にしてみればありきたりな日常の中にある。
リオンの体温を感じ、愛しさを感じるとき、同時に胸の中に幸福感があふれる。
――ジョカはリオンが好きで、リオンが側にいてくれて、ジョカの存在を許してくれて、あまつさえ好きだとさえ言ってくれる。
それだけでジョカは他愛もなく幸せになれた。
自分のお手軽さには少々呆れなくもないが、それでいいのだろう。幸福を感じる閾値は、低い方がいいに決まっている。
リオンに出会えて本当によかった。
ジョカは心からそう思っている。リオンがいなければ、ジョカはいまだにあの闇の中、たった一人で幽閉されているだろう。
泣き叫び誰か助けてと言っても、誰も聞いてくれる人間のいないままに。
あの地獄を想起し、そして同時に、リオンを抱き締めている今を思う。
不幸があるから、幸福を感じられる。
泣きたいほど、しあわせだと思う。
けれどもその反面。
もし彼が殺されてしまいでもすれば、自分でも自分がどうなるのか、予想もつかない。
犯人と犯人の関係者と、犯人がルイジアナの人間であればこの国を滅ぼすのは当然として、復讐が終わった後、自分に一体何が残ると言うのか。
何も残らない。
何も残らないけれど、そう長い余命は残っていないだろうことだけが幸いか。
リオンが死んだら、ジョカは生きる意味を失う。
できるだけ長生きをしてほしかった。
「リオン、頼むから長生きしてくれな」
しみじみと声をかけると、食卓で書き物をしていたリオンが金の髪を揺らして振り返った。
「もちろんそのつもりだが、さすがに百年は無理だぞ」
「なせばなる」
「ならんもんはならん! ……大体、生きていたって私に愛想つかす可能性だってあるじゃないか。魔術師の寵愛は絶対じゃないんだろう? 人間と同じように心変わりするものなんだろう? あなたが私を見るのも嫌いになったらどうするんだ」
ジョカは真顔で言った。
「リオン。くじを買う前から、『当たって金目当てに親戚分裂して騒動になって身内に殺されたらどうしよう』なんて心配する奴がいるか? 当たらない確率の方がずっと高いのに」
「……まあ、たしかにな」
ジョカの言う事にも一理あることをリオンも認めた。
心配しなさすぎも良くないが、しすぎも良くない。
未来の可能性は無数にあるのだから。
「俺は今、幸せだよ。お前がいてくれるから、それだけで幸せになれる。だから、頼むから長生きしてくれ」
――唸る程の憎悪を、ジョカは眠らせておいてもいいと思っている。
リオンが側にいてくれるのであれば。
しあわせに、笑っていてくれるのであれば。
胸の内にどれほどの憎悪が渦巻いていても、ジョカはリオンがいてくれればそのまま眠らせておく事ができるだろう。
そうして十年二十年と時が積み重なれば、眠らせておいた憎悪の蓋は時とともに強固なものになり、リオンが天寿をまっとうしたとき、そのままその憎悪を沈めてしまうことができるだろう。
ジョカにとってリオンは祝福であり福音であり恩寵でありこの世のありとあらゆる奇跡そのものだった。
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