fc2ブログ
 

あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

呪縛が終わる日


 憎悪の蛇がうごめく。
 それは脈絡なく、唐突に動いて、そしてジョカに教えるのだ。
 お前の受けた傷はその程度か、と。

 ――ああ、憎い。

 蛇があの頃の記憶を引きずり出し、心は一瞬で憎悪で染まる。
 ズタズタに引き裂きたい。拳の骨が折れるほど思い切り殴りつけたい。畑という畑に火を放ち、すべてを滅ぼしたい。

 蛇がささやく。
 魔術師に与えられた、数少ない権利。――復讐権を、なぜお前は放棄する?

 お前に与えられた傷はその程度か?
 造作もなく忘れ去ってしまえる程度なのか?
 違うだろう、幾星霜の時が過ぎゆこうと忘れられない憎悪をお前は育てたはずだ、どうしてその権利を放棄してしまえる?

 蛇に、ジョカはこう返す。
「忘れられないよ。許すこともできない。この先どれほどの時間が過ぎようと、たぶん一生忘れられない。俺の解放を疎む人間、俺の再度の幽閉を望む声のすべてを根絶やしにして、このルイジアナを不毛の荒野にして、初めて俺は解放される」

 ジョカはいつから自分の中に蛇が棲みついたのか、憶えていない。
 気が付いたらいた。

 そして、その蛇を育ててきたのは自分で、その蛇は自分自身のもう一つの心であることも知っている。
 二重人格などではなく、蛇は、ジョカ自身なのだ。彼の中の憎悪が、具象化したにすぎない。

 蛇の言葉はジョカが思っていることであり、蛇の意思はまぎれもなく、ジョカの意思なのだ。

 ちくり、蛇の牙がジョカの腕を傷つける。その血をすすり、蛇は一層太く大きく絡みつく。
 ――殺そう。滅ぼそう。復讐しよう。さもなければ我はお前を傷つける。

 憎悪をこらえるのは、ひどく疲弊する行為だ。
 内部で押さえつけられた憎悪は、内側に牙を突き立てる。
 ――どうしてまたさらに傷つく必要がある? さらに傷つくくらいなら、我慢などせずに。殺してしまえ。

 ジョカは腕に絡みつく蛇に顔を寄せ、囁く。
「……無理だよ。それは、リオンを不幸にする行為だから」

 ジョカの言葉に、蛇は弱る。たった一言で目に見えて縮み、消えはしなくても弱弱しくやせ細る。
 やせ細った蛇をジョカはべりりと簡単に引き剥がす。

 蛇はリオンに弱い。憎悪は、愛には勝てない理だから。

 リオンがジョカにかつて、聞いたことがある。
 解放された直後の話だ。
 解放されて、どこで何をするというあてもなく、差し出された白紙の未来に戸惑っていた時の。
 ――あなたがやりたい事は?

 ジョカは答えた。
 ――一つを除いて特にない。

 ジョカがしたいたった一つのことは、リオンにはどうあっても認められないことだった。
 だから、その時もジョカは困った顔をするリオンに、冗談としてその話を流した。

 ジョカがやりたいたったひとつの事は、リオンをどこまでも不幸にし、打ちのめすだろう。だから諦められる。

「リオンが生きててくれればいい。笑っててくれればいい。幸せでいてくれればもっといい。
 リオンが幸せでいてくれる以外に、俺が望むことなんてない。
 リオンが幸せで、笑っているために必要だというのなら、俺はたったひとつの願いすら捨てられる」

 ジョカの望みをかなえたら、リオンは確実に不幸になる。
 それがわかっているから、ジョカは心の中の願いを封印しておけるのだ。

「……でも、弱くなったなあ。おまえ」
 ジョカは蛇を見やってそう思う。

「消えはしないけど、明らかに一年前より弱くなってる。……あー、うん。判ってるよ。俺が今幸せで、リオンを愛すれば愛するほど、お前は弱くなる」

 リオンを愛することと、ジョカの憎悪は、反比例の関係にある。
 何故なら本質的にその二つは両立しないものだからだ。

 ジョカの憎悪の原因である幽閉がなければ、ジョカは決してリオンに出会うことはなかった。

 だから、今が幸福であればあるほど、リオンを愛すれば愛するほど、蛇は弱まる。
 ジョカの憎悪が、ほどけていく。

「……一生、決して許せないと思っていたけれど。いつか、俺は、許せるのかもしれない」

 この痛みも苦しみも、すべて。
 ――それがなければ、リオンには会えなかったのだから、と。


→ BACK
→ NEXT




関連記事
スポンサーサイト




*    *    *

Information

Date:2015/11/15
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする