いつかどこかでこんなことになるのではないかとおもっていた。
額を貫かれ、リオンの体がかしいで、後ろに倒れた。
時間が凝固した。
床に、赤い血だまりが広がっていく。
それをジョカは目玉が零れ落ちんばかりに見開いて見ていた。
その中心に倒れているのは、誰よりも愛しい少年。
ジョカを救い、ジョカに幸福と光を与えてくれた最愛の人。
さっきまで、ほんの一分前まで生きて、話して、笑って隣にいた人は、もう。
――ジョカは顔を上げて、リオンを殺した二人を見た。
魔術師の瞳に射抜かれて、二人は体を震わせた。
感情という感情を喪失した無表情だった。
倒れるリオンの姿に凝固していたのは、下手人たちも同じだった。
「お、おまえっ! 何をしている!」
「あ……いや、てっきり防ぐだろうと思ってて……」
リオンに投擲武器を投げつけた馬鹿は、上司の叱責にしどろもどえろになって弁解する。
その反応が雄弁に語っている。
この結末が、愚かの上に愚かを塗り重ねられてできたものであることを。
冗談半分でリオンに武器を向け、そして――出てきた結果に狼狽しているのだ。度し難いほど愚かな人間だった。
ひとにぶきをむける、その意味すら理解していない。暗愚にもほどがある輩。
ジョカがついていながら、そんな人間に、リオンを殺されてしまった……!
「馬鹿かおまえは! なんてことをするんだ! なんて馬鹿な真似を!」
頭をかきむしりながらの上司の悲鳴は、もはや絶叫だった。
「きさまの、おまえの、おまえのせいでっ!」
自分の言葉に自分で昂り、狂乱状態になっている男は放っておき、ジョカはリオンを殺した人間を見据えた。
殺意があれば気づける。
ジョカへの攻撃であれば理解できる。
しかし、リオンを殺しても、彼らに何の意味もない。論理的にそう判断したジョカはだからこそ気づけず、守れなかった。
彼らは、隣国の密偵である。
ジョカがルイジアナに構えられた彼らの巣を見つけ出し、裏からの密約をとりつけるため、二人で訪問したところだった。
ここで、リオンを殺しても益はない。多大な不利益しかない。
怒れる魔術師の復讐によってすべてを破壊しつくされるだろうとしか、思えない。
だが、ジョカを殺すことには意味がある。
なんせここは隣国の密偵のアジトであり、そこをのこのことリオンが訪問しているのは、まほう、というこの世の理の外にある力をジョカが備えているからだ。
ジョカがいなければ、いまだに第一位王位継承権を持つ王子など、いくらでも好きなように料理できる。利用価値の塊のような存在だ。
だから、ジョカは、自分に加えられる攻撃には気を配っていたものの、リオンへのそれは警戒していなかった。
……その愚かさの代価が、これか。
ジョカは、怒りすら湧いてこなかった。
「どうして、リオンを殺した?」
透徹とした、奥に危険なものを潜んでいることを感じさせる声だった。
言い方を変えれば、奥に潜むものを感じ取る感受性がなければ、一見して冷静と見える声音だ。
「こ、殺すつもりはなかった。ふ、防ぐだろうって、思ってて……」
「防げなかったら、こうなる。そんなことも判らないほどの、愚か者か?」
狼狽していた男の表情に苛立ちがよぎり、恐怖より怒りがまさった顔で、ジョカの目を睨み返した。
「うるせえな。魔法使いなんだから蘇らせてみろよ。できるんだろ? 魔法使いだもんな?」
ジョカは、ひっそりと微笑んだ。
「……なあ、お前。家族はいるか?」
「……っ」
言葉の意味は、明白だった。
お前の家族を殺す、そういっているのだ。
「お前の組織はもちろん、お前の国、お前の家族、お前の友人。すべて地獄に落としてやるよ。俺は、死んで楽になることを復讐とは思わない。死はすべてを無にする。マイナスさえも無になってしまう。なら、復讐とは、殺すことじゃない。痛めつけて、痛めつけて、心身ともに悲鳴と涙をあげるだけあげさせて、そして殺さない。それこそが、復讐だ」
「お、お待ちください! 魔術師どの! たしかにこの者は軽率で軽はずみで取り返しのつかないことをいたしました。ですが、それはこの者の独断でしたことです! 我らは一切かかわっておりません! この者が勝手に殿下を殺したのです!」
ジョカは鷹揚に頷いてみせた。
「そうだろうな。少しでも賢い人間なら、結果を考えずにリオンに対して武器を投げ打ったりしない。よけられても不興をかう。よけられなければ、リオンが死ぬ」
「そ、そうなのです! もし事前に相談されていれば、必ず止めておりました!」
「だが、お前の部下、がしたことだ。そうだな? リオンを殺したのは、お前の部下であって、余人ではない」
男の顔に絶望が浮かぶ。
ジョカはルイジアナ全土に張り巡らせてある「根」によって、彼らの全身を縛り上げた。
ぎょっとして彼らは自分の体を見ようとするが、首を動かすこともできない。
また、できたとしても何も、見えなかっただろう。
根は目に見えないジョカの力だ。
見えるようにすることも可能だが、今はその必要を感じなかった。
「そして何より重要なのは――お前を殺すことによって、お前の祖国を滅ぼすことによって、そいつの苦痛が購えるということだ」
「ま、魔術師様……っ」
上がった声は、絶望一色に染まっていた。
ジョカはひとこと、口にした。
「死ね」
根は忠実に、ジョカの意思に従った。
ひと思いに殺すのではなく、どんどんと干からびていったのだ。
「あ……あ……あああっ!」
絶叫が響いた。
ひとつは苦痛と恐怖の。もうひとつは、戦慄と恐怖の。
人間の手では決して為しえない死に方――またたくまに百年を経た死体のようにかさかさに干からびて、その男は死んだ。
ジョカは、リオンを殺した男の前に立つと、恐怖で大きく目を見開き、声を上ずらせている男に、まるで恋人に囁くように、言った。
「死を望むほどの屈辱と苦痛をやろう。けれど、決して殺さない。すべてが零になる死を、くれてなどやらない。お前とお前に連なるものの何もかも、俺が滅ぼしつくす様を、特等席で、ようく見ているがいいさ。そして、お前には死という解放すら与えない」
ジョカは言いながら、優しい手で男の髪にふれ――頭皮ごと一息にむしり取った。
男の口から純粋な苦痛の絶叫が迸った。
「ははは……。ああ、安心しろ。苦痛なんてすぐ慣れる。でも俺は慣れさせてやらないから。
安心しろ。案外人間はあっさり死ぬけど、俺はどれほどお前が無惨な体になっても、癒してやれるから。
安心しろ。お前の組織も、家族も、お前の祖国も。お前の目の前ですべてを滅ぼしてやる。
お前は、どれほどもつかな? お前が狂いそうになるたびに、俺がちゃんと正気に戻してやる。そして、お前は、命に別状がないまま、老衰で『安楽に』、死ぬんだよ」
いっそ狂ってしまいたかった。
死んだのが、リオンでさえなければ。
ジョカを助けてくれて、光の下に連れ出してくれて、闇に染まっていたジョカに、再び人を愛する喜びを教えてくれた人でなければ、どれほどよかっただろう。
狂気という安寧を、魔術師は許されていない。
だからあのひとすじの光もない牢獄で、ジョカはひたすらに苦しみ続けた。正気のままで。
許されているのは、狂気的に振舞うことまでだ。
狂うことさえ許されない牢獄。
リオンはそこから連れ出してくれて、再び人の善意を信じる心を取り戻させてくれて、人を愛する喜びを思い出させてくれた、幸せだと感じる心を教えてくれた、誰よりも大事な人だった。
リオンと一緒に他愛ない日常を過ごす時間。それが、どれほど幸福であったことか。
抱き合っている時間より、そうしてただ日常を一緒に過ごすほうがずっと長い。
一緒に食事をして、リオンに付き合って運動をして、本を読んで、下らない日々の雑談を交わして、授業をして。
金鎖のような髪を手で撫でて、くすぐったそうに目を細めるリオンに、ついばむように軽く口づけた。
ジョカにもたれて眠るリオンの重みとぬくもりに、心は満たされて幸福を感じた。
ジョカは、息をするように自然にリオンを愛していた。
全身全霊で愛し抜いた人間を、こんな馬鹿らしいことで殺されたのだ。
これが、憎まずにいられるか。
ジョカは恐怖と苦痛に体を震わせている男に顔を近づけ、恋人に対するもののように囁いた。
「……なあ。俺は、お前が羨ましいよ。お前は、老衰という死への抜け道があるものな?」
ジョカには、それすら与えられなかったというのに。
◆ ◆ ◆
ジョカは目を覚まして隣のリオンを見て、息とともにどっと力を抜いた。
念のため、リオンの頭を撫でてその体温と鼓動を確かめてほっとする。
「生きてる……」
悪夢だ。
しかも、下手したらそれが実現するところだった、夢。
途中までは現実だった。
違うのは、ジョカは間一髪で攻撃を防いだということだ。
気づくのがあと一秒でも遅ければ、夢は現実となって想像するだけでぞっとする事態になっていただろう。
リオンの崇高な志も理念も描いていた構想も――すべて、死によって断ち切られ、朽ちていただろう。
そうなったら、ジョカはあの夢どおりのことをしていたのは間違いない。
魔術師の『復讐権』の範囲には祖国や家族は含まれないが、それらしい映像を作って目の前で上演して、滅ぼしたと思わせたに違いない。
苦痛で痛覚がマヒしないよう薬をあたえ、怪我をさせ過ぎたら治療し、病になったら薬を投与して――、寿命がくるまで念入りに、もてなしただろう。
リオンがあそこで殺されず、リオンが生きている現在でも、ジョカのやった報復は死ぬより過酷だ。
そして、それに対してジョカはこれっぽっちも悔いていない。
当然の報いだ。
思い出してぶり返した苛立ちを言葉に変えて、吐き捨てた。
「人に武器を向けるってことの意味を理解してない馬鹿ガキが」
刃には、二つの重みがある。
人を殺すという重みと、人に殺されるという重みだ。
人に武器を向ける者は、殺されても仕方がない。
そんなことも理解せず、面白半分に人に武器を向けるようなガキが、ジョカは心底嫌いだった。
それだけなら個人の好悪の問題だが、リオンを殺されかけては実際的な復讐の問題になる。
ジョカは、眠るリオンをそっと撫でた。
無防備な寝顔を見て、愛おしさがこみあげてこないようならそれは愛ではないとすら思う。
ジョカは、誰よりも何よりもどんな存在よりも、リオンを愛していた
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