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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

最悪の相手 2

  
 伯爵は王子に対して拝跪し頭を下げながら、傾いていく気持ちに懸命にブレーキをかけていた。
 他の人間ならともかく、王族なんて。しかも傍流ではなく本家の本流の正妃の第一王子なんて、恋をする相手としては最悪だ。

 恋は最高の遊戯だが、それも楽しめる相手とならば、だ。

「そのような女と知り合ってしまったとは、不運なことだな」
「いえ、我が家の見る目がなかったということでしょう」

 なお、元婚約者に報復はした。きっちりと。
 女の生家はもう跡形も残ってはいない。

 クロード伯爵家は王国の設立から続く、名家中の名家。その力と人脈をフルに使って、破滅させた。
 元婚約者の家の事業は破綻し、元婚約者の家のすべての資産は捨て値で買い叩かれ、元婚約者の父も母も妹も弟もすべて貧民に身を落とした。

 借金の形代(かたしろ)として妹は娼館に売られ、貴族として贅を尽くした暮らしをしていた両親も庶民の生活に耐え切れずに一本の縄で人生を終えた。弟については知らないが、孤児として生きるのはよほどの根性か幸運が必要だろう。

 その後、実家の援助もなく、貴族として生きていた女が果たして庶民の暮らしに耐えられるかどうか――元婚約者の運命は、もう興味がない。

 王子は幾分彼に同情ぎみのようで、確かめるように問う。
「では、あの噂も嘘でよいのか。そなたは貧しい者の中より見目麗しい少年を餌食にしておるとか――」

 心臓が一つ、どきりと脈を打った。

 伯爵が跪いて顔を伏せたままでいると、数秒が流れたところで声があった。
「そなたに弁明の機会を与えているのだぞ? そなたの言い分を申すが良い」

 ――敏い、と思う。
 この王子は、一方の意見だけを聞いて決めることの愚かしさを知っているようである。

「では、申し上げます。殿下、私は彼らに無理強いはしておりませぬ。ですが、それを除けば事実であります」
「なに?」
 声に驚きと嫌悪がにじんだ。

「ルイジアナは豊かな国でありますが、突然の病気、怪我によって転がり落ちるように貧しくなり、その日の宿にも困る者たちは決してなくなることはありません。食べるに困り、困窮している者たちを当家では貧民院を作り、広く救済しております。その中より選び、給金を示したうえで当家にて働きたいという者は雇用いたします」

 王子の声にはっきりとした嫌悪が混ざった。
「詭弁を申すな。伯爵家管理の貧民院で暮らす孤児で、その誘いを断れる者がどれほどいる?」

 それは事実だ。
 最終的に子ども自身に身の振り方を選ばせたと言っても、その状況で否を言える子どもがいかほどいることか。

「では。申し上げますが、彼らにとって支えとなれるのは当家の貧民院です。その意味を、殿下はご理解いただいておられますか?」

 言った後で、直截的すぎる嫌味だったかと後悔したがもう遅い。
 焦りとともに、付け足した。
「私が手を差し伸べねば、彼らの辿る運命は犯罪者になるか、野垂れ死ぬか、あるいは男娼にでもなるかでしょう。わたくしめの差し出す手を取るか、取らぬかは本人の決めることです」

「――よくもまあ、そこまで自分に都合のいい勝手な論理を言えるものだ」
 王子の声はもう、完全に硬化していた。
 伯爵を敵とみなし、切り捨てている声だ。

 ルイジアナ王国は、代々王家の力が極めて強い。
 その第一王子ともなれば、その不興はクロード伯爵家の浮沈にかかわる。

 さあどうするかと考えていると、声が割って入った。
「殿下! こちらにいらっしゃのですか!」

 側仕えの者らしい人間が駆け寄ってきたのだ。
 頭を下げたまま、伯爵はそちらを見たが、目が合った。

 側仕えの人間は伯爵の顔を見て一気に表情を険しくし、小走りだった速度を速めて王子と伯爵の間に入った。
 その態度を見れば、伯爵の風聞を知っているのだと、誰であってもわかる。

 王家の人間に最も求められることは、世継ぎをもうけることだ。
 王族ともなれば、子を作れない同性愛者など言語道断。そんな輩は断じて側に近づけるわけにはいかない。

 護衛らしい人間は跪いている伯爵と王子の間に割って入り、伯爵を油断なく見つめながら尋ねる。
「殿下。この方はいったい……?」
「偶然会った。不快な出会いであったが、有意義ではあった。噂というものが益体もないものではないということがわかったわ」

 言い捨てて立ち去ろうとする気配に、伯爵は、賭けに出ることにした。
「殿下。殿下は、幼くていらっしゃる」
 動きかけた足が止まった。
 このような口をきかれたことはなかったのだろう。王子の驚いている気配が頭を下げても伝わってくる。

「な――!」
 気色ばんだのは王子ではなく護衛だ。
 王族の護衛は王宮内でも帯剣を許される。その剣に手をかけたところで、王子が手を広げて制止した。
「続けるがいい」

 伯爵はほっとする。
 ルイジアナ王国は、王家の権力が強い国。
 世継ぎの王子の不興をかったままではまずい。
 ――これは賭けだ。
 これまでのやりとりからプライドの高い性格だと見て挑発的な言葉を投げかけて引き止めたのだが、ひとまず王子の興味は引けたようだ。

「貧しい者が最後の頼りにするのは国ではなく我が伯爵家の貧民院。そして私が手を差し伸べなくては彼らに待つのは悪人の食い物になるか、あるいは悪人になるか、野垂れ死ぬかです。わたくしめは、彼らにそれよりはるかにましな生活を与え、そしてその代わりに望む者に奉公させているのです」

「それで? 貴公が年端もいかない幼い子どもに行為を強要しているのは変わるまい」

「いいえ。私は彼らに無理強いしたことは一度もありませぬ。拒絶したものはそのまま貧民院にとどまるだけです。ただ、応じた者には相応の給金と生活を与えているというだけです」

 王子が考え込む気配があった。

「殿下の視点ではわたくしのしていることは悪でしょうが、彼らにとっては違う事でしょう。何よりももし、殿下が殿下の正義にのっとって私を斬られたら、誰よりもまず先に困窮するのは、現在貧民院にいる子どもたちでありましょう。住む場所も食べ物も教育を受けて自立する可能性も、何もかも失うのですから」

 貧民院にいる子どもたちに伯爵家は衣食住のすべてを提供しているし、自立するための教育も与えている。これは完全に伯爵家の持ち出しの事業である。
 伯爵はその中から見目麗しく好みの容姿の少年に声をかけ、妾奉公に来るかどうかの選択をさせていた。

 奉公している間は給金を支払うし生活水準も格段に上がる。教育もよりいいものを受けさせている。
 妾奉公はこの時代の感覚で言えば罪ではない。単なる合意のもとの契約である。

 問題となるのは対象の年齢のみであったが、この時代の道徳では貴族が年端もいかない子どもを性の対象にすることは、親の了解を得た上でなら、眉をひそめられはしても罪ではない。

 貧民が自分の子どもを娼館などに売ることは、聞こえがいい話ではないが、罪ではないように。

 そして貧民院にいる子どもは親がおらず、伯爵は彼らに選択の機会を与え、給金を与え、娼館よりよほど上等な環境においていた。
 だから、伯爵のしていることは、この時代の道徳においては罪ではないのである。

「貴公の主張するところは理解できなくもなくもないが、一つ聞く。貴公の選択を断った子どもはいるのか」
「いいえ」

 数秒の沈黙。
 王子はぽつりと言う。
「では、強要とどこが違う?」

 ――賭けに負けた。
 目を強くつむった伯爵の耳に、予想外の声が届いた。
「若君!」
「ムート!?」

 慌てて目を開けると、乳母が伯爵の目の前に飛び出したところだった。待ち合わせ場所の部屋に来て、この光景に動転して飛び込んだのだろう。

 護衛と伯爵の間に割って入った太めの女は必死に護衛の向こうの王子に懇願する。
「リオン殿下! 若君がどのような粗相をしたのかは存じませんが、どうか伯爵様をお許しくださいませ! 私が代わりに責めを負いますので!」

 伯爵は仰天した。

 伯爵とは違い、乳母は平民である。
 王家の人間に逆らう、不興をかう、邪魔をする。どれもこれも一発で死刑になってもおかしくない。
 王族にとって、平民など虫けら同然である。

「ムート! 殿下、どうかお許しくださいませ。この女は無知で自分が何をしているのかさえわからぬ粗忽者なのです。この女の無礼の咎はわたくしが受けますのでどうか……!」

 伯爵家は有力な貴族であり、無礼を咎められても命までは取られないだろう。それでも王家の人間の不興をかうのは、貴族としてとんでもないマイナスだが。
 しかし、乳母はちがう。

 お互いをかばいあう主従の姿に護衛は困惑顔で背後の主人を見やり、王子は頷いた。

「そこな女に免じ、貴公の無礼は不問としよう」

 安堵から全身の力が抜けたようで、乳母はくたくたとその場にへたりこんだ。それをすぐ後ろの伯爵が支える。

 王子はたずねた。
「その者はそなたの何だ」

 衣装などから、乳母が使用人であることは一目でわかる。
 その乳母を伯爵がかばったことが意外であったらしい。

 伯爵は深く頭を下げた。
「私の乳母にして育ての母でございます」

 結果として、伯爵は乳母に救われたといえる。
 ただ不興をかうよりも、より一層咎められる危険を冒してでも自分の信じるところを述べたのだが、その賭けは失敗したのだから。

 その瞬間、王子の瞳に名状しがたい感情がよぎったように見えた。
「……そうか。良い乳母だな。大事にするがいい」
 そう言って、王子はへたりこんでいる乳母に微笑んだ。
 あくまで乳母に。
 遮二無二身を呈して子をかばった母に。

 それは年不相応に大人びた、優しいながらもどこか寂しげな笑みだった。
 伯爵はその一瞬の微笑みに目を奪われる。元々ぐらついていたところだっただけに、この一撃は致命的だった。

 王子が去り、乳母に説教されながら伯爵は発生した悩み事にため息をついていた。

 ――よりによって王家の第一王子。
 伯爵は暗澹たる思いにかられる。
 成就の望みはこれっぽっちもない。
 何かの間違いで恋仲にでもなれたとしても、国賊扱いになる相手だ。

 王家の人間に最も求められることは、世継ぎを作ることなのだから。

 周囲の人間も伯爵を近づかせまいとするだろうし、手を出したら最後、長く伯爵家に仕えている忠実な家臣からも非難が出るに違いない。
 王家に仇なす行為として、ルイジアナ国民としての立場から物を言うだろう。

 相手構わず芽生えてしまった恋心に、伯爵は頭が痛かった。



 なお。
 本当の見合い相手ともその後会ったのだが、期待していたほどの器量ではなく、とても身近にいられて我慢できるほどの容色ではなかったため、話は流れたこととなったことを述べておこう。


     ◆ ◆ ◆


 それから十年以上の月日が流れたある日。
 ふと思い出し、リオンはジョカに、この時の出来事を話していた。
 もちろん主要人物の名はぼかし、こういうことがあった、ということで。

 そして、語り終わった後でぽつりと言う。
「あの日、私はその者が幼い、と言った理由がわからなかった。でも今は少しわかる。そして、あの者の言葉が、理解できるようにもなった。……民の最後の砦ともいえる救済制度を、国ではなく一貴族が担っていた。
――それは、王家にとって恥ずべきことだ」

「まあ、そうだな。少し婉曲な言い方だけど、そいつはそう言ってたな。わからなかったのか?」
「……人の言葉の裏を読む力が、その頃の私には足りてなかったんだ……。あんなあからさまな皮肉がわからなかったなんて、恥ずかしい。簡単に言えば、子どもだった。だけど、今ならわかる。でも……その者のしていることが、正義だとは言いたくない」

 リオンの倫理観では、子どもに対して性行為をすること自体が容認しがたい罪であり、上の者が下の者にそうした関係を強要することは言語道断である。

 ――だが。

 歴史を紐解けば稚児は珍しいことではなく、本人も合意しているというのだからむしろリオンの感覚の方が変なのである。この時代では。

「私は、あの時結局何もしなかった。そんな男に会ったことも、翌日には忘れていた。でも最近になって思い出して考えるんだ。どうするべきだったのかと」
 リオンは子どもだった。
 そんな「些細な事」は、一晩寝たらもう忘れてしまうぐらい、子どもだったのだ。

「ジョカ。私は、どうするべきだったと思う?」
 ジョカはうーんと頭を悩ませた。
 ジョカの感覚は、リオンと重なる部分が多い。

 本人の合意といっても、伯爵家が運営する貧民院で妾奉公を持ちかけられて断れる子どもがどれほどいることか。
 悪く言えば、施設の無力な子どもたちを食い物にしている。
 良く言えば、子どもに教育と働き先を見つけている。

 ただし、矮小な正義感で動けば、多くの人間を不幸にする選択肢しかない。

 だから、これは言えた。
「何もしなかったのは、一番いい選択肢だと思うぞ」

「……そうなのか」
「ああ。子どもが可哀想だからとそいつを処罰すれば、より一層子どもは可哀想になるぞ。貧民院は解散になるだろうから、手の付いている子どもも付いていない子どもも、すべてが路頭に迷う。その後の運命はそいつの言う通りだ」

 大人の性の犠牲になるのは可哀想だが、逆に言えばそれだけとも言えるのだ。
 性の奉仕をする分、他の子どもより格段にいい境遇であり、給金も貰える。食事もよく、綺麗な服ももらえ、風呂にも入れるし、不特定多数が相手ではなく一人だけなので病気になる心配も少ない。
 娼館に食事代や衣装代の名目で搾取される娼婦や、道端で客を引く男娼から見れば、よだれがでるほどの待遇の良さだ。

「そうか……」
 リオンは嘆息した。

 リオン寄りのジョカでさえこう言うのだから、あの時、リオンが何もしなかったことは最善だったのだろう。

「それでもお前が子どものために何かをしたいというのなら、それを言える立場を築かないとだめだ」
「? わたしは、王家の王子だったぞ?」

「そういうことじゃない。王家だからそいつに何でも言えるってわけじゃない。そいつにどうこう言えるのは、『貧民のよりいい行先』を与えられる奴だけだ」
「……」

「お前がそいつよりずっと貧しい民のためになる施設を作って、そちらに貧民院に入っていた人間を入所させて、そしてそれをずっと続けられる体制をつくれたら――そうしたとき、はじめてお前はそいつを糾弾できるだろう。どれもこれも、子どものお前にはできないことだけどな」
「う……」

 いくら王家の王子でも、当時たった八歳のリオンに一つの制度そのものの建設と運営計画を練るなどできるはずもない。
 国全体の貧民の最後の命綱となる制度である。

 そしてまた、王子だった頃はともかく、今となっては、そんな救済施設を作ることなど夢のまた夢である。

 うつむいたリオンに、ジョカはぽんぽんと頭を撫でた。
「今からでも遅くない。お前がそういうことをしたいというのなら、俺は協力するよ」
「協力……してくれるのか? たいへんだぞ?」

 リオンはもう王族ではない。
 できることは少なく、労は大きい。

 しかし、もちろんジョカは頷いた。
「お前がそれを望むのなら、俺はいつだって手伝うよ」




 現代の倫理では一発アウトな今回の主人公ですが、彼には彼なりの論理と正当性があります。この時代では少年趣味は責められるものではありませんでした。
 ちなみに、彼はこの後、こっそり影からリオンを見つめるひとになります。
 見つめられるリオンは気づいていたけど実害ないので放置。
 本編12話でリオンが「同性に劣情を抱かれる容姿」と言っていたのは彼のせいです。

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Date:2015/11/18
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