リクエストは「執着」。
良いイメージの少ない言葉ですが、頭のいい子が正しい執着をすると、こうなります。
リオンは、ジョカが自分にベタ惚れであるという自覚がある。
ジョカが自分を愛してくれているという確たる自信があって、その上に胡坐(あぐら)をかいてはいけないという認識もあった。
ジョカは言った。
お前には本当に感謝しているから、たとえ愛情が冷めたとしても、お前が死ぬまでぐらいはちやほやしてやる、と。
でも、リオンはそんな「義務感でちやほやしてもらう」のは嫌だった。
愛しているから優しくされたかったのだ。
リオンは若いが、宮廷内のどろどろした恋愛遊戯を嫌というほど見てきた人間である。
彼は愛情の真実を分かっていた。
永遠の愛なんて存在しない。
愛情は、その時は真実でも、きっかけ一つで儚いほどあっけなく消え去ってしまえるものだということを。
愛されていることと、愛することを同一視してはいけない。
今現在ジョカに愛されているからといって、リオンもまた愛することを怠ってはいけない。
リオンがジョカを愛さず、心を移しても、ジョカは変わらず愛してくれるかもしれない。けれど、それは彼の心をどうしようもなく傷つけるだろう。
そうなったら、以前と同じ愛情など望むべくもない。
――ずっと愛されていたいと思うのなら、ずっと愛することを怠ってはいけないのだ。
無償の愛情を、ジョカの側にだけ期待する方が間違っている。
ジョカは超絶の力を持つ魔術師だけれど、心は人間以外の何者でもないことをリオンはよく知っている。
絶対の愛情。
永遠に続く愛情。
そんなもの、人の心のどこにも存在しない。
人にできるのは、『永遠に続くよう努力して、続いていく愛情』、だけだ。
何をしても愛情が変わらないと思いこんでしまえば、人は恐ろしいほど傲慢になれてしまう。永遠の愛情など、どこにもないというのに。
愛想をつかす権利は、常に双方にある。
リオンの側だけでなく、ジョカにもあるのだ。
その真理を理解しているリオンは、肝に銘じていた。
ジョカに愛されていたいのならば、彼を大切にしよう。
彼の心に寄り添い、彼の嫌がることはできるかぎりしないようにしよう。
彼が、自分を好きでいてくれるように、努力しよう。
彼の愛情を過信し、自儘に傲慢に振舞っても、しばらくはジョカは許してくれるだろう。
けれど、愛情は常に変動するものだ。
増すこともあれば、減ることもある。
そして、幻滅させる言動をずっと続ければ、いつかは愛情が底をつき、破産してしまうだろう。
その真理を理解して、できるだけ減らないようにすることが、『お互いに思いやって愛を育てる』ということだろうと、最近リオンは思っている。
……ということを、とりとめもなく、これほど整理されていない素の言葉で閨の後の睦言としてジョカに語ったところ、返ってきたのは沈黙だった。
「…………」
ジョカは、酢を飲んだような顔でリオンを凝視していた。
沈黙が長く続き、十秒を過ぎたところでリオンも心配になって聞く。
「私は何か変なことを言ったか?」
「……いや。全然変な事じゃない。当たり前のことなんだけど、それを実践できる相手は少ない。魔術師に溺愛されていたら尚更だ。俺、ひょっとしてひょっとしなくても、物凄く希少な相手に惚れたんじゃないかと」
「? 何をいまさら」
「そこで堂々と肯定するのがリオンだよな……って、何ていうか……魔術師も絶対正義ってわけじゃなくて。特に人付き合いでは失敗が多いというか、しくじることが多いんだ。リオンが悪い例として言ったようなもので……」
「甘やかしすぎて増長させるんだな?」
リオンはズバッと言った。
しかし、彼は知らなかった。
時として、正鵠を鋭く射すぎても駄目な場合もあるのだということを。
ジョカは急所を撃ち抜かれて寝台に手をついた。
「そ、そう……なんだ」
「あなたの態度を見ていれば、想像がつくからな……それで?」
「う……ん。リオンみたいに思えれば、人は心変わりをせずにいられるのかと思った」
ジョカは、ふと微笑むとリオンの金色の髪の間に手を差し込んだ。
「お前はいつも俺を助けてくれた」
「あなたはいつも私を助けてくれるから」
助けられたから、助けたい。
リオンは人として自然にそう思っている。
「――リオンって、王族だよな? どうして助けられたから助けたいって思えるんだ?」
「……? 私はおかしい事を言っているか?」
「いや、おかしくない。全然まったくおかしくない。でも王族がそういうマトモな思考をするのって珍しいぞ?」
「前々から思っていたが、あなたは王族に対して偏見がひどいな……」
「うっ。偏見か? 幽閉されていた間、俺に接触したのは王族ばっかりだった。その実例に基づく経験則なんだが……」
「誰かに親切にされたら『ありがとう』、何か悪い事をしたら『ごめんなさい』。これぐらいは王族でもちゃんと習うぞ? ……たぶん」
「いいか、リオン」
ジョカはしかつめらしい顔で断言した。
「それができない王族は、お前が思っているよりよっっぽど! 多かったからな」
「……そうなのか?」
「ああ。まだ『ありがとう』、は言える王族は多いが、『ごめんなさい』の方は物凄く少ないぞ」
「そうなのか?」
「『ごめんなさい』って言うと、負けた気になるんだろうよ」
「変な人間だな。単なる言葉ひとつだろう。一秒もかからずに言い終わるものじゃないか。それを口にするだけで得られる人間関係を円滑にする利益を考えれば、口にした方が絶対にいい。謝罪を口にするぐらいで傷つくような安っぽいプライドなんだな」
「……リオンのビジネスライクなさばさばした物の考え方には、時々感銘を受けるわ……。そうか、そういやお前、色んな種類の人間と付き合いあったもんな」
「あなたの教えでな。自分自身の味方を作れ、そう教わったから、それを実行したまでだ。その過程で、その二つができてなかったらもっと苦労しただろうな」
ジョカがリオンの金の髪を梳く。
リオンはされるがままになっていたが、ジョカの手を止めて、リオンは彼の一房だけ長い髪を引っ張った。
「私はあなたを失いたくない。いや、ちがうな。あなたの愛情を、失いたくないんだ」
「……俺は、お前をずっと好きだよ?」
「そうかもしれない。でも、愛情が枯渇してしまうことだってあるだろう?」
「あー……絶対無いとは言いませんが、非常に低い確率だと思われ」
「私が、あなたを愛して、努力する限りにおいては、非常に低いだろうな。でも、私が正反対の人格になって、あなたを愛さなくなって、あなたなどどうでもいいと邪険に扱うようになったら、あなただって今のまま愛せなくなるだろう?」
「……否定できません」
リオンはジョカの目を覗き込み、微笑んだ。
「あなたが好きだよ。だから、あなたの愛情を失いたくない」
ジョカの黒い瞳が、リオンを見ていた。
その瞳に魅入られるような心地を味わいながら、リオンは言葉をつづけた。
「だから、私はあなたが好きな私でいたいと思うし、あなたが私を愛しつづけてくれるように努力しようと思う」
ジョカの眉間にぐぐっと皺が寄った。
「……すごく野暮なことを聞いていいか?」
「大体予想はつくけどなんだ?」
「お前は……なんでそこまで俺を好いてくれるんだろう?」
予想通りの問いに、リオンはくすりとする。
「俺がお前を好きになったのは、あれはもう、必然だ。地獄からすくいあげられて、心まで救ってもらって、恋しない人間なんていない――。でも、俺は……」
「誰かを好きになるのに、理由がいるのか?」
「う。いる……ような気が、するようなしないような」
リオンは少し、笑う。
「ジョカ。あなたはあの空間で、私に救いを求めた。元々私があなたに好意を持っていたのは間違いない。それは友情とかそういった種類のものだが、好意は好意だ。私を抱きながら、やるせない感情のすべてを私にぶつけて、あなたは泣いていた。わたしに、救いを求めていた」
助けてくれ! と、全身全霊ですがられて、手を差し伸べずにいられる人間がいるだろうか。
「私はあなたを助けたいと思った。あなたの心を救いたいと思った。何が理由と言われてもとっさには思いつかないが、あえて理由をあげればそんなところだよ」
ジョカはまだ不納得のようだったので、リオンは言葉を重ねる。
「理由より、今ここにある事実を見てくれ。私は、誰かに恋をしたのはあなたが初めてだ。心がふわふわして、あなたといると心地よくて、あなたが私を好きでいてくれると実感できるとき、とても嬉しくなる。そういうのを、恋というんだろう?」
リオンはジョカは驚いたように目を見張って、それから嬉しそうに表情を崩すのを見た。
そして、自分が彼を嬉しくさせることができたことが、リオンにとっても嬉しい。
そう感じられることが、恋だろう。
リオンは恋愛沙汰の経験だけは積んでいるが、実際に自分が誰かに恋をしたのはこれが初めてだ。
一足飛びに両想いになって、相手から真摯な愛情を一身に受けているおかげで恋がつらいという経験がない。今のところ、リオンにとって恋とは柔らかく温かく心地よいもので、自分の行動の動機のひとつでもある。
ジョカが好きで、だから彼のために何かをしたい。
それはリオンに高いモチベーションを与えてくれる。
そして人間不思議なもので、同じことをするにしても自分の好きな誰かのための行動は、ちっとも苦にならないのだ。
「私にとって、あなたは滅多にいない最高の恋人だと思うぞ?」
「そうか?」
リオンはにっこりと笑う。
「ジョカ。あなたは気づいてないかもしれないが、私は結構、人の好き嫌いが激しいんだ」
「……それは、なんとなくわかる……」
ジョカが同意する。
「身分的に、私はまず間違いなく政略結婚になるだろうからな。誰が正妃となってもそれなりに尊重して、気に入った女は愛妾とすればいいとそう思っていたんだが、困ったことに、気に入る女がいないんだこれが」
「…………ああ、お前の場合そうだろうな……」
ジョカは以前リオンが侍女アネットのことを容赦なく酷評したことを思い出し、寂寥の念にひたった。
ジョカは、幽閉されている間も王国全土に張り巡らせた魔力の根を使い、情報を収集していた。暇つぶしに。
その彼から見ても、リオンの恋人らしい相手というとアネットぐらいしかいなかったのだ。
だからてっきり、と思っていたのが、蓋を開ければアレである。
「私は結構人の好みが厳しいらしくてな。まず、私と身分を切り離して考えてくれる相手がいい。私自身を見てくれる相手がいい。私より賢い相手が良くて、更に私が間違ったら叱れる相手がいい。一緒にいて私自身も成長できるような相手が良くて、私だけを見てくれる相手じゃないと嫌だ。後付け加えるのなら、私はかなり独占欲が強いから、嫉妬する気さえも起こらないほどすべてを独占されてくれる相手なら、言う事はない」
「……うわー」
ジョカは半眼になって棒読みでつぶやく。
リオンはにやりと笑う。
「我ながら、無理難題言っていると思うような条件だろう?」
「普通はまあ、最初の身分を度外視ってだけでかなり無理だな……」
封建の世である。
リオンが王族、それも世継ぎの君であるということは、彼のすべてに影響している。普通なら、それを切り離して考えることは無理なのだ。
リオンが王子だってどうだっていい、と平気で放言できる人間は、魔術師ぐらいのものである。
「あなたは、私にとって滅多にいない相手なんだ。それはわかってくれるか?」
「あー……まあわかる。賢い女は探せばいるけど、お前の要求するレベルに応じるのは尋常じゃできないし」
「それ以上に、だ。もっとシンプルでわかりやすい理由もあるだろう?」
「シンプル?」
「私はあなたが好きだ」
「……」
不意打ちに、ジョカは数秒呼吸を忘れた。
「だから、あなたが私をずっと好きでいてくれるように、私は頑張る。とても分かりやすくて単純な話だろう?」
「……その通りだと思います」
「だから、あなたも私に変えてほしいところがあったら言ってくれ。私も同じようにあなたに言うから。お互いがお互いを思いやって、ちょっとずつ譲って、喧嘩はするけど仲良く長く過ごしてゆきたい。それは、変か?」
「…………ぜんぜん、まったく、変じゃありません。まともすぎて返事が思いつかないぐらいにまともです。ただ、まともすぎて、どうしてそういうことを普通に考えられるんだって」
リオンは首を傾げた。
リオンにしてみれば自明の理なのだが、それは普通ではないのだろうか。
リオンはジョカと一緒にいたい。失いたくない。
だから、リオンと一緒にいてくれるように彼を思いやる。
単純でわかりやすい話である。
ちなみに、リオンは博愛主義者でも何でもないので、リオンがそうやって内心を推し量り、好かれるように努力する相手は滅多にいなかったりする。そもそも、地位にも身分にも容姿にも優れている彼はさして努力しなくても人の好意をもらえる立場だった。
「……? 失いたくないのだから、そのために努力するのは当たり前の事だろう?
私に言わせれば、人は心変わりをするものだ。そういう生き物なのであって、だからこそ努力しなければならない。人は心変わりするものだという事を知らない人間はいないのに、相手の愛情だけは永遠不変だと思いこむ人間は、脳味噌が足りないんじゃないか?」
「あー……、理屈で言えばそうなんだけど、俺も人の事は言えないからなあ」
「あなたは、私に甘すぎるぐらいだと思うが?」
ジョカは苦味の強い笑みを浮かべた。
「今はな。以前は違った。お前の言う通りの馬鹿だった。彼女だって俺がちゃんとその手の努力をしてれば俺を見限らなかったんだろうな、とか思って」
誰の話かは想像がついた。
以前聞いた、ジョカの初めての恋人のことだ。
ジョカが彼女に何も報いなかった結果、彼女はジョカから心を離した。リオンから見れば、当然の結果だ。
「……大切だったんだろう? なんで大切なのに大切にしないんだ?」
「大切だとも気づいてなかったからだよ。そして、何もしなくても側にいてくれるものと思いこんでいたからだ」
「……? 何もしなくても無償の愛を与えてくれるのは親だけだぞ?」
「ああ、その通りだった。きちんとしっぺ返しは受けたよ。つらいときに何も言わずに側にいてくれて、俺が何もしなくても側にいてくれたから、何もしなくてもずっと一緒にいてくれる、そういうものだと思い込んでいた」
リオンはジョカの言葉を反芻し、言葉を濁した。
「その当時のあなたは、なんというか……」
「うん。『馬鹿』だった。ほんとにな……」
ジョカは自嘲した。
何もかも、リオンがこき下ろした通りである。
大事なのに大事にしなかった。『心変わりしない人間なんていない』のに、まるでこの関係がずっと続くように思っていた。
思い上がりも甚だしい。
今にして思えば、彼女はリオンと張るほど珍しい人種だった。
魔術師であるジョカの恋人という立場であったにもかかわらず、一度も彼女は自分のために魔法を使ってくれと言ったことはなかった。
リオンでさえ何度も頼んだのに、ただの一度もだ。
ジョカはそんな彼女の態度に甘えて、甘えまくっていた。
――二人の関係が破たんしたのは、どう見てもジョカが悪い。
思い出してみれば、リオンはたびたびジョカのために自分を変えることを厭わない姿勢を見せていた。
傍若無人な王族なのに整理整頓しろと言えばちゃんとするようになったし、リオンはジョカのために労力を割くことを厭わない。繰り返し何度もジョカを助けてくれた。
そうすることで、リオンは無言のうちに言っていたのだ。
――私はあなたを愛している。だから、一緒にいられるように、一緒にいつづけられるように努力する。と。
そのメッセージはちゃんとジョカへ伝わっていた。
「リオンの年齢で、きちんとそう考えられるのはすごいし偉い。『人は心変わりするもの』。そんなの誰だって知っているのに、なかなか『だから好きでいてくれるよう頑張る』って発想、できないから」
リオンはジョカを見つめた。彼は心からかつての自分を悔い、自嘲しているようだった。
だから言った。
「大事だから大切にしよう。それを私に教えてくれたのは、あなただぞ?」
「え?」
意外だったのか、素の驚きの顔だ。
「あなたは、いつも私の心変わりを恐れていただろう? そして、私を大事にしてくれた」
ジョカは、根本的にリオンには優しい。そして、これ以上ないというほど大事にしてくれる。
時折叱られたり嗜められたりすることもあるが、それも彼の愛のかたちだ。無条件の賛同と盲従が、人の精神を腐食させるものだということぐらい、リオンだって知っている。
ジョカは、リオンをただ無責任に甘やかすのではなく、ほんとうに大事にしてくれているからこそ、時には叱るのだ。そして幸いなことに、リオンはそれがわからないほど子どもではなかった。
そういうジョカは、幾度もリオンの心変わりについて、口にした。
今はジョカのことを好きであっても未来は分からない、と。
最初は腹が立ったリオンだが、ある時気づいた。その言葉はそっくりそのままジョカにも当てはまるのだと。
今はリオンの事が好きであっても、未来は分からない。
それはそうだ、未来を知る人間はいないのだから。
「魔術師の寵愛を失った人間の末路を聞いて、あなたにもそれは当てはまるのだと気づいたら、怖くなった。そして思った。心変わりするものだからこそ、あなたに好きでいてもらえるように努力しようと」
ジョカは手を伸ばし、リオンの頬に添えた。
「そうだな……、人は、心が変わるからこそ、相手を大事にしなければならないんだ。魔術師の心だって変わる。永遠不変の愛なんてどこにもない。俺はそれを何度も見てきた。同僚の魔術師たちが愛を朽ち果てさせるところを」
魔術師だって人間だ。
そして恋は冷めるもの。幻滅することだってあるものだ。
まして、魔術師は魔法が使える唯一の人間だ。
その魔術師に寵愛された人間は、間接的に魔法が使えるようになる。誰もがよだれを垂らして欲しがり、誰もが羨望する力を使えるようになるのだ。周囲は羨み、おこぼれ目当てにちやほやともてはやし……結果は目に見えている。
さまざまな形で、魔術師が愛した人間は変わるのだ。
そして、醜悪なかたちに変わってしまった人間に、愛情を保つのは難しい。
愛を誓ったその時は真実であっても、心は時の鉄槌に耐えられない。変わってしまった愛する人を、そのまま愛し続けることは難しい。
愛情を持てなくなった相手に、魔術師たちは失望した。愛情は枯渇し、そして、離れていったのだ。
「リオンは……ちがうな。いつも、俺に与えることを考えてくれた。報いることを考えてくれた」
初めてジョカが命を助けた時、リオンはジョカのために恥ずかしい思いまでして薬箪笥を届けてくれた。
そのあとも、何度も助けてくれた。
ジョカはつぶやく。
「……魔術師たちは、最初から、こういう話をしておけばよかったのかな……」
ジョカは嘆息して、魔術師の恋愛事情の一端を明かした。
「魔術師の『特別』になった相手は高確率で歪むって話はしたよな?」
「ああ」
「魔術師は、彼らが歪む前に、ちゃんと話をしておけばよかったのかもしれない。魔術師だって人間で、愛は冷めるんだってこと、言っておけばよかったのかなって。魔術師の愛が不変だと勘違いさせてしまったことが、歪む大きな要因だったかもしれない……。そう思った」
「……やっぱり増長傲慢コースが多いのか?」
「俺が知る限りだけど、多いな。相当多い。それで魔術師に見限られて……その後は悲惨なケースがほとんどだ」
「魔術師がいるからってちやほやされてきた人間が魔術師に見離されたら……、高圧的な態度で周囲に憎まれていたら、どうなるのかは想像がつくな」
「想像通りだと思う。――リオン」
ジョカはリオンを真顔で見た。
「俺もお前を失いたくない。だから、俺に不満があったら包み隠さず言ってくれ。何も言われずに溜め込まれて、ある日いきなり愛想つかされるのが一番怖い」
リオンはそう言われて記憶をさらったが――とくに何も不満がないという事に気が付いて驚いた。
外見についても文句はない。ジョカは良く言えば端正、悪く言えば没個性の外見で、平凡なものだが、リオンにとっては今のジョカの外見が「ジョカ」なので、突然美形に変わったらたぶん拒絶反応が出るだろう。ジョカの黒髪も黒眼も好きだ。別の顔になったらぞっとしない。
性格についても特に不満はない。
ジョカは時々リオンに過保護だが、それはその度に嗜めればいいのだ。それに不満を言うのなら、ジョカがリオンに厳しい方がいいのかという話になる。ジョカは他人に対してはキツい。基本的に人嫌いだ。リオンに甘くないジョカなど嫌だ。リオンに甘いジョカが、リオンは好きだ。
というわけで、リオンの方は特に不満はなかった。
ではジョカの方はと気になって聞いてみた。
「私は、今のところ何もあなたに不満はないんだが……、ジョカの方は何か私に変えてほしいところはないのか?」
ジョカは腕組みをして考え込んだ。
リオンは返事を待つ。十秒たち、二十秒たち、三十秒たった。
そして、しびれを切らして聞こうとしたところで、ジョカが顔を上げた。
「特にない」
「本当にないのか? 別に私のことは気にしなくていい。不満を溜め込まないためにも言ってほしいんだが」
「いや、本当にないんだ。んー、今後不満がでてきたら、ちゃんと言うし。なんて言うか……リオンって直せって言ったら素直に直すから、不満がないんだよな」
リオンは優しく笑って、ジョカの頭を撫でた。
「ジョカ。お互い約束しよう。相手に変わってほしいところや直して欲しいところがあったら、ちゃんと話し合うこと。私は私である限り、あなたの事が大事だと思っているかぎり、あなたの話をちゃんと聞くことを約束する」
永遠の愛情なんてない。
それでもずっと側にいたい、いてほしいという思いがある。
なら、それが実現するように、お互いが努力し合うしかないのだ。
「『人は心変わりするものだから、努力するんだ』か……」
「そうだ。愛情なんて片方だけが努力しても続かない。あなたが私に優しくしてくれるぶん、私もあなたに優しくしたい。そうしていれば、愛情はつづくだろう?」
リオンがこうまで言うのは、ジョカを失いたくないからだ。
繰り返すがリオンは聖人君子ではない。嫌いな相手やどうでもいい相手など勝手に離れていってもなんとも思わない。
この魔術師を大事にして、それでももし彼が自分から離れていくようなことがあれば――何をしてでも自分の側にとどめておきたいと思っている。
この感情を、人は恋という。けれど言葉を変えれば、『執着』と呼ぶのだろう。
誰かが誰かを大切に思うという事は、すべからく執着だ。
大切なものを失って平気でいられる人間などいない。誰もが涙し、しがみつくだろう。それを執着というのなら、すべてがそうだ。
ただ、リオンは正しいやり方を選んだ。
そのやり方でジョカを失ったら、その時こそリオンは手段を選ばなくなるだろう。魔術師であるジョカをリオンが縛る方法なんてその気になればいくらでもあるし、リオンにはその方法を考え付く頭がある。いざとなればそうする覚悟もあった。それだけ執着している。
「――あなたが好きだ。ずっと側にいてほしいし、ずっと私の事だけを見ていてほしい。そう思っているからこそ、私はあなたを大事にするし、あなたの傷つくようなことをしたくないと思うし、あなたに好きでいつづけてもらえるように努力したいと思っている」
「ああ。俺も約束する。俺はお前がずっと側にいてくれるよう、努力するよ。……でも、俺はお前に愛想尽かすことは多分ないと思う。でも、お前が俺に愛想尽かすことはあると思う。その時は……」
「その時は?」
「さっくりと毒を盛って殺すのがいちばんいい方法だと言っておく」
「……わたしに? あなたに?」
「お前が、俺に」
「――なんで毒を盛るんだ」
「そうでもしないと、俺は何するのかわからん。お前が好きになった女性を、ありとあらゆる手段で追いつめるだろう。魔術師の俺がその気になったら、お前の幸せを壊すことなんてとても簡単なんだから」
ジョカは想像だけでも苦虫を噛み潰したような顔だった。
睦言には向かない殺せとか追いつめるとか不穏な言葉のオンパレードだが、リオンはむしろ嬉しい。
この魔術師が好きで、一緒にいたい。
その思いは確かなもので、断じてあっさりと「他の人間を好きになってもいいよ」などと言われたくはない。
自分が執着しているのと同じくらい、執着されていると思いたいのだ。
リオンは笑みをこぼし、そして言った。
「あなたとずっと一緒にいたいな」
「俺もお前と一緒にいたい」
ふたりの利害は一致している。――今は。
願わくば、それが生涯つづきますように。
期せずして同じことを同じように思って、二人は口づけを交わした。
番外編の中でも「ジョカが好きでいてくれるよう頑張る」リオンの態度はしばしば出てきましたが、リオンは根本的にジョカのために自分が尽力するのを厭いません。
直せ、と言われたところは直しますし、ジョカが稚児趣味だっていうんなら、その好みに沿うように自分の外見を変えるぐらいは許容範囲です。
しかし、時々恋人にヒデー態度を取って、恋人が心を離したら「裏切り者!」と叫ぶ人間がいますが、愛情って固定値じゃなくて可変値だって知ってるでしょうに……まさか絶対心変わりしないとでも思っているんでしょうか。
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