ジョカが紅茶を淹れてくれる。
リオンのために。
リオンの我が儘から始まったことだが、少しも嫌な顔をせずにむしろ嬉しげにジョカは紅茶を淹れてくれる。
しかし――。
それでいいのだろうか?
今後のことを考えると一つの結論に至って、ある日リオンは切り出した。
「ジョカ」
「……ん? なんだ?」
流線模様の精緻な絵付けが為されたカップに紅茶を注いでいたジョカが顔を上げる。
そして、リオンの真顔にぶつかって口を閉ざして表情を引き締めた。
リオンは深刻な顔で言った――。
「お湯の沸かし方を教えてくれ」
「…………火傷しそうだからやめとけ」
三秒ほどの沈黙の後ジョカが言ったのはそんな一言だった。
しかしもちろん、そこで引くようなリオンではない。
リオンは懇々とジョカを諭し始めた。
「いいか、ジョカ。今までのように私がたくさんの使用人にかしずかれているとか、あるいはいつもあなたが側にいてくれるとか、そういうことならいい。でも、今の私は使用人を雇えるような立場ではないし、あなたが側にいないときだってあるだろう。そういう時、どうするんだ? 右も左もわからない人間が、薪に火をつけることから始めるのか? そっちの方がよほど危ないぞ?」
ジョカは、リオンの流れるような弁舌を苦虫だらけで聞いていた。
彼としても、リオンの言う事の方が正論であるという事ぐらいわかっているのだ。
リオンはちやほやともてはやされて、無思考にそれを是としてくれる人間ではない。
ジョカとしては真綿でくるむようにしてどんな危険からも遠ざけて甘やかしていたいのだが、リオンはそれを安住の地として受けいれてくれる人間ではないのだ、幸か不幸か。
そして自分が説得される近い未来も予想できてしまって、それが苦渋の理由だった。
リオンは真摯な表情で、ジョカに訴える。
「なあ、ジョカ。火の扱いを、今のうちから覚えておいた方が、いいと思わないか?」
「……わかった」
リオンと意見が衝突したときの例に洩れず、ジョカは頷いたのだった。苦い顔で。
まずは、薪の作り方からである。
この時代、薪は古くなった家具を壊すか、あるいは薪を売っている店で買うか、自分で作るかである。
「薪は、伐採したらできれば二年以上乾燥させた方がいい」
リオンは思わず聞き返した。
「二年?」
ジョカは頷く。
「二年」
「生木は駄目とは知っていたが、二年もか!?」
「断言しよう、できることならそっちの方がいい、と。……でも二年も乾燥するのは手間だろう? 一年ぐらいで使う者が多いな」
「それでも一年もかかるのか……」
「生木の中には水分が半分以上含まれているんだ」
「はんぶん?」
またもリオンは耳を疑った。
ジョカは頷く。
「半分。50メルベン(約百キロ)の重さの伐採したばかりの材木があったら、25メルベン(約五十キロ)は水分だと思え」
「……たくさん、樹には水がふくまれているんだな」
「当然、それだけ水が含まれている樹は燃えが悪い。薪には向かない。だから、乾燥させて乾かすんだ」
「ああ。……ということは、薪屋で売っている薪は、一年以上前のものなのか……。意外と手間と時間のかかるものなんだな」
「樹は季節によって含んでいる水の比率が変わる。冬に伐採するのは、それが一番水が少ないからだ。そして伐採した後すぐに細かくバラバラにする」
「乾燥しやすくするために?」
「ああ。細かくした方が、乾燥しやすいんだ。まず原木を扱いやすい長さで区切って丸太にする。そのあとその丸太を繊維に沿って割っていく」
リオンはふむふむと聞いていた。
「で、最低一年。出来れば二年寝かせて水分を抜く」
「……薪屋の薪って、みんなそうか? 思ったより、ずいぶんと手間と時間がかかっているんだが……」
「悪質商人だと、乾燥期間が短いぞ~。そういうのはできるだけ買わない方がいいんだが……、見分け、つかないよな」
リオンは頷いた。
ジョカはあっけなく言い切った。
「じゃ、諦めろ」
「……わかった。それで、薪を用意したら、どうやって火をつけるんだ?」
ジョカはたっぷり十秒ほどリオンを見つめた。
まさか、この時代の一般常識である「火のつけ方」を知らないとは思わなかったのだが、考えてみればリオンはれっきとした王族である。
自分で火をつけたことなどあるわけがない。
料理も、暖を取る時にも、代わりにやる人間には事欠かない育ちである。
ジョカは首を傾げた。
「知らないのか?」
それはリオンを傷つけるような嘲弄の成分のない、確認の響きだけがある声だった。
リオンは頷く。
「やったことがない」
「わかった。ええと、薪に火を近づけても火はなかなか燃え移ってくれない。だから、その前に、火がつきやすい踏み台となるものを作る。ほぐした綿でもいいけど、今回は薪から作ろう。木の表面を少し削って、木くずを作るんだ。薄く紙のように削った木くずをたくさん作る。掌にこんもりと山ができるぐらい。それができたら、木くずの塊の上に立てかけるようにして、細い薪を置く。そして木くずに火をつけるんだ。……実演した方がわかりやすいな。竈に行こう」
厨房(ただし、料理することはない)に行き、ジョカは竈の火の差込口の蓋を開ける。
竈の中は非常に綺麗だ。
滅多に使わないし、使う時も魔法で火をつけるので、竈に薪が入るのはこれが初めてだからだ。
ジョカは数本の薪を借金のカタとしてルイジアナ王宮より取り寄せると、その表面をナイフ(これも取り寄せた)で削って、木くずを作る。
そしてリオンに渡した。
「やってみ?」
「わかった」
ごつごつした木の表面にナイフを滑らせ、木くずを作る。
たくさんの木くずをナイフで作るのは、意外と難しい。ナイフ自体が木を削ぐような使い方をするためにあるものではないからだ。
ちょっと厚めにナイフを木に食い込ませてしまうと、途端に木が刃をがっちりと銜え込んで動かなくなる。
しかしリオンは器用にコツをつかんで薄く削いでいった。
木くずがこんもりとできあがると、ジョカは手斧を手渡した。
「その太さのまきじゃあ、火はつきにくい。火付けの最初のまきは、もっとずっと細くないといけない。ってことで細く割れ」
まきは、大人の男の拳ほどの太さがあった。
リオンはまずはまきの頭を見る。乾燥したまきには、細かなひび割れが生じていた。
そのひび割れに手斧の刃をくいこませる。
そのままトントンと叩いてやると、まきはあっさりと割れた。繊維の流れに沿って刃を入れたので割れやすいのだ。
それを繰り返し、指ほどの太さになったまきを数本、木くずの上に立てかける。
「まきとまきの間は間隔あけて。火は空気がないと燃えない。火が空気が取り込めるように、立てかけるんだ」
リオンはジョカの指示に従い、火だねとなる木くずの周りに等間隔に五本ほど細い薪を並べた。
「で、いよいよ火だ」
ジョカは火打石と火打ち金を取りだした。
「この石で、この鉄を擦る。すると、鉄がこすれることによって、火花が出る。その火花を上手に木くずに燃え移らせるんだ」
「……なんだか、すごく、面倒だな……」
自分が簡単に考えていた、「お湯を用意する」だけでも用意しなければならない物の多さと工程に、リオンは驚いていた。
「だーかーら、俺が淹れてやるって言ったんだよ。でもま、お前の言う通り、憶えて損はない。やってみ?」
「わかった」
火打石で、火打ち金を叩く。
「もっとこするように。鉄を擦ることによってできる火花が、火になるんだ。大事なのは石じゃない。鉄の方だ。鉄を削れる硬度がある石であれば石は何だっていいんだから」
竈の前にしゃがみ込み、細いまきでやぐらを組んだ間という狭い空間で火打ち金を叩いて火花を出す――かなり難易度が高い。
不自由な体勢にすぐに足が痛くなった。
そして何度試しても、なかなか火花が出ない。その上出た火花はすぐに消えてしまう。一瞬の光しか見えない。
「ジョカ。火が、つかない……」
「貸してみろ」
ジョカは火打石をカチカチと火打ち金に打ち付け、火花が出ることを確認すると、リオンを立たせた。
そして皿を取り出して少し木くずをその上に載せ、リオンに差し出す。
「あんな狭い空間じゃ、火がつきにくいよな。ごめん」
リオンはジョカがやったように火打石を火打ち金に打ち付けて火花を出し、それを木くずに燃え移すことに成功した。
「火が出た!」
ようやく、やっとの思いで作り出せた赤い炎。
リオンは満面の笑みでジョカを振り返った。
その様子にジョカもつられて微笑みながら、ジョカは注意した。
「ほらほら、早く火を移さないとすぐに燃え尽きるぞ」
「あ、そうだな」
その会話の間も赤い炎はみるみる木くずを黒くしていく。
薄いので火がつきやすく、燃えやすく、燃え尽きやすい。
リオンは赤い木くずの入った皿を傾け、火が付いた木くずを竈の中に落とす。
何とか消えずに火は竈の木くずに燃え移った。
そして火はぐんと勢いを増し、細い薪を火で舐める。リオンが見つめる中、無事に火は薪に燃え移った。
火が安定したところで、ジョカは指示する。
「そろそろ薪を入れていい」
指ほどの太さの細薪ではない、その何倍もの太さの薪を一本、竈に入れる。
火は薪の表面を舐め、まずはその樹皮に食いついた。
樹皮だけが先行して燃え始め、中の白い木目がぷすぷすと煙を上げ始め、そして炎を吹く。
「ん。もう大丈夫だ。後は追い追い薪を継ぎ足して燃え尽きないようにしてればいい」
と、ジョカはこれまたどこから取り出したのか、水の入ったケトルを竈の上に載せる。
薪の火力は強いので、周囲は輻射熱で暖かくなってきた。
「……なあジョカ」
「なんだ?」
「みんなこういうのを料理のたびにやっているのか?」
「いや、火をつけるのって面倒だろう? だから、一旦火をつけたら、竈の中の燃え残りの燠火(おきび)を使って二回目以降はつけることが多い。でも、それは小さな火をずっと置いておくってことだ。当然、しばしば火事の原因になる」
そこで、ジョカは真顔になった。
「いいか、リオン。火は、とても便利だ。でも、とてもとても危険なものでもある。火は、どうして燃えるのか知っているか?」
「え……? そんなの――あれ?」
答えようとして、リオンは自分が知らないことに気づいた。
「いいか、火は、空気を燃やして燃焼する。それがどういうことかわかるか? 火は燃えれば燃えるだけ、空気を食べるんだ。そして、もちろん、お前だって呼吸をしている。呼吸ってことは、空気を食べるってことだ。となるとどういう事か、わかるか?」
「……密閉した部屋で火をたくと、私たちが食べるぶんの空気がなくなってしまう……?」
「そうだ。そして窒息して死ぬ。そしてもちろん、火事の恐怖もある」
「でも、石は燃えないだろう?」
ルイジアナでも、諸外国でも、家屋は石造りである。
そして、石の最大の特長が、「燃えない」ことだ。
冬が冷えて仕方がなくても石造りの家を作るのは、その利点のためだ。
「石は燃えない。確かにな。でも、四方を何百度にも熱された石に囲まれたら、人間は生きていけないぞ? 空気が暖められて、気管支……ええと、喉や肺、空気を食べる器官の事だが、そこが焼けて死ぬ。カーテンや何重にも敷かれたじゅうたん、冬の厳しい寒さを乗り切るために、室内には布製品があふれている。それらに燃え移って火は瞬く間に勢いを増すんだ」
「それは……」
「火は、とても便利なものだ。でも、とてもとても危ないものなんだ。たとえば、リオンは今、袖のある服を着たまま火を扱っただろう? もし袖口に火が燃え移ったら?」
リオンははっとした。
袖口をまくろうとするが、もう遅い。
ジョカが注意しなかったのは、リオンの火への注意力を知るためだ。
ちゃんと警戒していれば、何も言わずとも袖をめくるだろう。
むろん、それで大事(おおごと)になってもジョカがいればすぐに鎮火できるという安全保障もあった。
「火は、少し触れただけでも火傷をする。そして、少々の火傷ならともかく、酷い火傷は生涯残る。更に、火傷の面積が広くなったら、それだけで人は死ぬんだ。だから、火を扱う時には、細心の注意をしないといけない」
ジョカがリオンに火を使わせまいとしたのにも、理由があるのだ。過保護なのも確かだが。
火は、とても便利な力だ。ただし、非常に危険な力でもある。扱いを一つ間違えただけで、火は自分の身を滅ぼすのだ。
「……わかった……」
リオンが神妙な顔で頷いたとき、火にかけておいたケトルが沸いた。
「あ、沸いたな。じゃ、私が紅茶を淹れるから」
と、リオンはケトルの木製の取っ手を持ち上げた。
――ところで、ジョカの制止がかかった。
「火が付きっぱなしだ」
「あ……」
リオンは竈の下を見る。もちろん、まだ薪は燃えていた。
ジョカは尋ねる。
「火を消す方法、知っているか?」
「……水をかける?」
「と、当然、次に火を使うときにとっても苦労するな。湿っているところで火をつけるのは、そうでないときの十倍難しいと思え。ということでそれは却下。どうすると思う?」
リオンは考えた。ジョカはしばしばリオンに問うが、ノーヒントの無理難題は言わない。彼が問うことは、考えれば答えがでることだ。逆に言えばもう推理に必要な材料は貰っている。
リオンは考え、答えを見出した。
思えば、ジョカは最初から答えを示していたのだ。
竈を使う時、彼は最初に何をした?
「蓋をする」
「正解。蓋をすると、内部の空気は火が燃えれば燃えるほど、乏しくなるな。そして自然と鎮火する。食べる空気が無くなったら、火は消えるんだ」
「ああ……そうか」
先ほどされた『火は空気を食べる』という解説が頭にあったので、すんなり理解できた。
リオンは薪の差込口に蓋をして、尋ねた。
「世間の人は、火は空気を食べるってこと知ってるのか?」
「経験則で感じている人間は多いと思う。炭を壺に入れて蓋をかぶせれば火は消えるし。ただ、それがどうしてか、はっきりと知っている人間は少ないだろうな」
「……何というか、あなたは本当に何でも良く知ってるな……」
リオンは感心して呟いたが、ジョカの立場からは苦笑しか出てこない感想である。
「リオン。それはな、俺が魔術師だからだ。それだけだ」
魔術師なら誰だって、同じ知識は持っている。
特段ジョカが博識な訳でも、特別な訳でもない。
リオンはそんなジョカの態度にくすりとして言葉を返した。
「でも、普通の人間と比べてあなたが博識なことは事実だ。ということは、客観的事実として、あなたは世間一般より博識と言える。ちがうか?」
それは事実だったので何も言えないジョカの背を叩いて、リオンはケトルを持ち上げた。
「さあ、お茶にしよう。私が淹れた初めてのお茶は、あなたに飲んでほしい」
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