ジョカ。
彼は、現在世界最後の魔法使いである。
同僚の魔法使いは二百年前に全員地上から姿を消した。
事情を知らない普通の人々の間では魔術師たちがいなくなった理由について、魔術師のみはやる病だの、魔術師狩りにあっただのという根も葉もない話が蔓延していたが、蓋を開ければ何という事はない。
とあるところにある魔術師の国、彼らの故郷から帰還命令が来て、魔術師たちがこぞって引き上げただけだった。
しかしその当時絶賛幽閉中であったジョカは身動きができずに地上にとどまり……そして先日やっと、三百二十年の幽閉から解放された。
しかし解放してくれたリオンに愛を誓ったために、その後も地上にとどまっている。
不老にして長命である魔術師にとって、リオンの寿命が尽きるまでのほんの数十年など大した年月ではない。
ジョカとしてもリオンが愛しくて到底離れ離れになることに耐えられない状態であり、仲間たちも寛大にそれを許したので、リオンの命が尽きるまでは地上にとどまっている。
リオン・ラ・ファン・ルイジアナ。
彼は、ルイジアナ王国の王太子である。
廃嫡してくれることを望み、大勢の前ではっきりともう王宮には戻らない旨を宣言したのだが、いまだ身分的には彼は『王子』のままだ。
王宮を出奔して戻る気配も見えない王子は、西方一歴史古き国ルイジアナ王国に秘められた闇に光を当て、この国の繁栄の源である魔術師を長年の幽閉から解放した人物である。
魔術師の寵愛を一身に受ける身であり、対外的には魔術師の従者という立場にある。
そういう二人は、現在木剣を使って戦っていた。
リオンの足が大地を踏みしめ、一歩踏み込んでジョカに木剣を振り下ろす。
ジョカはその剣を見切って後ろにステップしてかわす。
「踏み込みが甘い」
先ほどから逃げ回ってばかりのジョカに、リオンがイラッとした顔になる。
「いい加減当たれ!」
「当たってもいいけど……」
カン!
ジョカは、リオンが斜めに空間を薙いだ剣に剣を当てる。
リオンの投げやりな一振りに対し、切っ先まで剣筋が通った美しい軌跡だった。
力の均衡はほんの刹那。
すぐさま木刀はリオンの手を離れ、宙を飛んだ。
「あ……」
魔法のように手元を離れた剣をリオンは呆然と眺めた。
ジョカはぽんぽんと木剣を手で叩いて論評した。
「牽制の一振りにも注意をしないと。手元の粘りと柔軟性が足りません」
「……もう一回!」
「今日はもうやめとけ。疲れて手足に震えがきてるだろ。リオンはあれだな、手数で圧倒しようっていう流派だな。俺みたいな待ちの姿勢の相手には相性が悪い」
「そうなのか?」
「だって剣をぶんぶん振り回したら、どうしたって疲れるだろう? 木剣でも疲れるぞ? 疲れて攻撃が甘くなったところを今みたいに一撃で終わり」
二人が持っている剣は、ずしりと重く、目が詰まっていて頑丈な種類の樹でできた木剣だ。
元々リオンが使っていた訓練用の木剣をジョカが拝借したもので、丈夫でそれなりの重みがある。鉄ほどではないが。
「どうすればいい?」
「うーん、とりあえず、剣を振り回していればその間は攻撃されないだろう、とかいう考えはやめろ。一振りごとに、必ず体力は削がれる。その隙を突かれておわりだ」
「でも、連続して切りかかって相手の防御を破る、というのもアリだと思うが――」
「お前が俺の防御を崩せたことあったか?」
「……ない」
悔しげに、けれども事実としてリオンは認めた。
「お前の一撃には威力がない。だから俺にあっさり剣先をはじかれ、そらされる。それは剣が木剣で軽いってこともあるけど、踏み込みが弱いから。なんで踏み込みが弱いかというと足腰ができてないから。腕の筋力も弱い。だから、一番力が乗る振り下ろしにさえ、俺の防御を突破できる威力がない」
多くの場面で、年齢が評価基準になるのには理由がある。
世の中には時間をかけて培わなければ身につかないものが多い。
筋力、という単純にしてシンプルな力もその一つだ。
リオンは強い。十六歳にしては。
十六歳にしては強いが、それだけだ。
そして、筋力を身に付けるのに近道は存在しない。地味な鍛錬と年月。これに尽きる。
「……鍛錬あるのみだな」
リオンは嘆息してそう締めくくった。
意外な話だが、細身で魔術師で線も細く、非力な非戦闘員に見えるジョカは、実はかなり強い。
素手の格闘でも強ければ、剣も使える。
魔術師で弱そうに見えるジョカだが、リオンともし殴り合いをすることになったら…………ジョカの負けは間違いない。
リオンに対しては非常に過保護な彼である。
自分の手でリオンを殴ることなど、とてもできない。
ジョカは好きな人間を痛めつけて悦に入る、という趣味を持たない。
傷ができれば舐めて治したいほど溺愛しているリオンを傷つけることなんてとんでもない、という人間だからだ。
――だが、リオン以外の相手なら、余程の相手でもジョカは負けないだろう。
細身に見えるし、実際細身だし、筋肉もさほどついていない貧弱な体をしているが、ジョカはこの世にある格闘技や剣術のすべてを頭に刻み付けている。
相手が力任せの攻撃をしてくればそれを受け流して利用し、技で攻めてくればそれを上回る妙技を見せて勝てる人間なのだ。
力より技に特化した戦闘スタイルである。
しかしもちろん、彼は魔術師なので、肉体を使うのではなく魔法を使って勝つのが最もよくある勝ち方であったが。
一方、リオンの方は、自分の戦闘能力を冷静にこう判断していた。
――可もなく不可もなく。
そしてそれは、おおむね正しい。
リオンは武芸においても優れた才を見せたが、それはあくまでこの年にしては、という但し書きがつく。
騎士は、十年以上にわたる鍛錬を経て、優秀な人間だけがなれる職業である。
まだ十六歳のリオンは、もちろん最も弱い騎士より弱い。
この年にしては強い方だろうが、エリート職である騎士の基準から見れば、問題外。
リオンの腕前はそれぐらいのものである。
ジョカが、双方無手の戦いでなら騎士たちに対してもいい勝負ができるのとは雲泥の差であった。
ちなみに、なぜ無手限定なのかというと、ジョカは技はあるが、『基礎体力』が、致命的なまでに欠けているからである。
剣というものは非常に重い。
鉄の塊なのだから、軽いはずもない。
それを振り回す、というだけでも相当な体力を消耗することなのだ。
早い話が、剣を振り回すだけで精いっぱいで、すぐに動けなくなってしまうのである。
それを軽々と振り回す騎士職は、十年以上にもわたる長年の訓練の末に培った体力によってそれを為しているのだ。普通の町人なら、ジョカでなくてもすぐにへたばってしまうだろう。
技術を見せるところまでいかず、基礎体力の欠如によってジョカは敗北してしまうのだ。
いくら技があっても、その土台となる体がなければ生かしようがない、という生きた見本であった。
リオンはジョカに目をやる。
「あなたは、なんていうか……本当に強いな。今だから言うが、意外だった」
リオンがこうしてジョカと剣を合わせるようになって、半年以上経つ。
最初こそこんな細い体で動けるのだろうかと思っていたが(なんせ三百年以上幽閉状態だったのだ)、ジョカは意外な剣豪だった。
リオンの賛辞に、ジョカは嬉しげな様子を見せることはなかった。
少し苦笑して、肩をすくめた。
「身体能力強化の魔法を使ってるから」
身体能力を底上げしないと、ジョカの力で長時間木刀を振り回すのはつらい。木刀でもそれなりに重い。刃筋がしっかりした斬撃をずっと放つには、魔法の助けがいった。
「それはそうだが、あなたのはきちんと剣を修めた人の剣だろう?」
リオンも師に師事して指南を受けた剣士である。素人が剣を身体能力任せで振り回しているのと、技術を修めた剣筋の区別ぐらいはつく。
ジョカは嬉しげでもその反対でもなく、何の気もなさそうに言った。
「ああ、魔術師だから」
「……またそれか。ほんっとうに便利なことばだな!」
「事実だし」
「……え? ほんとうに、それが理由なのか? 魔術師だから身に危険があって、だから鍛錬した、っていう理由じゃなく?」
「ああ、そう。そういう意味。魔術師は誰でも最低限の護身ができるように、鍛錬するの」
「ああ……魔術師も大変だな……」
リオンは納得と同情の眼差しになった。
二百年以上前。
まだ、魔術師がこの地上を普通に闊歩していたころは、魔術師とはイコールで金の卵であり、拉致誘拐が日常茶飯事であったという。
もっとも、拉致誘拐が成功したためしはほとんどなかっただろうが。
しかし、ジョカを見ればわかるが、魔術師も人間であり、飲食もすれば睡眠もとるし、性欲も普通に……ひょっとしたら普通以上にある。
飲食物に眠り薬を仕込んだり、あるいは婀娜な娼婦を使ったり……とかく、人間の欲得ずくの悪知恵は尽きることはないと相場は決まっている。
「魔術師の国で、そういう鍛錬をしていたのか?」
「まあ、そう」
なるほど……とリオンは納得した。
「魔術師は自分の身を守れるように、ある程度の護身術を身に付けているんだよ。俺だけじゃなく全員な」
ジョカは嘘ではないが完全に真実とも言いがたい事を言って言い包めた。
正確には、脳(データベース)に知識を流し込んでおくのだが、それは言わないでおくことにした。言っても理解できないだろうし、理解されたらそれはそれで困る。
リオンの事だから、理解できてしまうかもしれないし。
当然のことながら、この時代に脳を機械的に保存装置として見る概念は存在しない。
一般人にそう言っても理解できないだけだろうが、リオンの場合、理解しかねないのが怖い。
自分の愛する人が賢いことに不満はないのだが、賢すぎてリオンのように『どういう頭をしているんだ』というレベルだとそれはそれで扱いが難しいものがある。
ただ、リオンが賢いからこそ助かっている部分も多いので、短所にばかり目をやるのはフェアではないこともちゃんとジョカは分かっていたが。
リオンが通常以上に賢いからこそ、今のように穏やかでお互い満ち足りた同居生活が成り立っているのだ。
通常の王族のように一方的な奉仕を永続的に要求されていたら、じつに心温まる、後悔に満ちた生活だったに違いない。
「ジョカは、危険な目に……いやなんでもない」
「もちろん山ほどあったぞ」
「だろうなあ……」
リオンはしみじみと頷く。
ジョカの愛情を独占しているリオンは、湯水のように魔法の恩恵を享受している。
魔法の魅力は抗しがたいもので、欲しくない者などいないだろう。
魔法使いに対し、悪辣な手段に出る人間が出てくるのもうべなるかな、だ。
「あの手この手で魔術師を籠絡しようとしても、成功なんてしないだろうにな」
リオンが呟くと、ジョカの反応が遅れた。
数秒沈黙が広がって、リオンはジョカを見やる。
「え?」
ジョカは笑顔を作ることに失敗した。
乾いた苦笑のような表情で、ジョカは言う。
「……魔法使いを籠絡できた人間も、それなりにいるんだこれが」
「あ、ああ。そうなのか……」
「たとえば俺はルダイに口説き落とされた。それだって籠絡されたうちだろ? それ以外にも、魔術師も人間だから、好みの異性に言い寄られるとぐらっと来るんだよ」
「そ、そうなのか……」
「むしろ、人質とか強引に力ずくで来てくれた方が助かるっていうのが仲間内での共通意見。情に訴えられるのが、いちばんキツい」
「……情ってつまり」
「何でもするから家族を助けてください、とか」
想像してみて、リオンは愁眉になる。
断る方もつらい依頼だ。
かといって、魔術師は安易に依頼を受けられないのだから。
「……それは、つらいな」
ジョカは過去の出来事を思い出したのか、重苦しい顔をしていた。
「……誰かを助けるっていうのは、難しいな。奇跡の無償提供も大盤振る舞いもできないから無条件で助けることはできないけれど、助けないことも、つらい」
超絶の力を持つ魔術師も、心は人間だ。
力ずくで来てくれた方がよほどいい、というのは、魔術師たちにとって掛け値なしの本音だろう。
どれほど腕が立とうが、弱者の泣き落としに対しては何の力もないのだから。
リオンは想像してみて、深刻な同情に襲われた。
ジョカはお人よしだ。今でさえそう思うのだから、幽閉される前はもっと善人だったに違いない。
そんな善人が、瀕死の家族を抱えた人に涙ながらにすがられたら……想像するだけで同情を禁じ得ない。
――そして、どれほどつらくても、彼に選べる道は決まっていた。
過去に思いをはせる目で、ジョカは呟いた。
「知識が助けになることは多い。でも、どれほどの知識があっても、役に立たないことっていうのはそれ以上に多いんだ」
三百五十年の年月の重みを感じさせる言葉だった。
→ BACK→ NEXT
- 関連記事
-
スポンサーサイト
Information
Comment:0