ジョカとリオンが喧嘩をすることは、実は非常に珍しい。
意見の対立はしばしば結構な頻度であるが、論理的な理詰めの交渉に、王族のリオンも、三百年生きた魔術師のジョカも、慣れているからだ。
討論することはよくあるが、感情的なヒートアップが高じて討議が口論になり、口論が喧嘩に発展するようなところまでいくことは、ほとんどないと言っていい。
しかしその滅多にない事が起きた結果――リオンはジョカに簡単に負けていた。
リオンにも理性がある。
下らない喧嘩で、打ちどころが悪ければ簡単に死ぬ木刀を持ちだしたりしない。
そして、双方無手の戦いにおいて、ジョカは魔法ぬきでも強かった。
殴りかかってきたリオンの拳をかわして関節をとり、極める。
そのまま足を払って倒れ込ませる。
倒れる速度にももちろん留意して、羽根が舞い降りるようにゆっくりと。
そして突然の視点の変化に混乱し、事態が把握できないでいるリオンの至近距離からその青い瞳を覗き込んだ。
「落ち着けって」
リオンは床の上に押し倒され、上からのしかかられて身動きできない。
混乱して視線があちこちにさまよう。
それでも数秒で事態を把握して、リオンは自分の上にいる情人に問いかけた。
「私は……負けたのか?」
「うん」
そういうことなのだった。
◆ ◆ ◆
あっけない敗北に、リオンはしばらく呆然自失としていた。
男のプライドの問題なので、ジョカは何も言わずに傍観する。
魔術師に負けたって恥じゃないんだぞ、とは言いたいが言わない。
リオンだって、ジョカに魔法を使われて負けてもプライドは傷つかないだろう。
ジョカは世界最後の魔術師であり、魔法という不思議の力を行使できる唯一の人間である。
魔法、なんていうわけのわからない力で負けても、リオンのプライドは傷つかない。
ところが、ジョカが今ふるった力はそういうものではない。
単純な腕力であり格闘技であり誰にでも使える技術だ。
だから魔法で負けるのとは違い、リオンはショックを受けているのだ。
ジョカはリオンの様子を観察していたが、相当ショックなようだ。
さて、どうするべきか。
魔術師に負けたって恥じゃないんだぞ、という言葉は却下。火に油を注ぐようなものだ。
意外と俺は強いだろー、へへーん、は……、論外。
俺に負けたって落ち込むなよ、は……、墓穴を自分で掘っている気がする。
あれこれ考えていたジョカは、声をかけられて反応が遅れた。
「……カ、ジョカ」
「あ、ああ」
気がつくとリオンがジョカの肩に手を置いて呼んでいた。
リオンの表情はしっかりしていて、声にももう動揺の気配はない。
「もう大丈夫か?」
「ああ。心配かけて悪かった。……でも、驚いた。あなたは本当は強かったんだな」
さて、どう答えるのが正解だろう?
ジョカは迷った末、苦笑だけするにとどめた。
黙ってリオンの金の頭を撫でる。
ジョカは、魔術師だ。
だから、ジョカは普通の人間にはない力と、多くの知識を持っている。
けれどもそれは自分の功績だろうか?
ジョカはとてもそうは思えない。ただ単に、自分はそのように生まれたというだけだ。
ジョカが格別魔術師のあいだで優れているのではない。仲間の中で、ジョカの能力はまったくもって平均的なのだ。いや、魔術師全体が、というべきだろうか。
魔術師間に能力差はほとんどなく、均質的だ。多少の能力差はあれ、その差は極小で、誰も彼も同じぐらいである。
ジョカはリオンの頭を撫でながら、思う。
リオンは、落ち込むことはないのに、と。
博識で、魔法という力を持つ魔術師だが、ただひとつだけ人間に敵わない点がある。いや、人間の持つ力が魔術師にはない、というべきか。
「ジョカは、どこでああいう技術を習ったんだ?」
「以前言わなかったか? 魔術師の国でだよ」
「魔術師同士で組手とかしたのか?」
「そう」
という事にしておく。
リオンはその答えで好奇心が喚起されたらしい。
「あなたの国では、何をしていたんだ? 立法や行政は? 貨幣制度はあるのか? 国民全員が魔術師だというのなら商店は……」
際限なく質問が続きそうだったので、ジョカは腕でバツ印を作った。
「その辺は内緒」
「そうか……」
「負けて悔しいか?」
「……結構、悔しい、な」
「そう、お前はそれでいいんだ」
怪訝そうな気配を感じたが、ジョカは気にせず続けた。
「悔しいと思え。いつか俺に勝ってやると思え。それでいいんだ。それが未来のお前に続く道になる。変わることができる、それが、若さの特権だ」
リオンはいまだ十六歳。
可能性の塊だ。
今から一途に邁進すれば、ジョカに勝つことも難しくないだろう。なんせジョカは技術「しか」ないのだから。
魔術師は、変われない。
正確に言えば、変化はできても、その振り幅がちいさいのだ。
人間が時としてほんの数日で別人と見まがうような成長をとげるようには、魔術師は変われない。
魔術師はすでに完成されてしまっている。
だからそれだけの羽化ができるほどの器の空きがないのだ。
成長することができる。
それが、人の最大の特権だった。
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