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あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

初恋


「ジョカの初恋ってどんな相手だったんだ?」

 何という事もない雑談の中でされた問いに、ジョカも気軽に答えた。
「優しくて包容力のある大人の女性だよ」

 しかし……リオンの機嫌は急に悪くなった。
 その形いい眉がきりりと急角度で吊り上がる。

「え?」
 リオンは日常生活のなかに爆弾が埋まっている性格ではない。
 リオンが怒る時というのは大抵ジョカにも理解できる理由があるときだし、更にそのほとんどは話し合えば解決するたぐいのものだ。

 日常生活のあちこちに当人しかわからない激怒スイッチが埋まっていてそれにうっかり触ってしまうと前触れなく怒り出す、よって一緒に生活するのに不向き、といった人間ではないのだ。
 むしろ、竹を割ったようなさっぱりした性格であるといえる。

「リオン?」
「……あなたの好みって、そういうタイプか? 私は優しくもないし包容力もないんだが」
「ああ……」
 リオンの不機嫌の理由を悟って、ジョカはにこりと微笑む。

「俺はな、リオン。お前が好きだよ」
「……」
 不意打ち。
 リオンは呑まれてしまって沈黙した。
 不機嫌が直った様子のリオンの頭を、ジョカは撫でる。

「故郷から出たばっかりで人寂しいときってどうしてもそういうタイプの女に惹かれるだろう? 俺もその頃はまだ十代のガキだったしな」
「それで……どうなったんだ?」

 ジョカは一瞬きょとんとし、そして質問の意図をすくいとって苦笑する。
「べつに何も。どうにもならなかったよ」
「? あなたは魔術師なのに?」
 どんな女も魔術師ならより取り見取り、というリオンの言葉は正しいようで正しくない。

「高嶺の花って憧れるだろう? ガキならなおさら」
「高嶺の花? 魔術師のあなたが?」
「人妻だった、ってことさ」
「……? 人妻なら好都合で、愛人にすればいいじゃないか」
「――俺が悪かった。宮廷の常識では人妻なら手を出していいんだった」

 常識の違いにくらくらしながらも、ジョカは話をまとめた。
「とにかくそういう事だったんだよ。手を握ったことすらありません。清い関係で終わりました」

 最初から最後まで、淡く綺麗なままで終わった初恋。
 思い返せば恥ずかしくなるような甘酸っぱい、始まりもせずに幻想のまま終わった恋である。

「好きなら奪ってしまえばよかったのに」
「いや。奪ってしまえたら、たぶん俺は落胆したと思う」
「……ああ、成程。手が届かないからこそ欲しくなるってやつか」
「いや、夫と子どもの世話をしている彼女の姿が好きだったから」

 いつも赤子を抱えていた。
 背におぶっていたか、あるいは胸の前に抱えていた。
 彼女を思い出すとき、そうして子の世話をしながら、穏やかに微笑む顔が思い浮かぶ。

「俺は家族の世話をすすんでやっている彼女が好きだったんであって、魔術師の富と権力に惹かれて夫も子どもも捨てるような女は好きじゃない。もしそうなったら瞬く間に冷めただろうな」

「なるほど。だからあなたは何も言わなかった……と」
「人妻って時点で言えないけどな。言わなくて良かったとも思う」
 実はもう一つ、ぜったいに言えない理由があったのだが、それについてはリオンにこそ言えない秘密である。

 リオンを裏切っているわけではなく、ただ秘密にしているだけだ。
 恋人同士だからといって、お互い秘密はある。

「素敵な人だったか?」
 リオンにそう問われて、ジョカはすんなりと抵抗なく頷いた。
「素晴らしい女性だった……と思うよ。昔の話だから、思い出補正がかかってるせいもあるけどな」

 彼女が死んだのは、ジョカが幽閉される前。三百年以上も昔のことである。

「どういうきっかけで好きになったんだ?」
「さあ……? 確たるきっかけは特にないな。目にしたときいつも家族の世話に追われてて、忙しそうで、それでいて楽しげに家事をこなしていくんだ。魔法みたいに。すごいな、と思ってそれから背景だったのが気になって見るようになって……そうしたら何だかいつもくるくる働いているんだ。いつ休んでいるんだとまた更に気になって見るようになって、まあそんな感じだ」

 優しく柔らかく暖かい、日なたでよく乾かされた洗い立ての洗濯物のような印象が、心に残っている。
 良い女だったなあ、と思い出に浸っていると、不意に頬に痛みを感じた。

「……」
 リオンが冷ややかな目でジョカを見て頬をつねっていた。

「リオンが嫉妬するようなものじゃない。俺の初恋は、ままごとの恋だったんだから」
「ままごとの恋?」
「恋に恋すると言えばわかりやすいか? 何も言わず、始まってすらいないからこそ綺麗なまま取っておける恋。もし俺が彼女に言ったとしたら、たとえ断られても今のように綺麗な思い出のままにはできなかっただろう」

 空想のなかで盛り上がり、空想のまま終わったから、美しい思い出にできるのだ。
 恋とはそういうものだ。

「俺はお前に恋をして、自分の無力さも無様さも醜さもすべて突き付けられたよ。そして、同じくらいにお前の醜さも闇も弱さも見た。それでも変わらないと断言できる今の気持ち、これが本物だ」

 恋に足を踏み入れたら、己の醜さがいやでも目に付く。
 自分の心の狭さや嫉妬深さや狭量さに自己嫌悪に陥りつつ、もぐのが恋の果実というものだ。
 リオンと出会い、年甲斐もなく本気でこの少年を愛して以来、ジョカは自分の愚かさを嫌というほど味わっている。

「ジョカ……」
「俺は彼女が好きだったけど、さっきも言った通り、もし彼女が俺になびいたらすぐに気持ちは冷めたと思う。――美しい思い出として取っておけるのは、何もせず、何も始めず、彼女という人格の内側へ踏み込まなかったからだ」

 ジョカはじっと愛する人を見つめた。
 戸惑いをもって見返してくる青い瞳の少年を、ジョカは心から愛していた。
 どれほどみっともない所を見ても、幻滅することはついぞなかった。

 何度も喧嘩したし、これからも何度も喧嘩するだろうが、同じ回数仲直りできるだろう。そうして過ごしていきたい。
 そう思えることが、愛だ。

「どんな人間にも、弱い部分もあれば醜い部分もあるさ。時として障害を乗り越えられずに逃げを打つ無様な姿をさらすこともあれば、挫折して血反吐吐くこともある。――それらすべてをひっくるめて愛しいと思うのが、愛するということだろう? リオン。いま、俺が愛しているのはお前ひとりだ」

 リオンは、さっきまでの怒りがどこかへ行ってしまって嬉しいけど恥ずかしい、という顔だった。

「お前が嫉妬してくれるのは嬉しいけれど、そんな必要ないんだよ」
「わかっている。が、感情は理性では制御できないからな。あなたがうっとりと昔の初恋を思い出している顔を見てついイラッときたんだ」

「うっとりと……ってそんな顔してたか?」
「鏡を突き付けてやろうかと思ったぐらいには」
「……それは悪かった」

 ジョカは素直に謝った。
 いかに三百年以上昔の話とはいえ、恋人にウツクシイ初恋の思い出をうっとり思い出されていい気のする人間はいないだろう。

「いや、私も心が狭いんだ。あなたが私を愛しているのはわかってはいるんだが、ついな。……本音を言えば、構わないと言えば構わない。あなたが私と出会う以前のことまで縛れないし、今更どうしようもないことだ。理性ではわかっているんだが、つい」

 ジョカは黙ってリオンの頭をぽんぽんと叩いた。
 彼の初恋は単なる綺麗な思い出であって、それ以上でもそれ以下でもない。年月が経過して、多少感傷的な成分が混入しているが、それだけの。

 美しい思い出は、じつに薄っぺらい。
 ――薄っぺらいからこそ、外見はこの上なく綺麗に飾り付けることができるのだ。
 ジョカはそれぐらいのことは知っていた。

 相手を良く知りもしないからこそ、ジョカは勝手な自分のイメージを彼女に押し付け、聖母像のような人間離れして「きれいな」イメージを作り上げることができた。
 生身の人間が聖母なんかでないことぐらい知っているというのに、そんなことお構いなしにどんどんより美しくより優しく空想の聖母を作り上げていったのだ。思い出補正とはそういうものだ。

 嫉妬するようなことじゃない、というのは混じりけなしのジョカの本心である。
 今現在、ジョカが愛しているのはリオンただひとりだ。

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Date:2015/11/22
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