ジョカは魔法使いである。
そして、リオンは、とある事を世界の誰より良く知っている人間だった。
曰く、
――世界には、不思議な力が実在する。
ジョカという生き証人がいるのだ。これほど明瞭な証拠があるだろうか。
リオンはジョカの愛を独占していて、無制限に魔法の恩恵を享受している立場にある。
そんな彼にとって、世界には不思議な力があるのだという事は、乾いた大地に降りそそぐ水のように体と心に染みこんでいた。
だから、リオンは世の中の「不思議な力」について、肯定的な立場である。
そんなもの存在しない、とか、そんなのただのインチキでまやかしだ、と否定する立場からは一線を画している。
世の中には、本当に、不可解で不思議な現象が、在る、のだ。
それは確かなのだから。
だから、その日、リオンは『その事』について、一概に否定することはできなかった。
その日の晩、リオンは夕食の席でジョカに切り出した。
「なあ、ジョカ。私は……あなたのような存在を知っているから思うのだろうが、世の中には説明できない不思議なことがあるだろう?」
「ん? ああ」
「もうずっと昔の事だが、あなたが私の目の前で、いきなりお菓子を取り出してみせた時、私は心底驚いた。それでも悲鳴を上げたり卒倒しなかったのは、私が子どもだったからだろう。頭が柔らかい子どもの頃に見せられたから、一方的に何かのまやかしに違いないと否定することなく、受け入れられた」
「今のお前も俺から見れば十分子どもだけどなあ」
ジョカの茶々に、現在十六歳のリオンは顔をしかめて言い返した。
「あなたは以前、三十過ぎの男を子どもと形容したことがあったな。そもそも三百歳を超えたあなたから見れば、今地上に生きている人間は全員子どもだろう」
この辺の国で成人は十五歳。
十六歳のリオンは立派な成人男子なのである。
リオンは脱線しかけた話を軌道修正する。
「話を元に戻すが、――ロイヤル・タッチを知っているか?」
ジョカは目を見張った。
「おまえ、なんでそれを?」
その反応に期待を感じつつ、リオンは話をつづけた。
「知っているんだな、まあそうか。そこで聞きたい。ロイヤル・タッチとは、本物なのか?」
「――はあ?」
リオンは性急にジョカに答えを求めた。
「嘘なのか、本物なのか、どうなんだ? あなたなら知っているだろう?」
テーブルに身を乗り出し、息せき切って詰め寄るリオンの様子に、ジョカは落ち着けと手を前に突き出して押しとどめる。
「ちょっと待て。その前に前提条件を確認したい。いいか?」
「ああ」
「お前の言うロイヤル・タッチって何だ?」
「ルイジアナから遥か北西にある島国で、行われている儀式のことだ」
交易の拠点のひとつであるルイジアナでは、さまざまな国の情報が行きかう。
リオンはざっと説明した。
「川向こうへ渡り、そこからずっと西にいくと、海がある。その海岸から見えるくらいの距離にある島国。遠すぎて私は一度も行ったことがないが、その国ではルイジアナとはちがう宗教が信じられている。そしてその国の国王には、人を癒す力があるというんだ」
リオンが説明すると、ジョカは気の抜けた声をもらす。
「あーなるほど。あの国ね」
「ジョカは行ったことがあるのか?」
ジョカは苦笑した。
「俺は魔術師だぞ? 自由の身だったころ、それこそこの大陸中を廻ったさ。その小さな島国にもな。いや、さほど小さくないか。面積だけならルイジアナの十倍はある」
「へえ……」
「でも、俺が見たのは三百二十年前の話だからな」
「その国の王がする、触れた人間の病や怪我を治す治癒の儀式をロイヤル・タッチとよぶそうだ。何分遠すぎてあまり風聞なども伝わってこないが、遥か昔からそういう儀式をやっているという話は聞いたことがあった。あなたがいた、その頃からロイヤル・タッチはあったのか?」
「あった」
その言葉に、リオンはかなり驚いた。
「三百年以上も前から?」
「ああ。――何だったら今からでも行こうか? 一時間もすれば着くと思うが」
「……いち、じ、かん……」
リオンは唖然とする。
ルイジアナからその島国まで、優に人の足では一年はかかる距離だ。
馬を使ったところで、馬は食事も休息も必要とする上に、あの辺はルイジアナとはちがい、宿場町や街道が整備されていないため、半年はかかる。
宿場町がないということは、馬の餌を確保するには時間をかけて集めるか、自分で持参しなければならないからだ。
馬の機動力を生かすには、街道と宿場町の整備が不可欠なのだった。
それが一時間。
いつも思うが、ジョカの魔法は出鱈目もいいところである。
一瞬呆然としたがすぐにリオンは気を取り直した。この辺、リオンもジョカの魔法がらみの出鱈目さには耐性ができている。
ジョカは当然と言えば当然の疑義をはさんだ。
「それで、なんでいきなり持ちだす?」
「今日町で、ちょっとな」
ジョカは怪訝な顔だ。
それも当然で、ジョカは魔術師だ。だから、リオンがひとりで出かけるとき、その周囲を常に警戒している。
リオンの知覚範囲よりも遥かに広範囲を、ジョカはすべて精査しているのだ。リオンが耳にはさんだ言葉なら、すべてジョカも聞いているはずだった。
だから、リオンは説明した。
「その島国の産物が荷揚げされていて、それで、思い出した。ずっと前、そんな話を聞いたことがあったんだ」
小耳にはさんだのはまだジョカと出会う前だったので、うまい詐術を考えるものだと即断し、忘却可の箱に入れてしまっていた。
その記憶が、今日、久方ぶりによみがえったのだ。
不思議な癒しの力を持ち、長い事その島国に君臨する王家。
その長期の統治の原因たる儀式。
王は、多くの人にロイヤル・タッチを行う。
その聖なる力は国王になった瞬間から宿ると信じられ、代替わりしても代々行われている。
病んだ民は国王にすがり、国王も無償でそれに応じる。
具体的には定期的に礼拝堂に集め、禊ぎをして清めた王が彼らに触れていくのだ。
聞いた時は一笑にふしたものだが……いまは、到底できない。
「で、それが、どうかしたのか?」
リオンは頷いて説明した。
「その国王が手を触れただけで、怪我や病気が治るんだそうだ。
……そして、私はもうひとり、それができる正真正銘の奇跡の遣い手を知っている」
リオンはちらりとジョカを見やった。
ジョカと目が合い、ジョカは常と同じように、笑顔を返した。
「あなた、そして、遥か遠い国のロイヤル・タッチをする王。私は、あなたの力をこの目で見ている。どんな深い傷でも、生きてさえいればあなたは傷を跡形もなく治せる。では、その国王は? 本当に、その国の王にはそんな力があるのか? あの国の王は、魔法使いなのか?」
ジョカはすぐには答えなかった。
黙ってコップに手を伸ばし、水を飲み、喉を湿らせて言った。
「なあ、リオン。俺は宗教とか民間の風習とか信仰を、一概に否定することはしたくないんだ」
「……つまり、嘘だと?」
「ただ、一つだけ確かなのは、遠国の国王の力は――嘘だと言い切ることはできない」
「なぜ?」
「実際にそれで、人が治っているからだ」
リオンは首を傾げた。
「私の耳がおかしくなったのか? 実際に治っているのなら、それは本物ということだろう?」
ジョカはかぶりを振った。
「それはちがう。人は、迷信や嘘であっても、心から本物と信じることさえできれば治せる生き物だからだ」
「え?」
「プラセボ効果……って言ってもわからないな。お前に俺が、これはとてもよく効く薬だと言って何の効果もない丸薬を渡したとしよう。リオン、お前は俺の言葉を信じている、そうだな?」
「ああ、そうだとも」
リオンは尊大に見えるほど平然とうなずく。
リオンは、ジョカを信じている。
それは強固なもので、揺らぐ気配は微塵も見えない。それだけの信頼を、彼に寄せている自覚がある。
当然とばかりに返された肯定に、ジョカは顔をほころばせながら続けた
「だから、その薬は真っ赤な偽物であろうとも、効いてしまう可能性が高い。人の心は、人の思っている以上の力を持つ。心がそうだと思いこめば、それは体にも影響を及ぼすんだ」
「心がそう思っただけで効く? おかしくないか? じゃあ、瀕死の重病人も、自分が治ると心で思っただけで治るということになるだろう?」
ジョカは真顔で言った。
「瀕死の重病人で、俺は絶対治る!って理由もなく思いこめる人間がいたらそいつは大物だ、間違いない」
「……例えが悪かったな。でも、原理としてはそういう事だろう?」
「そう、そういうことだ。心で強く思いこめば、体にも作用する。治る、と心から信じて思いこむことができさえすれば、体は自分の持てる自己治癒力をいかんなく発揮して体を治そうとする。もちろんそれでも治らない病気はあるけど。そうだな……もっと判りやすく言うと、暗い事ばっかり口にしてるやつは、体が不調になりやすいだろう? それは実際に、病気にかかりやすくなっているんだ」
「え? 実際に病気にかかりやすくなるのか?」
「そう。免疫細胞……ええと、体の中の、病気と闘う部分が衰えるんだ。心は、人が思う以上に力を持つ。治ると思いこんで治るように、病気になると思いこむことで、実際に病気になりやすくなる」
「だが、暗い事ばかり考えるのは良くないとは言っても、病気で苦しんでいるときに明るいことばかり考えられないというのが人間だろう? どうしたって体が痛くて苦しいと、考えることも暗く……ああなるほど」
リオンは先程の自分のたとえがいかにまずかったのかを理解する。
何か理由がないことには、治ると確信できないのだ。瀕死の重病人は。
「そう。瀕死の重病人は、どうしても思考が暗くなってしまう。理由なく、自分が治ると、そう心から思いこめる人間はそういない。だから、自分が『治る』と思うには、それなりの材料がいるんだ。
たとえば、尊い一国の王が自分のからだに触れてくれる、とかいうな」
「……それが、ロイヤル・タッチの正体なのか?」
「そうだ」
「じゃあ……つまり、ぺてんだと?」
「俺は、そうは思わないな。ロイヤル・タッチをする王は、なんせ国王だ。普段滅多に会えない、遠目に見る事すら難しい相手がわざわざ病んだ自分のからだに触ってくれるんだ。その尊い力で自分を治すために。いかにも効きそうで、実際それは効く。こころに、な」
ジョカの話を聞きながら、リオンは不納得な顔だった。
効果がないのなら、それはぺてんではないか?
騙していることは変わらない、そう思ってしまうのだ。
「相手は近所のおばちゃんおじちゃんじゃないぞ? 路傍の詐欺師でもない。正真正銘の国王陛下だ。当然、ありがたみがちがう。そして人間、同じことをやるにしても、難しければ難しいほど、価値を感じる。
――と、いうことは、だ。心は目一杯思いこむんだ。国王陛下のロイヤル・タッチを受けた自分は治る! と」
「そして、『心は人が思う以上の力がある』から、治る……と?」
「ああ。とある国王は、在位中に一万人を超える人にロイヤル・タッチを行った。それで助かった人間は優に千を越える。俺はなあ、リオン。お前の言うように、効果がないのならぺてんだと以前は思っていた。もちろん、わざわざ糾弾なんてしないけどな。でも、ある時こう思った」
リオンは無言で先をうながす。
「ぺてんだろうが何だろうが、千を越える人間がそれによって救われたのなら、それは善行だろう、と。そうじゃないのか?」
「それはそうだが……」
「まあ俺のスタンスはそんなところだ。でもお前が違うと思うのなら、それはそれでいい」
最愛の人間が自分と違う意見であることを、ジョカはざっくりと肯定した。ジョカは、異論が共存することに価値を見出す人間だ。
同じ意見でないといけないと思う人間の方が、理解できない。
人それぞれ。人は多様性の生き物なのだから、色々な意見があって当然。
それが認められる世界の方が、そうでない世界より余程価値がある。
そして、頑固に説得されれば意固地にもなるが、そうフリーハンドの自由を与えられると、人は考えるものである。
リオンは自分の心を見つめなおしてみた。
ロイヤル・タッチは、嘘だった。
でもそれで、実際治っている人間はたくさんいる。
王室側がその嘘で無形の利益を得ているのは事実だが(ロイヤル・タッチは、王室の威信を高める)、むしろ、まったくの無償の行為というものを他人に期待する方が厚かましい。
無償でなければ悪、と一方的に決め付け、糾弾するような輩を、リオンは好きではない。
リオンは、人間は自分のしたことに対して代価をもらうのは当然の権利と思っているからだ。
それが高額の治療費を貪るのではなく、王室の威信を高める、といった無形のものであったら尚更だ。
王家は威信を高め、ロイヤルタッチを受けた民は治癒し、家族は喜ぶ。
誰も損しない。素晴らしい関係ではないか。
どことなく釈然としなかった心は、そう順を踏んで説得することで柔らかくなり、ジョカの言葉を受け入れることができた。
そして、一方で自分はどうしてペテンだと断罪したいのかと考えて、答えを見出した。
リオンは、期待したのだ。
リオンはジョカの側にいて世界に『本物』がある事を知っている。そして同時に、魔法の力に魅了されている自覚がある。
だから、自分の知らない遥か遠くの国にも『本物』があったのかと、そう胸がときめいたのだ。
期待が失望に変わり、失望感が断罪を望んだ……リオンは自分の身勝手な心を直視して、反省した。
勝手に期待して勝手に失望し、勝手に断罪しようとしたわけだ。身勝手にもほどがある。
それに比べ、ジョカは何と大人なことか。
かれは、自分の感情だけで物事を判断するのではなく、それによって利益を得た人々、病が癒えた人々のことも考えて、判断したのだ。
たとえまやかしであっても、それで実際に治った人がいるのだから、と。
「信じるものは救われる。でも、信じることは難しい。自分が治ると、そう心から思える手助けをしてくれるのなら、それはひとつの価値があると、俺は思う」
そういったジョカの言葉に、リオンは黙ってうなずいた。
ロイヤル・タッチは、昔のヨーロッパで行われていた実際の儀式です。
興味ある方は調べてみて下さい。内容は文中の通り。国王陛下が病人に触ると治るよ、というもの。
作中のプラセボ効果は、作者がそういうことじゃないの? と考えた内容。
実際に治癒の効果があったかどうかは、歴史の謎です。
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