時期的に同人誌完結後。
同人誌を読んでなくても問題なく読める内容です。
ジョカは治療師やってます。
ジョカは、近頃、非常に不機嫌だった。
理由は自分でもわかっている。自分が狭量なせいだ。認めて、納得して、受け入れなければならないとわかっているのだが、心は頭ほど賢くない。
どうしようもなく苛ついてしまう。苛ついたところで、誰も、何も、得をしないというのに。
苛ついて、そんな自分に自己嫌悪に陥り、落ち込んで……、ジョカは診療の合間にそっと嘆息した。
「先生、どうしたんですか?」
活発な声で聞いてくるのは、弟子としてとった少女だ。年は十二。元気で活発ないい子である。
この辺では治療師というと徒弟制度がふつうだ。
弟子は、師匠から知識と技術を覚える。代価は無償の労働で払う。
ジョカが治療師として生計を立てることに決め、最も困難な一年目を乗り越えて一息ついたころ、押しかけてきた弟子志願の少女だ。
熱意に負け、また医術の伝授という面でも普及した方がいいだろうと弟子にすることにした。
素直で気立てもいい子だが、ちょっとばかり物覚えが悪い。が、これはジョカの方の基準がおかしいのだろう。
普通はリオンのように、無数の医薬品を一度聞いただけで覚えたりはしない。
長い間、リオンに一対一で教えていたせいか、ジョカは自分の基準が著しく高くなっている自覚がある。
「ああ、悪い。ちょっと悩み事が……」
「先生の悩み? どんなことでもたちどころに答えを見つけて答える先生が、悩み!?」
ジョカは変な顔になった。
「……なんだその過剰評価」
「わたしだけじゃないっすよ! みんな言ってます。先生は何でも知っている仙人みたいなどえらい人だ、って!」
ジョカは苦笑した。
「俺にだって悩みぐらいあるさ」
そう、例えば――。
「自分の度量の狭さに嫌になるとか」
「はあ?」
「何でもない。さ、患者さんを呼んできてくれ」
その日も患者の治療に弟子をこき使いつつ、実地で医術を弟子に教え込んだ。
ジョカの住むこの国の医術は、少なくともジョカが三百年いたルイジアナよりずっと進歩していた。
自然界の生物から薬として使用できる植物を見つけ出し、それを処方することは当然として、必要とあらば皮膚を切開して中の悪いものを掻きだして縫い閉じることまでする。
知識の伝播に熱心な魔術師がこの地方に滞在したことは間違いないようだ。
ジョカが幽閉されたルイジアナには他の魔術師が寄り付かなかったので、知識の普及が一歩遅れた、ということもあるが。
魔術師は知識の塊であり、知識を伝授することへの制約は特にない。ただ、魔術師の自己判断に委ねられているだけだ。
そして知識は諸刃の刃だ。
知識の持つ危険性を知り、その有用性も知り、自己判断力をもった魔術師たちは、多くが自己規制に走った。
自己規制とは言っても全面的に禁止ではない。直接的な差しさわりのない知識を教え、危険な知識を封印する、という中道の選択肢をとった人間が最も多い。
この辺りは、そういう魔術師が訪れたのだろう。
しかし、書物がいまだ一部の人間の独占物となっている弊害で、この地域の医術にはあちこちに綻びがあった。
口伝は、歪みやすいのだ。
徒弟制度で口から口へと伝播するうちに、自然と主観がはいり、その人間の解釈がまじる。その人間が不要だと思ったことは削ぎ落とされる。
それが本当に不要ならばいいが、『消毒』などという極めて重要な概念が削ぎ落とされ、広まっていないことを知ったときには眩暈がした。
人は雑菌に生かされ、雑菌に殺される。
消毒を怠った患者は、高い死亡率となってしまう。
ジョカは補修し、繕い、直した知識を実地で弟子に叩き込んでいく。
「いいか、切開手術をするときには必ず湯を沸かして刃物も糸も何もかもすべて消毒しろ! もちろん自分の手も念入りに洗え!」
「はい!」
「清潔な水は決して欠かすな。土も自分の手も雑菌の塊だ。敗血症はこの間教えたな? 破傷風から敗血症になったらまず助からないと思え」
「はい!」
「骨折の手当てはまず診断からだ。傷が一見ないように見える場合、痛みこそが何より優秀な知らせになりえる。つまり、痛いと言っている患者がいたら、たとえ傷がないように見えても実は骨が折れているかもしれないということだ。患者の訴えには真摯に耳を傾けろ」
「はい!」
怒涛のような患者の波が通り過ぎ、一息つく。
「先生の知識はすごいです! どこでこんな治療法を教わったんですか?」
「すごくすごーく偉い人だ。お前もちゃんと覚えて、いつかお前の弟子にも出し惜しみしないで教えてやれ。そうすることで、助かる命が増えるんだ」
「はい! ……先生、火傷に効くのってベバリナ草でしたっけ、ベバモカ草でしたっけ?」
紙が貴重品である時代、気軽にメモをとることもできず、とにかく反復練習で記憶を長期記憶にするしかない。
一度聞いただけで覚えられるリオンのような人間は、特殊な人間であって、普通は何度も同じことを聞きながら憶えていくのだ。
だからジョカは重々一つの事を弟子に繰り返した。
「いいか、俺に聞くことを恐れるな。聞くことを恐れ、勝手に患者に処方して間違えたらどうする? 違う薬を処方したら、患者は最悪、死ぬぞ。だから何度でも聞け。記憶が頭に定着するまで、何度でも聞いていい」
「はい!」
目を輝かせながらうなずく少女の姿は誰の目にも愛らしいものだった。
ジョカも目を和ませ、弟子の頭を撫でる。
男尊女卑が公然と叫ばれているこの時代、女性の医術者は、非常に珍しい。
だが、ジョカは良くも悪くも男女平等主義である。
少女の熱意と懇願に負けたのは純粋に言葉通りの意味であり、やましい思いは何もない。
女性が蔑まれている時代に、男に弟子入りするのだ。
一般的認識で言えば、性的奉仕も知識代に含まれる。
それが当然、それすらも覚悟しないで男に弟子入りするなんて、というのがこの時代の一般的感覚である。
たとえ、それが年端もいかない少女であってもだ。
今の時代は寿命が短いぶん早婚なので、十二歳の少女と関係を持つことも、結婚することも、おかしくないのだ。
そんなわけで、少女の方はある程度性的な奉仕すらも覚悟しての申し出であったらしいのだが、ジョカが彼女に手を出すことはない。
ジョカのその手の関心は現在も未来もただ一人に注がれている。
弟子も自分に手を出さないジョカに最初は不審がっていたのだが、すぐに納得し、安心したようだった。
少女は少年よりずっと成長が早い。十二にもなれば、男色家という種類の人種がいることぐらい知っている。
――ああ、先生は男性しか愛せない人だったんだ、と納得したのである。
ジョカとしては反論したい気がなくもないが、その風評で得られるもの、守られるものを考え、放置している。
女性に言い寄られるのは悪い気がしないが、実際に断る手間暇を考えると厄介である。
女性というのは、すべからくプライドが高い。美女なら特に高い。
角が立たないよう断るのは、中々に骨が折れる。
その手間が省けると思えば、男色家という評判のひとつやふたつ、我慢もしようというものだ。
ジョカはそこで風評のもとである同居人兼恋人を思い出し――つい、ため息が出てしまった。
ここしばらくのジョカの不機嫌の原因は、最愛の恋人である。
だが、リオンに咎は何一つない。
何もかもすべて、ジョカの不出来が原因なのだった。
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