fc2ブログ
 

あかね雲

□ 黄金の王子と闇の悪魔 番外編短編集 □

治療師ジョカ 2


 夕方になったので診療所を閉める。
 この時代、全世界的に治安は良くない。この辺りの政治は安定し、治安もいいのだが、それはこの時代の中で、という意味で、よそ者が夜に店を開いていても安全なほどには治安がよくないのだ。

 夕暮れ時の薄ぼんやりした明かりのなかを、同じように店じまいした人々が街路を帰っていく。

 仕事を終えたあとだ、皆の表情は一様にどこか疲れをにじませているが、同時に仕事の緊張から解放されて緩んだ表情でもある。
 本当の意味ですさんだ表情をした人々は見当たらない。
 人々が温かい表情で家路を急ぐ姿は、どこか懐かしく、人の心をなごませた。

 それを眺めながら、ジョカもまた、家に戻る。
 自然と足早になってしまうのは、一秒でも早く会いたいからだ。
「おかえり」
 笑顔で迎えてくれた愛しい人を、ジョカはしばらく見やった。

 体全体に絡みついていた疲労がゆっくりとほぐれ、解けていく。
 ジョカも笑って挨拶を交わした。
「ただいま。はいこれ」
 丈夫な布袋に入った本日の治療費をリオンに渡す。

 何かリオンにもできる仕事を、ということで、リオンが経理担当なのだ。
 一年あまりの間熱心に習得に励んだ甲斐あって、言語もそれなりに身についたリオンにはできる仕事など山ほどあるが、どれもこれもジョカの反対で頓挫している。

 ジョカは、リオンをできるだけ外に出したくないのだ。

「ご飯出来てるよ」
「ありがとう」
 ジョカが一日診療所にいるので、必然的に家事はリオン担当である。

 「あの」リオンが、炊事掃除をやっているのである。なお、洗濯だけはジョカの猛反対で、ジョカがやっている。

 この時代の洗濯仕事は、過酷な重労働である。
 リオンは深窓のご令嬢などではないが、それでもだ、ジョカはリオンの白い指がぼろぼろになるところなど見たくはない。
 足で踏むだけで桶の中の板がぐるぐる回る簡易洗濯機の設計さえできるジョカは、その内これを作る予定である。今のところは目立ちすぎるので作れないが。

 この地に住んだ時、最初はジョカが仕事も家事もジョカがやる予定だったのだが、リオンは断固反対したのだ。

 そんなに甘えることはできない、私も自分にできることをしなければ申し訳ない、そう言ったリオンにジョカは折れ……基本スペックが常人離れしているリオンのことだ。稚拙だった手つきもすぐに上達し、一年経った今では熟練の主婦顔負けである。

 その日の料理も美味だった。
 豆と野菜のスープと、芋で嵩増しした米飯だ。
 一口食べて、ジョカはにっこり笑って言う。
「美味しい」

 お世辞ではなく、本当に美味だ。
 リオンは家事と言語習得に費やしたこの一年で、料理の腕がコレ金取れるんじゃないか、というレベルにまで上がった。

「ありがとう。……なあジョカ。話があるんだが、食事の後時間取ってくれ」
「ん? わかった。今すればいいのに」
「せっかく作った食事は、ちゃんと美味しく食べてほしいんだ」
「……」
 どうやら、あまり愉快な話ではないらしい。

 食事をつづけながら一体何だろうとジョカはあれこれ考えたが、心当たりはない。

 外で働き口を見つけてほしくない、とは言っても、感情的にではなく理詰めで言ったので、リオンも納得したはずだった。

 その他に何か、不満があるのだろうか。
 ジョカは基本的に、リオンに甘すぎるほど甘い。
 毎日の家事が嫌になったのだろうか。それならジョカがしたって構わないが、リオンの性格から考えにくい。

 リオンはプライドが高い。それも正しい意味で、誇り高いのだ。
 彼は一方的に扶養の立場にいることを、ただ守られていることを拒絶する。

 そのためになら、これまで未経験であった家事もやろうとやり方をジョカに教わり、身に付けた。
 リオンのプライドは、ただ守られているくらいなら、自分がこれまで下らない仕事と見下していた家事をやることを是とする。

 そのプライドを、ジョカが良かれと思って傷つけてしまったのだろうか?
 思い当たるのはそれぐらいしかない。

 あれこれ考えながら食事を終え、食器を流しに持っていく。

 食卓に戻り、二人向かい合ったところで、さて、とリオンが切り出した。
「ジョカ。私に何か言いたい事はないか?」
「え? ……ないな」
「そうかそうか」
 リオンの笑顔は怖かった。

 その笑顔を見ながら、ジョカは背筋に冷たい風が通り過ぎるのを感じる。
 リオンは現在二十五歳。
 誰もが認める美少年だったリオンは、誰もが見惚れるほど美しい青年に成長した。

 身長はジョカとほぼ同じだが、ひょろ長で見るからにひ弱なジョカとは違い、鍛えられた体に柔弱な空気はない。
 鍛えられた細身の体に細面。双眸はあの、かつてジョカを魅了したアイスブルーの瞳が光っている。
 首はすんなりと長く、足も長い。怜悧で上品かつ、どこか近寄りがたい雰囲気を身にまとった美しい青年だ。
 育ちの良さは一目瞭然で、庶民の間では目立つといったらない。

 リオンは、ジョカにとって世界で一番恐ろしい微笑みを浮かべたまま、頭を振って言う。
「なあジョカ。私もな、あなたを責め立てて言わせるような真似はあまりしたくないんだ。これまでの信頼が損なわれる上に、これからの関係性に、重大な支障をきたしてしまうだろう?」
「リ、リオン、さん?」

 リオンはジョカを正視した。
 思わず動きが止まってしまったジョカに、リオンはひとつひとつ拾い上げるように、言う。

「あなたの様子が、最近どうもおかしい。私の顔を見てはこっそりため息をついている。そして落ち込みがちでもある」
 気づかれていたことに、ジョカは驚く。

 ジョカとしては、リオンの前で暗い表情や苛立ちを外に出さないよう、つとめて自制していたつもりだった。
「気がつかないとでも思ったのか?」

 図星を射抜かれ、痛くて言葉も出ないジョカに、リオンは口調を和ませて言う。
「ジョカ。あんまりこんなことは言いたくないんだが……約束しただろう? お互いに何か不満があったらちゃんと言う、と。育った土壌も考え方もちがうんだ、それがぶつかって不満ができるのは仕方がないけれど、話し合って折り合いをつけよう? 何か不満があるのなら、どうか言ってほしい」

 誠意のこもった言葉だった。
 最愛の人にそんな風に言われ、これ以上口を閉ざしていることはできずに、ジョカはかぶりを振った。

「……ちがう」
「え?」
「お前に不満があるわけじゃないんだ。不満なんて、何一つとしてない。俺は今の生活に満足しているし、幸せだとも思っている」
「じゃあ、なんで最近落ち込んでいたんだ? 仕事の悩みか? だったら人に話せば楽になるぞ?」

「ちがう。仕事の悩みでもない。とても……身勝手で、自分が嫌になるようなことだ」
 リオンは首を傾げる。
「じゃあなんだ?」

 リオンが問いかけても、ジョカは中々重い口を開けなかった。
 原因も理由もどうするべきかもすべてわかっている。自分の心のなかで発生し、心が解決しなければならない問題なのだ。
 リオンに話したところでどうにかなる問題でもないし、自分の無様を、リオンにだけは見せたくないという気持ちが強かった。

「これは、俺が、自分で解決しなければならない事だから」
「だったら私に言っても同じことだろう? 言え」

 逡巡のうちに、時間がすぎた。
 リオンは焦らず、答えを促さずに黙ってジョカを見ている。

 その労わるような視線に根負けして……、ジョカはリオンに告げた。

「リオン。俺は、お前をずっと見てきたよ。だから、お前が人の注目を集めずにはいられない人間だっていうこと、良く知っている。俺がお前をこの家の中にとどめておいてさえ、お前のことは人の口にのぼる。そこにただいるだけで、お前は人の目を集めるんだ。――それが、嫌で嫌でたまらない」

 ジョカは、リオンが外へ出て職を得ることに反対した。
 できるなら家の中でだけで生活し外に一歩も出ずにいてほしかった。そんな事、できるはずがないけれど。

 家の中の家事をやっていても、近所付き合いや食料品の買い出しなどで多少は外に出ざるをえない。
 外との接触を最小限にしたそんな生活でさえ、リオンの容姿は人目を引く。

 リオンは、落ち着いた声でたずねた。
「わたしが、誰かに心変わりするんじゃないかと思うのか?」
 ジョカは黙って首を横に振った。

「ちがうよ。ただ……俺は、自分に自信がない。お前を繋ぎとめる自信が何もない。お前が俺を好きだということはわかる。でも、好きでいつづけてくれるかどうかは、――わからない」
 そこで言葉を区切り、ジョカは頭を振る。

 不安の根幹は、自信の欠如だ。
 子どもじゃないのだ、それぐらいわかっている。

「お前は、この環境に適応し、変わろうと努力し、変わってくれた。王子様で、家事なんて一つもやったことのなかったお前が、だ。毎日掃除をし、買い物をし、料理を作ってくれる。心から嬉しいと思うし、幸せだと思う。――でも、俺は、心の裏側で、常にお前を失う恐怖におびえている」

 原因も理由もどうすればいいかもわかっている。
 ジョカが、ありもしない未来を怖がるのをやめればいいのだ。
 自分に自信を持てばいいのだ。
 言うのは簡単、やるのは難しいとはこの事だ。

「お前に外に出ないでほしいと思う、誰にも見られたくないと思う、本来なら愛する人間が賛美されるのは快いはずなのに、俺はお前が褒められるのが嫌で、お前が誰かの関心を引くたび、まるで俺の中のお前が穢されていくような気分になる。いっそのこと幽閉したいとすら思う。誰の目にもふれさせたくない。お前を閉じ込めてしまえば、お前を見るのは俺だけになる」

 今頃になって、ジョカはかつての親友の気持ちを理解できる。
 逃げられるのが怖くて、いつまた姿を消すのかと思うと心が竦みあがって、がんじがらめに縛って自分一人の秘密の小箱に閉じ込めたくなる。

 ジョカは首を振って、結論を告げた。
「――でも、そんなことができるはずもない。だからこれは、俺が解決しなければならない話なんだ」




一度は克服したはずのことで悩んでしまうジョカ。
悩み、苦しみ、乗り越えてもまた悩む。それが人間です。

某所のキャラは、自分の恋人がもてる→羨ましいかざまあみろ、で高みの大笑いですが、ジョカの場合は高笑いどころかこうなります。

→ BACK
→ NEXT




関連記事
スポンサーサイト




*    *    *

Information

Date:2015/11/25
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする