――お前が注目を浴びるのが嫌だ。出来るなら誰にも見せないよう閉じ込めてしまいたい。
そう言われたリオンは困った顔だった。
「なあジョカ。わたしは、もう、逃げられないんだぞ?」
「わかってる」
ジョカは、やるせない表情で肯定した。
リオンは契約した。
契約は絶対だ。訂正はきかない。
たとえその後気が変わったとしても――だからといって反故になるはずがない。契約は粛々と履行される。
リオンがもし、ジョカから逃げたとしても、逃げられるはずもない。
リオンがもし、心変わりしたとしても、もう逃げられない。
その鎖を、リオンは望んで縛られた。
ジョカを愛してくれたからだ。
「私は、あなたから逃げられないのに不安なのか?」
「鎖でつながれていても、心は何にも縛られないから。お前は俺を嫌いになれるし憎めるし無関心にもなれる。心だけは、契約でも縛れないただ一つのものだ」
ジョカはリオンを見て苦く笑う。
「言っただろう? 俺が、自分で解決しなければならないことなんだ。リオンは俺を愛してくれている。それはわかる。でもそれは、『今』なんだ。いつ、心変わりするかわからない。そのきっかけになりそうなものをすべて排除したいと思う、でもそんなこと、できっこない」
リオンを外部から完全に切り離し、魅力的な異性との接点を消すにはそれこそ幽閉するしかないが、そんなことができる筈がない。
ジョカほど、その苦痛を知るものはいない。
ジョカは、自分自身よりもリオンが重い。自分の身勝手なエゴのためにリオンに苦痛を味あわせるなど、論外だった。
「リオン。お前は綺麗だ。ただ顔が綺麗なだけじゃなく、群衆の中にいてもはっと目を引くものがある。お前、近所中の女の憧れの的になってるぞ」
「ま、そうだろうな」
否定もてらいもなく、リオンは肯定した。
自分が美貌の主である自覚がリオンにはあるし、目立つことも理解している。
ジョカは嘆息する。
「そういうの、聞くたびに俺はもやもやする。かといって、お前にいっさい外に出るな、なんて言えないし。覆面でもしろ、ともまさか言えるわけがない。――結局は、俺がお前を自分に繋ぎとめる自信がないのがいけないだけなんだ」
「繋ぎとめる自信?」
「ああ。――とどのつまり俺は、お前を自分に繋ぎとめる自信がなくて、だから不安要素を排除したくて、でも排除なんてできる筈がなくて、それで一人で勝手に空回りしているんだよ」
原因も理由も解決法もすべてわかっているのだ。
問題は、それができない、というだけで。
リオンは腕組みをした。
「前から思っていたが、あなたは随分と、自分の自己評価が低いな」
「その理由は一言で言えるぞ。――何もかもすべて、俺が努力して勝ち取ったものではないからだ」
リオンは、芯から得心したようだった。
「ああ……なるほど。そうか、そういうものか……」
「俺が魔術師として生まれたことは俺が努力して勝ち取ったものじゃない。付属して得られた知識も、何の努力もしたわけじゃない。だから――思うんだよ。俺にはお前を引きつけておけるだけの魅力はない、と」
「でも私を助けてくれたのは、間違いなくあなただ。ちがうか?」
即座に切り返され、ジョカはとっさに何も言えなかった。
「私を助けてくれたのも、支えてくれたのも、たくさんの知識を手ずから教えてくれたのも、すべてあなたが為したことだろう? その思い出は、あなたの支柱になれないのか?」
その言葉は、確かにジョカの胸に響いた。
現在の平穏を得るための何十回もの選択と、それに伴う苦悩と迷い、そして苦しみ。
「それにだ。あなたは自己卑下しているようだが、あなたが私を嫌いになって、離れていったとしよう。私はたちまち困窮するだろうな」
「そんな……お前ならどこででも何してでも生きていける」
「私は、この国の言語を完全に習得していない。家で仕事をしながら習得に一年費やして、意思疎通に不自由がない程度にまでなったと思うが、微妙なニュアンスまで伝えられるかと言われれば不安が残る。ネイティブ並みのあなたとはちがう。それに、文化や風俗や習慣など、私が知らないことなどごまんとある。生きた百科事典のあなたとは所有している知識の量がちがいすぎる。
――何より、私は貴方のように、どこでも重宝されてよそ者だろうと受け入れてもらえる技能がないんだ」
リオンは自分の能力を把握していた。
若く健康な大人の男だ、食べていくだけなら、何とかなるだろう。でも、それだけだ。
よそ者であっても歓迎してもらえるほどの技能はない。
リオンの外見は目立つ。その上、一目で異邦人であるとわかる。顔立ちの人種の特徴がちがうのだ。
よそ者に対しての警戒心は、万国共通だ。ジョカが、多くの人が求める技能を持っていたからこそ受けれられたが、一人になって受け入れてもらえるかどうか。
いっぽうジョカは、その気になればどんな仕事でもできるだろう。なんせ知識の塊である。
珍しい物品を作って販売する技術者でもなれるし、今のように治療師でもいい。
『よそ者であろうと受け入れてもらえるだけの利益』を、既存の共同体に与えられる存在なのだ、かれは。
さらには語学に堪能で、辺境の未開の部族の言語にいたるまで完璧に習得している。
果たしてここまで有用で汎用性の高い人間がいるだろうか? いるわけない。
「私は、あなたに庇護される身だ。そうだろう?」
「……」
黙っているジョカに、リオンは重ねて言う。
「それにだ。あなたが私の心変わりを心配しているというのなら、私だってそうだぞ?」
驚いて、ジョカはリオンを見つめた。
「どうして、自分ひとりだけが不安だと思うんだ? 可愛い女の子を弟子にしておいて」
「だって、それは、その……」
「あなたが真正の同性愛者ならともかく、女好きだということを知っている身としてはだ、少年ならともかく少女を仕事中常に側においているとなると、さすがに穏やかでいられないんだが?」
ジョカはうっと詰まった。
魔術師であるジョカは情熱に弱い。これはもう、職業病というより彼自身の性格だ。
そのため、少女の熱意に負けてしまった。あれが少年であっても答えは同じだっただろう。
しかし、リオンから見れば話は別である。
「いいか、立場を逆転させて考えてみろ。私のすぐ側に可愛い女の子がいて、私はその子をこき使っている。こき使うと言えば聞こえは悪いが、要は気心が知れていて気兼ねなくあれこれ命令している。熱心に物を教え、手とり足とり指導している……どう思う?」
ジョカはうなだれた。
「…………ものすごく、嫌です」
よく考えてみれば――考えてみるまでもなく、それは嫌だろう。
ジョカだったら絶対嫌だ。
かといって、今更弟子を放逐するのも躊躇われる。
一生懸命症状に合わせた薬を覚えようと、ぶつぶつと唱えていた姿を思い出す。
小さな体でジョカにこき使われ、水汲みだ、竈の火起こしだ、野山で薪拾いだと走り回っていた姿も。
それらすべて、治療師になるためなのだ。
――しかし、ジョカの中で、弟子とリオンとどちらを取るかと言われれば、答えは決まっていた。
「お前の心情に思い至らなくて、ごめん。今からでもあの子を辞めさせるから」
リオンは黙って首を横に振る。
「私は、あなたとはちがう。女性の治療師など、存在を考えてみたこともなかった。私の中の常識では、あり得ない存在だ。逆に、だからこそ、あの子がどれほど頑張っているのかわかるつもりだ。その努力を踏みにじるような真似はしたくない。そう、私が、ほんの少し心を広く持てばいいだけの話だ。――どこかで聞いたような話だと思わないか?」
痛いところを突かれて、ジョカは口籠った。
リオンは真摯な眼差しで、ジョカを見つめる。
「なあジョカ。あなたは、私を愛していると言ってくれる。私もあなたを愛している。愛されている自信もある。認識もある。でも、それでも心の中に不安はあるだろう? 恐れもあるだろう?
愛しければ愛しいほど、不安で息苦しくなるものが、あるだろう?」
リオンは手を伸ばすと、ジョカの頬を両手で包みこんだ。
テーブルを間に挟み、二人は近い距離で見つめあう。
「ジョカ……あなたを愛している。その不安は、人を愛する者なら、誰でも抱くものなんだ。私がそうであるように」
その言葉はジョカの胸に落ちて、ここ最近の不安と嫉妬でささくれだった心を癒した。
至近距離のアイスブルーの瞳が、他の誰でもないジョカを見ていた。
「リオン……」
「その不安は、持っていていいんだ。いいや、持っていた方がいいんだ。不安があるからこそ、人は人に優しくできる。そうでなければ、きっと愛に馴れて、傲慢になってしまうだろう?」
胸を苛む不安を否定し、消そうと努力していたジョカからは、到底出てこない言葉だった。
リオンの話を他人の口から聞くたびに苛々した。
それは良くない感情だと頭で考え、頭で拒絶し、理性でもって打ち消そうとした。
そうしてもまるで消えなかった不安が、リオンの言葉に塩をかけられた雪のように消えてく。
完全に消えることは、きっとない。一生ない。
けれども、リオンはそれでいいのだと肯定する。
愛が冷める事への恐怖があるからこそ、人は人に優しくできるのだと。
「……俺って、ほんとうに、趣味がいいな……」
リオンはくすりと笑う。
「まだわかってなかったのか?」
「わかったつもりだったけど、時々こうして再確認させられます」
リオンは身を乗り出し、ジョカの唇に自分のそれを重ねた。
温かい舌が口唇を舐めて、ジョカは遅ればせながら口を開く。滑り込んできた舌が唾液を分泌させ、それを自らのものと絡めてくちゅりと音をたてる。
体に熱が灯る。
リオンの瞳を見れば、同じ熱が浮かんでいる。
ジョカはそっと自分の頬からリオンの右手を取ると、軽くキスして手を絡める。
リオンの指と自分の指が交互に重なった拳に口づけた。
手は、性感帯のひとつだ。
きゅ、と強く深く握りしめると、指の側面の薄い皮膚がリオンの皮膚とこすれ合って、背筋にぞくりと震えが走る。
相手の体温と熱を感じ、共有する。重なり合い、交差する。
手をつなぐことは、疑似的な性行為だ。
――でも、もうそれだけでは物足りない。
ジョカはリオンの手を離すと、その瞳を見つめた。
言葉はいらなかった。愛し合う者同士の、自然な成り行きだった。
二人は椅子を立つと、寝室に入っていった。
好きな人が誰かに心変わりしたらどうしよう?
こういう感情から来る問題は、どうしたって完全になくなりはしません。
まして、恋人が魅力的な人間ならなおさらです。
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